第四話 魔王の勘違い
「……カッコいい、だと?」
ハッ、とエリィは我に返った。
その場にいる魔族がエリィのことを凝視している。
(あれ、わたし、もしかして)
振り返れば、ララは額に手を当てて天を仰いでいた。
「お馬鹿」と小さなささやきが聞こえるようだ。
エリィの顔から、サァ、と血の気が引く。
(や、やってしまった~~~~~~~~~~~~!)
内心で頭を抱えたいけれどそれは出来ない。今のエリィは王女だから。
(どうしよぉ……ドラゴン見るの初めてだから興奮しちゃった……)
王城に住み込みで働き始めてからもエリィは王都の外に出たことがない。
休日のもっぱらの楽しみはディアナから借りた乙女小説を読むこと。
有能な宰相と侍女の禁じられた恋、姉妹で王子を取り合うドロドロのお話、
そして、ドラゴンに囚われた姫を王子様が助けに来る英雄譚……。
お話の中に出てきた存在が目の前に居て好奇心が勝ってしまった。
(で、でも、この人は魔王なわけで……)
エリィは壊れた歯車のような動きで顔を上げる。
真紅の瞳はこちらを凝視しており、今にも射抜かんばかりの力強さ。
曰く、その牙は処女の血を好み、その爪は骨をも砕く力を持つ。
曰く、捕えた人族の女を強引に従わせ、最後には殺す。
(わ、わたし食べられちゃう~~~~~~~!)
「おい。聞いているのか」
(はひ!)
「聞いていますわよ、おほほ」
「今、カッコいいと言ったか?」
ぶわぁと龍の鼻息がエリィの髪を逆立てた。
顔を近づけてくる黒龍をエリィは手で制止する。
「少し、お待ちくださいませ」
「ヌ?」
「五秒だけです。とにかく待ってください!」
「う、うむ。よかろう。五、四……」
(い、今のうちに考えないと! どうしようどうしよう……!)
生存という目的に向けてエリィの脳は高速回転する。
先ほどエリィは『カッコいい』と言ってしまった。
まぁこれはいいとしよう。見たところ悪印象は保たれていない。
だがここから先は問題である。
(わたし、魔王様と結婚する気はないし……!)
そう、エリィは魔王に気に入られたらだめなのだ。
三か月で本物のディアナと入れ替わる予定なのに、万が一男女の仲になったら戻れなくなる。いやまぁ、魔王が自分なんかに好意を持つことはありえないわけだが。
(かといって、気に入らなかったら食べられちゃうし……あ、そういえばドラゴンの口の中ってどうなってるんだろう。火を噴いたら熱くないのかな……ってそんなことじゃなくて!)
魔王を称えすぎず、機嫌を損ねない絶妙なラインを探す。
最善は三ヶ月間、魔王とほとんど接することなく、塔の中でやり過ごすこと。
そう、乙女小説に出てきた囚われの姫のように!
そのために必要なのは……。
「……ゼロ。おい王女。五秒経ったぞ」
エリィは覚悟を決めた。
顔をあげ、ドラゴンの顔を真っ向から見つめる。
なるほど、これは見れば見るほどに……。
「カッコいいですわ」
「ヌ……」
魔王は鼻白んだ。
疑るようにこちらを伺う黒龍の翼にエリィは手を伸ばす。
「本当にいいわ。睡蓮の花のように月夜に映える、透き通った翼膜! こちらなんてわたくしのテーブルクロスにピッタリじゃありませんか!」
「「「は?」」」
その場にいる全員が目を点にした。
「こちらの牙なんてナイフに使えそうですわ! これさえあればどんなに硬いお肉でも切れそうですわね。それにこの鱗! ドレスに飾ったら勇ましさと美しさを表現出来るんじゃないかしら。お掃除にもちょうどいいわ。どうしても箒が入らない隙間はドラゴンの鱗で磨き上げられるもの」
ところどころ素が出てしまっているが、エリィは気づかない。
嬉し涙を流すように目元を抑え、うっとりと紅潮した頬を黒龍の頬にすりつける。
「あぁ、わたくしの夫があなたでよかった! もちろん寛大なる魔王陛下のことですから、妻に鱗や牙の一つや二つ、惜しみなく与えてくださるでしょう?」
「貴様……」
威圧するように喉を唸らせた魔王に魔族が戦々恐々とする中ーー
エリィは作戦の成功を確信していた。
(決まった……! これで魔王様はわたしを隔離せざるを得ないはず!!)
魔族側からすれば、黒龍の身体を欲しがる猟奇的な女など近づけたくないはずだ。いくら妻だといっても知り合ったばかりの王女が魔王に体の一部を要求するなど言語道断。ただでさえ人族嫌いな魔族達はエリィを危険人物とみなし、少なくともほとぼりが冷めるまでは隔離しようとするはずだ。エリィでもそうする。そしてその間にエリィは病弱のふりをして寝込み、三ヶ月間やり過ごせば……。
(晴れてお役御免! 無事にフラれたご主人様と入れ替わる!)
我ながら完璧な作戦。なんという穴のない作戦だろうか。
エリィは自分を褒めてあげたい気分だった。
内心でにやりと笑うエリィに、魔王はドン引きしたように身体を引きーー
「面白い」
「ほえ?」
気づけば、エリィは魔王の手に乗せられていた。
呆然とするエリィの鼻先に魔王の龍顔が近づく。
「美辞麗句を並べて我の機嫌を取るようなつまらない女なら塔に幽閉して飼い殺しにしようと思ったが、まさか我の身体を欲しがるとは。なんと勇ましい女だ。あまり良くない噂は聞いていたが、とんでもない逸材だな、ディアナ・エリス・ジグラッドよ」
「え、嘘。待って。あの、わたくしの話、聞いてーー」
「よい。皆まで言うな」
黒龍は「分かっている」と言いたげに鼻を鳴らした。
この魔王、何も分かってない。
「さすがにこの場で我の身体を与えることは出来ぬ。しかしながら、今の短いやり取りで貴様の特異性は我が配下共にも伝わったであろう。魔族達よ! 歓迎の角笛を鳴らせ! この魔王リグネ・ディル・ヴォザークが、勇ましきディアナを花嫁に迎えようぞ!」
ぶぉぉーん……と角笛の音が鳴り響き、魔族達が歓声をあげる。
数千もの魔族が足を踏み鳴らす様は出陣前の軍隊を思わせた。
「さぁディアナよ。共に我が城へ参ろうではないか」
「は、はひ」
エリィを手に乗せたまま宙に浮く魔王。
遠ざかる地上、心地よい魔族領域の風。
初めて空を飛ぶ体験に、エリィは心を躍らせる余裕もなかった。
(ま、待って、このままじゃ本当に……!)
助けを求めるように、地上のララを見る。
たすけて、と口を動かす。
ララは感心したように頷いていた。
「さすがうちの主。なかなかにやる」
(そうじゃなーーーーい!)
エリィは頭を抱えた。
気に入られたらダメだったのに、嫌われる発言をしたのに……。
完璧で穴のない作戦だった筈なのに……。
(どどどど、どうしてこうなった!?)
◆
「……ふむ」
そんなエリィを見つめる、人馬一体の魔族。
「…………怪しい」
不穏な呟きは、魔族の歓声にかき消えるのだった。