第七話 会談
フォルモンドにもワインが存在するし、ネビロスも当然飲みたくなることが多々ある。
(特に、こんな気の重くなるような夜はな)
書斎の椅子に座ってちびちびとワインを啜っていたルィンドは、灯火の光に赤い液体をかざしてみた。
グラスの中で揺れているそれも、元をたどれば地球文明由来の品だ。今から八百年ほど前、十字軍とかいう軍隊の騎士を呼び寄せた時に、作り方を教わった。
当初は自分たちを悪魔と呼んで蔑んでいたが、フォルモンドでの生活に慣れるうちに自身の境遇を受け止め、クトーシュ家の盾となって戦ってくれた。
『力なき者を守ることこそ騎士の本懐。今となってはやぶさかでもない』
彼は三十年ほどグランギオルに宿り続け、そして消えていった。
今でもこうしてワインを飲むごとに、彼が無事に天の王国へ辿り着けたのか想いを馳せる。
彼女の手元には、今回の戦いにおける損害報告書が積み上げられていた。負傷者や戦死者の数はもとより、被害に遭った民間人や家屋、船舶の損害等々、きりがない。一度損なわれてしまったものを元に戻すのは、資源や物資の不足しているフォルモンドにおいて、大変な難業となる。
(不毛、か。全くもってその通りだな)
昼間のやり取りを述懐していると、机の天板が蒼い光を放った。散らばった報告書を透過して浮かんだ光は、ホログラムのように空中に像を結ぶ。ルィンドはグラスを置いた。
光の中に、技を凝らした厳かなローブをまとった男が立っている。
端正な顔立ちだが、灰色の髪のせいか、どこか老けた印象を与える。まだ三十にもなっていない、若いネビロスだ。原種の特徴である犬耳や犬歯は目立たないが、代わりに大きな一対の角を生やしている。
その表情には、ルィンドに対する軽蔑の色が宿っている。
彼女はそれを軽く笑い飛ばして、言った。
「やぁこんばんは、キュレイン。そろそろ来る頃だろうと思って待っていたよ」
『軽口はよしてもらおう、ルィンド・クトーシュ。
端的にお聞かせ願いたい。降伏か、それとも徹底抗戦か』
無粋な坊やだな、という言葉を引っ込めつつ、微笑を維持するのはなかなか難しかった。
だが、ここで下手に挑発すれば何もかも御破算になりかねない。その程度の自制が出来ないならば、宗主などと呼ばれて持て囃される資格も無い。
「君のお父上にも言い続けてきたが、私は和睦以外の選択を希望しない。結果的に徹底抗戦になっているのは、諸君がひたすら攻め立ててくるからだよ」
『戦国の世では当然のことだろう? 千年以上生きているのに、まだ現実が理解出来ないのか?』
「狂気に順応することは強さじゃない。本当の強さとは、狂乱のなかにあって自らを律し、その濁流から必死に浮かび上がろうとすることさ」
『全ての切っ掛けを作ったのは貴様らだろう』
「……それは否定しないよ。
でも、だからこそ私には、終わらせる義務がある」
『貴様の義務など知ったことか』
「これは君にとっての義務でもある。キュレイン・メトネロフ。
君の領民だけじゃない、この世界全ての人々のことを考えるんだ。その時期はとうの昔に来ているんだよ」
彼女の訴えは、だが「下らん」という一言であっさりと片付けられた。
『この世界に弱者の生き残る猶予が無いというならば、早々に消え去れば良いのだ。その方が、この星のためになる』
「あまり思慮の無いことを言うな」
ルィンドは嘆息した。このままでは平行線だ。少し話を転がす必要がある。
「第一宗家に咎められたのは、諸君らの方だろう?」
キュレインの端正な顔が一瞬引き攣ったのを、彼女は見逃さなかった。そういう所が坊やなんだ、と教えてやるつもりで、ルィンドは続ける。
「彼らが望んでいるのは、あくまで今の世界が安定して続くことだ。
諸君が仮に第七宗家を取り込んで勢力拡大を図ったなら、世界盟主の権威を見せつける絶好の機会と捉えるだろう。第二宗家や第三宗家だって黙っちゃいない。
連合艦隊に包囲された状況下では、自説を主張する気にはなれんだろう?」
『…………』
(図星か)
映像越しに刺し殺すような視線を向けられたところで、ルィンドとしては痛くも痒くも無い。むしろ状況はクトーシュ家にとって良い方向に動いているという確信を得られた。
それは、相手方が現在、不愉快極まりない立場にあるということだ。
「……君の立場は分からんでもない。跡目を継いだばかりで、第四宗家という難しい立ち位置に据え置かれたのだからな。手っ取り早く手柄が欲しくなるのも分かる。
だが、戦って勝つだけが人々の信任を得る方法ではない。他にいくらでもやりようはある」
我ながらあまりに手緩いとは思う。今の状況下では、逆に強請りをかけることも不可能ではない。
彼らはこれ以上戦い続けることは出来ない。戦力的には圧倒しているが、それ以上の宗家が目をつけている以上、下手な動きは自殺行為となる。
今回の戦いで、決して軽くはない損害が出ている。領民たちはおしなべて穏やかな気質だが、さすがにこんな一方的な攻め方をされれば腹も立つ。
せめて賠償請求だけでも出すべきなのだろうが、それを突きつけられればキュレインは絶対に意固地になる。彼は今、どうあっても舐められたくないのだ。
そんな背景が透けて見えるからこそ、ルィンドは甘いと自覚した上で無条件講話を提示している。
だが、そんな配慮も若すぎる宗主には届かなかった。
『……知っているぞ。貴様の人形はまだ役に立たん』
「キュレイン!」
『貴様のような輩に、私の戦いをとやかく言う資格があると思うか!?
綺麗事を吐く裏で異界の魂を呼び寄せ、それを戦わせて楽をしている! これが卑劣でなくて何とする!』
「ッ……!」
『必ず討滅してやる。所詮貴様は第七家、私とは手札の数が違うことを教えてやる!』
そう吐き捨てるやいなや、通信は一方的に遮断された。
魔法の蒼い光が消えるのを待たずに、ルィンドは手元のボトルの首を引っ掴み、
「ァんのアホんだらァ!!!!」
机に叩きつけた。
けたたましい音とともに、赤い液体がガラスと一緒に方々に飛び散り、灯火の光でキラキラと輝く。
怒髪天を衝くルィンドはすっかり忘れていたが、彼女の机も生き物である。当然、理不尽な怒りをぶつけられたら抗議もする。
八つ当たりを感知した机は、天板の一部を開いて真っ赤になった主人の顔面に体液を噴射した。
「臭っ!」
ルィンドは洗面所に駆け込んだ。
だが、彼女が臭いを落とすべくあの手この手を試しているうちに、キュレインの言った次の手札が切られていた。