第十話 鬼より怖い魔王の期待
魔族の領地は大まかに五つに分けられている。
まずはエリィが滞在していた中央領。ここは魔王が座す城で、魔族領域の中心に位置している。その周りを囲むようにして四つの領域に分けられており、それぞれが四大魔侯が管理する領地だ。
領地にはそれぞれ特色があり、例えば『怠惰妖精』の領地であれば奇怪な森が生い茂り、『母なる蛇』の領地は巨大な地下空洞がある。そしてエリィたちが向かった先、『星砕きの鬼』の治める領地は魔族領域で最も過酷な場所。魔獣がひしめく百獣の都と呼ばれている荒れ地だった。
「なんというか、魔獣がうようよいますね……」
『星砕き』の領地に入ってエリィが最初に抱いた感想である。
領地の七割が荒地だというが、少し周りを見ればすぐそばで魔獣同士が戦い、勝った方が負けた方を食らっているというグロテスクな光景も見られた。エリィは青褪めた顔で口元を抑える。
「百獣の都は弱肉強食を主にしている。武闘派が多い魔族の中でも強くなくては生きていけない環境にあるのだ。故に、人族と和平を結んでのうのうとしている我のことが気に入らないのだろう」
リグネは空中で尻尾を大きく揺らしながら口から火を漏らす。
エリィは今、空中でリグネの背に乗っている状態だった。
巨大な黒龍となった彼の背中は広く、出っ張りのある鱗に捕まれば安心である。最初は怖くてたまらなかったが、慣れてみるとかなり気持ちいい。エリィ以外のララやアラガンといった従者たちは地上で竜車を走らせていた。
(あー、ずっとこのままで居たい……祭儀なんて受けたくない……)
なんてことが叶うはずもなく、一行はすぐに目的地へ到着する。
周囲をぐるりと崖に囲まれた直径十キロルにも渡る巨大な盆地の都。
自然の岩を加工したであろう家々が並び、大勢の魔族たちが行き交っている。
「来やがったな、この軟弱魔王が!」
「ん?」
地上に降り立ったリグネに飛びかかる大柄な影。
赤い、鬼だ。頭から二本の角を生やし、丸太のような腕を振りかぶっている。
「今日こそその首頂いて、オレが魔王になってやらぁあ!」
「邪魔」
「ぼへぇああ!?」
リグネが軽く火を噴いた。
それだけで、赤い鬼は無惨にも丸焼けになり地上へ落下する。
エリィが尻尾伝いにリグネの背から降りると、リグネは人型になった。
「相変わらず直線的すぎる。工夫を覚えろ」
呆れたような言葉に、ガバっ、と赤い鬼が立ち上がった。
「工夫? てやんでぇ! そんなもんは軟弱モンのすることだァ! オレたち鬼族に打ち砕けぬものなし! 真正面から突撃するのが漢の花道ってもんよ!」
エリィは首を傾げた。
「あれ? でもさっきリグネ様に負けてましたわよね…… 」
「エリィ。喋るな、馬鹿が移る」
「ん? オメェは… …」
思わず突っ込んだエリィに赤い鬼が近づいてくる。
改めて見ると大きい。身長だけでニメルト半はあるんじゃないだろうか。
身体のパーツが幅広く、上腕に至ってはエリィの胴ほどに大きい。
魔王軍四魔侯の一人『星砕き鬼』のアルゴダカール。
くわっ、と赤い鬼が目を釣り上げた。
「オメェが! 人族の王女かぁ! ぶっ殺すぞ! あぁん!?」
(ひぃいいいいいいい!? めっちゃ怖いんですけどこの人……!?)
