DOUBLE!!
30数ページの漫画ネームを小説に書き起こしたものです。
超能力もの、テーマはいじめ。
いじめは完全なる悪です。
どう言い繕っても善にはなりえない、この世から撲滅すべき事です。
よく、いじめられる方も悪いんだ、なんて言う人がいますが、それはいじめっ子の詭弁。だからといっていじめた方が悪くない、という事には決してなりません。
仮にいじめられる要素がその人にあったとしても、大前提は『いじめをしない』が原則です。
何も考えずに放った言葉、態度が、どれ程の苦痛を与えるか。
昨今は相手を死に至らしめる程だと理解する方達も多いかもしれません。
私の言いたい事を詰め込みました。
皆さんにはよく考えながらこの件に参加していただきたいです。
一応ギャグも交えて気軽に読める形になっておりますので、一つの風変わりな読み物として楽しんでいただけると幸いです。
第一章 ダブルネーム
ブルーグループの首席の名は常に『夏目光二』。だがそれだけの話で、事実俺は肝心な問題に関して何の役にも立てていない。何もできない自分を恥と思っても、どう動いていいのか分からず途方に暮れている。
あいつはいつも何も言わずに笑う。その度に安堵と自責の念が交差する。
秋のセンチメンタリズムもプラスされて沈み込む俺に、活力を与えてくれる大きな存在。救われているのはどっちなのか。
守りたいのは順位ではなくてこのポジション。滑稽なほどの無力さに押し潰されつつ今日も時間をやり過ごす。あいつにしてやれる事は何か。俺がそばにいる事に意味があるのか。
どうかその答えを教えて欲しい……。
空中で回転させる一枚のカード。上に向けた人差し指の先からは完全に離れている。本日使用する教材はトランプだった。
俺が通う中高合併の学園はちょいと特殊な所で、ここの生徒達には必需の『カラー授業』という学科がある。
わいわいと賑わう四学年の教室。一般でいうと高校一年生。今がそのカラー授業の時間だ。
今日はこいつでピラミッドを作ってみる事に決めた。一度はやってみたかったという俺のロマネスクも込められて、作業は着々と進んでゆく。
カラー授業の時は席移動が許されているから、集まって協力しあったり、一人で集中したりと各々のやり方でみんな能力向上に努めていた。俺は隅の席で取り残されたようにカード操作に没頭する。
「なあ夏目ー、こっち来て一緒にやらねぇ?カードダーツ」
「何やってんだよ、ピラミッド?そんなのお前なら三秒で作れんだろが」
自分は決して人気者とは言えない、ごく普通の目立たない生徒。それでも何人かが熱中ぶりに興味を示してか近寄って来た。しかし生返事に呆れてすぐにいなくなってしまう。
授業時間をフルに使い神経を研ぎ澄まし、少しずつ少しずつ三角形を増やしていった。細かく根気のいる作業は割と得意な性格。その究極さに挑んでいるのだ。時々顔を上げ、真剣な表情をほどいては修正を繰り返し、完成への近づき具合を確認する。ふん、俺もなかなかやるじゃないか、なんて一人でにんまり笑ってみる。
見た目は普通のピラミッド作り。通常でもかなり困難な作業だが、手は一切使っていない。必要とするのは精神力のみだ。つまりこれこそがブルーグループの能力。全国から集められたサイキック達のクラスなのだ。
「全員、整列ーっ!!」
背後からの突然の号令に思わずびくりと体が踊る。呼吸を止めて積んでいたから、危うく吹き崩してしまいそうになった。あ、危ねえなあ。完成まであと二枚ってえ時に。
残りのカードを頭上に浮かせ、風を起こさないようゆっくりと振り返ると、そこでは「やっぱりな」な人物が楽しそうにカードを操り遊んで……もとい、コントロールの勉強をしているのが見えた。
「さあ皆の者、この教室のパワーロックは解除された!今こそ………」
「……何やってんだ、棗?」
熱中すると全く回りが目に入らない。肩までのくせ毛を揺らすだけで俺の問いは完全に無視される。
名前に縁があってつるみ出した女生徒。毎度毎度おかしな発想で俺を驚かせ、更にはその後始末で俺を思い切り疲れさせてくれる、四六時中元気一杯な奴だ。また何を始めたのやら、オーバーヒートに警戒しつつも少し見守ってみる事にした。
「今こそ、出撃だあーっ!」
彼女の号令に従うよう、トランプの入れ物からカード達が起き上がった。その様子はまさに『とことこ』。呼び出されたカード達は角でコツコツと音を鳴らし、一枚一枚机の上を立って歩いてゆく。軍隊の教官気取りな棗の前で、カード兵士達がビシリと列を揃えた。
頭の中を『おもちゃのマーチ』が駆け巡り出す。
「わはははは。ちょっと面白いぞ、棗ー!」
ところが賞賛の声はあっさり敵意で返された。
「む!出たなあ~、魔王コージィ!」
……俺の事かよ。どうやらいつの間にか俺も必要不可欠なメンバーとされているらしい。まあそんな事は放っておくとして。何だか外国人隊員が数名混ざっているような………。顔をしかめ、ピラミッドの横に置いた自分のトランプケースを確認する。あー、やっぱ足りねえ。
「棗、遊ぶのはいいけどよ、自分のカード使えよなあ。オラ、返せ!」
くいと指で引き寄せる動作に二枚のカードが宙を移動して戻って来た。彼女が悲痛な叫び声を上げる。
「ああっ!ボビーとジョンがさらわれたー!」
名付けるな!……と突っ込みたくもあったのだが、終業の鐘が鳴る前に、完成を急がねばならない。なので彼女に絡むのはそこまでにして、再度続きに集中し出す事にする。すでにかなりの時間を費やしてしまった筈だが、さて……?
「二人を人柱にする気だなあ?こうなったら……」
ぶつぶつと聞こえてきた呪怨が現実にぞわりと背中を撫でた。顔を上げ時計を確認するつもりが、視線は思わず後ろへ走る。やばい……!と感じた時にはもう遅い。輝いた棗の瞳が、見事的中させた予感を誉めるようにしっかりとこちらを見定めていた。
「目標確認!攻撃態勢を取れーいっ!!」
「えっ……!?」
下された命令でカード達が一斉に彼女の指差す方を向く。確認された方角は、どう見ても俺の机……。
「魔王・夏目光二が建築する悪の城に向かって……!」
「わ……、ちょ、ちょっと待て!」
慌てふためいた俺は、自分の体を何とか棗と机の間にそろそろと差し込んで防御する。だが前方では、恰好の攻撃ポイントを見出した軍団長が俺の努力を嘲笑うかのように、無情なる号令を力強く下していた。
「正義の棗ちゃん軍団、突撃ーっ!!」
「わーっ!!」
五十枚余のトランプ軍団が一斉に飛び掛かった。馬鹿力の棗に統制された最強のカード兵士達が猛スピードで落城にかかる。咄嗟に他の方法を思い付けず、俺は両手を前方へと突き出した。
「むんっ!」
突進して来たカード群は新たな力に支配され、見えない壁に突き刺さるかのように俺の掌の直前で急停止してくれる。
だがそのまま硬直状態に至る事は到底できない。何せ力だけでいうなら棗の方がずっと上なのだ。操縦者は技力の上で俺に及ぶ事はないが、パワーだけなら学年最強と言っても良い。無謀に思える猪突猛進な攻撃が、かなり有効だったりするのだ。止まっていたのはわずかの間。心中を読み取ったか、にやりと笑ったトランプ団長がじりじりと距離を縮め始めた。彼女が一歩進む毎に、強大なパワーに押し出された兵士達も目的達成の道へと近づいてゆく。ええい、落城に熱意なんか燃やすな!
「ほ~ら、ほ~ら!」
「っくぅ~っ!!」
ピラミッドを乗せた机が背中に当たりそうになり、わっと汗が吹き出した。背水の陣じゃないか!楽しそうに牽制する棗を前に、俺は思考をフル回転させて別の防御手段を絞り出す。すぐさま別の机から、新たに編成された教科書兵士の援軍が音もなく頭上に移動してきた。
「こんにゃろっ!」
群れに飛び込んだ数冊の教科書に叩き落とされ、カード兵士達は次々と撃沈。統制を欠いた棗軍団は一気に混濁した。
「うわおーっ!やったなあ、魔王コージィ!!」 だが、ものともせずに再統制されかけ、焦りまくった俺は必死の体で新技を繰り出す。
「ちびっこヒーローショーのお姉さんかお前は!勘弁してくれー!」
開いた一冊を、正義の指令を下すにわかジャンヌ・ダルクの顔面に貼り付けたところで、ようやく泣き入れ状態の説明に入る事ができた訳だ。
「ちょっと聞けってば!力でピラミッド型にしてんじゃねえんだ。パワーは手の代わりに使ってるだけで、コレ本当に積んでるんだから……!」
パワーで組み立てたら本当に三秒だ。しかしそれではコントロールの勉強にならない。それ以前に、俺のロマネスクへの努力を理解して欲しい!
「ほおっ!?」
ひょっこりと首をすくめ、棗の両目が見開かれた。やっとの事で攻撃も止まる。今度こそ言葉が通じたのを確認すると、俺はほっと溜め息をついた。うんうん、話せば分かるイイ奴なんだ。そして善人棗は両手を上げ、楽しそうに踊りながらのたまわるのだった。
「そんな事知ってる~♪」
「……って、知ってるんかいっ!どっちが魔王だーっ!!」
「魔王役・夏目光二♪」
思い切り差し向けた指があっさりと差し返される。こ、こんのアマ~!俺が時間一杯集中して積み上げた努力の結晶を、水の泡に帰そうとする極悪邪悪な正義の味方め。非道は許さねえぞ!
全く悪びれようとしない棗の頬を掴み上げると、耳元で必殺呪文を唸らせてみた。
「……え~かげんにせんと、嫁に貰うぞ!『夏目棗』と名乗りやがれ!」
「わー、わかったわかったあっ」
慌てた様子で棗がばたばたと暴れ出す。『なつめなつめ』が嫌というより単に伸縮の限界に耐え兼ねてとうとう降伏してしまったという感じだったが「仕方無い、棗ちゃん軍団は撤退するよ」と言い残し、カード達を引き連れ敵は背を向け歩き去って行った。
無駄に健闘しすぎて脱力しきった俺は、椅子に座り込むと片肘をそっと机に寄りかけて、安堵に深い溜め息を吐く。つ、疲れた……。
瞬間、轟音と共に天地が逆転した。
固い机と、中に入っていた道具一式と、寄りかかっていた俺の上半身、それにピラミッドを構成していたトランプが、一斉に床へと散らばったのだ。音は多分隣の教室まで響いた事だろう。当然、授業時間分の俺の努力は綺麗に無に帰してしまった。
超能力による物質移動。もちろん俺の力じゃない。人間乗った椅子まで丸ごとひっくり返すなんて馬鹿力は……!!
