第二十話 廃都ムルシウス 中
その建物は、まるで子供が途中で作るのを諦めてしまった模型のようだった。
巨大なドーム状の施設から、後方に向け扇状に五本の回廊が伸びている。その先端にはそれぞれ二百メートルくらいはありそうな塔と、周辺施設とが設けられている。ムルシウス市街を見ても分かるけど、塔に塔を継ぎ足すような建築様式は、どうやら雲の上への移住以前からの文化らしい。
その尖塔に触れるかどうかという高さでも、施設の全貌は分からなかった。雪に遮られているせいでもあるけど、何よりごちゃごちゃしていて、どこに何があるのか判別し辛いのだ。子供が作った、と連想したのはそのせいかもしれない。
そして、この建物もまた、未だに「呼吸」を続けていた。
施設のあちこちから、時折気体が放出されている。どれも明らかに弱々しい。代謝が追い付いていないのか、形を保っている建物がある一方で、無残に崩れ果てた箇所もある。骨組みだけが突き出している所もあれば、その骨組みさえ雪の重みに負けてへし折れている所もあった。
「ムルシウス高等魔導院……私はここの博士だった」
隣に浮かんでいるルィンドがそう言った。声には懐かしむような色は少しも無くて、不自然なほどに平淡な響きだった。「ついてきて」と言われるがままに、俺はルィンドの後を追って院内へと降下した。
降り立ったのは、中央ドームから見て真ん中の「腕」にあたる支塔だった。廃墟とは言え、足元に立つと流石にその威容には圧倒される。噴き出している蒸気の量も他の塔に比べ明らかに多く、この死にかけの街の中で何とか生気を保っているように見えた。
「実に千年ぶりの帰還だよ。感慨深いね」
「あんまり嬉しそうには見えないけど」
「……そうかい?」
「もし思い出深い場所に帰ったなら、俺ならそんな風な表情はしないよ」
ルィンドの表情には、どこか揶揄するような色が混ざっている。あるいは自嘲かもしれない。
「……いや、私が嬉しいのは本当だよ。長生きが過ぎると、その分馴染み深いものは減っていってしまうからね。ただ」
ルィンドが手をかざすと、閉じられていた門扉に仄かな光が宿り、雪を払い落としながらゆっくりと開いた。そして内部から、長年溜め込まれていた黴や埃の臭いが這い出てきた。
「この場所が私を歓迎してくれるかは、また別の問題だ」
「……いるな、何か」
グランギオルの感覚器は、薄暗い施設の内部に何か異質なものが存在していることを告げていた。そしてそれらが、千年間現れなかった訪問者の来訪を察知して、静かにだが敏捷に動き始めたことをも教えてくれた。
両腰の剣に手が伸びたのは、自然なことだろう。そうやってすぐに臨戦態勢に入れる俺自身、グランギオルという器に慣れ始めているのかもしれない。
だが、ルィンドはそっと剣の柄頭を押さえた。
「これは私の我儘だが、極力剣は抜かないでくれ。ことにここの住人達にはね」
「それじゃ護衛の意味が無いだろ」
「流石に、この辺の雑兵程度に遅れはとらないさ」
どうだか。ちょっと心配になる。前に怪鯨に丸呑みされてから、さほど時間は経っていないのだ。
俺の胡乱げな表情に、ルィンドは若干眉根を寄せた。
「本当に助けがいる時は、意地は張らないよ」
「頼むぞ。ドラヴェットさんやリネ隊長に見栄を切ってきたんだから」
「ああ、分かってる。それじゃあ行こうか」
◇◇◇
塔の内部は、外からの見た目よりも一層広大だった。中央のドームも球場並みに広かったけど、支塔のエントランスも端から端まで五十メートルはあるように見える。入口だけでそれだ。他にも部屋があったり、廊下が巻かれるように作られていたりと、実際の直径は百メートル近くになるだろう。
壁と言わず天井と言わず、クトーシュ家の塔で見られるのとよく似た光源が無数に配置されている。それでも薄暗く感じるのは、純粋にそれらの光量が低かったり、故障しているためだ。
「書庫を目指そう」
そう言うなり、ルィンドは翼を展開させてふわりと浮かび上がった。積もり積もった埃や塵が吹き払われ、視界を濁らせる。脆弱な眼球が露出しているわけでもないのに、不思議と痒くなるような感じがした。
その鬱陶しさから逃れるように、ルィンドの後を追って塔の中枢を昇る。途中、左右を見渡してみても、不自然なほどに整っていた。建物の破損がほとんど見られない。廊下や手すりの上には足跡がつくくらいの埃が溜まっているにも関わらず、外れかけている扉や剥がれた壁板のようなものは目につかなかった。