リグネに勝る劣らずーーいや、それ以上に威圧感がすごい。
今にも人を食い殺しそうなアルゴダカールにエリィは膝が震えてしまう。
そんなエリィをリグネは面白そうに見て、
「紹介するぞ。こちらが余の嫁であり、魔女将となるディアナ・エリス・ジグラッドだ」
「ご紹介に預かりました。ディアナですわ。『星砕きの鬼』と名高きアルゴダカール候にあえて光栄に存じます」
「はっ! 何が光栄だクソ女狐め。オレはぁまだ認めてぇぞクソが」
「エリィの資質については、これからの祭儀で明らかになるだろう」
「生まれたての子羊みたいに震えてるそのガキが?」
アルゴダカールは小馬鹿にしたように笑う。
「ざけんな。鬼族の赤ん坊のほうがまだ勇ましい顔してるぜ」
(そうでしょうね!)
とエリィは内心で激しく同意していた。
いやだって、怖いものは怖い。この人めっちゃ怖い。
握手しただけで全身の骨が砕けてしまいそうな圧倒的な体格差。
同僚の侍女が男性に迫られた時に恐怖を感じたと言っていたことがあったが、今ならその意味がわかる。尤も、最悪急所を蹴れば逃げられる人族と違って、この鬼に迫られるのは百倍怖いが。
「ま、オメェは魔王だからな。オメェだけは歓迎してやるよ、オメェだけは」
「……」
何も言い返さないエリィの顔は青褪めている。
唇が紫色に変色するほどの恐怖を覚えたエリィに対し、アルゴダカールはつまらなさそうに舌打ちした。
「オレぁこんな軟弱者の下につくなんざごめんだぜ。祭儀で目にもの見せてやるから覚悟しろ」
そう言って一人、歩き出すアルゴダカール。
慌てたように部下らしき者たちが街に出てきて、リグネに祝辞と歓迎の言葉を述べる。リグネは慣れた様子でそれに受け答えしてから、エリィを連れて歩き出した。後ろからやってくる従者たちは待たないようだ。
「しかし、さすがだな。エリィよ」
「え?」
「先ほどのアルゴダカールとの会話のことだ」
リグネはえらくご満悦のご様子。
「あ、あれがどうしたんですの……?」
「ふ。皆まで言わせるな。我はちゃんと分かっているぞ」
リグネは言った。
「其方はわざと怯えた振りをして奴を油断させたのだろう?」
ずこー! とエリィはズッコケそうになった。
動揺するエリィを見てリグネはますます勘違いしたようで、
「それほど慌てるとはな。やはり図星か」
「え、えっと、リグネ様、あの。わたくしはそのような考えなど一切なく……」
「そう謙遜するな。現に、奴よりも遥かに強い我の前では平然としているではないか。この魔王を見上げて『カッコいい』と宣ったのは千年の時を生きてきた中で初めてだぞ?」
リグネの前で平然としているのは慣れてきたからだし、カッコいいと言ったのは本音だけど素が出てしまった結果である。それらを良い方に解釈するリグネの感心っぷりはとどまることを知らない。
「我が嫁は勇ましいだけじゃなく、策士だと見える。さすがは『悪女』だな。あのアルゴダカールを手玉に取ってみせるとは。これは祭儀が楽しみだ」
「えーっと、あのぉ」
「ヌ? 何か言いたいことがあるのか?」
口の端を上げて鋭い牙を覗かせるリグネである。
自分の発言を楽しみに待っているリグネを見てエリィは悟った。
ここで否と言って失望されれば、間違いなく食い殺される……!
エリィは髪を払い、居丈高に胸を張って、
「よ。よくぞ見抜きましたわね! さすがはわたくしの夫ですわ!」
「うむ。そうであろう?」
「あのような小物、このわたくしの敵ではありません。ご安心を! 王宮にいる時にタチの悪いご令嬢の躾を任されていましたから、こういう事には慣れていますの!」
「あぁ、期待しているぞ」
リグネはエリィの髪に触れて笑った。
「其方が何をやってくれるのか、今から楽しみだ」
曖昧に微笑みながら、エリィは内心で頭を抱える。
(魔王様のわたしへの信頼度が高すぎるんですけどぉおおおお!?)
本当にどうしてこうなった。




