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第三二話 惜別の翼 上

『グランギオルは墜ちたぞ、ルィンド・ニゥ・クトーシュ』


 スニーサ号の甲板に立ったルィンドは、突き付けられた巨砲に些かも怯えてはいなかった。グランギオルが撃墜された時点で、船の乗組員には脱出を命じている。たとえ今すぐにこの砲が撃たれたとしても、誰も巻き添えにはならない。


(イブキ……)


 ただ一人、明確に巻き添えにしてしまった者がいる。


 あのあまりにも直ぐな少年に対して、自分は一体どれほどの借りを作ってしまっただろう。


 まだ死んでいないのは分かる。だが、どんな酷い状態にあるのか、想像するのが怖かった。


「……キュレイン。その化け物を動かしているのが何なのか、分かっているのか?」


『貴様に私を糾弾する権利は無い』


「私は少なくとも、その罪深さは自覚しているつもりだ。作ったのが私である以上、誤った使い方を許すわけにはいかない」


『傲慢だな』


「ああ、そうだ。私はこのフォルモンドで最も傲慢なネビロスだ。だからこそ君が同じ轍を踏む必要は無い」


 ルィンドは怪物の後方に迫る戦艦を見やった。撃ってはこない。暴れるだけ暴れてくれたが、さすがにクトーシュの宗主までも巻き添えにするつもりは無いのか。あるいは欲望に任せて諸共消し飛ばそうと思案しているところなのか。


 事態はとうに引き返せないところまで来ている。しかし開き直る選択肢などルィンドは元より持ち合わせていないし、ここでキュレインに「撃て」と命じる無意味さも理解している。それは単なる責任放棄に過ぎない。


 たとえ命乞いと見られようとも、最後までキュレインに自制を求め続ける他無いのだ。


『私に止まれと言うのか』


「……それ以外に、私に言うべき言葉は無い。もし君が剣を納めるならば、私は何を敵に回そうと君の弁護を」


 怪物の声帯越しに聞こえてきたのは、明らかな嘆息だった。



『違うのだ、ルィンド……私は、そういうことをして欲しいのではない』



「……何?」


 呆れられたか、あるいは見下されたかと一瞬思ったが、そうではない。キュレインの吐息には明らかにそれ以外の色が含まれていた。


 彼は「して欲しい」と言った。敵の首領を前にして出す言葉ではない。キュレインが自分を敵と見ているのは確かかもしれないが、敵以外の意味も含まれているのではないか。


「キュレイン、君は……」


 ルィンドは確かめようとした。だが、言葉が出る直前、心臓に針のようなものが突き立つ感覚に襲われた。


 自分自身の、ではない。にも関わらず、ルィンドは己の神経がぞくりと冷えるのを感じた。


 グランギオルはロマの糸によって動かされている。そこに異常な動作や処理が生じた場合、ルィンドにも感覚が共有される仕組みになっている。危機管理上、当然の仕様だ。


 しかし、最後に同じ感覚に襲われたのはいつだったろう。


 かつての自分が「奥の手」のつもりで仕込み、後になってその存在を後悔した、グランギオルの最後のギーヴァ。魂に突き立てられる剣『ダインスレイヴ』。



「ダメだ……イブキ、やめろ! その力を使ったら君は……!」




◇◇◇




 キュレイン・メトネロフは、エアルグの知覚器を通じてその異常を察知していた。


 いや、察知と表するのは大袈裟かもしれない。彼と『シス・ラ・クスェル』の間で生じた爆発的な魔力の放出は、旋風となって周囲の雲を巻き上げていた。その光景をひと目見れば、どんな愚か者であっても、大いなる力が目覚めたことが分かるだろう。


 そしてその渦の中で、グランギオルは己の姿を変じさせていた。


 一度は破壊された四肢が、『大鴉』の両翼が、瞬く間に修復される。のみならず、前腕は伸長し、手は手甲(ヤンシュフ)と一体化して鋭利な爪を得た。背中から生えていた翼の基部が盛り上がり、あたかも第三、第四の腕であるかのように可動部を広げる。羽根の一本々々は大きく展開して、その間隙から紫水晶を砕いたような光を大量に放出した。さらに、脊椎にあたる箇所からもう一本の翼……あるいは尾のような部位が伸展する。尾翼というより、翼尾と表現した方が適当だろう。長さはグランギオルの頭頂高に倍する。


