第七話 悪女の恥じらい
魔王城での晩餐会はエリィの人生で間違いなく最高のものだった。
見た目は紫色だったりスライム状のよく分からない料理もあったものの、食べてみればその極上の美味さによだれが出てきて、一度フォークを出せばもう止まらなかった。結婚式の時にはもっと盛大にやると言うのだから、晩餐会だけでも参加出来ないかと考えてしまうほどである。
(このケーキ最高〜〜〜! 身代わりのご褒美だよぉ!)
内心はどうあれ、エリィはメイド長から食事マナーを学んでいたので、第三王女らしい振る舞いができたことだろう。
「どうだ、エリィよ。食事は満足してくれたか?」
「んごほっ!?」
「?」
思わず喉を詰まらせたエリィにララが水を注いでくれる。
ごくん。と呑み込むと、エリィは魔王と目を合わせた。
こちらの一挙手一投足を観察する、為政者の眼差し。
先ほどまでの興奮が嘘のように心臓がバクバクしている。
エリィはゆっくりと、震える唇を動かした。
「あ、あの……なんで」
「何かおかしいところがあったか?」
魔王は不思議そうに首を傾げた。
「ディアナ・エリス・ジグラッドと呼ぶのも長いだろう。先ほどの我のようにディアナでもいいが、やはりエリスを縮めたほうが愛称らしくて面白いと思ってな。人族は親しい者を愛称で呼ぶのだろう。ん?」
「そ、そうですわね。まぁよろしくってよ」
エリィは口元をナプキンで拭いながら顔を背けた。
(あ、焦った〜〜〜〜〜! バレたかと思った〜〜〜〜!!)
背中は冷や汗でびっしょり濡れてしまっている。
あとで水浴びしようと決意しつつ、エリィは咳払いした。
「ではわたくしも、あなたのことはリグネと」
「うむ。そうするがよい」
魔王を名前で呼ぶなど本来はメイドであるエリィには不敬もいいところなのだが、王女を装っている手前、ここで自分から呼ばないのは不自然だ。緊張を飲み下したエリィにリグネは面白そうに切り出した。
「ところで、エリィよ。少し確かめたいことがあってな?」
「はぁ。なんでしょうか」
「なに。我が右腕であるアラガンが其方を偽物だと疑っているのだよ」
「!?」
エリィは思わず飛び跳ねそうになった。
「な、ななななな」
アルガンが目を眇める。
「そこまで動揺なさるとは、やはり心当たりがおありで?」
心臓が爆走を始めたエリィを見つめながらケンタウロスは言う。
エリィは落ち着け、落ち着け、と自分に命じつつ、
「なななな、何を馬鹿なことを仰っているの!? と申し上げようとしたのです! 噛んだのは、あれですわ。ちょっと歯に舌が挟まっただけですわ!」
「それはそれは、大丈夫でしょうか?」
「お気遣いありがとうございます! おかげさまで何ともありませんわ!」
「うむ。我もな? 馬鹿馬鹿しい話だと一笑に付したのだよ。この暗黒龍ヴォザークを謀ろうなどと、国を五回滅ぼしても贖いきれぬ大罪。本当ならば即刻首を刈り取った上にジグラッド王国へ送り出していたところだ」
心当たりしかないエリィは冷や汗が止まらない。
これまでは優しい態度だった魔王の酷薄な顔に、エリィは彼の本性を見た。
(や、やっぱりこの人は魔王様だ……処女を好んで食べるんだ……!)
「そこでだ。一つ、試してみようではないか」
「試す、ですか」
「うむ」
頷き、魔王は手を差し出した。
「聞けば其方は王国で様々な男を垂らし込んだ淫乱女であるとか。アラガン曰く、それにしては少し無垢……つまり、純情すぎるのではないかという話でな? だからエリィ。この手を握って見ろ」
「手を、握っ……え」
「貴族の子女は人前で手を繋ぐのははしたないことだと教わるという。ましてや王女が他人と手を繋ぐなど言語道断だろう。だが、ディアナ・エリス・ジグラッドなら話は別だ。淫乱な悪女であるという噂の其方なら、躊躇なく我の手を握れるだろうと思ってな」
貴族の子女でも手を握るくらいなら普通だと考える者もいるだろう。
魔王の考え方は少し極端な気もするが、貴族の子女と言ってもさまざまだ。そういった考えの者がいるのをエリィは知っている。
「それとも出来ないか? アラガンの言葉が正しくなってしまうが」
「あ、侮らないで下さるかしら! このわたくしに苦手なものなどなくてよ!」
「うむ。ならば、ほれ」
「無理をなさらずとも良いのですよ、ディアナ姫」
「大丈夫に決まっていますわ」
即答し、エリィは立ち上がりながら内心で叫んだ。
(大丈夫じゃ、なぁぁぁぁぁあああい!!)