床に転がされる直前に聞いたのは「なーんちゃって♪」という棗の明るい声だった。ダブルクロス!『裏切り』やがったなぁ~。
「な、な……、棗のアホーっ!!」
力一杯怒鳴りながら落ちたカードを連射する。しかし彼女は俺の憤怒など気にもせず、けらけらと笑いながら掌の前で攻撃を軽くはじいてしまっていた。こいつに俺のロマンを分からせようとしたのがそもそもの間違いか。あほうは俺の方なのか………。
と、その時ようやく統制力に欠けていたと気づいたらしい担任が、怒鳴り散らしながらこちらに向かって来た。
「こらーっ!小路っ!!」
「あははははーって、あら先生……」
ノリにノリまくっていた棗のお調子もやっとパワーダウンする。
「机をぶん回すなとあれほど言っているのに、お前は、毎度毎度~!!」
「たははっ、すみませーん」
謝りつつも毎度毎度反省の色が全く見えない。結局先生も途中から諦め方向に持っていったらしい。ある程度お決まりの叱り文句を放ったら教壇へとUターンしてしまった。
へえへえ、どーせ俺が我慢すればイイ事ですよ。俺も諦めモードに切り換えるしかなかった。最近ひねくれモードも入ってきたかもな。
くすくすと女子の嘲笑が耳についた。
「……小路さんてさあ」
また始まった……。
「なんかねぇー……」
別の方からもお決まりのひそひそ話。男子達も加わって棗に冷笑を向けている。
その中に、ひときわ険しい目つきで棗を睨む者がいた。クラスのリーダー的存在で、彼女を中心に回りの者達はたむろしていたのだ。
騒々しさで迷惑人になってしまったのは申し訳なかったが、非難の方も度を越して良い筈はない。その分別を付けるのは難しくても、努力をしないのはまた違ってくる。……ああそしてほら、床にぶつけたせいもあるけれど、……また頭痛が始まり出した。
丁度その時、救いの終業チャイムが鳴った。放免された棗が思い出したように俺のそばへと寄ってきて、にこにこ顔で先ほどの意図を伝えてくる。
「あ、だからあ。どうせもう片付けなんだから、最後くらいは華々しく~っとね♪」
俺は戻した椅子にへたり込む。
「一言『時間だ』と言ってくれよ~。頭痛が……」
痛みの原因はにかりと笑い、してやったりといった顔で自分の席に戻って行った。通常授業とカラー授業では生徒達の構成が違う。カラーでは一緒でも俺は四年一組、棗は二組。今使用しているのは五組の教室だった。
……それにしても、最近本当に頭痛が多くて参ってしまう。
ズキズキと痛む頭を抱えていると、散らばったカードを拾ってくれる女子の手が視界に入ってきた。パワーを使って立ったまま拾っているから、顔を上げないと誰なのかが分からない。品の良い、ゆっくりとした動作。背も高めだ。いかにも優等生らしい知的なボブのストレートヘアがさらりと揺れて、高く穏やかな声が降ってきた。
「大丈夫、夏目君?」
「朱門……ああサンキュ、平気だよ」
あまり目を合わせないようカードを受け取りながら、俺も後片付けに入り出す。
朱門圭子とは特に仲が良いというほどの間柄ではない。彼女の成績が夏前までブルーグループ四年の次席であった為、時々勉強の話をするくらいだった。その容姿からも人気があって、グループ内ではリーダー格に収まっており、信頼度もかなり高い。ただし、プライドの高さも一級品のようで、現状に不満のある近頃の彼女からは、聞きたくもない話がかなりの回数で零れてくる。それは決まって頭痛の時と重なるから、非常に困っていたりもするのだ。
「夏目君もまとわりつかれて大変ね。小路さんて……どうしてすぐに力を見せびらかそうとするのかしら?」
ズキリ、と圧迫感が押し寄せてきた。床の荷物を拾い立ち上がろうとした俺の、頭痛が突然酷くなったのだ。朱門のクールな表情に、渦巻く突風を感じてしまう。
「夏目君も相手にしなければいいのよ」
軽いめまいを覚え再度かがみ込んでしまった俺へ、朱門が諭すように耳打ちしてくる。思考が鈍ってうまく言葉が出てこない。完全なる悪人なら対処も簡単だったろうか。しかし彼女の場合はまた対応が難しい。
「朱門……俺は別に……」
それでも多少いらつきながら頭を動かそうと試みた。長い物に巻かれたところで俺のカラー授業は今のような楽しい時間になりはしないからだ。
突然、苦心する俺の更に前方から、一番聞き慣れている声が響いてきた。わざとみんなに聞かせるよう、声を張り上げて。
「おーおー!今日も負け犬の遠吠えが心地良いなあーっ!」
教室中の空気が一瞬でどす黒く変わった。帰りかけていた者達も、ぎょっとした顔で声の主に視線を送る。俺も血の気が引いたかもしれない。
しかしそんな心配をよそに、当の本人はカラッとした表情でくせ毛を揺らしてこちらを見ている。朱門に向けられた言葉だったのだ。
「な……、何を言っているのよ、あなたは!?誰が……!」
途端に朱門の顔色が変わり、震える手を握りしめてつかつかと棗に詰め寄り出した。そばにいた連中も改めて朱門サイドへと移動する。このフォーメーションが俺は嫌いなのだ。棗は完全に孤立した状態。にもめげず堂々たる態度は賞賛にも値するが、この馬鹿、いくら何でもわざわざ喧嘩売る必要はねえだろ……。
「わ、私は夏目君やみんなの為を思って……!あなた一体、どういうつもりで……!!」
「朱門!!」
何とか絞り出した声は意外と大きく、自分でも驚いてしまうほどだった。それでも彼女が苛烈する前に立ち上がると、当たり障りのない言葉でその場を取り繕う。仲裁に入ったというよりは苦情の申し立てに近かったが。
「大声はカンベン……。頭痛に響く」
「あ……」
すぐさま彼女は口を抑える。具合が悪そうだったのは気がついていたようだ。気遣いからくるこの反応は嘘ではない。なので、俺もあまり強く言えなくなってしまう。
ただし、一番忘れてはいけない事があった。棗は何も悪い事をしていない。なのに、この現状を強制されているという事実。
「……行くべ、棗」
「はいはーい♪ほんじゃ朱門さん、また明日ーっ!!」
俺達は教室を後にした。
背中からの空気が気になり、入り口の前で一瞬振り返る。みんなの、特に朱門の切り刻むような冷たい視線が棗に突き刺さっているのが見えた。
回りの仲間達が慰めの言葉を、心から信頼するリーダーへ口々に向けている。
「何あれ、ひっどーい!」
「小路サイテーだな。もう来るなっての!」
「大丈夫、朱門ちゃん?気にしちゃダメよ!」
すがめていた俺の目に、最後に映った光景。密かに棗を睨みつけていた朱門がゆっくりと顔を上げる。そして声をかけてくれた味方達へ、歪んだ感謝の念を込めて女神のように穏やかな微笑みを与えていた。
「大丈夫よ……」
こんな嫌悪感を伴う関係がこのところ毎日のように続いているのだ。
事の起こりは一カ月前。夏のカラーテストの結果が出た時だ。成績順は例により、首席は俺、次席が朱門、そして棗も、指定席であるドン底……に、なる筈だった。しかし朱門を押し退け次席に上がったのは、驚く事に落ちこぼれだった小路棗。貼り出された成績表にみんなの前で恥をさらされ、プライドを傷つけられたのが誰だったかは言うまでもない。ここに至るまでいろいろとすれ違いや誤解があったにせよ、原因が朱門のひがみである事には変わりなかった。
廊下を歩きながら、頭痛を気遣う棗をあまり心配させないようにして一人考え込む。
俺はまだ首席から蹴落とされた事は一度もない。彼女の悔しさを体験した事がないのだから、知ったかぶりの忠告などできるものではないとも思ってしまう。
そして棗。風当たりの強くなったこいつに、俺はまだ何もしてやれないでいた。多少荒々しいやり方だが、先ほどの売り喧嘩も俺を助ける為だったのだろう。逆に守られている自分があまりにも不甲斐なく感じてしまう。
それにしてもこいつは………。
肩越しにちらりと棗を盗み見る。彼女は自分の教室に着くまでは何とか一緒に歩こうと、必死に俺のあとを追っていた。くせ毛の軽さが性格にまで影響するなんて話は聞いた事ないが、やっぱり何事もなかったかのように鼻歌混じりで笑顔を展開させていた。
グループ中の人間に敵意を向けられるというのがどれほどの圧迫を感じるか。それでもこいつは笑うのだ。なぜ棗はこんなに強くいられるんだろうか。こいつがへこたれるところなど、まだ見た事がない。俺までが今の現状に上乗せするよう、毎度の体調不全で迷惑ばかりかけてしまっている気もする。
棗の隣にいる必要性を、俺はどうしても欲してしまうのだ。
なあ、教えてくれ。俺にできる事を。お前が俺に欲する事は何かないものか……。
頭痛はいつの間にか治まっていた。
第二章 ダブルディーラー
超能力者養成学校『等愛学園』。中高合併全寮制のここは、敷地内に街が一つ入っているかのような設備が整っている。なので普段の生活に不自由さはさほど感じない。生徒の家族も敷地内に住み込み、この小さな街を運営する仕事に就いている場合が多い。
校内は生徒も教師も全て能力者。パワーは思春期に発現しやすい為、さまざまな事情の少年少女達がここで日々修行に励んでいた。敷地内に張り巡らされたパワーロックのおかげでみんな通常人と変わらぬ生活を営む事ができているのだ。
パワーロックとは、生徒達の超能力乱用を防ぐ為に校内、寮内、その他全ての立ち入り場所に発信されている特殊電波の事。いわゆる妨害電波みたいな物で、カラー授業やカラーテストの時だけ担任の教師がその教室のみロックを外す。教師も全員がここの出身で、卒業後にはそのまま教える側へと回る者も少なくない。もちろん条件は厳しく、エリート級でなければ資格が取れないそうだけれど。
そして敷地の外に出る時は、能力抑制アイテムのアクセサリー等を身につける事が原則となっている。あまりこの規制を破ってばかりいると外出許可が貰えなくなってくるから、意外とみんな守っているようだ。
拘束されている感じで聞こえは良くないかもしれないが、学年が上がるにつれ、きちんとこの学園のテーマというものが理解できるようになってくる。
超能力に関する学科を『カラー授業』と言い、能力別にグループ色分けされている事からそう呼ばれていた。
ブルー:サイコキネシス(念動力)
グリーン:タイムトラベル(時間移動)
イエロー:テレポート(瞬間移動)
オレンジ:クレアボヤンス:(透視・過去、未来視)
ピンク:イリュージョン(幻影・催眠)
ホワイト:テレパス(精神感応)
レッド:アナザー(その他補助的能力)
実はもう一色のグループが存在し、それはこの世界でただ一人の特殊能力を持つ者の為だけに設けられたのだ、なんて七不思議的噂まであるあたり、大して他の学校と大差ないと思う。
レッドの合紅先生は在学中エリート中のエリートと評判だったらしいが、教師になった途端その完璧主義さを大発揮してスパルタ化、俺の先輩がいつも餌食となっていた。教師はなぜかホワイトかレッドしかなれない。力の源である精神に直接作用しコントロールできる、というのが条件らしいが、その点でレッドがどう関わってくるのかはまだよく分からない。とにかく、生徒達の心の支えとなれる人。……でもまあ、俺的には合紅先生が担任じゃなくてホント良かったと思うけれど。
何はともあれ、四年一組夏目光二、四年二組小路棗は共にブルーグループのサイキッカー、それも成績上位者なのだった。
「その馬鹿力制御できれば、お前が主席なんだがなあ」
翌日のカラー授業前の教室移動、はちあわせた棗と廊下でいつもの言い合いを始める。
「何だかなあ、コージコージ怒鳴られると俺まで叱られてる気分なんだよな」
「なんだいっ!同じ名前してる光二が悪いんじゃないか!そーゆー事言うと婿取りするぞっ!『小路光二』の人生を送らせてやるーっ!!」
「へっ、だーれが……」
そこまで言い放った時、バコン!と物凄い音がして脳内世界が激しく揺らいだ。後ろをついて歩く棗との会話に夢中になって、前方の光が陰った事に全く気づけないでいたのだ。痛みと恥にうずくまり鼻を押さえた頭上から、愉快そうな男子生徒の声がテンポ良く降り注いできた。
「廊下は前を見て歩きましょう!」
「あ、高広先輩だ!」
俺が名前を呼ぶより早く、回りの通行人が口々に歓喜の声を上げる。出現した途端に注目の的。四角い顔と垂れがちの目でにっかり笑う、下級生に人気の高い、そして校内でも有名な人物。白國高広先輩だった。一学年上の五年生で、胸の名札にはグリーンカラーのマーク。タイムトラベラーだ。
「あーっ高広先輩が変な物持ってるー!」
やっぱり先輩を大好きな棗が大喜びで叫んだ通り、高広先輩は自分の身長の三分の二はあろうかという大きな板を抱えていた。板が大きいというよりは先輩が小さすぎるのだが。俺はこれに顔面から突っ込んだらしい。
「変な物って棗ちゃん。この学校のスローガンよ、コレ」
確かに。先輩の手から棗へと移動した黒の額縁には、よく見慣れた文章が書いてあった。
「これって、各教室の黒板の上に飾られてるやつですよねー」
毎日遠目に眺めているにもかかわらず、棗がまじまじと見つめ出す。いまいましい通行の障害物に俺は出身地を問うた。
「どっからそんなモン……」
「四年一組!」
「……へ、うち??」
いつの間に。っていうか何の為に?
驚くだけの俺に、先輩は親指を立てて垂れ目を下げて、大いなる次元の過ちを正してきた。
「ただし一年前の、な!これは過去からの戦利品よ!!」
思わずぽっかりと口を開けてしまった。一年前……?あ、でもそういやあ……。
ふとある事に思い当たった時、他クラスの棗の方が額縁の経路にとらわれず、先に問題の核心を突いていた。
「あー、もしかして……こないだのグリーングループ実技テストの時の!?」
「ピンポーン!!」
「あ、あのタイムトラベラーの……」
授業というからにはやはりカラーの方にもそれぞれ実技と筆記の試験がある。ところがグリーンだけは時間を移動しなければその能力値が見られない為、他とは少し変わった実技試験を行っていた。
試験を受ける生徒達は、指定された年月日の指定時間に到着する。まずこれがお題目。たいがい到着日時は試験の丁度一年前に定められる事が多い。そこでは一年前の先生達が試験官として待っており、その時間に辿り着いたという証拠品も用意されている。証拠品を持ち帰れば見事合格。先生方からすると、準備をし、教室のロックを外して待っているだけ。すると未来から来年度の生徒達が試験を受けに時間を戻ってくる、そんな仕組みになっていた。
ただし失敗すると時空の迷子となるからみんな必死だ。合格率は全グループ中でピカイチらしい。
……で。
「そーそー、それそれ。そういう事よ」
楽しそうに話を続ける高広先輩だったが、どうしても腑に落ちない点があった。各教室に一つしかない、しかも持って行かれちゃ困るようなモンを証拠品にするものか?
