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第二三話 魔犬の饗宴 下

 言うまでも無く、空中戦艦シス・ラ・クスェルは様々なセクションから成り立っている。戦闘のための部署、航海のための部署、生活のための部署、あるいは貴人を遇するための部署。また、揚陸作戦を行うための陸戦隊も含めれば、乗船人数は二千人にも達する。


 その二千人悉くが、艦を震わせた異様な震動に気付いた。そして、死んだとばかり思っていた主君の声が響き渡った時、彼らは一生物として本能的な危機感を覚えずにはいられなかった。



『諸君、頑張って逃げたまえ。逃げて逃げて逃げ延びて、己が生き物として優れていることを証明すると良い』



 ネビロスという種は、同じ種族の中に極端な能力の高低差がある。大抵の場合は、頭一つ分程度の差異でしかない。しかし、その格差が雲泥としか表せないほどになることもある。そうなると、どうなるか。


 シス・ラ・クスェルに乗り込んでいた全乗員は、普段のエディフル・クスェルの姿にあまりに慣れ過ぎていた。地球のサバンナでも、肉食獣が満腹である間は、案外捕食者と被食者の間にまったりとした空気が流れるものだ。しかしそれは一時的で、かつ自然における一面的な状況にしか過ぎない。


 勘の良い者は持ち場を棄てて走り出していた。エディルフもそうせよと言ったのだから、任務放棄でも何でもない。


 だが、鈍感な者がトップに立っている部署は悲惨だった。逃げ出そうとする者を士官が押し留め、任務の放棄を叱責しようとする。その無駄な時間が命取りになった。



 それは、艦内をくまなく走る配管から現れた。



 一口に管と言っても、大小様々なものがある。船の動脈にあたるもの、毛細血管に過ぎないもの……しかしいずれも、側には必ず人の通り道がある。


 その管が、内側からひしゃげた。氷に罅が走っていくように、管の中で暴れまわる何者かは、騒々しい音と共に己の存在を周囲に触れ回る。



 そして、力に耐え切れなくなった管の一部が割れた時、中から黒い獣が飛び出し、手近にいた者へ次々と噛みついていった。



 獣は、地球で言うところの狼に酷似していた。少なくとも頭部はそうである。タールのように黒く、煙のように不定形でありながら、刃物さながらの牙や火のように赤い口腔は見る者の恐怖を掻き立てる。


 頭には左右二対の目が爛々と光っている。その色は熱した炭のようだった。


 ネビロスの原種がどのような姿をしていたか知っている者はいない。ルィンドですら証言は不可能である。彼らは、他の生き物を体内に飼うことによって繁栄を手に入れた種族だ。その過程において様々な生物の特徴を取り込んだがために、本来の姿を失ってしまったのである。人型におちついたのは、平均的な力を持ったネビロス達にとってちょうど都合の良い姿だったからに過ぎない。


 しかし、それは一握りの強者には当てはまらない話だ。力を持つ者が環境におもねる必要は無い。


 だから、このフォルモンドで誰よりも強力な一族であるクスェルは、自らの中にネビロス原種の因子を保持し続けてきた。


 煙のように変幻を続けながら、獰猛に牙を突き立てる餓狼。それが自らのギーヴァの一種であるのか、あるいは正真正銘自分の身体の一部なのか、解き放ったエディルフ・クスェルでさえ分からない。


 しかしそんなことは、狩りという一大事の前では些事に過ぎない。


 そもそもエディルフは、思い煩うということが嫌いだった。それは弱い者がすることだ。


 強者とは思ったこと、望んだことを、好きに叶えられる存在なのだから。


 だから彼女は、艦内にいる二千人の乗員全てを喰い尽くして己の魔力に換えることに、一切の呵責を覚えなかった。




◇◇◇




 艦内は瞬く間に狂乱の坩堝と化した。全てのセクションにおいて惨劇が繰り広げられ、通路は逃げ惑うネビロスとその死体、そして流血によって溢れかえった。


 ネビロスにとって、手足を失うことはさほど重大な出来事ではない。失ったらまた新しいものを付け替えれば良い、という程度に考えられる。ましてや素質と資材に恵まれたクスェル家に所属する者ならばなおさらだ。


