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第二七話 正気 下

 ネビロスとしての格。明瞭に過ぎるほどの違いは、同族であるネビロスこそが最もよく分かる。ドラヴェットは今、そのごく当たり前の事実を再認識させられていた。


 傲然と自分を見下ろす男は、宗主としては力量不足であるかもしれない。成熟にも程遠いかもしれない。


 だがそんなことは、生き物として強靭か否かという事とは、全く無関係なのだ。


 ドラヴェットの目には、キュレインの背後に広がった、空間を歪めて見せるほどの魔力が映し出されていた。自分を掌の上に乗せている魔獣も確かに恐ろしい存在かもしれない。しかしキュレインが主であるのに対して、魔獣は明らかに従であった。魔獣を失ったとて彼は別に困らないだろうが、主人からの魔力供給が断たれれば、この怪物は即座に力を失うだろう。



 そして彼女には、第四宗家の主を討ち取るだけの力は無かった。



「貴様では私に勝てない」


 キュレインは極めて平静なトーンでそう言い放った。ドラヴェットには反論する余地も無い。


「これは摂理だ。抗ってどうこうなるものではない。だというのに……貴様はその役不足のギーヴァで立ち向かってきた。正気とは思えん」


「……力の差があるのは認めましょう。ですが、貴方が益の無い戦いを起こした事とは無関係です。むしろメトネロフを滅ぼすような判断を下した貴方こそ、異常ではありませんか?」


 殺されることも覚悟しての侮蔑だった。


 だが、キュレインが見せた反応はまたしてもドラヴェットの予想を裏切っていた。表情や、纏っている雰囲気さえがらりと変わってしまう。それはほとんど変化へんげといってさえ良いほどの極端さだった。


 キュレインは仮面を被ったかのような無表情となった。そしてその口で「やはり滅ぶと思うか」と呟いた。


 あるいは、怒りの感情が向かってこなかったのは、彼がドラヴェットを対等な相手と看做していなかったからかもしれない。ゆえにその発言も、たまたま独り言を聞かれてしまったようなものだったのかもしれない。


「……?!」


 ドラヴェットは分からなくなった。


 一体この男は、何を目的にここまで来たのか?


 クスェルに剣を向け、メトネロフの未来を費やし、そしてルィンドに出て来いと迫っている。


(やはり、狂って……)



「滅ぶのだ、メトネロフは。この世界の倣いに従ってな」



 宗主キュレインの言葉は、幾度目か分からない驚愕をドラヴェットに与えた。先程と寸分変わらない無表情で、遥か彼方を……フォルモンドの濁った地平を見つめている。彼の口調にも表情にも、狂気はおろか悲壮さや怒りとった感情は少しも認められなかった。


 もし感情の類似物があるとすれば、それは諦念に他ならないだろう。


 宗主としての視座などドラヴェットには分からない。自らが仕えているルィンドのことでさえ分からないことが多々ある。ましてや第四宗家の主の視点など、自分の頼りない想像力で推察するしかない。


 だが、宗主とはフォルモンドの秩序の一角を預かる者だ。彼らの地位は、生まれ持った能力と義務によって規定されている。宗主であることがアイデンティティの全てではないかもしれないが、自意識の大部分を占めているのは間違いではないだろう。


 だとすれば、メトネロフの滅亡を自ら口にするということは、自らの死を口にしたも同義なのだ。


 だが、



「それと……クトーシュ家の築いてきた平和を壊すことに、一体なんの関係があるのです!?」



 ドラヴェットは残った力を振り絞って上体を起き上がらせた。



「メトネロフのことなど、私達には何の関係も無い! 滅ぶなら勝手に滅びれば良い! 私達を……ッ!」



 最後まで言い切ることは出来なかった。キュレインは仮面のような無表情のまま、全く無感動にドラヴェットの胸を踏み躙った。だが、降り掛かってきた言葉には、先ほどは見られなかった明確な憤怒が滲み出ていた。



「貴様らは本当にそれが平和だと思っていたのか?


 異世界の人間に戦いを肩代わりさせ、本来失われたはずの労働力を繁栄に注ぎ込んできたのが貴様らだ。よくもそんな恥知らずな行いを、平和などと嘯けたものだな」



 ドラヴェットは答えられない。言葉に窮したからではなく、物理的に発声出来なかったのである。



「自分達のやっていることの卑劣さ醜悪さを思い返してみろ。どこに正当性があるものか。少しでも疑問に思わなかったのか。


 弱者の分際で、何の重圧も受けず血も流さず、のうのうと平和を享受してきたのがお前達だ!」



 彼の言い分はやや正確さに欠ける。クトーシュがグランギオル、すなわち異世界人の力に縋ってきたことは事実だ。しかし彼らだけを矢面に立たせていたわけでない。現にこの戦いでも幾人もの死者を出している。それこそ、彼が自分の足で踏み躙っている少女は、全身全霊を尽くして戦ったのだ。


 だが、キュレインは自分の中から冷静さや論理性が消えつつあることを同時に理解していた。そして、その滑り出してしまったかのような感情の流れに逆らうことを、完全に放棄してしまっていた。足元から聞こえてくる胸骨の軋む音も、彼女の呻き声も一切耳に入らない。


 眼下のクトーシュ艦や、塔の砲台から攻撃が飛んでくるが、そのどれ一つとして魔獣エアルグの結界を破ることは出来なかった。



「ルィンド・ニゥ・クトーシュ!! 聞いているならば出てこい!!


 貴様に誇りや正義が少しでも残っているなら、その才能に見合ったことをこの世界に対してやってみろ!!


 さもなくば……!」



 キュレインは足に力を込めた。苦悶するこの小さな命を踏み潰すくらい造作は無いし、良心に何の呵責も無い。今や彼の脳髄は、制御不能の怒りによって完全に満たされていた。



 だから、戦場に飛び込んできた黒い影と、彼にとって耳障りな絶叫が聞こえた瞬間、全ての敵意はそちらの方に向けられた。

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