「高広先輩、これがその証拠品ですか?」
「うんにゃ、戦利品」
にこにこ顔の先輩の前で俺達は顔を見合わせた。
【戦利品】戦争などでブン取ったお宝。
…………。
無言の俺達に、先輩はその時の心情を簡潔に説明してくれた。
「いやあ、つい!」
「何でかなっ!?」
二人揃って素直に突っ込んでみる。ダブルダッチ。『ちんぷんかんぷん』ですってば先輩!どうりでうちのクラスの額縁、新しいと思った……。
その時、奥の教室の扉から先輩を呼びつける者がいた。眼鏡をかけた細身の若い男性。しかしその迫力は他の者達に緊張を走らせる。レッドの合紅先生だ。
「おら、高広!早めに教室入っとけ!」
「うえ。アイコちゃんおーぼー」
アイコちゃんは合紅先生の愛称。スパルタだが、実は意外と面倒見が良く人望も厚かったりする。みんな合紅先生の授業を嫌がりはするが、本人を嫌う者はあまりいない。
うんざりした表情で、先輩は額縁を持ったままのろのろと四学年の一教室へと向かって行った。
「隣で追試受けてたんですね……」
五学年の教室に追試用の教室が余っていなかったのだろう、先輩がこんな所にいた理由がやっと判明した。まあそれだけ好き放題やれば追試も当然だろう。なぜせめて証拠品も一緒に持ち帰らなかったのか。下手をすればウケを取る為に留年だってしてしまいそうなお調子者の先輩には、スパルタ教師の合紅先生がぴったりのような気がしてきた。
「高広先輩って元気だよねー」
「まあな」
先輩と別れ、俺達はまた移動教室に向かって歩き出した。後ろから彼の名を呼ぶ声が響く。振り返ると、高広先輩もさっきまでの暗い顔はどこへやら、声をかけられる度小踊り状態でみんなに笑顔を返していた。
「前はよくトリップする度にパラレルワールドへ迷い込んではヘロヘロんなって連れ戻されてたけどな」
タイムトラベラーのトリップ(時間旅行)は一番危険とされている。時の流れにはいくつもの分岐点があり、一歩間違えれば別の選択肢を選んだ別の平行世界へ飛ばされてしまう可能性があるからだ。そうなると元の世界に戻って来るのがまた大変らしい。タイムパトロールなる者達が存在し時空迷子の保護を行っているらしいが、これもまた噂。高広先輩ならその事実を知っていそうだが、はっきりと聞いた事はない。
去年まで先輩はオレンジグループで、過去や未来を『見る』事しかできなかった。ところが、四年の終わり頃に突然『接触』できる能力を発現させたのだ。その為本年度からグリーンへと『チェンジ』になったのである。『チェンジ』『ダブル』『トリプル』といった特殊な人種は時々現れるが、多々ある事ではないのでどうしても好奇の目が集まってしまっていた。
しかし高広先輩が有名になった原因は別の好奇心からだった。その後の迷子回数だ。今は安定しているようだが、チェンジになったばかりの頃は慣れないせいか力の暴走が止まらなかったらしい。トリップする毎に他の時空へ迷い込んでいた。足元もおぼつかない様子で疲れ切った体を教師達に引きずられて歩く姿は、さながら宇宙人捕獲の図と言えただろう。馬鹿にする者も迷惑だと罵る者もいた。それでも先輩はあの調子であっさりと『人気者の有名人』として返り咲いてしまったのである。
「あれを名物と言う……」
皮肉混じりに俺は笑って断定した。しかし棗はその見解が気に入らなかったようで、ブン、と腕を振り上げて反論してきた。
「でもっ、強くて明るい!元気で前向き!それってすっごくカッコイイ!先輩は絶対に絶対に凄い人だよーっだ!あたしもいつかああなるんだもん!」
ダ、ダブルワンズフィスト。棗は力一杯『拳を握りしめ』て力説した。なぜそこまで踏ん張る必要があるのか?しかもいきなりのデカい声に回りの通行人達も振り返ってこっちを見ているじゃあないか。俺は肩をすくめ、三歩前を歩いて軽く逃げた。
途端に目に入った、カラー授業の教室である四年五組の入口。俺ははたと気づく。
強くて明るい、元気で前向き。こいつはずっとそんな呪文を唱えながら、あの教室へ毎日戦いに行っていたんだろうか?正義もあやふやになった悪意の世界で孤立し、はねのけ、それらを確実に乗り越えて……。
そうと認識した瞬間、背後から流れてきているオーラが今まで俺の頭の中にあったイメージを微妙に塗り変えてしまっていた。元気だけが取り柄の型破りな少女。それが、深くて大きい、そして太陽のように明るい情熱の波動を発しているかに思えたのだ。
振り返れば、やっぱり彼女はしっかりと笑顔。真っ直ぐな瞳にはマイナスの思考など露ほども感じられない。彼女にとって高広先輩は尊敬の対象であるらしい。
……馬鹿な奴だ。お前が言った形容詞、先輩よりももっとぴったりな奴を俺はよく知っているぞ?
「……ぶ、ぶぶひゃっ」
「おおっ!?」
変な吹き出し音に始まりくっくっといった笑いが止まらなくなる。かすかに照れを感じるころころの怒り声が勢いよく追いすがってきた。
「笑ったね?笑いましたね!?それもお下品な笑い方でー!!」
横に並び、やるか!とファイティングポーズを取る棗。俺は棗に一人でなんて戦って欲しくはない。ここにもささやかな味方がいるんだと、合図を送ってみたくなるのだ。
「いやいやいや、大丈夫お前なら。明日にでもその怪力で、高広先輩なんかよりも立っ派な名物人に……」
「わーい!……ってち・がーうっ!!」
「今でも充分強えよ、お前は」
軽く肩越しにかけた声は、五秒ほど放置されてから「えへへ……」との小さな反応を貰う。
俺達はまだ未完成のエスパーで、未完成の人間だ。日々学ぶ事は沢山ある筈だった。くせ毛と一緒にスキップで揺れる無邪気な笑顔が、あの頃の素直にみんなを見上げていた表情とダブる。
(だからね、小路さん……)
そしてもう一人、今となってはもはや信じる事すら容易ではなくなった、棗に向けられる秀麗な笑顔。
(良かったね……)
……あれはまだ一学期の頃だ。
俺と棗が知り合ったのは四年生になってからだった。高広先輩のような『チェンジ』は別として、能力はころころ変わったりはしないのでカラーの方にはクラス替えのようなものがない。なので六年間顔触れが全く変わらずというのも当たり前となり、下手にはじき出されたりすると立場が非常に険しくなってしまう。カラー授業は一日二時間ほどとはいえ、それでもホワイトの先生方は仕事時間の大半をカウンセリングに当てなければならなかった。
そんな中、俺達の学年だけはブルーの人数が多かった為に二クラスに分かれていたので、クラス替えなんかも毎年あったりした。まあ転入生でも来ない限り大して新鮮さは感じなかったが。
棗は編入生だった。三年の夏頃にここへやって来たらしい。顔を合わせる機会はなかったが、向こうは俺の存在を知っていたようだ。グループ成績表のトップを、いつも自分と同じ名前が占めていたのだから。四月の新しいメンバーの中で、棗の方から俺に声をかけてきてくれた。明るく人なつこい性格で、彼女がいるといつも教室には笑い声が絶えない。この頃はまだみんなとも仲良くやっていたのだ。
ところが棗の成績はこの時すでにドン底で、補習や追試の常連メンバーと化している。折角親しくなったのだからと俺もいくらか教えてみたのだが、どうにも教師に向いていないせいか棗はなかなか要領を得てくれなかった。
見兼ねて教師役の名乗りを上げてくれたのが、学年次席の秀才だった朱門圭子だ。彼女は熱心に棗の成績向上を手伝ってくれていた。
「だからね、小路さん。ここに集中するの」
「……えー?」
「頭の中でイメージを働かせて。いい?ここはこんな感じで……」
朱門のコントロールは完璧で繊細。怪力で振り回すような形になってしまう棗には、少しばかり見事すぎる見本だったかもしれない。覚え方まで『どたばた』といった状態で最初、成績の伸びはあまり良くなかった。それでも朱門は時間さえあれば親切丁寧な教え方で根気よく付き合ってくれていた。双方の熱意がヒートアップしてきた頃、変化が現れる。
「……こう、かなあ?あ、上がった……!?」
「そう、そうよその調子!ほら、やればできるじゃない」
「すごーい、見て見て朱門さん!あたしにもできたよ!!」
「うん、凄い凄い!」
大はしゃぎの棗と、上達ぶりを心から喜んでくれる彼女。微笑ましい女子達の笑顔に、俺のカラー授業の一年間は最高の和みになりそうだと密かにほくそ笑んだりしたものだ。
「凄い、さすが朱門さん!嬉しいーっ、ありがとうー!!」
「ふふ、全部小路さんの努力だよ。良かったね」
ここまでが一学期の出来事。間もなく夏休みに入ってしまったが、これから二人の間に友情なんかが育まれ、俺までほのぼのした平和で楽しい二学期がスタートされるのだと、信じて疑わなかった。壊したのは棗の方じゃない。
一点集中でのめり込むタイプの棗は、ある程度のコツをつかんだ途端にめきめきと上達し始めた。その裏の努力はのちに聞かされても驚いたほどで、夏休みは許可を得て教室を一つ借り切り、朝から晩まで毎日特訓に明け暮れていたという。足しげく通う道中で辺りを探し回っては、浮かせやすい物や動かせたら楽しそうな物を見つけて教室に持ち込む。寮に戻ってはイメージトレーニング、というか明日はどうやって『遊ぼうか』との空想を膨らませながら眠りに就いたらしい。勉強ではなく遊びと取って楽しんだ者の勝ちだったようで、二学期最初の実技試験は難なくクリア、更には次席の座獲得まで成功したのだ。
恩返しになると思ったのだろう、棗はすぐさま喜び勇んで朱門の所へ報告に行った。俺もその場にいたのだが、あの時の事はあまり思い出したくない。
次席になったとはいえ棗のコントロールには甘さが残る。パワーが強大すぎるせいだ。仮に棗が力の99%をコントロールできたとしても、残りの1%が他の者の1%よりずっと大きい為、コンマいくつまで制御できてやっと人並みとなる。
向上心を覚えた棗は繊細なコントロールを得意とする朱門に再度指導を請う事にした。朱門の教え方が上手い事を証明したかったんだと思う。
朱門は、その頼みを引き受けなかった……。
「えー、今日の授業は針と糸を使う」
いつも通りのカラー授業。しかし担任の声など頭に入ってこない。また頭痛が始まり出したのだ。どうもカラー授業の度に痛みの度合いが上がっている気もする。回りの険悪なムードがより不快さを増幅する。
「近寄るなよ小路!ノーコンはスミッコでやれ、バーカ!!」
男子達などは面白がっている感じがある。ゲラゲラ笑いが頭に響いてイライラに変わり、気分は最悪だった。
「小路なんかそばにいられたら迷惑だよなあ、朱門?」
男子達に同意を求められた人物は、興味なさそうな顔を装いつつさらりと刺を放つ。
「そうね、針千本飲まされそう」
それを聞いた女子達も、わざとらしく高らかに笑って挑発を煽り出す。非難されまくった渦中の人物は……。
棗は最初きょとんとした様子でみんなのありがたい忠告に聞き入っていたが、大きく溜め息を吐くと悲しげな笑顔でこう答えた。
「しょうがないなあ。そんなに怖いんじゃ……」
形容詞にぴくりと朱門の目尻がつり上がった。
「可哀想だから離れておいてあげるか!」
その一言に、言葉を失ったみんなの殺気が、楽しげに教室の隅へと移動する棗の背中に集中したのだ。沈黙の中、壁際の空いている席に棗が荷物を置く。誰かが何か言い返すと思ったのだが、火ぶたを切ったのは言葉ではなく一つの消しゴムだった。
「あてっ」
飛んで行った消しゴムは、ぽこり、とくせ毛の後頭部に跳ね返り、床へは落ちずにそのまま回収される。頭に手を当て振り返ったのを効果ありと見て取ったか、弾丸の数が爆発的な勢いで増え始めた。
「ざっけんなよっ、この女ー!!」
「何様のつもりだってーの!!」
「そーよ、あんたなんてねーっ!」
大量の消しゴムやら教科書やらがもの凄い勢いで飛ばされる。
「ホッ?おっ!ちょいな!」
強大なパワーの持ち主は少しもダメージなど食らわずに、軽く手をひらめかせてはピシピシと空中ではじき返していた。担任が慌てて止めに入るがすでに収拾がつかない。
「こ、こらーっ、やめなさい!やめんかーっ!!」
「だって先生!!」
流石に俺も黙っていられなくなり止めに入ろうと立ち上がった。その時、集団の後ろで静かに座っていた者の指が軽く動いたのが視界の端に入る。
「あっはは、当たんないねえー!やだなあ、みんなの方がコントロール悪いんじゃ……」
タン、と棗の耳元で背後の壁に突き刺さるかすかな音。顔の横をかすめ、自分目がけて飛んできた銀色の小さな棒に、彼女の語は途切れた。すぐには信じられない様子でゆっくり顔を向けると、きらきら輝きながら針は床に落ちていった。
「え……?」
蒼くなった棗が消しゴムをはじき返すのも忘れて呆然とする。そこにまた光の連射が襲いかかってきたのだ。
「ちょっ……!」
点のコントロールは棗が最も苦手とする技術。反対に攻撃側のコントロールは恐ろしく正確な超スピード。よけきれず、棗は力を使うのも忘れて顔を庇ってしまった。自分達の迫力に負け敵がひるんだと勘違いし、みんなが一斉に勢いを増す。彼女の異変はかき消された。
「……………え、何?」
声以外の音が消える。
「小路、じゃあないよな……?」
全ての文房具が、棗の20センチ前の空中で止まっていた。本人は体を縮こまらせ、庇った手の隙間から覗いているだけだ。
「誰が止めてるの?」
全員が辺りを見回し、犯人が割り出された。
「……夏目……?」
ギリギリとうねり狂う痛みと、目の当たりにした恐怖に汗だくになりながら、俺は何とか椅子から立ち上がっていた。よろよろと歩いて、その場に座り込んでしまった棗の元へとたどり着く。支配した小物類はゆっくり移動させて、奥の机の上に集わせた。担任の怒号もようやく功を奏してくる。
「お前等、いいかげんにしないかっ!一体何をやっているんだ、さっさと片付けろ!」
後味の悪い空気が漂い出し、これ以上は無益と感じたのかみんなもしぶしぶと自分の投げた小物を探しに机へとたかって行った。
「大丈夫か、棗?」
「あ……、光二が止めてくれたのか」
覗き込むと、棗はぱっと顔を上げた。彼女は笑顔だった。しかし、その中にかすかな引きつりを見出し、俺は暴挙に及んだ犯人への怒りで体が震え出した。
「いやあ、平気平気!ちょっとびっくりしたけどさあ!」
失明していればちょっとどころの騒ぎじゃない。こいつの笑顔がまた俺の無能さを縛り上げる。苦痛を、せめて半減させてやりたいのに……!
