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第二十話 廃都ムルシウス 上

 ルィンドの命で、潜雲艇は地上五百メートルほどの位置で停止した。地表からは無数の廃墟が、巨大な枯れ木のように天を衝いている。とはいえ、流石に船に触れるほどではない。


 それでも、見えざる毒は確かに船を覆っているようで、警戒心を煽るような不気味なアラームが操縦室を満たしている。「総員、防毒面装着」と命令を出しつつ、レニ隊長も口元をマスクで隠した。ルィンドもそれに従う。素顔を晒しているのは俺だけになった。


 それでも、全く影響が無いわけではない。鼻腔の奥には常にざらざらとした違和感が張り付いている。生ごみを燃やした後の灰のような、不自然な甘ったるさを含んだ臭気が、否応なしに感覚を刺激した。


「レニ、打ち合わせ通りにやろう。君達は安全高度で待機して、私の合図を待っていてくれ」


「は……しかし、ムルシウスに関する情報は古いものしかありません。いかにイブキ殿がおられるとはいえ……」


「なに、心配いらないさ。彼は頼りになるよ」


 ね? とルィンドがウインクを投げてきた。


「……頑張るつもりだ」


 正直、一宗家の主ともあろう者が、しかも現人神のように扱われているルィンドが、こんな気軽に危険地帯へ踏み入ることに違和感を覚えないではない。総大将の安全は第一に守られるべきだし、それをかなぐり捨てるような行動が褒められたものとも思えない。レニ隊長や他のネビロス達が案じるのも当然のことだ。


 しかし一方で、ルィンドと『グランギオル』の組み合わせしかないということも、頭では理解出来ていた。


 何しろ、廃都ムルシウスの地理に精通し、そこに転がっている物品の価値が判断可能で、なおかつ汚染大気に対して比較的強いのはルィンドただ一人なのだ。


 やろうと思えば、潜雲艇を地表すれすれまで降下させ、防護服に身を包んだ作業員を上陸させることも可能なのだろう。しかし活動可能時間は知れているうえ、守らなければならない人数が増えればいくら『グランギオル』でも対処しきれない。仮に強力な魔物が複数現れでもしたら、ルィンドのように飛ぶことの出来ない彼らは重装備のまま走って逃げることになる。到底助けられない。


 それならルィンドが護衛と一緒に降りて、回収する価値のある物を見つけ出し、上空からクレーンなり何なりで引き揚げさせた方が、まだしも安全だ。


 繰り返しになるけど、俺がルィンドを護り切れる場合に限るが。


「イブキ殿、宗主をよろしくお願い致します」


「はい……頑張ります」


 レニ隊長にそう返しはしたものの、不安を抱かせなかったか、少し不安になった。こういう時にもっとはっきり「任せてください!」とでも言えれば良いのだけれど、俺にはそこまでの自信は無い。


 操縦室を出て、狭い船内を移動する間も、俺は船員たちに肩なり背中なりを叩かれ続けた。どの表情も「絶対に無傷で連れ帰ってくれ」と語っていた。


 船の中心部には、二十五メートルプールとほぼ同程度の面積の格納庫がある。汚染物を積み込む場所だから、当然、そこに繋がる隔壁も二重に区切られていた。


 その一つ目の扉を潜ったところには準備室があり、ロッカーの中には鎧さながらの防護服がいくつも吊り下げられている。とはいえ、俺にとっては用の無い物だ。


 身体を『グランギオル』へと変身させる。あらかじめ用意されていた剣帯を巻いて、鞘に納められた二本の剣を吊るす。


 同時にルィンドも、両手のロマから紡ぎ出した糸で身体の周囲に結界を張る。防毒面どころか防寒具さえろくに身に着けていないけど、城壁のように堅牢な魔力の気配を確かに感じた。


「さあ……それじゃあ、出発といこうか」


 ルィンドが壁に埋め込まれた水晶球に合図を送ると、格納庫に面した側の扉が開いた。それを潜ると同時に扉がしまり、一拍おいてから船尾側の大型ハッチが音を立てて開放されていく。先ほどまでとは比べ物にならないほどの臭気が、灰色に汚れた雪と一緒に格納庫へと流れ込んできた。


「残念ながら船の気密は完璧とは言えない。尻すぼみをしている時間は無いよ」


 そう言うや否や、ルィンドは腰から一対の白い翼を展開させて、虚空へと身を躍らせた。


「……誰が!」


 人の気を知ってか知らずか分からないけど、無鉄砲な宗主を追いかけるため、俺は大鴉クローカを展開させ灰色の空へと飛び込んだ。




◇◇◇




 地表に降り立った時のムルシウスの印象は、空中から眺めていた時とはてんで異なっていた。


 確かに荒れ果ててはいる。だが、遺跡と称するには妙に騒々しかった。吹き荒んでいる風雪のためだけではない。地面や、建物の壁面から飛び出た配管からは、不規則に白い蒸気のようなものが吐き出されていた。


 地球の高層建築街もかくやというほどの建物が並び立ち、道路は大型トラックを八台横並びに走らせられそうなほどの広さだ。だけど、そのどこにも、人の気配はない。まるで世界の終わりに連れてこられたかのような心境だった。


 それだけに、これらの建物が原型をとどめたまま残っているのが不可解だった。


 ネビロスの技術がいかに優れていようと、千年間も毒の大気の中に沈んだままの廃都を維持出来るとは思えない。もし仮に出来るのだとしたら、ルィンドあたりがとっくに実現させてしまっているだろう。


「奇妙だろ?」


「ああ……なんていうか、死んでるって感じがしない」


「ふふ、言い得て妙だね。建物の断面を見てごらん」


 促されるままに近くのビル状の建物を見やると、俺の直感があながち的外れでないことが分かった。


 建材の表面は、失敗したケーキの断面みたいに、気泡のような穴がいくつも点在している。そして崩れた断面部には、雪の灰色とは少し異なった色合いの泡が、ぶつぶつと浮かび上がっていた。


 どこかで配管から蒸気の吐き出される音が聞こえた。まるで呼吸のように。


「生きてるのか?」


「一応ね」


 ルィンドは事も無げにそう言った。


「ネビロス文明の根幹は生体魔導学だ。私達の塔だってそうだっただろう? ましてや、我々種族の絶頂期に造られたこの街が、その技術を利用しないわけはないさ」


「じゃあ、条件さえ整えれば……例えば、その結界みたいなやつを張り巡らせることが出来たら、ここに移住することだって」


「そう都合良くはいかないよ。この街の組成は、とうの昔に大気中の瘴気と適合してしまっている。ほら、あの……そう、あの蒸気。あれは建物に組み込まれたギーヴァが排出する瘴気だ。普通のネビロスなら、嗅いだだけで死ねる代物だよ」


「……じゃあ、この街は何で残り続けてるんだ?」


 まるで瀕死のまま捨て置かれた病人みたいだ。そう考えるのは行き過ぎだろうか。


 聞いても仕方の無い質問だし、ルィンドに答えられるはずもない。分かっていても、つい口をついて出てしまった。


 ルィンドは少し困ったように肩を竦めてから、こう言った。



「私達の過ちを責め苛んでいるのかもしれないね」



「……」


 本当に、詮無いことだ。


「とはいえ、まだここには用がある。昔は造れたけど今は造れないって物は、結構多いからね。これからそれを拾いに行くのさ」


「それはいいけど、当てはあるんだよな?」


「もちろん。何せ、私のかつての職場だった場所だからね」

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