第五話 乙女の早とちり
魔王城はとにかく大きかった。
いくつも連なる巨大な尖塔、城壁上には迎撃用のバリスタが置かれている。
城門は魔王が通れるほどに大きく、城の中庭は美しく整えられている。
「わぁ……綺麗……」
「我が自慢の城だ。そして、今日から其方が住まう城でもある」
思わず感嘆の息をこぼしたエリィに魔王は鼻高々だ。
素が出てしまったことがバレて居なくてホッとしたエリィは城の玄関口に目を留めた。
「……聞いてもいいかしら。あなたの巨体じゃさすがにあの扉は通れないのではなくて?」
「ふむ。そうだな」
「でしょう? だからまずはわたくしを下ろして……」
(お願いだから下ろしてください思ったより高いところが怖いんですぅ!)
エリィが内心で懇願した瞬間、身体が焔に包まれた。
思わず悲鳴を上げる。違う。燃えているのはエリィではない。
魔王だ。しかも、
(あ、あれ? 熱く、ない……!?)
お尻に感じる感触が鱗の硬質なものから、柔らかなものに変わる。
ふわりと、身体が宙に浮いた。
「これで問題なかろう」
「ほえ」
焔が晴れて、頭上に男の顔が現れる。
エリィは凄絶な美しさに息を呑んだ。
(うわ……)
頭に二本の角が生え、切れ長の瞳で見る者を虜にする紅玉のよう。
ばさりとマントを翻した黒衣の下には鍛えられた身体があった。
「どうした。我が花嫁よ。ぽかんとした顔をして」
(い、イケメン……!)
ある意味ドラゴンを見た時より震えるエリィ。
真紅の瞳に見つめられ、ハッと我に返った。
気まずげに目を逸らす。
「あ、あなた、人にもなれましたのね」
(処女の血を好むって聞いてたのに。この姿で食べちゃうのかな)
あまり想像したくない絵面にエリィは顔から血の気が引いた。
くるくると表情が変わるエリィを魔王はじっと観察している。
「……其方は我を人と呼ぶか。こう見えても人外と呼ばれてきたのだが」
「人であろうとドラゴンであろうと同じことでしょう?」
エリィは本気で首を傾げた。
「こうして同じ大陸公用語を喋れるし、意志を交わせる。それだけで十分ではありませんか」
「……」
「ま、ドラゴンの姿もカッコいいですけどね。色々と使えそうで!」
最後に強がりを言うと、リグネは噴き出した。
「……其方は本当に面白いな」
「はい?」
【我を怖がらなかったのは其方が初めてだ】
エリィは眉根を寄せた。
「ちょっと! 急に魔族語になるのは卑怯ではなくて!?」
(何を言ってるか分からなかったら食べられちゃいそうで怖いんですけど!)
そう叫んでから、はたと、エリィは気付く。
(い、今気づいたけど……こここここ、この格好ってお姫様抱っこでは!?)
実はひそかに憧れていたお姫様だっこ!
夢にまで見たワンシーンがこんな形になるなんて!
「何を赤くなっている?」
ぷしゅー! と頭から湯気を出し、エリィの羞恥は限界に達した。
顔が真っ赤になるエリィの頭に手を当てて、魔王は眉根を寄せる。
「ふむ。少し身体が熱いな。旅の疲れが出たか?」
「お、お気遣いなく! この身体でもあなたを倒すことなんて訳ないわ!」
「我を倒す? 魔族の中で未だそれを為し得たものはいないぞ」
「──魔王様」
その時、二人に追いついて来たララが助け舟を出してくれた。
(ララちゃぁああああん! 来てくれると信じてたよ!)
目を輝かせるエリィに「まかせとけ」とララは頷く。
そして一言。
「姫は照れてるだけ。熱はない」
(そうじゃなぁああああああああああああああい!!)
この状況を! なんとかしてくれると思ったのに!
なんで魔王様の背中を押しちゃうかな! 実はこの子は魔族側のスパイでは!?
可愛らしく親指立てても許さないんだからぁああ!!
「ディアナ」
「は」
魔王はエリィの頬に手を添えて、
「其方、可愛いな」
「え」
「ますます気に入った。貴様を送った人族には感謝せねば」
「ちょ、下ろしなさい! どこに向かうんですの!」
「寝所だ。決まっているだろう!」
「し、しししししし、寝所!?」
エリィの頭は大パニックだ。
目をぐるぐると回してエリィは悲鳴をあげる。
(た、食べられちゃう……別の意味で食べられちゃうよぉ!)
いくらイケメンとはいえ、心の準備が。
「あ、あの! そ、そそそそ、そういうのはまだ早いんではなくて?」
「何がだ。こういうのに早いのも遅いのもなかろう。むしろ早いほうがいい」
「そうなの!?」
「当然だ」
「いやでも男女のそれはもっと色々と育むものであってわたしたちはまだ知り合ったばかりっていうかもっとお互いのこと色々知ってからじゃないと困るっていうか」
早口になるエリィに魔王は不思議そうに言った。
「何を言っている。体調が悪い者を休ませるのは王の努めである」
「へ」
エリィは固まった。
魔王の言葉の意味を理解し、かぁああ、と全身が熱くなる。
「其方、何を想像したのだ?」
「べ、べべべべべべ、別になにもっ? 何もありませんことよ。おほほ……」
これでもエリィは十五歳。年頃の乙女なのであった。
「やれやれ。前途多難。姫、大丈夫か」
「あんたが言うな!!」
「?」
たまらずララに突っ込むエリィ。
人の機微を理解できない魔王は、不思議そうに首を傾げていた。