(それにしても……)
俺は嫌悪感からくる吐き気をこらえながら恐る恐る振り向いた。
(誰が投げたんだ!?よほどの馬鹿か、あるいは……)
遅ればせながら事態の大変さに気付いた女子が叫んでいる。
「やだ、針が入ってる!」
「え、嘘!」
「誰だよ、シャレになんねーぞ……」
泡を吹きそうな勢いで先生もがなり立てた。
「な、何て事を……!今日の授業は危険物の取扱いを学ぶのが目的なんだぞ!小路は大丈夫だったのか!?」
「はぁい♪」
「一体誰がこんな事を……!これは誰の針だ!?」
(あるいはよほどコントロールに自信のある……)
「先生」
氷のように冷ややかに感じた声の主に、戦慄を伴わせて俺は目をむいてしまった。思い当たった胸中を読んだかのようなタイミング。他の誰一人疑う筈のない容疑者が、堂々と自分の針刺しを差し出していたのだ。
「私の針だと思うんですけれど……」
「何……?」
まず先生が絶句した。朱門は職員室でも評判の優等生だ。こんな過激な行動には、一番縁のない人物と思われている。緊張が生徒達にも伝染して、教室はしんと静まり返った。だが沈黙は長くは続かなかった。
「朱門、お前が……?」
「まさかあっ!」
必死な表情で都合の悪いセリフを打ち消そうとしたのは、本人ではなくいつも朱門を取り巻いている女子の一人。
「彼女はそんな事しませんよ!」
他のみんなも、我に返ったような顔になって口々に叫び出す。
「そうですよ、できる訳がない。絶対に違います!」
「何かの間違いだろー?」
「ねえ、朱門ちゃん?」
真実を欲しがる取り巻き達に、首を少し傾けて朱門は穏やかに言い放った。
「ええ、あたしは何も投げていないから……」
緊張が解けてざわめきが戻る中、俺だけが蒼白のまま体を硬直させていた。
授業は続けられた。針は結局、誰かが別の物を投げた時に偶然一緒に飛んでしまったのだろう、という結論に収まった。
「ですから、そんな言い方は……」
『犯人』を庇う朱門に免じて収められたのだ。その後たっぷり説教をくらったが、仕切り直してそのまま授業は続行に入る。
……針が飛ぶ直前に軽く動いた朱門の指。真犯人を知る者は、多分俺の他に一人もいない。名乗り上げたのも、回りの信頼を思うがままに操れる確信に基づいての事だろう。こんな事が許されていいものだろうか。しかし俺もはっきり見た訳でもない。確たる証拠がない限り、異を唱える事もできなかった。
リーダー的存在というものは実に両刃の剣だ。その人格によりけり、善悪すら左右されてみんな言いなりとなってしまう。大衆を操る指導者は自分の好きなように事を運べるのだ。気に入られれば天国だが、嫌われれば全員を敵に回す。 棗は今地獄の位置にいた。次席の欄に名前が載った時には、あんなに喜んでいたのに……。
「見て見て朱門さん。あたし成績上がったよー!」
静かに成績表を見つめ現実に打ちのめされている朱門の元へ、追い討ちのように棗が報告の声をかけてきた。朱門は棗をちらりと一瞥し、すぐにまた成績表へと視線を戻してしまう。
「でもまだコントロールがいまいちなんだー。また教えてくれないかなあ」
彼女は無表情のまま答えない。
「ねえ、朱門さん~!お願い!」
自分を蹴落とし成績上位となった者が教えを請おうと手を併せ、頭を下げて頼んでいる。朱門にはとどめの一撃だったらしい。迷惑そうに目を細めてぼそりと一言放った。
「……馬鹿にしてるの?」
「え、何が?」
意味が分からずけろりと答えた棗の返事を、朱門は質問のイエスに取る。無視を決め込んで歩き去ろうとした。
「朱門さん!待って、何の事!?」
「教える必要ないでしょう?」
「え、でもまだあたし……コントロールうまくないし……まだ全然だよう」
「…………」
「……ねえ、朱門さ……」
「しつこいわねっ!」
一変した態度に呆然として、棗はあとを追えなくなる。さっぱり訳が分からない、といった様子。理由は俺がそれとなく説明しておいたが、とにかく嫌われてしまった事には変わりないのでそれ以来棗は朱門に近寄らなくなった。
ところが、プライドの高い女王様は怒鳴ったくらいで済ませる気など全くなかったらしい。時間の経過と共に棗の評価がみるみる落ちてゆく。他の者と仲良く話す姿さえ許せなくなった朱門が、回りに『悪人棗』の所業を言いふらし出したのだ。あくまで『相談』という形を取って。
「成績上がった途端にいやみ言うようになったのよ。あたしもう耐えられないわ……」
棗のいない所で、何も知らないみんなの前で、ことさらに落ち込んでみせたのだ。
「頑張って教えてあげたのに……何だかあたし馬鹿みたい……」
常に頼ってきた人物が泣きそうな表情で訴える話を、誰も疑わなかった。グループ中の人間に白い目を向けられ出した棗は、輪に入る事もできなくなって弁解の余地もなく、また本人も弁解などしなかった。そうやって集団いじめの図式ができ上がっていったのだ。
俺にははっきり見えていたちらつく嫉妬も、回りの者達には見えない、というより誰も信じようとしない。ブルーグループのリーダーは非常に面倒見が良く、人が嫌がる仕事も進んで行っていたし、サポート等の手伝いも要領良くこなして相談も嫌がらずに一生懸命聞いてくれた。元々悪い奴ではなかったのが裏目に出てしまったのだ。
そして嫉妬にかられた醜い心は慕ってきた者達の思いやりを復讐の道具へと堕落させてしまう。利用されていると気づかせずに洗脳して操る。おぞましいテクニックだ。
いじめに参加した者達は、みんな自分で考えての行動と思っているだろう。同情を引き、そう錯覚させるやり方を朱門が取ったのは明らかで、この陣形はみんなを盾にしている事になる。攻撃は盾が勝手にやってくれるから自分に責任がかかる事はない。もし反撃されても傷つくのは盾だけだ。『みんなの為』を合い言葉に誘導し、その実自分だけを守り、人を犠牲にして優越感を手に入れ満足するだけに作り上げられた、ちっぽけな目的の為の大々的な陣形なのだ。
他人に同情させ自分一人だけは甘やかされようとする。立場も権利も義務もみんな平等の筈なのに。よくある『自分はこんなに可哀想な人アピール』に、人は意外と引っかかってしまうものだ。「これから騙しますよ」と言って騙す者などいない。それに自分が騙されているという事実を認められる者も少ないだろう。そして何より本人が人を騙しているという事を自覚していない。本気で自分だけが可哀想だと思い込んでいるのだ。何か言っても、信じて貰えない状況で、反対意見など述べようものなら『可哀想な人をいじめる悪人』に仕立て上げられ、意見すら通らなくなる。俺は中立を保つ事で棗の居場所を作るのに精一杯だった。
ただ不思議な事に、彼女はトップの俺にはなぜか敵意を向けてこないのだ。なので、みんなも普通に話しかけてくるし、被害が全くといっていいほどこちらに飛び火しない。ずいぶん徹底した教育だと感服したくなる。とにかく今のところは俺の友人である事が棗のクッションとなっていた。
「あっははは、おかげでこっち側が空いたよ。こっちで一緒にやろ、光二?」
学年三位の成績がそんなに気に入らないのだろうか。常に『自分こそが被害者』といった態度で回りを巻き込み味方につけ、彼等を使って攻撃させる。今やグループのリーダーから集団いじめのリーダーに成り上がった朱門と違い、棗は俺にグチ一つこぼさないのに。
俺は少なくともこの位置だけはキープしなければならない。こいつにとって唯一の盾を削らせてはならないのだ。こんな事くらいしかできない奴だが、果たして俺は役に立っているのだろうか……?
「……どったの、また頭痛?」
奇妙な顔で彼女が訪ねてきた。考え込む俺の表情を心配してと、理解の及ばぬ行動に戸惑っての事。無意識に棗の頭を撫でてしまっていたから。
「ん、あれ?そういやあ治ったな……」
自分の頭にも手を置いて確認する。頭痛は綺麗に引いてむしろ爽快なくらいだった。
「いや平気だよ、いちいち心配すんなって」
二人で笑顔を合わせると、残りの時間を有意義に過ごす為に教室の隅へと移動して行った。
しかし気になるのがこの頭痛。どうも規則性があるように思えてならないのだ……。
第三章 ダブルチェック
「でよー。そいつ人見知りが激しくってさ、ロック外された途端に自分の姿消しちまうんだ。だからウチのピンクはいつも一人足りねーの!」
「わははは、逆座敷童かってーの!」
翌日の四年一組は至って平和だった。わいわいと賑やかな会話が聞こえてくる中、俺は自分の席でぼんやりと肘をつき、体調不全の原因を分析していた。
何だろな……。頭痛はパワーロックの外れたカラー授業の時のみで。力の暴走?あと棗といると治まっている気も……。
まじまじと片手を広げて見つめてみる。パワーを使う時は意外なところに負担がかかっている場合がある。全て精神からくるものだから、……単に俺、疲れてるだけなのかな。
手の甲を自分に向け指から指へと視線を流していると、何やら変な画像が飛び込んできた。指の間に焦点が合って教室の扉が見える。そこからなぜか無言で、こちらに向かってピースを突き出している小柄な人物が佇んでいたのだ。いやあの……、俺別に高広先輩に向かって手を振ってたワケじゃあないんですけど。
「何スか、センパイ?」
どうも間が悪いなあと赤面しつつ入口に歩み寄る。というより俺が気づかなかったら、そのまま銅像になっているつもりだったのか。
「あっれー、棗ちゃんはー!?」
「あいつは二組っスよ。通常授業は別クラスですから」
「あ、なんだあ隣かあ」
こんな所にいるという事はまさかまだ追試受かってないんじゃあ……?本当に大丈夫なのかな、この人?心配になって訊ねようとしたのだが、聞くだけ聞くと先輩はさっさときびすを返してしまった。
「んじゃな」
「おっ……」
ちょっとちょっと、俺にはそれだけですか?何てあっさり味なんだ。
思わず引き止めようとした時、俺の声に重なって四方から輪唱のように先輩を呼ぶ声が轟き渡った。
「先輩!先輩!」
「高広先輩!」
どっとみんなが押し寄せる。廊下と教室内の生徒達に流され、高広先輩はまた入口に押し戻されてしまった。
「先輩、追試どうなりました!?」
「落ちた!?受かった!?」
「今回の戦利品は!?見せてー!!」
「お、おいっ、おいっ!」
全員と扉に挟まれて先輩がもがく。上げられた手がかろうじて居場所を示してはいたが、遠巻きに離れた俺はあえて助けようとしなかった。この勢いと元気さは本人の影響なんだろうが、どうも高広先輩のファンは迫力がありすぎて怖い。
「また変なモン取ってきたんでしょ!?」
「見せてー!」
「ねえ、せんぱーい!」
多大な人気に気を良くしたらしい。おチビのヒーローはにんまり笑うと、べいべぇ~と洩らしながら軽く気取り始めた。
「ち、可愛い後輩共め……」
よくよく聞いていると「何かくれー」とか「先輩のあほー」だのの声も混じってはいたのだが、当人の耳には届いていなかったようだ。
「そこまで言うならいいだろう、見て驚け!!」
やっぱり今回過去から持ってきた物も証拠品ではなかったらしい……。後方で呆れる俺とは反対に、ノリにノリまくった熱狂ファン達がぐぐっと身を乗り出させた。高広先輩はもったいぶりながら両手を背中に回す。どうやらズボンに挟んで持ち歩いていたようである。
「今回の戦利品は……」
ばっ、と勢い良くお宝が突き出された。両手に一つずつの黒い物体。先輩に言われた通り、全員が驚いて一斉にあとずさった。
「試験官、桃山先生のおみ足からだあーっ!!」
「……っぎゃ~~~~~~っ!!」
桃山先生は年配の枯れた男の人。一年前の桃山先生と格闘でもしてきたのか、先輩の手には黒いビジネスシューズが握られていた。みんなが驚いたのは見た目ではなく、強烈には漂う悪臭だ。
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てて逃げまどう後輩達へ、先輩はじりじりと距離を縮めて楽しんでいた。が、突然。
ズパパーンッ!!
