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第四話 ドラヴェット 下

 ドラヴェットさんの後に続いて、俺はルィンドの部屋を出た。扉を閉めようとした際に、あいつが「またねー」とか言いながら手を振っていたので、思い切り戸を叩きつけてやった。


「あいつ、ふざけてるのか」


「宗主はいつもあんな感じです。どうかご容赦くださいませ」


 俺は鼻の中にたまっていた空気を絞り出した……今の俺に、そういう人間らしい器官がちゃんとついているのか分からないけど、とりあえず思っていたのと同じ動作が出来た。


 それにしても、第三者にフォローを入れられると、どうにもやり辛い。


「……あいつって、そんなに偉い存在なんですか? 俺には良く分かりませんけど」


 確かに大物らしい見た目や仕草をしているけど、受け答えのノリがいちいち軽かったりするのはどうなんだ。と、正直そう思わずにはいられない。


「宗主がああいうお方だからこそ、我々も我々でいられるのです」


 そう言うドラヴェットさんは、相変わらず無表情のままだ。言葉遣いやトーンが丁寧な分、余計に迫力を感じる。


「お部屋へ御案内致します。きっとその過程で、宗主のお考えの一端をご理解頂けるはずです」


 ドラヴェットさんが優雅な仕草で手を差し出した。少し躊躇ったけど、こっちを見たまま瞬きもしないドラヴェットさんの迫力に圧されて、俺はその手を取った。


 瞬間、重力が消えたかのように、俺たちの身体がふわりと宙に浮かんだ。


 ふと足元を見ると、ドラヴェットさんの靴から小さな翼が生えていた。銀色の粒子を朧げに放出しているそれは、恐らくルィンドの腰に生えていたのと同じタイプのものなのだろう。


 ただ、あいつの挙動がロケットみたいだったのに対して、ドラヴェットさんの動作は風船のように軽やかで悠長だった。


 何事も無いかのように塔の空洞の真上へ躍り出るが、彼女は自然と宙を歩いている。目に見えない階段を降るように、一歩ずつ、ゆっくりと下降していく。


 さっきは思いっきり打ち上げられたから分からなかったけど、塔の壁面には線路みたいなものが敷設されている。その上を、モノレールみたいな乗り物がゴトゴトと音を立てて走っていた。ただ、よく見るとムカデみたいな脚がついている。


「あ、あれも生き物なんですか!?」


 思わず俺はドラヴェットさんにたずねていた。彼女は俺の手を引いたまま「ええ」とこともなげに答えた。


「我々は虫車(ニャルト)と呼んでいます。ネビロスだからといって、誰もかれもが飛行型のギーヴァを持っているわけでもありませんし、重い荷物を運ぶのはもっぱら虫車の仕事ですよ」


 降りてみましょう、と言うが早いが、ドラヴェットさんは走っている最中の虫車に速度を合わせて、鳥の羽が降りるみたくふわりと着地した。


「うぉっ……!」


 虫車の背中には鉄板が張られていて、手すりも設けられている。それでも、乗り心地はすこぶる悪かった。


 俺たちよりも先に乗っていたネビロスたちがドラヴェットさんに挨拶した。犬の形の頭に、モップみたいなモサモサとした毛を生やしたネビロスが、被っていた帽子を軽く持ち上げる。帽子の下から、毛と同じ灰色の耳がぴょこんと立った。ドラヴェットさんも、軽く会釈を返した。


 それ以上は、誰も積極的に声をかけてはこなかった。ただ、ネビロスたちの視線がグサグサと突き刺さっていることは分かる。たぶん、好奇心からなのだろうけど、正直ちょっと居心地が悪い。


 虫車はガタゴトと音を立てながら、トンネルの中に入っていく。天井には、電球ではない何かが光源として光っている。線路と壁の間には歩道があって、大勢のネビロスたちが行きかっていた。


 壁には所々扉が取りつけてあって、お店みたいな看板やショーウィンドウも設けられていた。


 この虫車にしてもそうだけど、ネビロスたちがどういう生活をしているのか、朧気ながら見えてきたような気がする。発達した魔導生物との共生って、つまりはこういうことなんだろう。細部を見れば、もっと色んなことが分かるかもしれない。


 ……俺が、この世界に残ることを決めたら、だけど。


「乗り換えます」


 ハッと顔を上げると、いつの間にか隣の線路の上を別の虫車が並走していた。「よっ、と」なんて言いながら、こっちに飛び乗ってくるネビロスもいれば、逆に向こう側へと跨いでいった奴もいる。


 先に隣の虫車へ移ったドラヴェットさんが、片手を差し出した。それを掴んで飛び乗るのと同時に、二台の虫車はそれぞれ別のトンネルへと分岐していった。


「この先が港湾区です」


 トンネルを越えた先に広がっていたのは、塔の壁面を抉るようにして造られた、巨大な港だった。


 一番目を引くのは、係留された三隻の大型船だ。どれも鮫とか鯨を思わせる流線形をとっている。異世界だろうと、空気抵抗を考慮したデザインは共通するらしい。とはいえ揚力を得るための翼やプロペラはどこにも無いから、どんな原理で飛んでいるのかは分からない。


