第二四話 「いっそ愚かになるならば」
キュレイン・メトネロフは、己の身に生じた異変をしっかりと認知していた。
彼ほど上位のネビロスともなれば、そう簡単に体調を崩すようなことはない。ましてや、前後不覚に陥ったことなど、生涯一度もありはしなかった。
だが、それは先日、エディルフ・クスェルを戦艦の艦橋諸共吹き飛ばすまでのことだった。
彼が、自分が何をしでかしてしまったのか自覚したのは、メトネロフ艦隊が追撃に勤しんでいる真っ最中だった。驚いたことに、追い打ちをかける命令さえ自分が出したと指摘されたのだから、たまったものではない。
大慌てで艦隊の動きを制止したものの、既に遅きに失したことは明らかだった。狂っているのならば、いっそとことん狂気に身を任せてクスェル艦隊を討滅すべきだったのだ。中途半端に正気に戻ってしまったのは、彼にとっても、そしてメトネロフ家の軍にとっても不幸だった。
(何もかも、こいつが……)
キュレインは何度となく、己が生み出した魔獣を見上げ歯噛みした。
彼が自ら栄光と名付けた魔獣は、巨大な翼で全身を覆い、あたかも繭のように艦隊に付き従っていた。
その名が意味するところは明白である。彼はこの魔獣を使役して、メトネロフ家の地位を押し上げようとした。宗主自らが同調・一体化することによって真の力を発揮するこの獣は、ルィンドにさえ天才を認められたキュレインの最高傑作である。
そして、その最重要パーツは、彼がルィンドより盗み取ったロマに他ならない。
部品として再現するにあたり、キュレインはあらためてルィンドの才能を実感せずにはいられなかった。魂という情報体の相転移を観測し、それを現実のエネルギーに置き換えるというネビロスから見ても夢物語と思える技術。キュレインは内心感服するとともに、嫉妬や憤りが渦巻くのを自覚せずにはいられなかった。
「これほどの才を持ちながら、何故」
一体何度、そう呟いたか分からない。
彼の複雑に屈折した感情は、エアルグに乗り込んだ時も全く薄らいでいなかった。
クスェル艦隊の追撃を制止したその時から、キュレインは事態を追認しつつ、頭の片隅で常に己の暴走の原因を考えていた。
その結果として、一つ明確になったのは、自分の感情抑制が極端に鈍化したという事実だった。
あたかも、底のすり減った靴で氷の上を歩いたように、思考が過激な方向へ流れていくのを止められなかった。それを自覚するのは屈辱を通り越して悲しくさえあったが、若い宗主は己の行動を認めるだけの度量を持ち合わせていたし、何故そうなったのか考えるだけの知性も十分備えていた。
「引き摺られたというのか。私が、お前に」
メトネロフ家の旗艦の甲板から、エアルグを見上げつつキュレインは呟いた。
背後には臣下の者共が付き従っているが、いずれも恐れ戦いているのがはっきり感じ取れた。キュレインや魔獣に対して怯えてもいるが、何よりこれからメトネロフ家に降り掛かるであろう運命を怖がっている。何とならば、このような事態を引き起こした愚かしい若造に対して、憎悪の色を滲ませている者もいた。
(まあ……そうもなるか)
キュレインは気付いていたが、あえて無視した。所詮彼らは自分よりも劣ったネビロスだ。いかに憎んだとて、反乱など起こせはしない。結局、運命を他者に委ねるだけ委ねて、その舵取りを誤れば一切責を負おうとしない。都合の良い連中だ。
(力に驕った私が悪いのか)
そう思わないではない。
だが、彼はすぐにその自省を打ち消した。否認したかったからではない。単に無意味だと分かり切っていたからだ。
力を厭う者は、力を信奉する者によって組み伏せられるのがこの世界だ。自分が好きか嫌いかという次元ではない。そのように出来ているから、だから力を持つしか道は無いのだ。
彼は、真後ろから追いかけてくる強大な気配を誰よりも早く感じ取っていた。先だって狙撃が成功したのは、単にエディルフが慢心していたからに過ぎない。あるいは身体の大半を失っても復活出来る準備をしていたか。いずれにせよ、彼女が規格外の化け物であることなど、分かり切っていた。
エアルグの力を最大限に使い、なおかつキュレイン自らの魔力を絞り尽くしたとして、ようやく五分といったところだろう。クスェル相手には、悪くない公算だ。
だが、それはキュレイン自身の寿命を使い潰すのと同義だ。だからといって戦いを回避したところで、死ぬまでの時間が少々伸びるだけである。最悪、エディルフと戦うことすら出来ないまま、クスェル艦隊の集中砲火で殲滅されるだろう。
「宗主、どうかお考え直しいただけませんか」
側近の一人がおずおずと進言した。キュレインはその言葉が終わるか終わらないかの内に「断る」と返していた。
「進路はこのままクトーシュに向け続けろ。一艦たりとも転進は許さん」
誰かが「愚かな」と呟くのが聞こえた。
それは貴様のことだ、と言ってやりたいし、それもそうだなと思う自分もいる。
何故、クスェルに背中を曝してまでクトーシュと戦うのか。
遺恨。そうかもしれない。自分は確かに今、怒りに突き動かされて判断を下し、臣下を死地へ誘おうとしている。
だが、これはエアルグに影響されたものではない。今自分の中に渦巻いている怒りの感情は、エディルフを撃ち抜いた時の衝動的なものではなく、もっと繊細で入り組んだ形をしている。それを、ルィンド・ニゥ・クトーシュに対してぶつけずにはいられない。
「そうだ……いっそ愚かになるならば、悔いは残さんようにしなければな」
頭上の繭を見上げながら、キュレインはそう呟いた。
その深奥に、蒼い糸でもって捕らえた魂もまた、死してなお消えない怒りで燃えている。だから自分もそれに引き摺られた。
しかしそれは、きっと良いことだったのだ、とキュレイン・メトネロフは思った。