二連発の物凄い音がして、悪の怪人の動きが止まった。見ると、桃山先生のシューズは背後から現れた合紅先生の手に渡り、交差しながら先輩の後頭部を駆け抜けて行ったところだった。匂いと痛みのダブルパンチ。お見事な二刀流。
そのまま合紅先生は先輩の首をしめつつ、げんこつでぐりぐり頭をいびりながら、廊下を引きずり去ってしまった。
「うーん、さすがはアイコちゃん……」
みんなが唸る中、高広先輩の「いてーよー、いてーよー」という声だけが力なくこだまして遠ざかる。先輩の追試担当は合紅先生らしい。いい加減腹に据え兼ねているのだろう。
愉快な嵐はあっさり過ぎ去り、ギャラリーもバラバラと散ってゆく。俺だけが取り残されたように教室の入口で立ち尽くしていた。
「結局、何だったんだ……?」
本来の高広先輩の目的が謎に終わり、ヒントを頼りに隣の教室へと視線を送ってみた。
「棗が、どうかしたのか……?」
可愛い女の子からの手作り料理のプレゼント。男なら誰だって一度は夢に見るもんだ。
……まあ可愛いはこの際譲歩するにして。それでもやっぱり悪い気はしない。
「家庭科でカップケーキ作りました。食べて♪」
同日の移動教室の廊下。上目遣いでちょっと首を傾げたいつもの笑顔が、リボンのついた小さな包みを両手に乗せて差し出してきた。思わず口元が緩んでしまう。
「……お前が作ったのかよ?ちゃんと食えんのかな」
「ひっどー!食べられるに決まってるでしょ!すっごくおいしいんだからー」
平常心、平常心と唱えながらも内心わくわくで包みを開いた。……撃沈!
「カップケーキ……計量カップ、ケーキ……」
銀の輝きと色気のない調理用の目盛りが俺の淡い夢をしたたかにぶち壊してしまった。入れ物に何を使ってやがるんだよ……。
「や、カップ忘れちゃってさー!調理室から拝借してきちゃいました。あははっ」
それにしたってもう少しどうにかしてきて欲しいもんだ。耐熱温度三百度、何だこの計量カップ。何やら出来の方も疑わしくなってきた。
「……毒味はしたんだろうな?」
壁に寄りかかって脱力しながら、それでも一口食べてみる。
「お、うまい!」
「でしょー!?」
ナゼダ!?
「見た目と味なんて関係ないもん。でも面白いからさ、今度一口ケーキって事で計量スプーンででも作ろうかってみんなと話してて……」
「やめとけ、アホらしい」
ぼそぼそとかじりながら、浮かれて喋りまくる棗の様子をさり気なく観察してみる。特に変わったところはない。高広先輩がわざわざ訪ねて来たから何事かとも思ったが、別に何か問題があったなどという訳でもなさそうだ。
「そういやさ、今日……」
先輩の話を持ち出そうとした瞬間、声が出せなくなってしまった。同時に扉を開けた五組の教室。間違いなく、頭痛は日増しに悪化している。さっそく女子共がこちらを見ながら何か囁き合っていた。またもや立ち眩みそうになり、とりあえず落としたくない大事な物を隣の友人に預ける事にする。
「わりぃ、またあとで食う……」
「え?ど、どしたの!?」
「いや何でもねぇから、またあとでな」
あまり心配させたくはないので無理やり笑顔を作り、そのまま席へついた。と同時に号令がかかって授業が始まる。棗も最初こちらを気にしてはいたが、担任に説明中は前を向くよう注意されてから視線はこなくなった。 頭痛の原因に身に覚えは全くない。普段の体調は至って健康だった。
……でも、ただ一つだけ。実はずっと不安な要素があったのだ。それは「まさか」ではなく「嫌だ」という思いによって否定し続けられた、自分とは全く無縁と信じ切っていた特別な症例。本当は心配させたくなかったというよりも、はっきりさせるのが怖かったんだと思う。しかし、答えがそれだと考えれば全てつじつまが合ってしまうのだ。他人にしてみればやっぱり名誉な事なんだろうか。だけれど、今の自分にはタイムオーバーへのカウントダウンにしか聞こえない。認めたくはなかった。
ここには、棗がいるから……。
引き続き本日の授業も針と糸が使われている。昨日の今日で担任の目も厳しく、静かに実習は行われていた。残念な事に環境とは関係のないこの痛みは、俺のやる気など見事に削いでしまっている。グラグラと椅子を揺らしながら頭上で教材を動かしていた。
針穴に糸を通し、輪を作ったらもう一回通す。三回、四回……。ゼンマイ状になった先で宙に『なつめ』の糸文字を書いた。教室に入った時からの慢性的な痛みは、細かいコントロールに使う神経と連動してはいない。
(やっぱり力の暴走じゃないな……)
ならば認めたくない結論にまた一歩近づいてしまった事になる。重い気分で呟いた。
「予兆…………」
せめてあと半年、学年が変わる四月まで、何とか騙し騙しもたせる事ができれば……。
ところが、そんな考えは甘い、と誰かに怒鳴られたようなタイミングだった。また突然に頭痛の波がパワーアップして、仮定の正しさを証明するかのような嘲笑が耳に入ってきたのだ。
「やだー。小路さんの机、臭~い!」
朱門の取り巻きである一人の女子が、小さくではあるが教室中に聞こえるくらいの声で嫌がらせのネタを作り始める。
「ほえ……?」
今回棗は必要な道具だけ持つと、教室の隅に自ら移動して静かに活動していた筈なのに。わざわざ攻撃をしかけて優越感を味わおうとする行為が、俺の胃にまで影響してきりきりと痛み出す。先ほどまで棗が座っていた席に、数人の女子が群がってはまた訳の分からない悪口を言い合っていた。
「何か腐った物でも持ってんじゃない?」
「ほらこれよ!今日二組調理実習だったじゃない。多分カップケーキ」
「うわー、何か変な物入れたとか?」
うっとうしい事この上ないが、珍しく棗も相手にせず放置しているものだから俺もあえて口を出さなかった。それどころではなくなっていたのも事実。保健室で鎮痛剤を貰えば少しは楽になるだろうか?そう思いついた時。
「さっき夏目君に食べさせてたわよ。あーあ、可哀想に!」
突然、後頭部を物凄い衝撃が襲った。力一杯岩で殴られたような激痛。机に突っ伏しそうになって、頭を抱え込んでしまう。今までの痛みの比ではない。あまりの急激な変化に、硬直したまましばらく残された余韻を味わう。
(……いきなり何だ?何々だ、この衝撃は……!?)
だがやがて波は小さくなって、また緩やかな頭痛へと変わっていった。声もなく脂汗を垂らしていると、さっきまで反応していなかった棗の参戦宣言が耳を通り抜けていく。敵陣には男子の援軍が加わった。
「あははー、あたしのおいし~いケーキは特別製だから防腐剤なしでも十年はもつの!一時間くらいで腐る訳ないっしょー!」
「んな訳ねーだろ!てか十年物のゴミ夏目に食わせたのかよ!?腹壊すぜあいつ!」
恐る恐る耳を通していた声に重なってまた突然の巨岩再来。頭蓋骨が叩き壊されるような勢いに、血の気を引かせて俺はやっと事の重大さを知った。
(まずい、これは尋常じゃない……!)
来年まで騙し騙しなんてとんでもないぞ、今この時間ですら無事でいられる自信がなくなってきた……。
顔を上げるとみんなの視線はくせ毛の少女に集中していて、棗も後ろを向いているから、こちらには気づいていない。助けを呼ぼうにも声が出なかった。
……この痛み、確かにみんなのセリフと連動している。そこまでは推測済みであったが、ならばこの突然の激しさは?
(……もしかして、俺の事を話しているからなのか……?)
みんなの『悪意』がこちらに向いたから。この教室中を渦巻く、全員の悪意が……!!
「ムリヤリ食わせたんだろ?」
「夏目が死んだらお前のせいだぜー!」
「おーいおいおい、光二を勝手に殺すなよ!」
「夏目君も災難ね」
「毒入りじゃねーのかあ?」
「そうかもよ、だってほら……」
一人の女子が言いながらこちらを指差した、気がする……。
「夏目君具合悪そう」
「……え?」
大きな音を立てて椅子が倒れた。握りしめていた机の上の教科書類が床に落ちる。わっと教室中が大騒ぎになって、最後に見たのは駆け寄る棗と、その後ろの驚いた朱門の表情。すぐに何も考えられなくなり、そのあとは記憶にない。
「先生、先生ー!」
「夏目っ!」
「うわ、頭打ったんじゃないか!?」
「誰か……、保健委員!保健室に……!」
「光二っ!?光二!!光二ーっ…………」
「…………………!」
ふわりと俺の顔に誰かの髪が当たった。その柔らかい軽さは少しだけ俺の痛みを持っていってくれた気がする。
きっと、今そばに棗がいるんだ……。
『発現』。
薄闇の中で俺はその言葉をひたすら繰り返していた。何度も何度も、諦めるように。闇を切り取る四角い光が近づいてくる。あれは……壁に貼られた成績表……?
「朱門!」
じっと見つめるボブの後ろ姿に、俺は声をかけた。
「すげーな、あんたがここまで教えたんだろ?あいつドン尻だったってーのに」
朱門は静かに佇んで何も答えない。
「あんたの教え方がうまいって、喜んでたぜ」
「そう……かしら?」
謙遜と取った俺は、まだ笑顔を返している。その後ろから棗が駆け寄って来た。
「あ、見て見て朱門さん!あたし成績上がったよー!」
棗の成績はドン底だった。棗に勉強を教えたのは朱門だった。しかし朱門が感じた、そのバランスの理不尽さが表面化した時も、俺はただただ唖然として見守る事しかできなかったのだ。
次席の座を奪い取った人物に朱門は顔を向けた。それは一瞬だったので棗は気がつかなかったようだが、俺は見てしまっていた。振り返った彼女の形相を。
舌打ちでも聞こえそうな歪んだ口元、美しい鼻筋に力みで深く刻まれた皺、言葉を失わせるに充分な憎悪に満ち溢れた炎の両眼。
棗の成績に心底驚いたのは朱門だったに違いない。決してここまで上がる筈はない、そんな確信の元に親切な協力を申し出たのだから。
自分の『いい人』アピールが裏目に出、馬鹿にしていた者に追い越された現状。プライドの高い人間に許せる筈もない。
壁に貼られた成績表は多分彼女の中の人格レベル表。
朱門は最初から棗を見下し、自分の為の小道具として扱っていたのだ……。
ガバリと起き上がった所は、教室ではなかった。ベッドに寝ていたので保健室かとも思ったが、見慣れた小物類で居場所が判明する。
「寮の……、俺の部屋か」
ひとまずはあの痛みと無縁な場所らしい。ほっとして肩の力を抜いた。倒れたのは覚えているがそのあとの事は分からない。
「みんなびっくりしただろうなあ……」
「棗ちゃん、ボロ泣きで心配してたぜ」
「うわっ、びびったあ!」
独り言に返事があったので、思わず飛び上がりそうになってしまう。ベッドのすぐ脇の椅子に高広先輩が座っていたのだ。洗面器にタオル。どうやら看病してくれていたらしい。
「何だっけなあ、えーとカップケーキがどうとか……」
「カップケーキィ……??」
………あんの馬鹿。それは関係ないってーのに。自分が原因だと本気で思っていたのか。
あ。そういやあいつ、席移動が許されてからも俺の所に来なかったな。……もしかして、突き返されたと思ったとか?更にはみんなのセリフでむちゃくちゃ不安になりやがったな。おいおい全く、何でお前があんなくだらない悪口を一番信じちまってるんだよ。ほんっとお馬鹿な奴なんだから……。
この推測は多分当たっているだろう。棗らしさに苦笑しつつも、その前に割り出したもう一つの推測に、俺は考えを巡らさざるを得なかった。大きく溜め息を吐く。
「……『悪意』か……」
「あ、何だって?」
今回の一件ではっきりしたと言えるだろう。これ以上意地を張っても、回りに迷惑がかかるだけとなってしまう。
けれど、認めるという事は棗を見離す事に他ならない。罪悪感に打ちのめされながら俺はひたすら後悔した。こんな状態になる前に何かしてやれば良かった……。
落ち込みモードに入る直前横を向くと、先輩が置いてけぼりを食らったような顔をしていたので慌てて頭をさすりながら笑顔を向けた。
「頭、大丈夫かよ?」
「アホみたいに言わんでください」
「倒れた時打ったんだろ?」
「……平気っスよ」
真剣に心配されてしまい、俺はそっぽを向きながら答えた。
少々疑わし気な顔の先輩ではあったが、元気そうなのを確認するとにんまり笑って俺に重大な報せを伝えてきた。
「ちなみに夕食の時間は終わった!」
「げげ」
先輩が「一食くらい抜いても平気だろ」といった表情で楽しそうにイジメへと走る。参ったな、そんなに長い時間眠っていたのか俺は。まあ食欲もないから大して問題はないけれど。それよりも、明日の為に聞いておきたい重要な話があった。
「先輩」
「お前の分を誰が食ったかは言いっこナッシング!」
「いやあの……、高広先輩」
両手でバッテンを作ってあとずさるのを何とか引き止め、俺の飯をもちろん喜んでむさぼったりはしないと言い張りたいらしい信頼のおける先輩殿に相談を持ちかけた。
「教師ってみんなホワイトかレッド上がりですよね。ちょっと相談したい事があるんですけど、ホワイトで誰かいい先生って知りません?」
「何だよいきなり。お前カウンセリングでも受けたいの?」
