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第二九話 奉神礼 上

 クトーシュ領の上空に浮かんだそれが、蝶を思わせる翼を一枚、また一枚と解いていく。


 そうして現れた本体は、フォルモンドの濁った空を背景にしても……こんな表現は場違いかもしれないけど、荘厳で、どこか神聖さすら感じさせる姿をしていた。


 最初、それは細身の巨人のように見えた。身体の丈は十メートル近くあり、しかし四肢や胴体は極端なほどに細い。それでいてさほど脆弱に思わせないのは、肉体を包む筋肉が、大船を繋ぎ止めるもやい綱のように、目に見えて引き締められているからだ。


 腕は合計で四本。どれもほぼ均一な大きさだが、唯一右前腕だけ長大な筒のような物を装着している。背部からは六枚の翼が伸び、その先端を風の中でたなびかせていた。


 そして頭部は、あの鎧鳴竜を思わせる、竜人めいた造形をしていた。だが眼球がなく、眼窩には皮膚が突っ張っている。代わりに王冠を思わせる突起がいくつも生え出ていて、微かに金色の光を放っていた。


 荘厳と思わせる理由は、まさにその金色の光にあるだろう。体表は、繭の形態だった時と同様に純白だったが、時折不規則に全身の輪郭が発光する。決してけばけばしい光ではなく、まるで……そう、地球にいた時に、毎朝のように見ていた朝日と……同じような輝きだった。


 だが、どうしてだろう。この濁った空の下では、ひどく場違いでグロテスクなものに思えてならなかった。


 それはきっと、あの光と一緒に、隠す気の無い憎悪が振り撒かれているからだ。



『グラン……ギオル……』



 怪物の口が開き、人語を発した。聞き覚えのある声音だった。


 蝶に似た翼が灼熱し、無数の光弾が降り注ぐ。グランギオルの本能が警告を発した。その叫びに応じて、俺はひたすらに双剣を振るい弾丸を弾き続けた。



『キュレイン、メトネロフッ!!』



 大鴉に加速を命じ、見下ろす敵へと急接近をかけた。『カメロケラス!』その名を呼ぶと同時に、空中を遊弋していた槍が手元へ帰ってくる。右手の得物を鞘に納め、大槍の柄を握る。


 宣戦布告も名乗りも無用。そんな段階はとっくの昔に過ぎている。


 グランギオル本体の全速力に加え、さらにカメロケラスの推力も借りてもう一段加速をかける。槍の穂先を魔力の渦が覆う。それは先ほど同様にあっさりと魔獣の障壁を打ち破ったが、突き出された腕を破壊するには至らなかった。


 槍と、尖爪との間で火花が飛び散る。力比べは互角、否、押されている……!



『やはり、か。やはりまずは貴様からか。そうでなければならんか!』



 土台、ガタイが違う。単純な力比べでは流石に不利かもしれない。


 だが、今のは十分な速力を加えての一撃だったはずだ。それでさえ破れないとなると、本体の強度は相当高いかもしれない。


 ならば、攻め手を変えるまでだ。



『捻り潰してくれる!』



『誰がッ!』



 力点をずらして力比べを終わらせ、そのまま怪物の斜め上を突っ切って後背に出る。だが、相手は見た目にそぐわない軽快さで旋回すると、右腕に装備された大筒をブンと振り回してきた。


『ッ……!』


 旋回速度は予想以上。だが、動きそのものは十分見切れる。次の一手を仕込む余裕もあった。


 回避と同時にカメロケラスを上空へとぶん投げる。そして俺は、逆に真下へと急降下する。敵の意識を二分出来るかと思ったが、キュレインは執拗に俺を追いかけてきた。


 蝶とも、外套とも、あるいはオーロラともとれるような翼がはためく。華奢な見た目に反して、それは怪物の本体を完璧に制御していた。単に速いだけでも、出力が強いだけでもなく、とらえどころのない緩急自在の動きを見せてくる。


 だが、それでもなお、機動力はこちらが上だ。現に下降しながらのやり合いではこちらが優位に立っていた。腕の連撃を掻い潜り、光の散弾を弾き、三太刀本体に叩き込んだ。


 しかしいずれも致命傷ではない。見立てた通り、硬い。介者剣法よろしく関節を狙いもしたが、逆にそれを餌に使われて誘い込まれそうになることさえあった。ましてや、オルトセラスを撃ち込む余裕などない。



『こっちばかり見てて良いのか!?』



 そう、本命はこっちだ。


 上空から、フォルモンドの重力と本体の推力とを合わせたカメロケラスが降ってくる。


 キュレインは反応した。だがそれだけだった。障壁を展開する間も無く大槍が怪物の左肩に突き刺さる。空中に真っ赤な血飛沫が、花びらのように飛び散った。衝撃は半端ではなく、巨体の高度がグンと沈み込むくらいに強烈だった。


