第五十二話 怠惰妖精
「……………………………………女の子?」
目の前で小首を傾げる少女に、レカーテは怯え切っていた。
両手で胸を抱いて身体を隠すさまは子供のように幼い。
(み、見られた……ま、また……アレが……)
レカーテ・ハルベルは男と女、両方の性を持つ、
五百年前、彼が物心ついた時には既にそうなっていた。
父親は先代族長で母親は一族の巫女の役割を持っていたのだが、なぜかレカーテは呪いを持っていた。
ひとたび水に触れれば女となり、
森の聖なる泉に浸り、魔を清めれば男になる。
──その代償に、人の心が読める。
この不可解な現象は遥かな歴史を持つ森人族の歴史にも存在しない。
一説には赤い月の夜に生まれたからだというものもいるが、定かではない。
ただ一つ分かっていることは、森人族の者達がレカーテを拒絶した、その一点。
性逆転自体はそこまで問題にならなかった。
森人族たちが信仰する一なる地母神と、狩猟の男神の力を併せ持って生まれたのだ。彼は一族の新たな歴史を作り出す要となるはずだった。
──心を読む力さえ持っていなければ。
森人族は誇り高い種族だ。
自然を尊び精霊と戯れ、自己の研鑽と森の守護に生涯を費やす。
致命傷を負わなければ不死の性質を持つ森人族だから、口数は少なく、子供も生まれにくく、他者とのかかわりは希薄だ。故に森人族は数百以上の氏族に分かれており、各氏族では代々受け継がれてきた秘奥の神秘がある。
心を読む。それは、神秘の冒涜に他ならない。
人の秘密を容赦なく暴くこの力を高潔な森人族たちは忌み嫌った。
それだけならまだいい──過去には彼を巡って内乱が起きたほどだ。
他氏族の神秘を暴き、我がものと出来る力。
それは分裂した森人族たちを一つにする可能性であり、災厄だった。
両親はその騒乱のさなかに死んだ。
誰もが彼を遠ざけ、気味悪がり、道具として扱った。
レカーテは森人族が嫌いだ。魔族が嫌いだ。人族が嫌いだ。
この世に住まう、ありとあらゆる人種がレカーテの敵だった。
彼が四大魔侯になったのは森人族たちを見かねたリグネの采配によるもの。
騒乱の最中、森の中に降り立った王の威容を森人族の誰もが覚えている。
──リグネにだけは、心読みの力が効かなかったからだ。
レカーテはリグネの手で期せずして四大魔侯となったが、彼がどれだけ心を読もうとしても、リグネの心だけは読めない。自分よりも強大な魔力を持つ者には効かないのだと、この時初めて知った。
レカーテは、リグネとの繋がりを求めた。
孤独が嫌いだったわけではない、
むしろ一人は好きだ。心の声に惑わされずに済むから。
けれどこのまま四大魔侯で居れば、彼との繋がりはそれだけになってしまう。
それは嫌で、魔王に嫁を貰ってほしいというアラガンを口八兆手八丁で言いくるめて。無理やりリグネの許嫁になったはいいものの、今度は人族と戦争が始まった。
森人族の総意として、森を守るために魔族の手を組むことになった。
無論、レカーテの意志は無視だ。
レカーテはお飾りの頂点。
一族の総意は氏族の族長会議で決まるようになっている。
それはいい。しかしあろうことに、リグネは停戦の手段に婚姻を使った。
人族だ。
あの欲と嘘にまみれた低俗な猿に、誇り高き竜の王が穢されることなどあってはならない。
リグネは孤高だからこそリグネなのだ。
彼の隣に立てるのは、同じ立場である自分だけ。
(……どうせこいつも同じだ)
レカーテは、困惑したように自分を見つめるエリィを見つめた。
人族。おのれの利益のために他者を侵害することを是とする者達。
森を犠牲にし他者を軽んじる彼らは唾棄すべき猿だ。
──と、森人族は言うが、レカーテからすれば魔族であろうと人族であろうと森人族であろうと変わらぬ猿だ。森人族とて、生まれたての頃は性欲を始めとした原始的な欲求も強い。強いて言えば、短命種ゆえの焦りが人族を愚かな行いに向かわせるのだろうとは思っている。
(……どうせこいつも、ボクのことを気味悪がって)
レカーテが本気になればどんなに頑なに心を閉ざしたとしても丸裸だ。
心読みの力は魂の深奥、潜在意識にまで及ぶ。普段は疲れるからやっていないが、その気になればエリィが考えていることなど丸わかりだ。
だから、
『レカーテ様すごい美形……女の子になったらこんなに変わるんだ。可愛いなぁ』
「…………………………………………………………は?」
レカーテは目を丸くした。
驚きから立ち直る暇もなく思考が雪崩れ込んでくる。
『なんで変わったんだろ? そういう魔術? みたいなの?』
『元から女の子だったとか? 四大魔侯ってみんな癖強いしあり得るかも』
『というかどういう状況なの、これ。わたし全然分からないんだけど』
『お腹空いた……ご飯食べたい……』
流れ込む思考の中にレカーテを蔑むようなものはない。
どんな人間にも多少はある、昏い汚れのようなものがエリィにはなかった。
誰もが気味悪がり、誰もが恐れ、誰もが遠ざけてきた、忌まわしき感情がない。
(いや、待て、これは)
レカーテは、エリィの記憶を見た。
母に捨てられ、ゴミ箱を漁り、貧民街で爪弾きにされ。
泣いても泣いても誰も来てくれなかった、悲しき思いを──
「え?」
「……」
「レカーテ様?」
「……」
「どうして泣いてるんですか? 痛かったですか?」
まったく嘘のない、穢れなき思い。
かつて触れたことない心に、レカーテは涙を流していた──。
「役者が出揃ったところで、そろそろ終幕と行こうか、エリィ」
混沌とした状況のなか、リグネが口を開いた。
「聞かせるがよい。其方が考えていた今回の顛末というやつを」
その場の全員の視線が集中するなか──
「…………………………何のこと?」
きょとんとしたエリィだけが、首を傾げるのだった。




