第三話 ネビロス略史
「さて、少し長い話になるが、順を追って説明していこうか」
女……ルィンドが指を鳴らすと、机の一角がボコボコと沸き立った。よく見ると、机の材質は木ではない。俺の知らない何かで出来ている。
見る間に、机の上にミニチュアのセットが出来上がった。草花の生えた小さな丘。そして、女の子を模した人形がちょこんと座っている。
「これは……」
「この机は生きている。正確に言うと、机の形をした魔導生物だ。諸君の用語では、ホムンクルスと言った方が伝わりやすいかな。
我らネビロスの歴史と文化は、全てこの技術に集約していると言っても過言ではない」
……ネビロス。
「それが、あんたらの名前なのか」
「そうさ。君たちが自身をヒトと称するように、ね」
丘の上で人形がくるくると踊り出す。それに合わせるかのように木々が生え、枝を揺らして葉っぱを散らせる。
「昔々……そう、大昔のことさ。このフォルモンドに発生した我らネビロスは、種の起源より一つの特質を持っていた」
人形の差し出した手に、地面から伸びてきた蔦が絡まった。蔦は人形に取り込まれ、指先に花が咲いた。
その動作とシンクロするように、ルィンドも人差し指の先に蒼い糸で織った花を作り上げていた。
「我々ネビロスは、肉体に別の生き物を宿す能力を備えていた。君たちの世界では、こういう特徴を持つものを共生生物と呼ぶそうだね。
この能力の有用性を知って以来、私達の文明は爆発的に発展した」
女の子の周りに建物が立ち並び、身体に別の生き物を宿した人々が何人も現れた。
「君達が科学を発展させたように、私達は魔導というものを探究した。特に、己の意のままに操ることの出来るギーヴァを生み出し、それを身体に移植することによって私達はこの星の支配者となった。
だが、そこまでだった」
緑の丘が徐々に黒く汚れ、草や木々が萎れては倒れていった。女の子の周りで多くのネビロスたちが武器を取り、覆いかぶさるように折り重なって倒れていく。ただの人形劇なのに、それはやけに生々しく見えた。
後に残ったのは、死体の山と汚れた丘だけだった。
「私達はこの星を汚しに汚した挙句、大地に住み続けることが出来なくなってしまった。塔の下の黒雲を見ただろう? 私達はもう、あの雲の下には降りられないんだ」
顔を覆って泣いている女の子の周りに、いくつもの塔が立ち並んだ。それはまるで、女の子を閉じ込める檻のようにも見えた。
「それから千年。大乱を生き延びた一握りのネビロスは、七つの力ある家格に支配され、天を貫く巨大な塔を何本も築き、そこに住まうようになった。だが、それでもまだ争いをやめることは出来ないでいる。
千年……そう、千年にもなるんだ」
「何で休戦しないんだよ」
思わず俺は尋ねていた。地上に住めなくなるほど切羽詰まっているのに、それでも戦い続けるなんてどうかしている。争っている場合じゃないだろうに。
そんな俺の言葉に、ルィンドは苦笑した。
「出来ればそうするさ。いや、休戦自体は何度も繰り返しているんだ。だが、そんなものは所詮、次の戦いのための準備期間に過ぎない。
休んでいる間に敵は牙を鋭く研ぐ。だからこちらも負けないように武器を磨く。この繰り返しだ」
「そんなの……不毛じゃないか」
「全くもってその通りだな」
我ながら歯に衣着せない言い方だとは思うが、ルィンドは気を悪くした様子は無かった。それどころか、額に手を当てて溜息をつく。
「本当に……君以外の地球人にも、同じことを言われたよ。馬鹿の極みだってね。
けど、一度争いを始めてしまったら、その連鎖を断ち切るのは簡単じゃないのさ。それに、襲われる側だって身を守らないわけにはいかない。
だから私は、それを創ったんだ」
ルィンドの長い指が、真っすぐに俺の胸を指した……俺の着込んでいる、黒い甲冑を。
「言っておくが、それは君自身の肉体ではない。君は、私に連れてこられたんだ」
「……ちょっとずつ、話が見えてきた。俺は……」
そこから先を言うには、流石にちょっと勇気が要った。でも、それはどこかで分かっていたことだし、俺は多分覚悟を済ませている。だから、後悔も何も無い、のかもしれない……。
「俺はもう死んでるんだな?」
「ああ、そうさ」
ルィンドはあっさりとそれを認めた。けど、あっさりしている俺も俺だな。案外、死んだ当人はケロっとしているものなのかもしれない。
あるいは、失って惜しいと思う記憶が、ほとんど俺の中から欠落してしまっているからか。
「その身体……『グランギオル』には、私が持てる技術の全てをつぎ込んだ。全身のほとんどが戦闘用のギーヴァで構成されているが、本当の強みはそこじゃない」