「いえ、……というかできれば能力的な方面でも」
何人かは自分でも知っている。だがこのナーバスな時期、できれば一番相性の良さそうな人を選びたかった。
叱られ尽くして教師にも顔の広い先輩が、頭をかきつつその中で好みの対応をしてくれた人物をピックアップし出す。
「……んーと、アイコちゃんはレッドだし……。あ、そーだ。テレパシストの第一人者っていやあ緑川先生だろ。ほら、よく保健室でサボってるのほほーんとした人!あの人は?」
緑川先生……?ああ、思い出した。あのホントにのほほんとした、カウンセラーとしても生徒からの指名率が高い……。
常に笑顔の人、緑川先生は女性的な穏やかさがウリとなっている。だがれっきとした男の先生だ。たまに怒る事もあるようだが、聞いた話によると笑顔のままで怒るらしいので実はあなどれない人として密かに生徒達から恐れられていたりもする。容姿は合紅先生と同じくらいの二十代半ば……に見えるが、はっきり言って年齢不詳。緑川先生の方がずっと年上らしい。女子に言わせると『おちゃめ』な先生で、パワーロックのかけ忘れナンバーワンとしても有名だった。他の事には意外と抜けているところはないらしいが。
「マル……、ナミ……、サンカク……」
翌日俺は緊張の面持ちながら、さっそく頭痛の原因を緑川先生に確かめて貰いに行った。やっぱりしっかり保健室でサボっていた先生は、俺から事情を聞くとロックを外して机の前についたてを置く。俺達は向かい合って座り、先生がこちらには見えない位置でカードを一枚一枚手にしていった。これは透視力のテストカードなのだが、今回のような場合にも度々使われるのだ。
「マル……、ホシ……」
ある程度試されたところで、緑川先生は一息ついた。そしてこちらを見てにっこりと笑う。
(はい、終了。光二君OK!全問正解だよ)
「ほ、本当ですか!?」
椅子を押しのけ思わず立ち上がった俺に、奇妙な感覚がよぎった。先生の声は耳から入ったものではなかったのだ。
「あ、今の……もしかして……」
「うん、ちゃんと聞こえたみたいだね。これで確実。受信する側にも能力がないと聞こえないんだ」
緑川先生は壁に近づくと、珍しくロックをかけ忘れずにカードキーを操作ボードへ差し込んだ。
実感が湧かない。身近な人物では高広先輩がいるけれど、自分の可能性などあまり考えた事はなかった。俺にも、そんな能力があったなんて。
「そうだなあ。まあ何だかんだで一週間くらいはかかるけれど……」
俺は聞きたくなかったその先の言葉を、立ち尽くしたままでじっと待つ。欲しくはなかった特別な才能。なぜ今頃になってから発現したのか。
「とにかく君は来週から、サイコキネシスの『ブルー』とテレパスの『ホワイト』、二色持ちの……『ダブル』だよ」
第四章 ダブルカラー
渡り廊下を歩きながら、窓から吹き込む秋風で心を落ち着かせてみる。グレーの曇り空が無感動さに拍車をかけ、もう何も考えたくない気分だった。
『ダブル』……異種の能力を同時に二つ持つ生徒。三つなら『トリプル』。過去には全カラー所持の『オール』なんてのもいたらしい。羨望の眼差しを向けられる立場かもしれないが、本人の心境がここまで複雑なものだとは初めて知った。妬む者だっているだろうし、ロックを外された時のパワーバランスもこれまで以上に細心の注意が必要となってくる。精神に直接働きかけるテレパスならなおさらの事。
頭痛も根本的な解決には至らず、緑川先生も様子見の方向へ持っていってしまった。
「悪意を受信してしまう?」
保健室という事で一応頭痛薬も渡されながら、俺は相談を持ちかけた。
「……いじめにでもあっているのかい、君は?」
緑川先生は軽く眉間に皺を寄せて聞き返してきた。が、「ほんとかい?」と言いたげな表情が伺えたのには軽い抵抗を覚えた。俺って奴はそこまでふてぶてしく見えるんだろうか。
「いえ、そういう訳ではないんですけど……。どうにも反応が過敏で」
「うーん、…………困ったな」
いじめになどあっていなくても悪意をカケラも持たない人間は意外と少ない。ほとんどが無意識な状態だから、本人も自覚すらしていない時だってある。能力抑制アイテムを使えば頭痛は抑えられるが、ブルーの力にも影響してしまうし。
「そうだなあ、あまりひどいようならカラー授業は休んでもいいけど……。まあその為にも、ダブルの授業は一般の生徒達とカリキュラムが違うんだよ」
そういえば、ブッ倒れた事言うの忘れたな。とりあえず鎮痛剤でどこまで耐えられるか試してみるか。
廊下を渡りきって角を曲がった時、逆の方向から大慌てで走り寄ってくる者がいた。
「光二ー!!」
俺はゆっくり振り返る。今まで探し回ってくれていたのか、くせ毛を乱して半べそ状態になっていた。近づいてくる真っ直ぐな瞳に、緑川先生の最後の言葉が重なってきた。
「……大丈夫、来週にはグループ替えだよ。ブルーとホワイトのダブルは今のところ君だけだから個人授業になるしね。もう教室へ行く必要もない」
あんな所に、棗を一人残して去らねばならないのか……。
彼女は飛びつきそうな勢いで俺の所まで辿り着くと、体を折り曲げ息を整える。そして俺の服を力一杯掴み上げ、これまた力一杯の心配をしてくれたのだった。
「光二!お腹大丈夫ーっ!?」
「……って、だから違う!!腹じゃなくて頭だ頭!」
説明不足のままだったので棗も勘違いのままだったらしい。とりあえずケーキが原因ではなかった事を知ると、ようやく服を離して俺の顔をまじまじと見上げてきた。
「……悪くなったの?」
「学年トップに何抜かす!」
ぽっこん、と持っていた本の端で頭を軽く小突く。二言目はそれかい。このまま割って中身覗いてみたくなるわ。
とにかく詳しい話はあとにして、頭痛の事だけは伝えておいた。前々からの症状だったので理解はしてくれたが、昨日の事もあってか、やはりまだどこか不安そうだ。
「もう平気だって。昨日はちょっと寝不足だったんだよ。おかげでゆっくり眠れたさ」
「……そっか、良かったー」
ほっとした笑顔ももうすぐ見納め。無言のまま先を行く俺の後ろから、棗が話題を変えてきた。
「あ、今日カラー授業の先生風邪でお休みだって」
「ふーん。じゃあ自習かな?」
ロックを外す時は必ず教師がつき添う規則だからこれは冗談なんだけれど。仮に自習だとしても、あの教室ではあまり気楽とも言えない。
それにしても、本当に風邪かな?担任もホワイトだから、もしかしたら心労じゃないだろうか。教師もロックを外せば能力者だ。あの悪意を感じ取っていたのなら、有り得ない事でもない。
これから俺もそんな気苦労が増す事になるんだなあ。学ぶ事が沢山出てくる筈だ。やらなければいけない事だって。
棗を置いてブルーの教室をあとにする俺には、残された短い時間の中で一体何ができるだろうか。こんな時期になぜ俺はダブルなんかになってしまったんだ?
……いや、時期なんて関係ない。何ができるかなんて事自体、思い上がった考え方なんだ。今まで俺が助けてやれた時なんてあったか?棗の強さに頼り切って、甘えていただけの自分が思い起こされる。情けない。負けじと頑張る棗の横で、俺はあまりにも非力だったじゃあないか……。
「……と、言う訳で」
ざわざわと浮かれた雰囲気を代任の先生が威圧する。隣の教室からすでに出発した筈の高広先輩は、今頃一年前の世界で戦利品の選別をしている事だろう。
「今日の授業は俺が受け持つ。……合紅先生と呼べいっ!」
一喝されて、アイコちゃんだアイコちゃんだと騒ぎ立てていた生徒達が一斉に笑い出した。ダブルデューティ。今日の合紅先生は高広先輩と俺達の監督、『二役を務め』ているらしい。少しせわしない気もするが、多分先輩が一度行ったらなかなか戻って来ないせいだろう。いらいらしながら待つよりも、俺達の世話で息抜きした方がずっと健康的だ。先輩の相手をするのは相当神経をすり減らしそうだしな。
「昨日と同じく危険物の取扱いだが、今日使うのはこれだ」
数枚のボール紙とカッターが配られた。切る時に縦と横では力加減を変えなければならないので多少難儀する代物。練習には持ってこいだった。要するに本日の課題はパワーを使った工作なのだ。
棗はやはり奥へと引っ込んで行った。代任の先生にまで迷惑をかけたくないのか、あるいは単に怒られたら怖いというだけかもしれないが、おとなしく隅でボール紙を刻んでいた。
そしてまた俺の頭痛も徐々に活動を開始する。
「あんなスミッコでやってるよ」
「わざとらしー」
「何作っても笑ってやろうね!」
敵が無反応なのをいい事に、攻撃の相談を堂々と始める女子達。一番興味を示したい筈の人物は、クールに無関心を装っている。
朱門はあえて何もしない。放っておいても、回りが勝手に自分の気に入らない相手を攻撃してくれるからだ。止められるのに止めない事が主犯格の証拠となっているのに。
(いい加減にしろよな、お前等……)
鎮痛剤は服用済み。だが効果はなさそうだった。やはり休むべきだったろうか?
……いいや、もうそんな逃げは許されないところまで来ているんだ。
それにテレパスと知らなかったから無防備だっただけで、分かればある程度の対処もできる。力の集中はブルーと一緒。やり方がさっぱり分からないからコントロールとまではいかないが。
それにしても棗は……。
俺は途切れる事のなかった笑顔を思い起こし、また後悔の沼に沈み出した。
(こんな『痛い』思いをしていたんだな……)
俺がいちいち唸っている不快感を、事もなげに乗り越えて。彼女の痛みを知った今ですら何の役にも立てず、棗の強さの前でただ足手まといとなっている自分が恨めしかった。輝かしい筈のダブルは、俺にとって無能さの告発にも等しい……。
光が陰り、やる気なく頭上で組んでいた両腕の横に人の気配が感じられた。
「夏目」
「ほえーい」
「調子はどうだ?」
やはり合紅先生が、腕を組んだ姿勢でそこに立っていた。
このアイコちゃん、もとい合紅先生は眼鏡越しのつり目が非常に厳しそうな印象を与えるが、……本当に厳しい。何事もきっちりこなすタイプで真面目一筋人間。規則を破った者にはしっかり罰を受けさせるし、屁理屈などこねようものなら途端にオーラが変わってくる。ところがこれが長所ともなって、責任感や面倒見にも一本気な為に、生徒の評判は畏怖を伴いつつも、意外と悪くはなかったりする。叱られるような事さえしなければきちんと優しく接してくれるので、昨日の事を聞いているなら必ず声をかけてくると思っていた。
「昨日倒れたそうじゃないか」
「俺は平気っスよー」
あえて平静さを装いつつ軽く答える。
「頭痛してたって……こんくらいは、ね」
言いながらカッターをなめらかにざりざりと動かす。ボール紙に『あいこちゃん』の文字が綺麗にくり抜かれていった。
「さすがだな……」
怒るとも呆れるともつかない表情で合紅先生が感嘆のため息を洩らした。そういやあ、レッドっていろんな種類があるんだっけな。
「合紅先生」
「ん?」
「レッドって『その他補助的能力』ってヤツですよね」
「ああ」
壁際からみんなの活動を眺めながらスパルタ教師はちゃんと俺の会話につき合ってくれていた。しかし背後で腕組みして立っていられると迫力倍増、何やら不動明王の像でも背負っているような気分だ。
「先生の能力って何?」
「ん、……ああ、俺自身に力はないんだ」
「は?」
「アンプだよ。いわば能力増幅器」
「はあ~、なるほど」
他人がいなければただの人。なかなかに珍しい能力だが、先生は大して興味もなさそうに答えた。頭の中では誰かさんの動向が気になって仕方がないに違いない。
ひそひそ話が流れて神経が逆撫でされる。どれ、棗の方は……。
ボール紙を回転看板風に回しながら、ちらりと隅に目をやった。こちらに背を向け一人で座っており、相変わらずおとなしい。無言の背中に声をかける勇気は出なかった。
その時、気が緩んだせいかうっかりボール紙の幅を失念してしまい、暗闇と共に『あいこちゃん』型の光が顔に強襲、びたんっと鼻が潰されたところで回転も止まった。これはさすがに情けない……。
「だ、大丈夫かあ、夏目ー」
間抜けな事故に明らかに笑いをこらえて震えている先生がボール紙をよけてくれた。
「はあー……」
合紅先生と初めてまともに会話をして、与えた印象が『あんぽん』じゃああまりにも恰好がつかない。恥で放心している俺を励ますかのように先生が俺の肩を叩いてきた。笑いすぎですって。優しいんだか冷たいんだかよく分からないな。
だがその手が触れた瞬間、頭をよぎったのは「しまった」の一言だった。大音響がうねりを巻いて俺を飲み込み、狂気の渦へ引きずり込んだのだ。
「夏目?」
ガツンと大きく世界が揺れた。巨大な感覚が恐怖を伴って襲いかかり、汗がざっと流れ出る。彼が腕を組んでいた理由が今やっと分かった。
(やべぇ、アイコちゃんには俺のダブル言っておくべきだった……!)
異変に気づいた先生が、体を揺らしてくる。掴まれた肩から流れ込む力が、ホワイトの受信能力を最大限にまで引っ張り上げていた。
アンプ…………!!