 そんな彼らであっても、食い千切られた自分の手足が黒い餓狼によって貪られている光景を見れば、恐慌をきたすのも無理からぬことだった。


 黒い獣達は艦内を我が物顔で駆け巡り、思うが儘に暴力を振るった。中には抵抗しようと試みる部署もあったが、濁流のように押し寄せる敵の前では全く無力だった。愚かにも船室に立て籠もった者達は、配管を通って抜けてきた狼達によって手も無く殴殺された。


 そもそも命令系統などとうに消失している。彼らに出来ることは、ただひたすら逃げるのみである。そしてエディルフもまた、脱出艇や連絡艇のある格納庫だけは手出しをしていなかった。



「殿下が仰っていただろう、これは選別だ!!」



 鮮血でぬかるむ通路を進みながら、イグノールはそう怒鳴っていた。ただし彼自身が走っているわけではなく、シバーに担がれながらという形ではあったが。


「し、しかしこれは、あまりに……!」


 通路に転がっている遺骸には、赤い服の切れ端が引っ掛かったものもある。シバーにはまだ、今の状況を受け容れることが出来ていなかった。上官であるイグノールが耳元で怒鳴っていなければ、今頃同僚達と同じ命運を辿っていたかもしれない。


「クスェルのすることに意味を求めるな! そんなことを考えている暇があるなら……右だ、跳べ!」


 彼とてただ荷物になっているわけではない。左目のギーヴァは、艦内のいたるところに潜んでいるエディルフの魔獣の存在を見抜いてくれる。今しがたも、彼の掛け声に合わせてシバーが跳んだことで、足元からの攻撃を躱せたのだ。


 運が良かった。もし先日の攻撃で目までやられていたなら、こうも上手くすり抜けてくることは出来なかっただろう。


 奇しくも互いに、需要と供給を満たし合っていた形だ。


 シバーは全身の負担も顧みずに走り続けた。後ろを振り返りたりという誘惑が常に囁きかけてくる。恐ろしいもの、悍ましいものがあると分かっているのにそれを見たくなってしまうのは、人もネビロスも変わらない。しかし誘惑に負けそうになるたびにイグノールが怒鳴りつけることで、何とか手綱をとってもらえていた。


 転びそうになったことは数知れないし、上体だけを引き摺って助けを求める仲間を何度か蹴り飛ばすこともした。悲鳴と咆哮の織り交ざった響きが全方向から押し寄せ、それに突き飛ばされるようにして、シバーはただ前を目指した。


 そうして彼らが格納庫に辿り着いた時、すでにそこには大勢のネビロスが詰めかけていた。いくつかの船はすでに離艦を始めており、乗り切れなかった者が突起部にしがみついている有様だった。しかし溢れかえるほどの人数であろうと、シス・ラ・クスェルに乗り込んでいた乗員の総数から見ればほんの一部だろう。


 揚陸艇まで運用する都合上、シス・ラ・クスェルの隔壁はかなり広く大きく設計されている。当然、今は全ての船を運用しなければならないため最大限に開かれていたが、溢れ出た者の一部がそこからぼろぼろと零れ落ちていた。


「か、艦長、どうすれば!?」


「どうもこうも……」


 彼らがいるのは群れの最後尾近くだ。しかも、下手に押しのけて入ろうとすれば、かえってもみくちゃにされる恐れがある。


 その上、最後の一隻が離艦を始めようとしていた。当然ながらハッチ付近は乗員達でごった返しており、到底潜り込めそうにない。


(この位置からでは……!)


 更に悪いことに、それまで格納庫に伸ばされていなかった魔手が、ついに及び始めた。艦の中心側にいた兵士達が、壁を突き破ってきた餓狼に噛みつかれ、暗がりの中へと引きずり込まれていく。その光景は混乱に一層拍車をかけた。


「シバー、私の合図で舷側に向けて走れ」


「舷側でありますか!?」


 確かに、現在格納庫の隔壁は最大限に開かれている。しかしその先に足場は無い。


 シバーが聞き返す間も、餓狼による犠牲者は増え続けている。彼らのすぐ近くにいた水兵が噛みつかれ、床に絵筆のように血を塗りたくって引きずられていくのを見れば、躊躇いも幾分か薄れようというものだ。