 怪物がうなじを晒す。明白な好機と見えた。双剣を脇構えに構え、首を刎ねるべく突進する。



『賢しらな!』



 迂闊だった、とは思いたくない。敵の反撃行動は、完全に俺の想像の上を行っていた。


 怪物の纏う金色の粒子が、急速にその光量を増したと見えた次の瞬間、俺は光の奔流に呑まれて弾き飛ばされていた。危機を察知した大鴉が咄嗟に全身をカバーしてくれたが、翼の表面がチリチリと焼けるのを感じる。そう重い攻撃ではない……冷静に判断する一方、衝撃を隠し切れないのも事実だった。


 再び翼を開いて対峙した時、敵は幾分かその輝きを減じさせていた。しかし身体の各所を走る線状の器官に沿って、魔力を再充填している。


 だが、真に驚くべきはその充填速度……じゃない。


 心拍のように脈打つ線状器官は、全て怪物の胸部から放射状に広がっている。その中心部は堅牢な表皮と骨格によって守られているが、それでもなお、真下に埋め込まれた複数の光源を隠しきれていなかった。


 光源の数は全部で五つ。そしてそれぞれが、蒼い光を放つ糸によって雁字搦めに封印されているのが分かる。蒼い色合いは、白と金を基調とした怪物の姿の中にあって明らかに浮いて見えていた。まるで、上等な服に慌ててボタンを縫い込んだようなちぐはぐさがある。


 見まがうはずもない。



『まさか……ロマの糸……?!』



 追撃の光弾を回避したのは、大鴉の本能のお陰だった。俺の脳内は疑問符で溢れかえっていた。


 魂魄を織る糸のギーヴァ。それはただ一人、ルィンド・ニゥ・クトーシュのみが使役出来るはずだ。他の日用品や兵器のように量産出来るものではない。


 だとしたら、一から作った……?! いや、違う!


『あの時か……!』


 先だってのメトネロフ家の襲撃に際して、置き土産として残されていった怪鯨(アネ・アラブ)。その目的が嫌がらせの破壊活動などではなく、最初からロマの情報を盗むためだったとすれば……俺達はまんまとしてやられたことになる。


 ルィンドとて予想外だったはずだ。ロマはあいつにさえ再現が出来ない、偶然の産物のようなギーヴァだという。それを、いくら情報を抜き取ったからと言って創り上げてしまえるのは……。



『キュレイン! キュレイン・メトネロフ!!』



 俺も、ルィンドも、大きな見誤りをしていたのではないか。


 目の前で翼を広げている怪物は確かに恐ろしい。だが、こいつを動かしているのは、一人のネビロスだ。


 第四宗家宗主。並外れた魔力と天分を持つ、特別な個体。


 なればこそ。



『あんたは……あんたは、おかしいよ!』



 光弾を掻い潜り、一気に距離を詰める。胸の中心を狙った斬撃は、防御に動いた副腕によって遮られたが、その手首をもう片方の剣で切断する。



『こんなことをして、何の意味がある! あんたの力があれば、何だって!』



 大筒が振り下ろされる。一旦距離が離れた所で、さらに光弾の追撃。避け切れず、何発かが大鴉の翼に直撃して弾けた。



『おかしいのは貴様の方だ、グランギオル!』



『俺が?!』



 大筒の砲身が脈打ち、砲口内に光が注ぎ込まれる。見た目からしてそういう武器だとは分かっていたが……!



『大義も理念も無く、異界の戦争に嘴を差し挟むなどと!!』



 放たれたそれは、発射されてからでは絶対に回避出来なかっただろう。牽制射などとは比べ物にならない。まるで光の柱だ。軸線上から逃れていなければ確実に消し炭にされていた。


 射線上周辺にバチバチと雷が飛び散る。標的を外れた弾丸は、偶然その向かう先にいたメトネロフ艦を貫通した。『味方を……!?』撃ち抜かれた艦は、まるで竹のように綺麗に中身を抉られ、一瞬後に爆散した。だが、味方が沈められたにも関わらず、メトネロフ艦隊に動きは無い。援護射撃を加えるでもなく、遠巻きに宗主と俺との戦いを見守っている。



『っ、大義があれば、何をやっても許されるって言うのか!?』



 バラバラと砕け散っていく船体からは、一隻の脱出艇も現れなかった。



『許されるッ! それがフォルモンド(ここ)なのだ!!』



『あんたの理屈で人を殺すなァ!!』



 刀身に魔力を集め、真正面から斬り掛かる。対して怪物は、大砲の先端に同じく魔力の刃を生じさせ、銃剣のように構えた。


 衝突。干渉し合う力が周囲を歪ませ、けたたましい音を響かせる。数百本の雷を纏めて浴びているような轟音と衝撃の中にあっても、奴の奇妙に冷静な……あるいは達観したような声は、グランギオルの耳に届いていた。



『私の理屈ではない。


 見よ、それを証明する者が来るぞ』

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