最終話 「この濁った空の下で」
メトネロフ家の暴走とそれに伴う戦火は、誰もが予想した通り、新しい、より大きな戦火の火種となった。
クスェル、アンブラ、エブレプスの上位三家と、下位のミーティス、セリム、そしてクトーシュを隔てていた第四宗家が崩壊した以上、そこに力の空白が生じるのは自明の理だ。
メトネロフ艦隊は主君の道連れになる形で消滅し、残ったのは塔とそこに住まう人々のみ。そしてこのフォルモンドという世界は、力を持たない者に対しては徹底して冷酷だ。特に勢力拡大の機会をうかがっていたエブレプス家は、鯨の死体にたかる鮫のように残ったメトネロフの資産を貪りにかかった。ミーティスやセリムもまた、そのおこぼれに預かるかの如く、領土の切り取りに動いた。
塔に住んでいた無力なネビロス達を救おうとしたのは、ルィンドただ一人だった。
◇◇◇
『インヘル殿、メトネロフの難民船を確認しやした! 後方にはセリム家の追撃部隊!』
「了解です!」
頭の中に響いたラウーさんの声に、俺はメンテ台から跳び起きた。「ちょっ、ちょっと!」とルィンドが慌てる。手にはオルトセラスの幼体を抱えたままだ。本当ならスクランブルの前に装備しておきたかったけど、どうやらそんな余裕は無いらしい。
先だっての戦いでギーヴァの大半にダメージを負った。最優先で大鴉だけでも修復し、残った装備は徐々に……という運びだったけど、ここ数日はろくに修繕をしている暇も無かった。
今も、クローカ号に乗ってクトーシュ領の領土ギリギリのところを飛んでいる。
メトネロフ領から流れてくる難民船を保護するためだ。
「ルィンド、行ってくるよ!」
壁に立てかけていた剣を引っ掴み、船室のドアに手を掛ける。ふと気になって振り返ると、案の定あいつは心配そうな顔で俺を見ていた。
「そんな顔するなって」
思わず苦笑してしまった。
「……また、君に過酷な戦いを強いてしまうな」
メトネロフ家の崩壊後、ルィンドは他の宗家に先立って難民達の保護を申し出た。本当はメトネロフ領の独立そのものを護らせたかったのだけど、エブレプス家やセリム家の動きの方がよっぽど早かった。それはそうだ。平和を維持するには色々な根回しが必要になるけど、略奪には手間がかからない。メトネロフ家をそのまま残そうとするなんて、あまりに現実離れした話だ。
だけど、俺はそんなルィンドの決断を認めたかった。
「良い選択だと、俺は思うよ。人のためになるなら、いくらか過酷だって構わない。それに……」
ちらりと船室の片隅に目をやる。ルィンドも同じ方を見た。そこには燈台小屋から持ってきた位牌が置いてある。
「ようやくルィンドが、風を動かす決断をしたんだ。そんなお前の決断を護れたら、良い供養になると思う」
「君は私なんかより、よっぽど博愛主義者だね」
「ああ。そう生きるって決めたからな……じゃあ!」
「頼む、イブキ」
頷いて、船室を飛び出す。
狭い廊下を走り、一目散に甲板を目指す。その途中で、ドラヴェットさんに敵戦力を確認してもらう。
『イブキ様、セリム家の追撃艦隊は三隻、いずれも高速艦です」
「難民船の損害は!?」
『すでに火災が発生しています。船足も落ちており、追いつかれるのは時間の問題かと』
「分かりました、変身して急行します!」
『御武運を、イブキ様』
「はいっ!」
返事をすると同時、自分自身の身体に向かって、目覚めるよう呼びかける。廊下を踏んでいた足音がガシャガシャとした金属音に変わり、全力で振っていた両腕が黒い手甲に覆われた。
甲板に飛び出す。目の前に虹瑪瑙のような空と、真っ黒な雲海が広がる。
『大鴉!』
名前を呼ぶ。背中から一対の翼が広がり、鎧の身体がぐんと軽くなった。船の縁から空中に飛び出し、同時に紫色の粒子を撒き散らして一気に加速する。目指すは襲われている難民船、倒すべき敵はその追撃者。まともに使える武器は右手に握った剣一本。
それでも構わない。今の俺には、何が自分の成すべきことかちゃんと見えている。
元の世界で積み上げた記憶は、砂嵐の向こう側。ただ一人だけ思い出す彼女の名前が、噛み締めるたびにどうしても痛みを呼び起こす。
それもきっといつかは、この世界で生きた月日に上書きされてしまうかもしれない。良いことなのか悪いことなのか分からない。そもそも、そこまで生きていられるかも分からない。
だけど、飛べるところまで飛んでみよう。
戦えるところまで戦ってみよう。
かつてこの鎧に宿ったいくつもの魂と同じように、消えて無くなるその時まで、己を証し続けよう。
この濁った空の下で。
【完】




