第三十話 宮戸惟吹 上
目の前に、溢れるほどの菊の花が飾られた祭壇があった。一目で葬儀か、あるいは慰霊のための式典だと分かった。
でも、この時の俺は……そうだ、まだ八歳だった俺は、ここが何を目的とした場所なのか、よく分かっていなかった。正直、退屈さを覚えたことも記憶にある。
そしてそれ以上に、見知った大人達の、普段見せないような深刻な表情や格好が、俺を真剣にさせたのだ。いつもひょうきんで不真面目な母さんが真っ青な顔をしているのも、杉の木のように真っ直ぐな姿勢を崩さなかった爺ちゃんが肩を落としていたのも、何もかもが異様に映った。
誰も彼もが真っ黒な喪服に身を包み、厳かに言葉を交わしているのが不気味だった。まるで影の王国に迷い込んでしまったみたいで、俺は無意識のうちに父さんの姿を探していた。
でも、父さんがいるのは祭壇の上……そこに飾られた写真の中だけだ。いつもしがみついていた身体は、北の海に沈んでしまった。
父さんは学術調査船の船員だった。昔は海上保安庁にもいたらしい。一度船に乗ったらしばらく帰ってこられない代わりに、陸に上がった時はしょっちゅう遊びに付き合ってくれた。体力作りに余念がなくて、数ヶ月間の休みの間も、雨の日以外は毎日必ずランニングに出かけていた。
今となっては、顔も朧気にしか思い出せない。少なくとも、この時祭壇に飾られていた、制服姿のきりりとした船乗りは、俺の知っている父さんの姿とあまり結びつかなかったのだ。
影の王国の中で、人目も憚らずに大泣きしていたのは、一人の女の子だった。親同士の付き合いで、小さい時から一緒に育った。親父さんは研究員で、俺の父さんと同じ船に乗っていた。休日にはよく一緒に釣りに連れて行ってくれたし、魚を釣ったその場で解剖を始めては、理科の授業さながらに説明をしてくれた。
俺はその青空教室が楽しくて、そんな俺の食いつきぶりをあいつの親父さんも喜んでくれていたけど、あいつだけは別だった。特に、親父さんが悪戯半分にサバの寄生虫をピンセットで摘まみ上げた時なんかは大騒ぎだった。後日、おばさんにこっぴどくしぼられたらしい。
だけど、もう会うことは出来ない。二人とも航海に出て、それきり帰らなかった。どうしてそうなったのかは、今以てはっきりしない。北極の海は何が起こるか分からない。天候のせいか、船の異常か、あるいはそれ以外の何かか。
どれであれ、船乗りは身を危険に晒す仕事だ。大人達はちゃんと覚悟を固めていたとは思うけど、ショックを受けないわけがない。
ましてや、死ぬことがどういうことか分からない子供には、地面が消えてしまったかのような恐ろしい体験だった。あいつが大泣きしていたのは真っ当な反応だ。たぶん、死ぬってどういうことなのか、俺よりもちゃんと分かっていたからだろう。
俺には、よく分からなかった。
死んでしまった人達に思いを致す余裕なんてなかった。その時の俺はただ、今この場所で悲しんでいる人達を、これ以上悲しませたくないと思っていた。どうにかして守らなきゃいけないと思った。
だから、強くならなければ。弱かったら泣いてしまう……今思うと、本当に子供っぽい。でも、それが動機になって、俺は剣を習い始めたんだ。
◇◇◇
カラン、と氷のぶつかる音が聞こえた。水滴の浮いた魔法瓶には、冷えた麦茶がいっぱいに注がれている。板張りの縁側に置かれた盆を挟んで、向こう側に竹刀を抱いた爺ちゃんの姿があった。
小柄なのに、少しも弱々しく見えないのは、日に焼けた肌や鍛えられた腕のお陰だろう。年季の入った道着をまとって、鯉の絵柄の扇子で顔をあおっている姿は、さながら歴史小説に出てくる浪人そのものだ。
ひとしきり稽古をした後は、縁側に座って爺ちゃんとそれを飲むのが日課だった。
爺ちゃんは定年まで警察官を勤め上げたけど、仕事のために警察をしていたというより、剣道のために警官をやっていたような人だった。片付けが出来ない以外はとことん真面目な人ではあったから、仕事を疎かにしたことは無かったはずだ。それは、爺ちゃんを知っている人達が口々に言っていたことだ。
あるいは片付けが出来ない点も、道場の掃除だけでエネルギーを使い果たしていたからかもしれない。他のことはともかく、竹刀や防具の手入れについては徹底的に叩き込まれた。