「夏目!!」
逃げるように椅子からずり落ちる。しかし何も知らされていない先生が、態勢を崩した俺の腕をまた掴み上げてしまった。
「え、何?」
「また夏目君!?」
ただならぬ雰囲気に気づいて、他の生徒達も騒ぎ出す。棗が驚いて大声を上げた。
「……光二っ!?」
ところがその声が耳に届いた途端、不思議な事に荒れ狂っていた強烈な嵐がスッと消えてなくなったのだ。視界に光が戻って血の流れがじわじわと変わってゆく。痛みはマックスからミニマムへ移り、体は楽になっていった。
力が出せずに崩れ落ちたところを合紅先生が受け止める。俺は霞む目で天井を見つめながら、荒くなった呼吸の間隔を広げようと一生懸命努力していた。
「うわー、すげー汗!」
「うそー……」
しばらくすると、いつもの軽い慢性頭痛の再来を確認できるほどには落ち着いてきて、何とか声も出せそうになる。合紅先生が俺を支えたまま立ち上がった。
「歩けるか?このまま保健室へ……」
「せっせ……、手ぇ離し……」
必死の思いで頼んでみるが、途切れ途切れの喋りとふらついた体ではその必要性が全く伝わらない。流されつつ一歩を踏み出すと、回りの連中が机をどけて道を開けてくれた。ありがたい事だったが頭痛の原因に助けられるのも複雑すぎて混乱する。
とにかく、今は言われた通りにここを出るしかなかった。ロックのかかった廊下なら説明だってできる筈だ。そのあと制御アイテムでも何でもいいから使って、何とか授業に参加させて貰おう。
二歩目を踏み出した時、心配する棗の視線が背中に感じられた。全員が俺に注目しているのが分かった。みんな心配してくれているのだ。
……だが、その中でただ一人だけ。獲物を狙う鷹のように別の人物を凝視する者がいた。彼女はこんなチャンスがくる時をずっと待っていたのだ。
朱門はさり気なく棗の横に移動すると、クールな仮面を貼りつかせながら静かに爆弾を投じる。しんとなった教室の中で小さく。しかし効果は絶大だった。
「……小路さん、あなたまた夏目君に何か食べさせたの?」
目を丸くした棗はそのまま言葉を失った。
嵐が再来する。
「いっ、夏目!平気か!?」
合紅先生の肩に爪を立てながら感電したように俺は体を硬直させた。怒涛の津波に背中から襲われた感じだ。頭の中は雷光が閃き、轟音が鼓膜を痛めつける。精神の安定を計ろうにもそれどころではない。激しさはどんどんと増していくのだ。
「うそっ、また小路さん!?」
「小路がまた何かやったのかよ!?」
「うわーっ、こえー!」
気を狂わすような不快さの汚泥が物凄い勢いで頭から体の中へと溜まっていく。理性の決壊ラインが警告音を発し始めた。やめろ……!やめてくれ!!
「あんた夏目君を殺す気!?」
「いー加減にしろよな!!」
「早く何とかしてあげなさいよ!あんたが原因なんでしょう!?」
「なっ…………」
「静かに……、みんな黙れっ!!」
棗の顔が、今度こそはっきりと歪んでいくのが分かった。涙を一杯に溜めている。彼女は何も言い返せずに、言われるがままの状態で立ち尽くしていた。
なぜこんな事になったんだ?……だめだ、もう何も考えられない。頼むからみんなやめてくれ!……こんな時くらい……、みんなを止めてくれよ、リーダー!!
「しゅも……」
薄目を開けた先に朱門の横顔が見えた。こちらを全く見ていない。食いつきそうな姿勢で棗に向かい、非難を浴びせる集団の後ろで…………薄笑いを浮かべていた。
その光景が俺の両眼に強烈な熱でもって焼きついた時、頭の中で何かが弾け飛んだ。蒼白い顔に血の気が上昇して、感情が思考と感覚を完全に飲み込む。意識が飛んで視界も閉ざされ、痛みも、嵐も、もう感じない。怒りのみが肉体と精神を支配して、最大級のパワーを漲らせた。
時空がみしりと音を立てていたかもしれない。異変が始まった。
騒ぎに気を取られていたみんなは、教室中に力が働いた事に気がつかなかった。机の上がカタカタと音を立てて動き出す。何より、俺自身が気づいていなかった。
火をつけた憎悪の対象が再び口を開く。
「きっと今小路さんが……」
朱門はとうとうポーカーフェイスをやめた。心から楽しげに、棗への攻撃を煽動し始めたのだ。
「サイコキネシスで彼の脳みそを握り潰しているんだわ!!」
その時、棗に文句を叫んでいた女子の一人が、髪の毛の端を持ち上げられて後ろを振り向いた。浮き上がった物体に軽く引っかかっていたのだ。
「……え?……」
キチキチと嫌な音を響かせて、教室中のカッターがひとりでに刃を伸ばす。小さく上げられた悲鳴に他数名が気づき、連鎖反応と空中に浮いた刃物の数で、全員が顔を上げて恐怖に顔を強張らせた。
「て……、てめーら…………」
低い唸り声に、誰が何を起こしているのか瞬時に判断されたらしい。今度は俺に視線が集まった。それは進路が定まった危険物の檻の中、唯一この事態を把握していなかった者。
優越感という欲の為だけに人を傷つけて喜ぶ人間達など、もう関わる事すら我慢できない!
俺の苦渋がみんなへ伝わりきる直前、溢れ出した不快感への拒絶がとうとう遂行されてしまった。
「……てめーらっ!いい加減にしやがれぇーっ!!」
怒鳴り声と共に狂気の轟音と悪夢のような恐慌がその場にいた全員に例外なく降り注いだ。頭の中の嵐が現実となって吹き出す。ありったけのカッターが、痛みの源に向かって発射され強行突破を計ったのだ。耳をつんざく悲鳴が上がり、全員が一斉に頭を庇う。倒される机、物が落ちる音に足音も重なって、教室中が大パニックを引き起こした。
他人に向けた痛みが自分達に返ってくる事すら気づく事も、認める事もできなかった、その報復が爆発し、更に誘爆を生じてヒステリックに時空を攪乱させる。
(何がリーダーだ!何が優劣だ!よくも棗を……!棗、棗、なつめ…………!!)
恐怖の流星群となった大量のきらめきが接近した時、朱門は初めて俺のいきどおりを知ったかもしれない。だがパワー全開で宙を走ったカッターの方が、朱門の後悔よりも早かった。この中で俺を含め、現実を正しく受け入れられていた者が果たしていたかどうか、もうそれを考える為の後戻りすら許される事はできなかった。
不毛な感情は押し流す。判断も未来も瞬時に。あとに残るのは巨大な失望感と、……焼け野原となった荒野。ああ、ここから自分はたった一人で全てを築き上げていかねばならないのかと。なぜそのもっと手前で踏みとどまる事ができなかったのか。そこまでなにもかも壊さないとそんな簡単な事すら理解できない、人間とはいかなる意味を持っているのか……。
全ての人間が絶望の淵から突き落とされたかに思えた頃、短いようで長い時間に感じられていた恐怖という苦しみが徐々に音を減らしてゆき、無に近しくなったところでようやく終結の地へと辿り着く。動く物も、動ける者も皆無となっていた。
……最初に新しい音を立てたのはこの俺。机の上にどさりともたれかかり、汗塗れの体を荒い息で包んでいた。力が出ない。
異様な脱力感。全ての力が肩から抜けていく感じだった。
これは……?
(合紅先生がパワーを吸い取っているのか…!?)
そうだ、アンプなら力を巨大化させる能力ともう一つ、逆に力をゼロ近くまで引き下げる能力がある。ホワイトの事は知らなくとも、ブルーの力の暴発を防ぐ事ならできる筈、そんな咄嗟の判断だったのだ。そこまで考えて、初めて俺がこの騒動の張本人である事に気がついた。
先生までもが息を荒くしながら、全員の安否を確認する。
「…………みんな、無事か…………?」
その言葉を聞いて、机に伏せていた俺はぎくりとして息を飲む。
……俺は今、一体何をやった?
気配はある。だが、誰も返事をしない。何人かが小さく「あっ」と声を上げた。心臓が早鐘を打つ中で、恐る恐る顔を上げる。
消失点に向けられ、宙に浮いたままとなった大量のカッター。そんな静止画像が視界一杯に広がってきた。赤い色は見当たらない。怪我はとりあえず誰にもなさそうである。慣性がかかった分は本人が止めたのだろう。俺に悪意の頭痛を与え続けていた、愚かな犯人が……。
刃物の流線を近い方から追っていくと、朱門の姿が見えてきた。破れたクールな仮面から覗く無責任な逃避の本能。恐怖に引きつる表情は自業自得とは言いがたいほどあまりにも哀れだった。
しかし驚く事にその位置は、カッターの目指した中心ではなかったのだ。朱門の脅えた目は、流線の先へと向けられている。
「え…………?」
大量の刃に囲まれて、両手で身を庇った人影が小さく震えていた。指の間から大きく見開かれた両目が、脅えながらこちらを見つめている。俺は悪意の頭痛の犯人を、愕然として眺めやった。現実感を伴わないほどその光景は信じがたい事実だったのだ。
「な…………」
乾いた口がぎこちなくその名を呼んだ。
「……な……つめ…………?」
教室中の視線もおどおどと集まる。俺達の関係を表面的にしか知らない連中はまた懐疑心を燃やしているのだろう。やっぱり人とは信じられないものなのだと。
だがそんな弁明は二の次で、俺は状況分析に戸惑っていた。無意識に飛ばした刃先は、確かに痛みの発信源に向かって突進した筈だ。なぜ、棗がそこにいる!?
「こぅ……じ…………」
棗の目に溜まっていた涙が、瞬間移動したかのごとく同時に俺の目からも流れ落ちる。辛すぎて涙が出たのだと思った。棗が俺に悪意を?俺はやっぱり、迷惑だったのか?
「ど……して……?」
被害者が弱々しい声で俺を責め立ててきた。……どうして?それは俺が聞きたい。……涙が止まらない。この感情は何だ?頼みの綱を切られたような、絶望的な孤独感は。どんな棗であろうと俺は裏切られたなんて思わないのに、これは一体……?
「あたしは……、やっぱり……」
棗の言葉に連動して、心臓が二回苦しくなる。そして最後の言葉に、今度は頭痛ではなく最大級の悲壮感が俺の心を縛り上げた。
「……邪魔だった…………?」
俺は耳を疑った。……何を、何を言っているんだ、棗は!?
俺がずっと不安に思っていた筈のセリフが、そのまま返ってきたのだ。驚愕のまま心と体の混濁を味わう。
涙が……。心臓が……。
………………!!
……ちょっと待て。
……待てよ?
違和感がある。感じる何かが微妙にズレている。これは、これは本当に俺の感情か?
そして、頭痛の原因は……本当に『悪意』だったのか?
だとするとこれは……。
これは、もしかして……!!
突如はっと覚醒した。憶測が集束されそうだったが、誰かの助けがないとまとまらない。俺は。俺達は……!!
状況が掴めずに身動きできなくなっていた集団の中、操り主の力が及ばなくなったカッターが一斉に床へと降り注いだ。
その場で理解に及んだ者は一人もいない。奇怪な事件はその場の全員に奇妙な謎を残したままでひとまずは幕を閉じた。
この一週間後、俺は正式に『ダブル』となる。
小路棗と一緒に……。
第五章 ダブルハッピー
「マル!」
「ブブーっ」
「サンカク……?」
「えーい、覗くな!」
ロックが外れてるのをいい事に、ブルーパワーでついたてを持ち上げる棗。それはズルというものだろう!
