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第二七話 正気 上

 ドラヴェットの敗北は、すなわちクトーシュの敗北そのものだった。


 這う這うの体で主塔まで後退したクトーシュ勢は、そこに一応の防衛線を構築したものの、ほとんど虚勢に等しかった。すでに勝者と敗者の立ち位置は決している。


 その勝者の立ち位置……すなわち、クトーシュ領を見下ろす高みに、白銀の繭が浮かんでいる。白樺の幹を思わせる細長い腕が内部から突き出し、その手の平の上にキュレイン・メトネロフが立っていた。


 艦隊は遥か後方にあり、彼と彼の従僕である魔獣のみがクトーシュのネビロス達を睥睨している。しかし、宗主ほどの格を持ったネビロスともなると、空中艦隊以上の脅威である。



「姿を見せろ、ルィンド・クトーシュ」



 彼の要求はその一点のみだった。しかし現実として受け入れられない話だ。そもそもこの場にルィンドはいないのである。


 だが、馬鹿正直にそう答えたところで意味などないことを、ラウーはおろか他のネビロス達でさえ理解していた。再侵攻の経緯と言い、今のキュレイン・メトネロフは明らかに正気を失っている。彼らに出来ることは、ただ艦砲や対空砲の照準をエアルグに向けることだけだった。


 もし、あの魔獣の手の平の上に、ぼろぼろに傷ついたドラヴェットが転がされていなければ、ラウーは砲撃の指示を躊躇わなかっただろう。


「隊長、奴が艦隊と合流していない今なら……」


「まだだ。奴はまだ、塔への攻撃は始めていない。少しでも時間を引き延ばす。その間に避難を急がせるよう伝えろ」


 引き延ばすと言っても、何が出来るだろうか。交渉? 正気を失った相手にそんなことが出来るか?


(あるいは……)


 ラウーはサーベルの柄を手繰り寄せた。


 あるいは、この武器でもって一騎打ちに名乗りを上げるべきか。無論勝ち目はない。クトーシュ家の中では抜きん出た魔力を持っているドラヴェットでさえ、あの繭を構成する物質を切り裂くことが出来なかったのだ。


 そもそも飛ぶことすら出来ない自分には、無謀を通り越して滑稽な行動かもしれない。突撃艇の操縦士を道連れにして、少しでも小賢しく飛び回り、時を稼ぐほかないか。操縦席の方に視線を向けると、そこに座っていた兵士も無言で頷いてくれた。


 ラウーはハッチに手を掛け、上半身を乗り出した。だが、驚愕に目を見開くことになった。散々に打ち据えられたはずのドラヴェットが、よろよろと怪物の手の中で立ち上がるのが見えたからだ。


 そんな彼女を、キュレイン・メトネロフも見ていた。しかしその視線には軽蔑以外の何物も浮かんではいなかった。


 ドラヴェットは傷ついていた。ネビロス由来のデザインでない服は見る影もなく痛み、その所々に血を滲ませている。宗主と似た銀色の髪は、額から流れた血によって黒く汚れ、肌に張り付いていた。何よりも深刻な損傷を受けたのは両脚で、ギーヴァ『舞曲王ワルトトイフェル』は完全に沈黙している。右脚に力を込めると激痛が走り、左脚は足首から先が無残にひしゃげていた。



「宗主は……貴方には、お会いになりません……」



 キュレインの手が、ドラヴェットの頬を打った。ろくに力を込めることも出来ず、少女は再び手の平の上に転がされた。


「下郎が。貴様には聞いていない」


 視線さえ向けずに言い放つ。だが、自分の脚を掴まれると、流石に眼球を動かさざるを得なかった。



「宗主は争いを望んでなどいません。なのに、どうしてこんなことをするのですか?」



 誰にとっても、到底益の無い戦いであることは明らかだ。ここまで払われた犠牲の中で、意味のあるものなど一つでもあっただろうか? そもそもこんな戦いを彼が起こさなければ、敵にも味方にも死人は出なかっただろう。


 一瞬でも死を望んでしまった自分がそんなことを言うのは、節操がないかもしれない。だが、彼女は聞かずにはいられなかった。


 それだけに、キュレインが放った言葉は、彼女にとって耳を疑うようなものだった。


「……まるで、私が正気を失っているかのような言い草だな」


「違うとでも!?」


 子犬でも蹴るかのようにキュレインは脚を振った。ドラヴェットの上体が宙に晒される。咄嗟に魔獣の指を掴んだものの、その握力は自分でも分かるほどに頼りなかった。



「私は正気だ。この世界の誰よりも……貴様や、あの女などよりも遥かに」

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