孫だからといって、剣術の指南で爺ちゃんから甘やかされたことはない。技術や体力についても、ともかく基礎を鍛えることに集中していた。
でも、何よりも大切にしなきゃいけないのは、考え方だ、と常に言っていた。
この光景がいつのものかは分からない。いつもこんな感じだったから。
休憩がてら縁側に腰かけ、時には歴史や小説の話をし、そして何かの流れで剣へと話が移っていくと、いつもこう言われた。
「お前はまだまだ、腕を振るのでいっぱいになっとる。それだけじゃいかん」
「やれ力が強いだの、技が上手だの、ただ勝つことだけを考えていたんじゃあ、そいつの剣道はどんどん貧しくなっていく」
「いいか、惟吹。戦う前も後も、戦っている最中も、よく考えて剣道をやりなさい。相手をよく見て、相手のことをよく考えて、その全てを自分のものとして引き受けるようにしなさい」
……ああ、そうか。
惟吹。
惟の一文字をつけてくれたのは、爺ちゃんだったんだ。
思惟の惟。よく考えるということ。思いめぐらせるということ。
◇◇◇
「お爺ちゃん、あんたが生まれる半年前から、惟の一文字は絶対入れろって言ってきかなかったんだから」
爺ちゃんと婆ちゃんの位牌に手を合わせながら、母さんが思い出し笑いを漏らした。
小学校六年生の春、爺ちゃんは亡くなった。心筋梗塞だった。あまりにも呆気なくて、喪失感を覚えている余裕なんか無かったように思う。この頃になると、流石に人が死ぬってどういうことか分かるようになっていたけど、それを実感するのってあまり簡単なことではない。
だからか、爺ちゃんから習った基礎や練習を投げ出すことは無かった。まるでいつでもそこに爺ちゃんがいるかのように、俺は剣を振り続けた。気付いたら結構強くなっていて、中学生にもなるとちょっとした有名人になっていた。地区大会で優勝した時、はじめて「爺ちゃんに見て欲しかった」と思って、ちょっとだけ泣いた。
母子家庭になったものの、年金やら遺産やらのお陰で路頭に迷うようなことはなかった。それでも胡坐をかいて過ごしていけるほど余裕があるわけでもない。それまで非正規で看護師をやっていた母さんは、爺ちゃんの死去を境に正規雇用へと鞍替えした。色んなシフトで働かなきゃいけないから、必然的に一緒に朝ごはんを食べる機会も減ったけど、タイミングが合えば並んで仏壇に手を合わせた。それが俺達親子の風習だった。
家事は折半、持ちつ持たれつでやってきた。働いてもらっている分、少しでも家の仕事で返そうと思ったけど、手際の良い母さんは気付いたら色々先回りして済ませてしまっていた。掃除を除いて。
どうしてあれだけテキパキ動ける人が、掃除だけはてんでダメだったのか、いくつになっても分からなかった。
とはいえ、母さんはフルタイムの仕事。俺は学校と部活。どうしても料理まで手が回らないことがあった。そういう時、コンビニ弁当やらスーパーやらの総菜で食いつなぐことに対して、我が家はすこぶる寛容だった。
毎日頑張っているから、生活面で多少手を抜いても仕方が無い……そういう感覚を共有していたせいか、長ずるにつれて親子という感覚は消えていった。一緒に生活を回していく戦友という感覚が俺の中に宿っていた。
でも、母さんがどう思っていたかは、分からない。
部活の終わりと仕事終わりが重なって、ハンバーガー店で落ちあいテイクアウトを買って帰った夜。並んで歩きながら、ふと尋ねた。
「母さん、惟の一文字の由来は知ってるんだけど、吹ってどこからきたんだよ」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「うん」
「あんたさー、早産だったんだよねえ」
「そうなの?」
「びっくりしてさあ。あれっ、もう陣痛来たっ……てね。お陰でこちとら、気が動転するわ痛いわで、もう大変だったんだから」
「ん……」
生まれる前のことを言われても、どう反応して良いか分からない。俺はもごもごと口を動かすことしか出来なかった。
「そういう子ってね、無呼吸症候群を発症することが多いの。ま、他にも色々リスクはあるんだけど、あんたもそんな感じだったから。
だから優介さんと決めたんだ。この子がこの後も、ずっと元気に息をし続けられますように、って」
………………。
何で死んだんだ、俺。




