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第二十八話 それ、誤解ですから!

 

 波濤のごとく押し寄せる魔族の軍団はエリィに狙いを定めていた。

 我先にとエリィに手を伸ばす彼らの瞳は敵意を宿している。


「わ、わわわ、これって……!?」

「エリィ。捕まれ」

「はい!?」


 急に抱き上げられたエリィは地面から離れた。

 リグネが翼を出して飛んだのだ。

 慌ててリグネの首に手を回したエリィたちは天井を突き破って空へ。


「なななな、なんですかアレぇ!? なんか暴徒になってるんですけど!」


 お姫様抱っこに浸る余裕もなく、豹変した悪魔族(サキュバス達)を見てエリィは悲鳴を上げる。空に逃げたはいいものの、サキュバスとて翼を持つ。リグネの開けた穴からわらわらと沸いて出てきて、空に飛びだしてきた。それだけならまだいい。エリィが何より驚いたのは、天上都市全体にピンク色の魔術陣が広がっていることだった。


「空に逃げたぞ! 追え、追え!」

「王女を引きずりおろせ! 魔王様を捕まえろ──!」

「ひぃ!?」


 天上都市にいるサキュバスはもちろん人族や魔族まで正気を失っている。

 彼らの瞳にはハートの刻印が浮かび、エリィたちを地上に下ろそうと矢まで持ち出してきた。


「まずいな。魅了の力が暴走している」

「どういうことですか!?」


 リグネは落ち着いた口調で言った。


「サキュバス族は多かれ少なかれ他者を魅了する力を持つ。その中で最も魅了の力が強い者がリリスの名を受け継いで次期魔侯となるわけだが、ロクサーナはリリスの史上最高と言われるほど魅了の力が強くてな。見た者を虜にするのはもちろん、魔力に触れるだけでああしてロクサーナの言いなりになる兵隊と化す」

「ひぇ」


 想像以上に凶悪な力だった。そんなものどうやって防げば。


「で、でも、わたしに効いていないのはどういうことですか!?」

「ふむ。分からん」

「分からんですか」


 リグネは腕の中のエリィをじっと見据えた。


「……其方は少々特殊なようだ。さすが我が花嫁だな」

「意味分からんですよ?」

「はっはっは」

「笑いごとじゃないですって! これどうにかしないと!」

「問題ない。ロクサーナが原因なのだから奴を焼き殺せばそれで済む。勝負の結果に駄々をこねて勝者に暴力を振るうなど愚の骨頂。極刑でよかろう」

「……っ」


 エリィは蒼褪めた。

 この魔王はいつもそうだ。最終的に力技で解決しようとする。

 衝動にかられたエリィは魔王の両頬をぱちんと挟んだ。


「めっ! です!」

「ヌ?」


 顔の形を変えたリグネの目をエリィは至近で覗き込んだ。


「そんな風に簡単に人を殺そうするの、ダメです。わたしの夫になるならそれくらい弁えてください! 分かりました!?」

「……ヌ」


 王女口調さえ忘れて素のままで叫んだエリィ。

 だからこそ、言葉に孕んだ思いはリグネに伝わったようで、


「ならば如何とする。其方に解決法があるのか?」

「うぐ……それは……」


 こうしている今も空を飛ぶ魔族たちが追いかけてくる。地上からは矢が飛び交い、右に左にと避けるリグネは煩わしそうに口の端から黒い炎を吐いた。


「我が花嫁に矢を向けるとは、不届き者どもめ」

(やばいやばいやばい、魔王様の御機嫌が底辺を突き破る前になんとかしないと……)


 そうはいっても、エリィは一介のメイドである。

 魔術の造詣に深いわけでもなく、魔族の生態すら曖昧なニセモノ姫だ。


(そうだ。魔術といえばララちゃん達は……)


 エリィが下を見たその時、一条の光が地上から放たれた。

 否、光ではない。人だ。ララとセナが杖に乗ってやってきた。


「ん。間に合った」

「ご無事ですか、我が主(マスター)!」

「ララちゃん、セナちゃん!? なんで!?」

「うちに魅了は効かない。性欲ないから。ぶい」

「わたくしが世界で一番美しいと感じるのはディアナ様ただ一人です!」


 ララはともかく、同性のセナに熱のこもった眼差しで言われても反応に困る。

 そんな理由で魅了が効かないとかあり得るのか。

 疑問に思ったエリィが見上げると、リグネは「ないことはない」と頷いた。


「ロクサーナの魅了は他者の魔力、心の深奥に触れる。つまり心の底からロクサーナ以外に夢中になっている者には効かないというわけだ。そうだな、アラガン」

「お気づきでしたか、リグネ様」

「アラガン様!?」


 足に風を纏わせて空を飛んでいるのは知恵者の宰相だ。

 突然現れた味方にエリィは戸惑いを隠せない。そんな視線に気づいたのか、


「私が忠愛を尽くすのはリグネ様ただ一人です」


 さっきも聞いたような台詞である。

 案外、セナとアラガンは似た者同士なのかもしれなかった。


「これで味方は出揃ったな」


 リグネは面白そうに笑う。


「さて、我は元凶を処理したほうが早いと思うが、我が花嫁はダメだという。ならばエリィ。此度の解決は其方に任せる。元よりそのつもりだったのだろう?」

「へ?」

「とぼけずとも良い。だからこそあのような無様な格好でロクサーナを挑発したのだろう?」


(あ、やっぱりお化粧はいまいちだったんだ!?)


「其方は(われ)が自分を選ぶことが分かっていた。そしてロクサーナ自身が魅了の力に振り回されることまで予期して、あのような茶番を仕組んだのだ。当然、その対処法も考えているのだろう?」

「え、いや、あの」


 厚化粧をしたのもロクサーナとの勝負を受けたのもすべてはリグネに嫌われるためである。この訳の分からない事態への対処法も何も、ロクサーナに魅了の力があるのは初耳だ。断言するが。こんな事態になると知っていたなら勝負を受けていなかった。


 ──とまぁ、そんなことは言えるはずもなく。


 エリィは明後日の方向に目を逸らしながら言った。


「ば、バレてしまっては仕方ありませんわね! さすが我が夫ですわ!」

「良し」


 何が『良し』なのか。


「ならば指示せよ。我らは其方の指示に従おう」

「は、はひ」


 襲い来る数千の脅威を前にエリィはとにかく考える。


 ──恐らくリグネが竜化して炎を吐けば事態は一瞬で解決する。


 だが、そうなると何千人もの人々が犠牲になってしまうだろう。

 そんな後味の悪い結果になるのは嫌だし、かといってララに任せても同じ結果になりそうだ。アラガンやセナには数千人を一瞬でどうにかする手段などあるまい。となれば、やはり元凶を断つのが最善なのだが、やはりリグネに任せたら以下略。


(わ、わたしが行くしかない……!)


 エリィは決意した。


「ララは魔族たちを巨大な壁で覆いなさい。アラガン! 民家に被害がないように指示を。セナ、あなたは魔族たちを壁の中に放り込みなさい!」

「「「了解!」」」

「エリィ。我は何をする?」

「リグネ様は……」


 エリィは眼下、ドーム状の建物から出来たロクサーナを見やり、


「わたしをあの人のところまで運んで、二人っきりにしてください!」

「了解した」


(わたしが何とか出来るかなんて、分からないけれど……)


 やるしかない。


「──さぁ、作戦開始(ミッションスタート)です!」


 エリィは厚化粧のままに言った。



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