「ほらほら合紅先生、これ見てください。面白いですよー!」
横で緑川先生が、俺達の一学期実技テストの結果を興味津々で見比べていた。この人ここにしかいないのか、やっぱり保健室。時は事件翌日の放課後。
「棗君は元々テレパスの潜在能力高かったんですね。ところが光二君は……」
「うーん、ほとんどゼロですな」
実技テストの結果は潜在能力等のパーセンテージまで割り出せるので診断書にもなっているのだ。
「彼女の能力発現に呼応して、パーセンテージ上げちゃったみたいなんです!本当に仲の良い事」
「ナミだあーっ!」
「だから覗くなってーの!!」
ブルーパワーで喧嘩を始めた俺達に、鬼のスパルタ教師がからかうような笑顔で近づいてきた。
「どうだ、お前等?」
「全然ダメっス!」
「せんせぇ~、こんなんでテレパスって言えるんですかあ?」
「言えるんだよ」
はっきり肯定されたものの、心境は苦々しくもダブルプレー。さっぱり正解の出ないカード読みに『併殺』されて、俺達は揃って机に撃沈した。送信も受信もその能力者でないとうまく反応できないのだそうで。緑川先生が楽しそうに実験結果を述べてきた。
「うん。やっぱり光二君は受信のみ、棗君は送信のみのテレパシストだね」
カード読みを一時間ほど粘ってはみたものの、結局俺達の通信が一方通行である事を証明するだけとなってしまった。半人前の新生ダブルは二人で一人前らしい。お互いの顔を見合わせると、浪費した時間を諦めるように力なく笑顔を揃えた。
そんな折、保健室前の廊下では中の様子を伺っている者がいた。小さな体を更に小さくし、そろりと扉に隙間を空ける。顔を近づけて覗こうとした瞬間、中からの退室者に勢い良く扉を開けられ、盛大に転倒してしまった。
「何だ、高広?」
合紅先生が冷ややかに笑って対応をぶちかます。
「俺の足の下へ勝手に入るな」
「いっででででーっ!!」
ダブルアップ。背中を踏まれた高広先輩は悲鳴を上げて『痛みで体を折り曲げ』た。いつもこんな扱いらしい。こちらも非常に仲の良いどつき漫才コンビと言えた。
「堂々と踏むよなー、アイコちゃんて」
「へばりついてるお前が悪い」
高広先輩は少しでも情報を仕入れようとして、スタスタ歩き去る合紅先生のあとを慌てて追った。
「いやー、あれからどうなったかなーと思ってさ!棗ちゃんてブルーの能力もいじめが原因で発現させたって言うし」
ぴたりと先生の歩みが止まる。
「お前、どっからそんな話……?」
眼鏡の奥の眼光と変わりかけたオーラで、高広先輩は焦りまくってあたふたと言い訳を始めた。
「な、何言ってんの!ホラ狭々城山先生にだよ!棗ちゃんて俺と同郷なんだろ?よしみでちょっと昔話なんか……って……そのー」
「狭々城山病院のか。ああ、そういえば先週来ていたな」
納得の合紅先生に先輩はもう一押し、とご機嫌取りで饅頭の箱を背中から取り出した。
「そ、そん時に聞いてさ!ホラ昨日なんかはお土産も貰っちゃったー!だから棗ちゃん達にも分けてやろうと思ってー♪」
「……昨日?」
狭々城山先生は、時々自分の患者だった生徒の様子を見るべく学園へとやってくる。しかし昨日も来たなどという話は聞いていなかった。不審に思い、合紅先生は中身を開けて饅頭を取り出した。箱もしっかり裏返し、念入りに見るべき所を見る。
「……この饅頭、賞味期間切れてるな」
その意味に気づかないにこにこの先輩に、合紅先生はもう一言を付け足してやった。
「一年前に」
「……………………あっ」
ダブルテイク。先輩は五秒ほど『遅れて反応』した。昨日は例の騒動で結果があやふやとなっていたのだ。
今やオーラは完全に豹変し、先輩は引きつった顔のままで奥襟を取られる羽目となる。そして一体何度目の追試なのか、高広先輩は合紅先生にまたしても首を絞められ、戦利品の饅頭を点々と落としながら廊下を引きずられてゆくのだった。合掌。
等愛学園の生徒達はその半数がスカウトによる入学だ。生徒を募る普通の学校とは違っているから、基本的に学園の存在は口外が許されていない。自らの能力から情報を辿ってやって来る者、又は親に連れられて来たり、街などでホワイトやレッドのセンサーにかかって入学の手続きを踏む者なんかもいる。俺や合紅先生がこのタイプだ。他の発掘場所といえば主に、病院の精神科、カウンセラーからの紹介等……。思春期の精神防御手段として力を発現させる者も多かったのだ。
欠けた心の代わりに生み出された特別な力。けれどそんな物は何の癒しにもならない。制御できずにただ悪化を招くだけの結果となる。そういった者達を見つけ出し、心の修復を援助する、等愛学園の教育方針は……。
まず一旦パワーを解放させ、徐々に抑制、そして力の消滅にまで至らせる。最終的には何の力も持たない通常人と同じく、人並みの生活を送らせる事を目的としていた。
……あの時、先輩から話が聞けていれば。あの高広先輩ですら病院からのスカウトだと知る事ができていたら、棗の事ももっと早く気がついてやれたかもしれない。結果的には良い方向へと進んだ訳だが、その間の棗の辛さはなかった事にはならないのだ。
そうなんだ……。
強い棗。いつも明るく笑っていた。
だけれど強いから、笑っているからと言って……。
……傷ついていない訳じゃあ決してなかったんだ……。
小さな傷、大きな傷。本当は言いたかっただろうにどうしても言えなかった思い。それが頭痛という形に変換されて俺の元へ届いた。送信されていたのは『悪意』などではなく、感じ続けた痛みは『悪意を受けた彼女の心の痛み』。
ずっと送信され続けていた、棗のS.O.S.……。
発信者は、言葉にする代わりにテレパスの送信という別の形で痛みを分配していたのだ。誰も受け取る事のないサイキッカー達の中で延々と……。
言葉にせず、誰にも迷惑をかけないよう、彼女は心の嵐を笑顔でしっかりと封印していたのだった。
「……だいたいお前はっ何でもかんでも溜め込みすぎんだよ!俺にくらいは言えってんだ!」
ESPカードを片づけつつキレる俺を、横で緑川先生がはらはらとした様子で伺っていた。しかし先生には申し訳ないのだがこの場はしっかりとキレさせてもらうのだ。ここまで追い詰められながら何も言わないなんて、天然ってだけでは済まされない!
「えー、だあってぇー、光二の顔見るとヤな事全部忘れちゃうんだもーん!」
ふてくされる棗も口調が荒くなっていく。
「俺のせいか!?悪かったなあ、見た瞬間に全て忘れるほどの笑える顔で!」
「そんな事言ってないでしょーっ!」
「な、仲良くね……」
先生はすでに諦めた様子。我関せずといった感じで離れて奥から囁いている。
棗は鼻を鳴らした。これが彼女の言い分。
「それにせっかく楽しい話してるとこに、わざわざヤな事聞かせたくないじゃない!光二までヤな思いする必要ないんだから!」
つんとそっぽを向く棗に思い切り顔を歪めた俺は、かすかに額でブチリと血管の切れる音を聞いた。ほおおお、そーかいそーかい。俺には聞かせたくなかったか。ロックがしっかりかけ忘れていたので、俺は窓際にあったティッシュの箱をパワー全開で叩きつけてやった。
「いってぇーっ!!」
くせ毛頭はパコーンといい音を立てた。だが気が晴れるどころか棗の性格を表すような間の抜けた音が、更にふつふつと怒りを湧き上がらせる。
「こんの~~~………、バッカタレがあッ!!」
「ば、バカって言った方がバカなんだもんっ!」
「やかましいわ!!」
噴き上がる迫力に多少たじろぎながらも棗は大きく言い返す。教室で身につけた防御法は伊達じゃないかもしれないが、今は俺の怒りの方が上回っていた。
「嫌な思いをさせたくなかっただあ?ふざけんなよ!いいか、よーく聞け!!」
「……むー、何よう」
俺は棗の顔をしっかり見据えると、こちらの言い分を全部一気に吐き出してやった。
「嫌な思いなんかする訳ねえだろ!?俺が、俺の方が聞きたいんだよ!……だからいいな、今後お前がどんな馬鹿をやろうと、どんな事があろうとも、いつでも隣には俺がいるんだって事、絶っ対に忘れるんじゃねえ!俺を喜ばせたいなら痛みの半分をさっさとこっちによこしやがれ!俺が必ず受け止めるから!俺達はどんな感情も共感する間柄なんだ!お前は一人じゃねえんだ。俺はその為にお前のそばにいるんだからな!!そこのところをよーく覚えておけ!いいか、分かったな!?」
思い切り指を差して言い放つ。棗は目をまん丸にして今度こそ何も言い返してこなかった。
怒鳴り声に奥から先生がこわごわと覗き込む。のどかな保健室には似つかわしくない雷だったが、それでも言わずにいられない。これだけが言いたかったのだから。
どう思われていようとかまわない。迷惑だろうと役に立たなかろうと、もう俺はこのポジションを絶対に誰にも譲る気はなかった。俺だけは棗を守る存在であるんだと、精一杯自己主張のつもりで睨みつけてやった。
額に人差し指を突き立てられ、驚いた表情のままで棗は固まっていた。返事はない。動きもしない。分かっているのかいないのか、俺も棗から目を離さずに反応を待ってみた。瞬き一つせず。……涙が零れた。
最初、どうして泣けてくるのかが分からなかった。切ない気持ちが膨れ上がって、涙腺がコントロールできない。
「……ば、ばかやろ……………」
それが『受信』した物だと気がついた時、もう誰が泣いているのか分からなくなってしまった。
「こんな事くらいで、ここまで喜ぶんじゃねーよ、バーカ……」
下を向いてしまった棗の前で、俺も涙を拭う。向かい合ったまま立ち尽くす俺達を、奥から緑川先生が静かに見守っていた。
ここまできて初めて、笑顔の裏の本当の素顔を見る事ができた気がした。俺のダブルはこの為だけに発現したのだ。
俺のポジションは、やっと固定された。
……あの騒動から十日後。
抜けるような青空の下、裏庭のフェンスでは、名物男『チェンジ』と、この度晴れて名物に加わった二人の『ダブル』が、秋風に身を任せながら平和な時間を過ごし合っていた。
「結局あれからどうしたよ、その朱門って娘は?」
フェンスの上から高広先輩が話しかける。
「さあー、相当成績落としたようですけど」
「もったいないよね、朱門さん。あんなに凄かったのに……」
事件の詳細と俺達の事情は翌々日に合紅先生から全員へと伝えられた。その話をされている時の朱門の表情は俺からは見えなかったが、しかし棗がダブルに上がると彼女はもう何も言わなくなってきた。……言えなくなってしまったんだと思う。カラーの成績は精神面のバランスに左右されやすい。朱門の名前は成績上位者名簿からみるみる内に消えていった。
実は今回の事で少なからず俺にも変化があったのだ。あの朱門があそこまで成績に執着した訳。結局分からず終いになってしまったが、いつか聞いてみたいと思えるようになっていた。
「朱門さんも、きっと何かを守る為に必死だったんだと思うの……」
棗が言うと説得力がある。笑顔の下の苦しみ、クールな表情で隠し続けたこだわり。彼女が大切にしていた物は何だったのか。もしかしたら、思いも寄らない理由があったかもしれない……。それに気づく事ができれば、彼女に限らずどんな人間に対しても、また違った関係が築けるのではないだろうか。これは棗が教えてくれた事だ。その考えを更に自分の中で自分の為に昇華させる。それこそが、俺が棗に報いてやれる数少ない大切な行動の一つだった。
「しっかしお前等も呆れるくらい仲いいよな。ダブルでダブル……ダブダブ?」
……やっぱりこの人、時々ワケが分からない。それでも棗は先輩に向かって、今度こそ本当に嬉しそうな笑顔で力一杯答えていた。
「へへー、いいでしょーっ!!二人で一人なんですよっ、ねー!」
今や片割れとなった守るべき存在に同意を求められ、俺はすかさず顔を背ける。
「アホーな事抜かすな。俺はお前なんかさっさと追い抜いて、立派なテレパシストになってやるわいっ!」
背けた先にフェンス上から腰をかがめた先輩のにやにや笑いが出現し、こっそり耳打ちされてしまう。
「今、受信能力までダブってなくて良かったーって思っただろ!?」
「別に」
「……ニヤけてんだよ、顔がっ!」
「い、いてっ!ほらほらアホーな事言ってると先輩もダブりますよ、学年!」
「うっ……!」
校舎の方から人影が現れた。
「おーい、そこのっ、あー……ダブルなつめ!」
「あ、アイコちゃんだー!」
呼ばれて俺達はその場から撤退する事にした。フェンスから下りた先輩が、やっぱり楽しそうな顔でイジメへと走る。
「お前等の新担任ってアイコちゃんだってな。ご愁傷様♪」
「いたみいります……」
立ち去ろうとする俺達の背中に、先輩が再度声をかけてきた。
「あーっと、いっけね!待った、お前等に今日の戦利品!」
「は?…………ちょ、ちょっと先輩、まだ追試合格してなかったんですか!?」
「何を言う!七転八倒の末、ちゃんと九回目の追試で合格してるぞ!これはさっき緑川先生から預かったの!」
高広先輩はポケットから取り出した品を宙に向かって放り投げた。
「ほら、お前等の戦利品だ!」
俺達は秋風の中へ両手を伸ばし、今日の見上げた空と同じく青と白のカラーが入った新しい名札を、幸せを掴み取るようにして元気良く受け取った。
〈了〉
『BANG01』
ご精読ありがとうございました。
いじめに関しての両者の心理、いかがでしたでしょうか。
私は20年近く鬱病でしたがそのきっかけは、当時やっていた小さなブログサイトで集団いじめが発生し、それを止められなかった事が原因でした。
集団いじめというのは、1番の罪人はリーダーの取り巻きです。
いじめのリーダーなど放っておけば何もできないのです。1人じゃできないので味方を作るのですから。
問題はリーダーの言う事を、何も考えず、分析すらせず、自分の意見すら持たずに言いなりになる周りの人達。
味方ができると、自分だけに責任がかからなくなるからと、途端に悪口を言い出す人達。
自分だけ保身を計り、他の人を盾に、背中から石を投げる卑怯な人達。
サイトでは『自分は鬱病』と言って入ってきた男の人が、自分だけはちやほやされたい、人を自分の思い通りに動かしたいという心理の元、
可哀想がられて、心配して守ろうとしてくれる人達を味方につけ、気に入らない1人をいたぶっていました。
ただこのサイトの時は、周りの人達は悪口に乗る人はいなくて、ただ心配して仲良くしていただけだったので、私はその人がいかに周りの人達を騙し、操ろうとしているかを自分のブログに載せ、1人1人に読んでもらいました。するとみんな騙されている事に気付き、いじめっ子が「死にたい…」等と気を引こうとしても誰も相手にしなくなり、味方を全員引き剥がす事に成功しました。
しかし、しばらくサイトに来ていなくて事情を知らない1人が優しい言葉をかけてしまい、またいじめっ子は復活したのです。
しばらく後にそのサイト自体がなくなったのでそれ以上にはなりませんでしたが、こんな醜い考えを起こす人間の存在が信じられず、私はその後病み続け、このテーマにおいては未だに悩んでおります。
こんな事、他人に指摘されなければ気づかない程何も考えていない人達が、残念でなりませんでした。
超能力って誰でも持ってると思うんですよ。
凄い人も得ばかりじゃないし、特別な人はいない。いるならみんな特別。
どんな凄い人も、あなたにはなれない。あなただけの特別な人生を作り上げたのはあなた。いいも悪いも好きも嫌いもいろいろ抱えて進んできた筈。
だから何よりも。
想像力を養ってください。
その努力を惜しまないで。
あなたにはできる。
そんな超能力を誰もが持っていると私は思います。
私は全ての人に期待し続けます。