今すぐ扉に向かい逃げ出してしまいたい。
他人と、しかも異性の男と手を繋ぐなどエリィは経験したことがないのだ。
(し、しかも! こんなイケメンの魔王様と! なにそれ死ねる!!)
王宮で働いている時も貴族の下男と接する機会がなかったわけではない。
むしろ同僚たちから貧民街出身のメイドとして煙たがられていたエリィは下働きの下男と言葉を交わすほうが多かったくらいだ。けれどそれだけ。言葉を交わすことはあっても仲良くなったことはない。
(わたしが誰かと仲良くなろうとすると、なぜかご主人様が飛んできたし……)
『この私がフラれてるのにあなただけ殿方と仲良くするなんて許しませんわ!』
とはディアナの言である。ひどい。
つまるところ、エリィに男性経験は皆無。
乙女小説の知識を糧に成長した彼女は手を繋ぐ=カップル成立とすら考えていた。エリィは魔王の前に立ちながら、震える手を差し出す。
(んぐ……やっぱりきつい!)
いざ手を握ろうとするだけで手汗がドバドバ出てくる。
助けを求めて顔を上げると、頼みの綱のララは親指を立てて見守るポーズ。
(ララちゃぁああん!? ララちゃんもしかして魔術以外はポンコツだったりする? いちおうわたしの護衛兼フォロー役だよね!? 忘れてないよね?)
「どうした『王女』。手が止まっているぞ?」
ララを見てぷるぷると震えるエリィにリグネは言った。
「『王女』ならば朝飯前だろう? ほら、手を握ってみろ、エリィ」
「あ、あぅ……」
リグネの顔と差し出された手を見比べて、エリィはぐっと決意する。
「あ、当たり前ですわ! こんな恥ずかしい……じゃなくて、手を握るくらいのこと、わたくしは幼児の時からやってるんですから! 殿方の手を握るなんて朝飯前にちゃっちゃと済ませるくらいですわ!」
「そうか。ならやってみろ」
エリィは恐る恐る手を伸ばし、男の手を握った。
ひんやりとした手は冷たくて手のひらに生えた鱗の感触が変な心地。
エリィはぷるぷると肩を震わせた。
「ほ、ほら見なさい。こんなの余裕……」
そう言うエリィの肩は震えている。
足元から頭までだんだんと熱が上がってくるようだ。
「は、はわわ」
……ぷしゅー!
と、頭から湯気を出すエリィにリグネは揶揄い混じりに言う。
「顔が真っ赤だが?」
「こ、これは……怒ってるんですの!」
「怒ってる?」
「そうです! わたくしはディアナ・エリス・ジグラッド。栄えあるジグラッド王国の第三王女たるわたくしが、このような公衆の面前で殿方の手を握らされるなんて! 恥ですわ! いっそ死んだほうがマシだと思うくらいに!」
リグネは愉快そうに笑う。
「ジグラッド王国の第三王女は傲慢で高飛車、男をとっかえひっかえする悪女だと聞いていたが。手を握るくらいで怒るとはな」
「うみゅ……」
エリィは視線を彷徨わせ、
「お、女心は秋の空。あなた程度でわたくしを分かったような気になるなんて、身の程を知ってくださるかしら!」
「魔王相手にそこまで言えるのは貴様くらいだろう。エリィ」
リグネは嬉しそうに笑う。
「良かったな? 王女であることが証明出来て」
「と、当然です。なんたってわたくしは王女なのですから!」
エリィは振り返った。
「あなた、アラガンと言ったかしら。乙女に恥を掻かせて満足?」
「は。王女様に対しての無礼、まことに失礼いたしました」
「そ。ならいいわ」
エリィは胸を撫で下ろしながら手を離した。
ぶふっ、と噴き出したようにアラガンが身体を折る。
エリィはそれを無視して背中を向けた。
「それではわたくしはこれで。さようならですわ、魔王様」
「あぁ、またな。エリィ」
「行きますわよ、ララ!」
「はい。王女様」
そう言って、エリィは足早にその場を後にするのだった。
尚、このあと私室で布団に飛び込んだのは言うまでもない。
(うぅ。ま、魔王様の手、なんか、すごかった……)