 その周囲をクレーンみたいなものが取り囲んでいる。よく見るとそのクレーンは蜘蛛に似た生き物の背中から生えている。


 他にも、小さな桟橋が何本も宙に向かって張り出していて、漁船くらいのサイズの小型飛行船がいくつも係留されていた。


 港湾区の奥の方には、虫車を走らせるための線路がいくつも敷設されている。市街地はひな壇のように手前から奥へとせり上がっていて、倉庫らしき建物や家、あるいは店のような建物をまたいで作られた線路の上を、大勢のネビロスを乗せた虫車が音を立てて走っていった。


 その中には、怪我人ばかりを乗せた車両もあった。


 よく見ると、係留された大型船はどれもどこかしらに傷を負っている。ようやく火災が消し止められたところなのか、船体の一部が黒くなっていた。


 戦いの痕跡が生々しく残る一方で、坂の上に造られた街は平和そのもののように見えた。高架の下の小さな通りや、果物のなった木の植わっている家々を見ていると、どこか懐かしいような、そんな気分になった。


 なつかしいというより……どちらかと言うと、見慣れた風景というか。


 きっと俺の過ごしてきた街も、こんな風な街並みだったんじゃないだろうか。


「イブキ様、降りますよ」


 ふと気づくと、ドラヴェットさんは駅の上に降り立って手を差し出していた。虫車に連れていかれそうになりながら、俺はその手を取って何とか地面に足をつけた。


 小さな板を張っただけの駅は、田舎の廃線を想起させた。軋む階段を下りて坂道の上に立つと、港を見下ろす街並みに、またしても既視感を覚えた。痛んだ舗装や、錆びついた柱で支えられた高架や家々……。



 ここは俺の生まれた世界じゃない。そう分かっていても、あるかどうか分からない心臓が締め付けられるような気がした。



 でも、俺の記憶の中にある街には、いつも真っ青な空と海が広がっている。


 飛行船の向こう側にあるのは、黒い雲海と濁った空だけだ。


「イブキ様」


 ドラヴェットさんが、棒立ちになった俺を無表情で見つめていた。「す、すみません!」とつい謝りつつ、先を行くメイドさんの背中についていく。


 どうにも、こういう無言で迫力を出す人にはかなわない。


「何か、思い出されましたか?」


 そう言われた時、やましいことなんて何もないのに、どきりとさせられた。


 ドラヴェットさんは振り返らず、背筋をピンと伸ばしたまま坂道を下りていく。表情はうかがい知れないけど、やっぱり無表情のままなのだろう。


「……ちょっとだけ。俺の生まれた街と、何となく似てるな、って思って……」


「左様ですか」


「……」


「……」


 ……気まずい。


 隣を小型の虫車がガシャガシャと音を立てて通り過ぎていった。その音が余計に緊迫感を際立たせる……ような気がした。


 無言のまま、ドラヴェットさんは坂を下りきると、港に停泊する船を横切って歩いていく。船の甲板の上から、ネビロスたちが物珍しそうに俺たちを見下ろしていた。でも、そんなサボリ魔たちも、親方にどやされて散り散りに走っていく。


 港の端、塔の壁際まで来たとき、それまで無言だったドラヴェットさんが唐突に口を開いた。


「実は」


「はっ、ハイッ!!」


 驚いて返事した声は、情けないくらい上ずっていた。


 そんな俺を見て、ドラヴェットさんは……驚いたことに、少しだけ口元を緩めた。


 この人、笑えたのか。


「お、俺、何か悪いことしましたか……?」


「いいえ。私も、少し思い出しておりました」


 ドラヴェットさんが導く先には、空中に張り出した桟橋があった。小型船が何隻か結わえられたその向こうに、空中に浮くように小さな燈台小屋が建てられていた。


「貴方の先代の方も、港を見て懐かしいと言われました」


「この身体を使っていた人ってことですか」


「ええ。アメリカという国の兵隊だったそうです。小さな港町の生まれだったと」


 口調は固いままで、表情も少し緩めただけ。


 それでも、いなくなってしまったその人のことを語るドラヴェットさんは、ルィンドが見せたのと同じ優しさを湛えているようだった。


 さっきも思ったことだけど、やっぱりこの人達は悪者じゃない。それだけは確かだと思う。


 それに、この世界で生きた人がいたという事実が、少しだけ俺を励ましてくれた……ような気がする。


「野郎の一人暮らしだから、部屋の中は覗くな……と仰せつかっていたので、汚いままだと思いますが」


 ドラヴェットさんは燈台小屋の鍵を開け、ドアノブをひねって扉を開けた。



 直後、長年詰め込まれてきたゴミや不用品の数々が、雪崩となって俺とドラヴェットさんを呑み込んだ。

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