「……今だ、行け!!」


「ッ!」


 最早迷っている時間は無かった。現に、彼が意を決するのが僅かでも遅れていたら、絵具になった水兵と同じ運命を辿っていたかもしれない。


 しかし、全速力で向かう先には、フォルモンドの黒い雲海が待ち構えている。「そのままだ! 飛び降りろ!!」イグノールの指示は一貫していた。背後からは黒い狼達が群れをなして追ってくる。


 二人の身体が宙に飛び出すのと、黒狼の口が閉じられるのはほぼ同時だった。二人はすぐ後ろで牙と牙が噛み鳴らされる音を聞いた。



 そして、そのまま五秒ほど落下してから、救助のために接近していた味方艦の甲板に全身を打ち付ける羽目になった。



「がっ……!?」


 受け身など取れるはずもなく、シバーは両脚から着地してしまった。足首は完全に粉砕し、大腿の骨までくまなく損傷したが、とりあえず生還した。


 当然だが、イグノールも無事とはいかなかった。着地と同時に放り投げられ、そのまま全身を打ち付けながらごろごろと甲板の上を転げまわった。もし十分に動いてくれる左腕が残っていなかったならば、手すりを掴むことも出来ず、そのまま本当に雲海へと落下していただろう。


「か、艦長、ご無事ですか……?!」


「む……うむ。やはり手足が有るに越したことは無いな」


 胸のあたりにずきずきとした痛みを覚えながら、何とかイグノールは冗談を言ってのけた。恐らく罅くらいは入っているだろう。しかし骨諸共噛み砕かれることに比べれば、物の数ではない。


 生き残ったが故の痛みに二人が悶えている頭上で、巨大な屠殺場と化したシス・ラ・クスェルがゆっくりと回頭を始めていた。




◇◇◇




 艦橋は、先制攻撃とその後の追撃によって、ほとんど野ざらしになっていた。まともな計器や機材は全て破壊され、舵輪は焼き付いて動かない。撤去することもままならない状況だったため折れた建材があちこちに突き立ち、あたかも廃墟のような有様だった。


 その焼け焦げた床を、素足がぺたり、ぺたりと音を立てて進んでいく。真っ赤な足跡を残しながら。


 エディルフ・クスェルはその際立った長身に赤い衣を纏っている。遠目にはそう見えるだろう。だが、すぐ近くまで迫れば、一糸纏わぬ姿であると気付く。唯一本物の衣類らしきものは、右手でつかんだコートのみだ。


 数日前、見る影も無いほど破壊された肉体は、今や傷一つ残さずに修復されていた。それを成し得たのは、今この時も彼女の皮膚に直接流し込まれている、同族の血潮故だ。


「ふふ……愉しませてくれる」


 大理石のような手の甲に血の雫を浮き上がらせ、それを舌で掬い取りつつ、エディルフは心からの笑みを浮かべた。


 ここまで堂々と虚仮にされたのは生まれて始めてだ。彼女は相応に怒ってはいたが、何よりも喜んでいた。


 これほどあからさまな抵抗を受けたということはすなわち、彼女に大っぴらに暴力を振るう権利が与えられたということなのだから。


 いくらクスェルとはいえ、しがらみから抜けきれない部分はある。だからルィンド・クトーシュと交渉までやった。しかしそれは、本来強者が採るべき道ではない。



 言うことを聞かない者がいるなら殴って黙らせる。歯向かう者がいるなら手足をへし折る。



 その単純極まりない論理を実行する機会は、まさに祭りと言うほかない。一切の抑圧から解き放たれたエディルフは、自由を与えてくれたキュレインに対し感謝の念すら覚えていたが、それはそれとして叩きのめしてやろうと決めていた。


 そしてその過程でどれほどの犠牲や巻き添えが出たとしても、どうでも良いことだ。


 メトネロフ艦隊が、追撃も不十分なままクトーシュ領に向かったことは掴んでいる。戦端が開かれるまで幾ばくも無いだろう。


 エディルフは形の崩れた椅子に腰を下ろし、両脚を組んだ。その長い両指からタールのような液体が迸り、戦艦に染み込んでいく。


「そら、走れ走れ。でないと祭りに遅れてしまう」


 シス・ラ・クスェルの推進機関が唸りを上げる。それは半ば悲鳴に近いものではあったが、艦全体に浸透したエディルフの魔力が強制的に船の手綱を引いていた。


 その艦首はクトーシュ領へと向けられた。

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