第四十二話 立ちはだかる現実
(な、なんとか乗り切った……!)
エリィはマザーの後ろを歩きながらぐったりしていた。
先ほどの祭儀ーーあれを祭儀と言っていいのかは疑問だが、とにかく、マザーに出されたお題はエリィの羞恥心をこれでもかと刺激し、顔が爆発しそうなくらい熱くなっていた。
(なんか最後、ちょっと変なテンションになってたし)
あれ以上続けていたら恥ずか死ぬ自信がある。
そういう意味でもマザーの制止は有り難かったのだが、
(ザリアネス様、何を話すんだろう。やっぱりお母様として息子をお願いします的な?)
こう、思い出話を聞かされたりするのだろうか。
育ての親とはいえ、我が子同然に可愛がってるリグネの門出はマザーも寂しいだろう。
(まぁでも、大丈夫だよね)
既に祭儀は終わったのだ。素質とやらは認められたようだし、ちょっと話をしたら終わりだろう。今回こそトラブルなく終えたことに、むしろ達成感すら感じる。
根が楽天家のエリィは安心し切ってマザーについていく。彼女に連れてこられたのは、食堂とは別館、マザーの屋敷だった。巨大な石をくり抜いて作ったような、家具も食器も何もかもが巨大な住居。応接室らしき場所へ通されたエリィは、大きなソファの上に乗せられた。
「小さい人。紅茶は呑む?」
「あ、い、いただきますわ。でも、」
「大丈夫。カップは普通サイズよ」
マザーに出されたカップに口をつけ、エリィは目を見開いた。
「……美味しい」
「ふふ、そうでしょう? 長生きしてるとね、色々なことを極める時間があるから」
「……あの、ザリアネス様は何歳くらいなのでしょうか?」
「そうねぇ。千年先からは数えてないわね」
途方もない年月にエリィは絶句する。
千年前といえば、未だ人族が魔術すら使えなかった時代ではないか。
それこそ、古い文献すら残っていないほどのーー
「話っていうのは、そのことなのよ」
「どういうことですか」
「坊やの寿命とあなたの寿命が釣り合わないってこと」
「………あ」
エリィは愕然とした。
知らなかったわけではない。端から分かっていたことだ。
ただ、自分が偽物の姫であることに葛藤していたエリィはそのことに目を向ける余裕がなかった──というより、目を逸らしていた。
「坊やは今、千歳ちょっとくらいかしら」
マザーはカップに口を付けた。
その優雅な仕草からは短命種族に対する哀れみが見て取れる。
「竜族の寿命は五千年。心臓を潰されない限りもっと長く生きる個体も居るわ。あなたにその覚悟がある? まったく姿が変わらない彼の前で老いていく自分に耐えられる? 今は可愛らしいその容姿も、歳を取れば皺くちゃのおばあちゃんになるのよ」
言葉も、出なかった。
「私はね、別に意地悪で言ってるわけじゃないの。あなたはいい子だし、可愛いし、優秀だし、出来れば坊やの側に居てほしい。二人なら種族の垣根を越えて結ばれるでしょう。でも寿命は? 私はこれまでたくさんの人々を見て来た。中にはあなた達のように種族間で結ばれた者もいるけれど、その大半は悲惨な末路を辿った」
長命種族と短命種族に隔たる壁。
千年以上の時を生きる『母なる蛇』は厳然と告げるのだ。
「あなたにリグネを支える覚悟があるの?」
「わ、わたしは……」
エリィは唇を噛んで俯いた。
──分からない。
それがエリィの正直な気持ちであった。
エリィは今、必死にニセモノ姫を演じて頑張っている。未だ一ヶ月も経っていない濃密な日々で、毎日を乗り越えるので精一杯だ。思えば貧民街の時代からエリィには『今』しかなかった。今、この時、どう食いつなぐのか。生きるのか。そのことばかり考えて、未来のことを考えることなんてなかった。
(わたしがおばあちゃんになっても、リグネ様は変わらない……)
エリィは間違いなくリグネを独りで置いていくことになる。
最後の別れで彼を悲しませるくらいなら、最初から結ばれなければいい。
今は辛い思いをするかもしれないけれど、後になって悲しむより何倍もマシなはずだ。
そのはずなのに。
「ぁ……」
エリィは、喉から言葉を出せずにいた。
種族による寿命の差。
そのたった一言に集約されたあらゆる重みに耐えられず。
「……」
マザーは心から残念そうに眉を伏せた。
「申し訳ないけれど、やっぱりあなたは不合格──」
扉をノックする音が響いた。
慌てた様子で部屋に入ってきたのはラミアの女性だった。
「失礼します。マザー。至急お話したいことが」
「何かしら。私は今、大事な話をしているのだけど」
「こちらも大事な話です」
ラミアの女性はちらりとエリィを見る。
エリィは察して立ち上がろうとするが、
「いいわ。話しなさい」
「は」
ラミアの女性は頷いて、
「テレジアの子が……忌み子でした」
「……すぐに行くわ」
マザーは顔色を変えて立ち上がり、
「小さい人、あなたも来なさい」
「え!?」