ルィンドの指に咲いていた花が、元の蒼く輝く糸に戻る。五本の指から伸びるそれは、確かに意識が消えかけた時に見たのと同じものだ。
「私もいくつがギーヴァを埋め込んでいるが、この蒼い糸……『ロマ』と言うんだが、こいつは他のどのネビロスも持っていない特級品でね」
ロマの蒼い糸が人形の手足に絡みついた。「このように物理的に接触することも出来るが……」マリオネットと化した人形が、ぺこりと腰を折った。
「こいつの真の力は、すなわち現世と幽世の境界を越えて干渉することにある」
……急にオカルトめいてきたな。
いや、元々魔導だなんだと言ってる時点で、相当ネジが飛んでると思うけど。
「今、無礼なことを考えていたね?」
俺は迷わず頷いた。流石に即答が過ぎたか、ルィンドは苦笑した。
「物質科学を信奉してきた君らにとっては、受け入れ難い話だろうな。
だが我々ネビロスは、君たちが科学を研究するのと同じように、死後の世界……この世ならざる場所、そしてその先についての思索を積み重ねてきた」
「天国への行き方でも知ってるって言うのか?」
「いや、知らない」
ルィンドはあっけらかんと答えた。俺は思わずずっこけそうになった。
「偉そうに言っておいて、結局分からないのかよ!」
「分からないということは、何も悪いことではないさ。ただ一つ分かっているのは、我々には魂というものが確かに存在し、死んだらそれが分散していくということだ。
君も経験しただろう?」
……それは、憶えがある。
こいつの言うことを信じるなら、あの沈んでいくような感覚は、俺の魂とやらが崩壊していく過程だったのかもしれない。
そう思うと、さすがに少し怖かった。
「少々脱線したな」
蒼い糸が人形を解放し、ルィンドの指に吸い込まれていった。
「まあ、何故私が、崩壊しかけている君の魂を捉えたかということだが……早い話、グランギオルは君の魂を動力として駆動している。
魂の持つエネルギーは膨大だ。そしてこの世界に、グランギオル以外に魂魄を利用した魔導傀儡は存在しない。これが我々の持つ最大のアドバンテージというわけだ」
正直言って、ついていけなかった。俺の魂とやらがどんな理屈でこの身体を動かしているのかも分からないし、第一……。
「冗談じゃない」
ルィンドの切れ長の目が、ぴくりと動いた。怒らせたかもしれない。が、そんなのはこっちだって同じことだ。
「ふざけるのも大概にしろよ! そんなの、あんたらの勝手な事情じゃないか! 俺には何の関係も無い!!」
間違ったことは何一つ言っていない。俺よりも、こいつらの方が遥かに理不尽だ。そりゃあ、死にたくて死んだわけじゃないだろうが、身勝手な理由で生き返らせるのも筋違いと言うべきだろう。
そもそも、その目的が家同士の抗争だっていうんだから、横暴どころの騒ぎじゃない。
だが、俺がこうして怒って見せても、ルィンドはほとんど顔色を変えなかった。微かに視線を下げて「一々ごもっともだ」と、ぬけぬけと言って見せる。
「君の言い分は何一つ間違っていない。仮に、私が同じ立場に立たされたら、君と同じように怒るだろうね」
「だったら……!」
「まあ、最後まで聞いてくれ。私は君に対して何一つ強いるつもりはない。
もし君が死を望むのであれば、君の魂を縫い留めている糸を抜いてあげよう。そうすれば、君の魂は辿るべき道を辿って消えていく」
「……脅しのつもりか?」
「脅しじゃないさ。君をあるべき必然に戻すと言っているだけだ」
「…………」
そう、そこだ。結局のところ、俺はすでに死んでいる。向こう側で俺の身体がどうなっているかは分からないけど、恐らくこいつの言う通り、戻ることは出来ないのだろう。
だが、だからと言って、この力を使って戦えというのも飛躍し過ぎた話だ。
「すぐに答えを出せとは言わない。どの道を選ぶにせよ、覚悟が決まったらまた私のところに来てくれ。
とりあえず……」
ルィンドが指を鳴らすと同時に、黒い鎧……グランギオルから、肌色の皮膚が浮かび上がり、表面をコーティングした。「ごらん」ルィンドの取り出した鏡を覗き込むと、そこには見慣れた顔があった。
「……俺の……」
恐る恐る顔に触れると、そこにはごつごつとした兜の感触など微塵も無く、人間の肌と同じ柔らかさがあった。身体を見下ろすと、ご丁寧に紺色の道着まで着込んでいる。
「グランギオルの機能の一つさ。君の生前の姿を再現させた。それは……知っているよ、確かニッポンとかいう国の衣装じゃないかな? 思っていたよりずいぶん若いね。
まあ、今すぐ何かを決めるわけにもいかないだろう。部屋を用意させるから、今日はゆっくり休みたまえ」