第十一話 鬼がもたらす希望の糸
魔王歓迎の宴は百獣の都をあげて行われた。
狩猟したばかりの魔獣を持ち上げて次々と台所へ運んでいく男たち、台所という名の戦場に集う女鬼は少しでも魔王の気に入る料理を作ろうと躍起になって鎬を削り、子供たちは火の側で踊りを楽しみ、老人たちは昔話を酒の肴に宴を楽しんでいる。
ぱっと見は荒れ地のようだが、魔獣を狩猟しているおかげか飢えている様子はない。魔王の元に集った鬼族の総勢一万がここに集まっていた。
百獣の都、大広場。
何らかの骨で組まれた壇上にエリィはリグネと共に座っていた。
「偉大なる暗黒龍陛下。この度はようこそお越しくださいました」
「うむ。今夜は無礼講だ。楽しんでくれ」
「魔王様ー! 見て見て、この前掘ってくれた穴から水が出てきたの!」
「それはいい。存分に飲め。余ったら水浴びして遊ぶが良い」
「はーい!」
大人から子供までリグネに酒を注いでは去って行く。
笑顔の絶えず、また気さくに話すリグネを見てエリィは感心した。
(魔王様、大人気だなぁ……)
色々と悪い噂は絶えないが、魔族の中では人気者なのだろう。
アルゴダカールは敵視していたが、鬼族のすべてが魔王を気に入らないわけではないのだ。
けれど、リグネの優しさの中に残酷な本性があることをエリィは知っている。
人族の女としては、どうか食べられませんようにと強く願うばかりだ。
いや、それよりも先に鬼族に殺されてしまう可能性のほうが高いが。
(だってさっきから、みんなわたしのこと無視するし!!)
鬼族たちはリグネに畏敬の念を滲ませ、エリィを見た瞬間に冷えた温度になる。
チッ、と舌打ちした彼らの殺気たるや、ガクガク震えてコップをこぼしてしまうほど。
「ね、ねぇリグネ様。なんだか皆さんがわたくしに冷たいのですけど。夫であるあなたから何か言うことはありませんの?」
「祭儀を終えるまではそんなものだ。むしろ奴らが今のような態度を取ったことに後悔し、其方に跪く瞬間が、我には楽しみでならぬ」
ダメだこの魔王、もうどうしようもない。
エリィは縋るように背後へ控えるララに目を向ける。
(いい、いざという時は助けてね、ララちゃん……!)
ララは「まかせろ」と言いたげに頷いた。
今度こそ分かってくれていると思いたいが……。
「オイ魔王ぉ! 飲んでるかよ、ひっく!」
その時だ。
赤ら顔のアルゴダカールが絡んできた。
「あぁ、鬼族の酒は上手いな。少し強いが」
「どぅはははははは! だろ!? これがいいんだよ! これが!」
ばんばんとリグネの肩を叩くアルゴダカール。
先ほど殴りかかったのが嘘のように思えるほど彼の態度は親しげだ。
「でだ、オメェに紹介しておきたい奴らがいるんだが。ひっく」
「よかろう。会ってやる」
「そうこなくちゃ! オイ、オメェら、お呼びだ!」
アルゴダカールに呼ばれて来たのは四人の娘たちだった。
鬼族特有の民族衣装を身に着けた彼女たちはエリィたちの前に居並ぶ。
「紹介すっぜ。まずはハルヴィル氏族のラーシャ」
「うふふ。よろしくお願いいたします。陛下」
「トゥリヤ氏族のデノイ」
「よろしくっす! 陛下様!」
「ヴルマッカ氏族のイーサ」
「よろしくお願いしたします、陛下♡」
「で、最後が……」
アルゴダカールは何か思うところがあるように一拍溜めて、
「ガルボ氏族のセナ」
「よ、よよよよよろしくお願いします……!」
(あ、この子仲良くなれそう)
めちゃくちゃ怯えている鬼族の娘を見てエリィはそう思った。
『同類、見つけたり』と。
アルゴダカールは四人を差して、
「こいつらがオメェの嫁候補だ。いいよな、王女?」
「はぁ、嫁候補………………嫁候補!?」
「鬼族の祭儀は簡単だ」
アルゴダカールは酔いがさめたように真面目な顔になった。
「より強い魔獣を魔王に捧げること。それはすなわち、鬼族を率いるに相応しき強さを持つことを意味する。本来なら魔女将候補の王女一人が参加する催しだが、オレたちは人族を認めねぇ。つーわけで、こいつらの内の誰かが王女に勝ったら、リグネ。オメェはそいつと別れて勝者と番になれ」
めちゃくちゃな理屈である。
自分が気に入らないからといって魔王の嫁を排除するなど許されるわけがない。
「お待ちください! そんな横暴、許されると思い」
「黙ってろ王女。殺すぞ」
「黙ります!!」
思わず立ち上がったエリィは秒で沈黙を選んだ。
アルゴダカールの目はマジだった。殺されるのは御免である。
(で、でもいくら何でも横暴じゃ……いや、確かにわたしは魔王様のお嫁さんになりたいわけじゃないけど、だからってお嫁さんじゃなくなったらわたし、殺されちゃうよね……!?)
エリィがそっとリグネを見上げると、リグネは口の端をあげた。
「よかろう。その勝負、乗ってやろう」
「ま、魔王様……!?」
「エリィよ。我は信じている。其方が真の力を見せ付けてくれるところをな」
(真の力ってなに!?)
まずい、なんとかしないと。このままじゃ殺される。
心臓が早鐘を打つ。思考がまとまらない。
口をパクパクとさせたエリィを置いて話は続いた。
「しかし、魔王の嫁に成り替わろうというのだ。それなりの代償は覚悟しておろうな?」
「もちろんだ。もしも負けたらオレたちの命は好きにしろ。でも、オレたちが勝ったら……そいつはもう用済みだよな?」
(ひぃいいいいいいいいいいいいい!?)
ギロ、と睨んでくるアルゴダカールにリグネは肩を竦めた。
「さすがにエリィを殺すのは外交問題だ。戦争が終結したばかりで人族とことを起こすのは避けたい。魔王城の隔離塔に幽閉するくらいが妥当だろう」
(…………………………ん?)
「ま、オレたちの視界に入らないところに居るならどうでもいいか」
(んん?)
エリィは目を丸くした。
予想だにしなかったが、事態は思わぬ方向に進んでいる。
そう、エリィの望む方向へと。
「り、リグネ様、それは本当でしょうか……?」
「魔王に二言はない」
「ハッ! 殺処分寸前の子羊みたいな目してんじゃねぇぞ、クソが。今すぐオレが殺してやろうか」
がくがくと震えて俯くエリィに鬼族の嫁候補三人がくすくすと笑った。
独りだけ気の毒そうにこちらを見ているが、エリィが気付くはずもない。
「魔王城に、幽閉……ふ、ふふふ」
エリィは怯えているのではない。歓喜に打ち震えているのだ。
(千載一遇のチャンス、キタ──────────!)
これこそが、約束された勝利への道であると!