 それらの変化を経て、最後にグランギオルは大きく首を振った。犬科の猛獣を思わせる兜の、フェイスガードが上下に開き、その奥から耳をつんざくような咆哮を発した。


 グランギオル自身の巻き起こす旋風も、空中戦艦の駆動音や大気の流れさえも貫いて、声は戦場の隅々にまで響き渡った。もしかするとそれは物理的な事象としての音ではなかったかもしれない。しかしネビロス達にとっては本能的な恐怖を呼び起こすに足るものであったし、それはキュレインとて例外ではなかった。


『……それが、クトーシュに伝わるという禁呪か』


 グランギオルの視線がエアルグに向けられた。キュレインは魔獣を上昇させ、魔導砲の照準を渦の中心に重ねる。最上級のネビロスである彼には、相対した魔導傀儡が、先ほどまでとは隔絶した力を放っていることに当然気付いていた。


 しかし、それが何を引き換えにして得られるものであるかも、ロマの仕様を知った今ならば分かる。


(分からんな)


 だからこそ理解出来なかった。


 あの小生意気な地球の少年が、果たしてどれほどの覚悟を持っているのか。


 試みに、キュレインは最大出力で魔導砲を放った。




◇◇◇




 気がつくと、空の上にいた。


 自分の……いや、グランギオルに変化が生じていることには、すぐに気付いた。この世界に来て、未だ感じたことがないほどに力が高まっている。


 だが、我に返るのと、グランギオルの危機感地が叫び出すのはほぼ同時だった。


 目の前にあの光の杭が迫る。ほとんど不意打ちに近い一撃、とても避けられない。


 ……そう、避けられないと頭で思った時には、すでに俺の身体は通り過ぎていった魔導砲の残光を見下ろす位置へと上昇していた。身体には傷ひとつついていない。あまりにも圧倒的な加速性能だが、それ以上に驚くべきは、瞬間移動じみた機動を行っても少しも負担を感じない剛性の方だ。その一点だけで、今のグランギオルがいかに強化された状態であるか分かる。



【振り返ると、俺の生まれ              。小さな入り江と、それを取り囲むように点在する  。大きくても百メートルくらいの船しかやってこない、静かな港だ。


 高架の上を          、風が吹くと家々の塀から顔を出した   が揺れた。


 俺の足は、自然と坂の上に向かった。           、一軒の家が建っている。古びた木造家屋のうちとは違って、白い壁に     の屋根を乗せた瀟洒な家だ。


 小さいながら    れた庭があって、木製の小さな      と椅子が置かれている。夏になると毎年、             が花壇を飾り、甘い匂いを放っていた。】



 頭の中に、ザーッとノイズが走るのを感じた。虫食いだらけの風景が一瞬だけ現れては消える。


 ……分かってる。そういうことだよな。


 ただ突っ立っている間にも、今のグランギオルは俺の魂を消耗し続ける。そして、一度燃焼してしまった魂……ルィンドが言うところの情報体、エネルギーは二度と元には戻らない。



 今の状態が長引けば長引くほど、俺の、宮戸惟吹の存在そのものが灰になっていく。



 まだ、自分の名前は思い出せる。風花の名前も、まだ消えていない。あの夕日の坂の記憶も、消えずに残っている。


 俺はまだ俺のままだ。幼い頃、身の回りの人々を守りたいと闇雲に願った子供も、夕映えの中で無鉄砲に幼馴染を守った馬鹿も、俺自身として残り続けている。



『……馬鹿は死んでも治らないって、本当だったな』



 グランギオルが帯びている武器は、使わなかった剣一本のみ。それを右手に持ち、メトネロフの魔獣に突きつける。



『行くぞ、グランギオル!!』



 俺は、俺であり俺でない身体に向かって呼びかけた。三本の翼から光が迸った。

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