第三十三話 忍び寄る影
「つ、疲れた……」
ぐったり。とベッドに倒れ伏すエリィである。
ふかふかの布団や枕が心地よく、瞼が重くなってきた。
まだ寝る準備も何もしていないのだが、今目を閉じれば一瞬で寝られる自信がある。
「一日で色々ありすぎだよぉ……」
ロクサーナの暴走による一連の騒動は幕を閉じた。
本来な祭儀のあとで祝宴などもやるらしいのだが、暴走の規模が大きいだけに、都市の破損箇所の修繕手配や怪我人の治療など、諸々のことで忙しかったために翌日に延期することになった。
「エリィは頑張った。よく休むがよい」
ベッドの縁に座るララがエリィの頭を撫でてくれる。
「ララちゃん、セナちゃんは?」
「後始末に駆り出されてる。うちも手伝おうとしたら追い出された」
「あぁ、まぁわたしの護衛だしね」
「手伝ったら邪魔になると言われた」
「そっち!?」
そこは護衛だからと言って欲しかった。
「リグネ様にも好かれるし……なんでこうなるかなぁ」
「もはやエリィが嫁げばいいのでは?」
「いや、そういう訳にはいかないでしょ。わたし偽物なんだし」
「ふーん」
リグネがどれだけエリィを好きでもその事実は変わらない。
三ヶ月後には入れ替わるエリィが好意を受け取るわけにはいかないのだ。
そもそも、リグネのあれは女性に向けるものというより愛玩動物に向けるものに近いとエリィは思っている。
「じゃあ偽物じゃなければ?」
不意の問いに、エリィは顔を上げた。
相変わらず、ぼんやりとしたララの瞳からは感情を読めない。
「なんでそんな意味のないこと聞くの」
「恋バナってやつ」
「性欲ないのに恋バナはするの?」
「うん。人のやつ聞いて面白がる」
「悪趣味なやつだった!?」
エリィのうなじを指で小突くララである。
「うちのことより早く答えるべき」
「えぇ〜? まぁいいけど……偽物じゃなければねぇ」
「イケメンだって前に言ってた」
「あー。それね。ちょっと反省してる」
「反省?」
「うん」
人型のリグネに対する印象は高身長イケメン魔族だ。
魔王らしい残虐な一面も覗かせるが、顔に見惚れたことは何度もある。
ただ、
「見た目じゃないって、言われたからさ……わたし、見た目でしか判断してなかったのかなって。魔王様とか、ドラゴンだとか、そんな枠組みでくくってリグネ様を見てなかったっていうか……」
圧倒的美貌を持つロクサーナと共に壇上に立ったのに、リグネは無様な化粧を晒したエリィを選んだ。それは彼が見た目ではなく、エリィの内面を見て選んでくれたからに他ならない。まぁその内面は幾分か誤解があるものの、今回の祭儀で自分の見方に釘を差されたような気がしたのも確かだ。
「そりゃあ、リグネ様はいい人だよ? 優しいし、頼もしいし、わたしのこと見てくれるし、何があっても守ってくれる感じがしてさ」
「ふむふむ」
「ちょっと子供っぽいというか、魔王らしいところもギャップが良くて……わたしが見たことない景色を見せてくれるのも、良いよね。一緒にいてワクワクするし……」
「ほう」
「あんな感じだから、思ってることが素直に伝わるっていうかさ。嘘をついてない感じがして、甘い言葉にも、ドキドキしちゃったり……」
(ーーあれ?)
言いながら、エリィは首を傾げた。
(わたし、リグネ様のことかなり気になってない?)
あの祭儀の時からだ。彼の顔を見ているとなんだかドキドキして、落ち着かない気持ちになってしまう。ちょっと姿が見えなかったら目で探してしまうし、密着された時は心臓が破裂しそうだった。それは、これまで読んできた乙女小説の病と同じ症状でーー
「ど、どうしよ。わたし……」
かぁあああああ、と顔が熱くなってしまうエリィである。
枕に顔を押し付けてバタバタと足を動かすけど、何にも変わらなくて。
「いいのでは?」
ぽんぽん、とララが背中を叩いてくる。
「入れ替わり計画をやめて、偽物が本物になってもいいと思うぞよ」
「でも、そしたら平和条約の意味ないじゃん……人族の王女と魔王が結婚するから意味があるわけで……」
「魔王の性格的に、そんなもの無くてもエリィを娶りそうな気が。人族側で婚姻の話を知ってるのもごく一部。今なら……今だけなら、エリィが魔王と結婚してもバレない」
がばっ、とエリィは起き上がった。
「け、けけけけ、結婚とか! 付き合ってもないのに早すぎるよ!」
「人族も同じようなもの」
「あれはあれで、婚約期間がそれに該当するわけで……!」
「でも、まんざらではない?」
からからうようなララの言葉にーー
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
ぷしゅー! と、エリィの羞恥は限界に達した。
頭から湯気を出したエリィは頬を膨らませてララの胸を叩く。
「もうもう! ララちゃんの意地悪! ばか! あほ!」
「ふ。そう照れなくても……あ、痛い。割と本気で痛いからやめろし」
「うぅ……!」
頭を押しのけられたエリィは涙目でララを睨んだ。
どこ吹く風のララにため息を吐き、枕を抱いて布団に潜り込む。
「もういい。ちょっと一人にして」
「うちも一緒に寝る」
「隣の部屋におやつのケーキが置いてあるけど」
「仕方ない。一緒に寝るのはケーキを食べてからにする」
ぽん。と布団の上からエリィを叩いたララ。
彼女の足音が遠ざかり、誰もいなくなったのを察してエリィは顔を出した。
「はぁ……ほんと、どうしよ」
ララのせいで火照った熱は冷めてくれそうにない。
窓から吹き込んでくる風が心地よくて、エリィはバルコニーに出た。
本来なら絶景が覗けるのだろうが、バルコニーから見える天上都市は復旧作業が行われ、あまり景色が良くはない。それでも、階下の庭は整えられていて、夜に歩くと気持ちよさそうだ。
エリィはちらりと後ろを振り返った。
「……ちょっとくらい、良いよね」
隣室にララを追いやってるし、セナは復旧作業を手伝っている。リグネやアラガンは執務だ。今、自分を止める者は誰もおらず、エリィは廊下から階段を降りて庭へと向かうことにした。エリィとて、お年頃の乙女。完全に一人になる時間も欲しいのである。
しかし、
「見つけた……」
むくり。と人影が這い出てきて、
野望に満ちた瞳が、ぎらりときらめいた。
「ロクサーナ様の、ため……貴様は、邪魔だ、王女……!」
「え? んーー!!」
振り返ったエリィは口元を抑えられ、意識を失った。