あとは掃除さえすれば、今からでも住めるんじゃ…………何か、埃だけ吸い取ってくれるルンバみたいなギーヴァって無いのかな。どうせならオルトセラスみたいな物騒な武器をつけずに掃除に応用出来るギーヴァもつけて欲しい。この世界ってそもそも次亜塩素塩酸って言葉あるのかな。あのタペストリーとか、酸素系の漂白剤じゃないと汚れが落ち無さそうだ。それから……。
「イブキ、行き過ぎ行き過ぎ!!」
我に返った時には、ルィンドから十メートルくらい高い場所にいた。
「でもこれだけ掃除し甲斐のありそうな建物を見せられたら誰だって……!」
「筋金入りだねぇ」
茶化すような呆れたような表情を浮かべながら、ルィンドは書庫の扉を開けた。もう二、三言ってやりたいことはあったけど、目の前に現れた空間に圧倒されて、つい二の句が途切れた。
そこは、それまでの埃まみれの建物とは全くの別世界だった。そして地球人である俺がイメージしていた書庫とも、全く異なるものだった。
光る泡のようなものが、部屋いっぱいに浮かんでいる。しかし無造作かというとそうではなく、見えない線によって区切られているかのように、一定の間隔を空けて整列していた。
一つの列につき、縦方向にはざっと見ただけでも二十段……奥に向けては、一体どれくらい連なっているのか分からない。
「見てごらん」
ルィンドはおもむろに、その泡の一つに手を突っ込んだ。次に彼女の手が出てきた時、そこには一冊の本があった。
その状態の良さは、到底千年以上放っておかれた物とは思えないほど綺麗だった。爺ちゃんの倉に詰め込まれていた文学全集とはとても比べ物にならない。
「凄いだろ? これも私が作ったんだ」
「この泡自体がギーヴァなのか!?」
「ああ。保管するだけにとどまらず、自動で修復もしてくれる優れものだよ」
「……これ、地球に持って帰りたいな。一財産築けるぞ」
「はは、光栄だね」
ルィンドは軽く言ってのけたが、俺はあらためて、こいつの引き出しの多さに圧倒される心地だった。保存するだけでなく自動で修復までするシステムなんて、用途を挙げだしたらキリが無い。
何となく凄いヤツだとは思っていたけど、もしかしたらこいつは、地球で言うところのダ・ヴィンチとかアルキメデスみたいな存在なのかもしれない。だとしたら、領民が崇め奉るのも分かるし、クスェル家のような大大名が軽々に手を出せないのも得心がいく。
「さて、それじゃあ取り掛かるとしようか。まずは右から四列目の……」
漂ってきた異様な空気に、俺とルィンドは即座に反応した。
もしガス栓が開かれたまま放置されているのに気づいたら、誰だってひやりとするだろう。悪寒に突き動かされ、剣の柄を握るが、ルィンドはまたしても俺を押し留めた。そして結界の内側に無理やり引き込み、書庫の天井まで一気に浮き上がった。
「隠れなくて良いのか!?」
「もう隠れてる、外からは見えない。でも音は聞こえるから静かに」
その言葉が終わるのとほぼ同時に、書庫の中に何者かが入ってきた。
最初は、人間の背丈ほどのゆで卵が三つ現れたのかと思った。でも、そのゆで卵から手足が生えていることに気付くのに、時間は掛からなかった。
その連中は、わざとらしいほどにつるりとした表皮を持っていた。以前、メトネロフ家の宗主が化身として使っていた人形を思い出す。真っ白であるだけに、体についた汚れが殊更目立っている。
生え出た両手足は、いずれもがっしりとしていた。特に腕部は、一見不安定に思えるほど発達している。
これだけの特徴なら、あのゆで卵達にある種の愛嬌を抱けたかもしれない。
だが、連中の顔面は……正直、醜悪を極める出来だった。
酔っ払いがやった福笑いみたいに、口や目、鼻といったパーツが滅茶苦茶な並びで配置されている。しかも、その一つ一つが不必要なほど大きかったり、逆に極端に小さかった。パーツの形自体は鋳型でとったように整っているのも、かえって異形感を高めている。
「…………」
ゆで卵達が書庫の間をきょろきょろと見回る間、俺もルィンドも口を閉ざしていた。黙れと言われたから、ではない。単純に、あんな生き物が存在することがショックだったからだ……。
恐らく、あいつらと戦ったところで、毛ほども苦戦しない。簡単に蹴散らせるだろう。でもそんなことは問題じゃない。
グランギオルの感覚器ならば分かってしまう。あれは何か、「良くないもの」で動いているのだと。
そして、押し黙ったままのルィンドの横顔を見ていると、その「良くないもの」にこいつが一枚噛んでることも、一目瞭然だった。
光の泡の書架と、冒涜的な卵達。
それはきっと、ルィンド・ニゥ・クトーシュの光と闇なのだろう。




