第十五話 新しい日常 下
虫車に運ばれて向かった先は、クトーシュ家の塔の頂上付近。ルィンドの部屋を天守閣とするなら、そこから一層低い場所に当たる。
俺も何度か来ている……それどころか、フォルモンドに来て最初に目覚めたのがこの『魔導工房』だった。
起動するやいなやステンドグラスをぶち破って空に放り出されたのは、まだまだ記憶に新しい。
ルィンドの部屋をのぞいて、基本的に塔の中心部は空洞を取り囲むような形で施設が造られている。なので、工房も他の施設に倣って、烏賊の輪切りのような形で間取りを得ていた。虫車の発着駅も塔の内部にしかない。クトーシュ家の機密が詰められた場所なので当然と言えば当然だろう。
ドラヴェットさんに続いて小さな扉を潜ると、まず巨大な本棚が目に入った。それが壁に沿う形でいくつも並べられている。なかには実験道具のようなものや、魔法を使っているらしい不思議な道具や触媒も混ざっている。いずれにせよ、あまり綺麗に並べられているとは言い難い。
書類に至っては完全に棚から溢れ出していて、現に工房に踏み入ると同時に一枚踏みつけてしまった。
本棚同士は一定の間隔をあけて配置されていて、その隙間にそれぞれ小さな扉が設けられている。時々、なかからネビロスたちが出てきては、書架の本や道具を手に取って再び扉の中へと戻っていく。誰も俺達が来たことに注意を向けない。
ここに詰めているネビロス達は、フォルモンドにおける最も高度な技術と学問を司る人達……言ってみれば、研究員みたいなものだ。工房と書くといささか小規模に思えるけど、実際にはここは最先端の研究施設というわけだ。
そして、入り口から右側に進んで六つ目の扉が、俺達を呼んだ人の居る場所だ。
ドラヴェットさんが軽くノックする。間髪入れずに「入っておいで」としわがれた声が返ってきた。
「失礼致します。イブキ様をお連れしました」
「失礼します!!」
ドラヴェットさんに続いて、俺も部屋の中に入る。
工房の分室の中央には、薄緑色の溶液を詰めた巨大なガラス管が、四本並んで立っていた。表面には解読不明の紋章や数式がいくつも書き込まれている。最上部には分厚い金属製のハッチが付いていて、部屋の天井を走る数種類の配管が直に接続されていた。
そのガラス管の足元に、背骨の曲がった小柄なネビロスがしゃがみ込んで、同じくガラス管を覗き込むルィンドと何かを話していた。
「おお、来たか!」
振り返った老ネビロスの右目は、眼窩の中に小さな目が三つはまり込んでいた。虹彩の色はそれぞれ違っている。顕微鏡のリボルバーのようにくるりと回転し、灰色の小さな虹彩に光が宿った。顎から下には、ハリネズミの背中をそのままくっつけたような刺々しい髭が生い茂っている。
忘れもしない。このエグロフ技師長こそ、俺がフォルモンドにやってきて最初に目にしたネビロスなのだから。
技師長、つまりクトーシュ家の抱える魔導士たちの頭領にあたる人だ。ネビロスの中で稀に生まれてくる長寿の一人で、その分経験や知識も豊富。内政にも関わらないといけないルィンドに代わって、ギーヴァの製造や修理、研究を請け負っている。
「すまないね、朝早くから呼び出してしまって」
ご飯は食べれたかい? とルィンドに聞かれたので、「ドラヴェットさんから頂いたよ」と答えた。隣でメイドさんが小さく頷いた。
「それより、今日呼ばれたのって……」
「過日、君がぶっ壊したオルトセラスの修理が済んだんだよ」
何て言い草だ。
「あ、あれは不可抗力だろ!?」
だが、エグロフ技師長までもが腕を組んで首を横に振っている。ドラヴェットさんは中立。どうやら味方は少ないらしい。
「いやはや、お嬢から聞いた時は儂もたまげたわい。今まで何度か代替わりを見てきたが、まさか魔導砲の光線を捻じ曲げるために使うなぞ思いもせなんだ。
まあ、おかげで新しいギーヴァのアイデアもいくつか湧いたがの」
「エグロフ、頼むから試作と称して乱造するのはやめてね? 材料も触媒も有限なんだから」
「心得とる、十二分に心得とるわい!」
小柄な技師長を見下ろすルィンドの視線には、「ホントかよ」とでも言いたげな色が多分に含まれていた。
「さて、まあ立ち話をしていても始まらん。とっとと接合に入るかの!」
◇◇◇
技師長が手回しハンドルを回転させると、ガラス管に接続されていた配管がゆっくりと引っ込んでいった。次いでガラス管本体につけられたハンドルを回すと、今度は上部のハッチが起き上がる。
脚立に乗ったルィンドが指先からロマの糸を伸ばし、液の中に浸っていた青い繭状の物体を引き揚げた。直に手に取って表面を撫でる。
「どうじゃ?」
「うん、大丈夫。ちゃんと回復してるよ」
椅子に座らされた俺は、何をするでもなくその一部始終を見守っていた。ちなみにドラヴェットさんは別の仕事があるということで、すでに工房を離れている。
「さて、と……それじゃあイブキ、心の準備は良いかい?」
くるりと振り返ったルィンドが、妙に良い笑顔を浮かべてそんなことを言ってきた。
「お、おう?」
じり……じり……と二人のネビロスが距離を詰めてくる。正直嫌な予感しかしない。
「さあ、行っておいで!」
ルィンドが先端を引っ張ると、繭はするすると一本の糸に変わっていった。今更気付いたけど、あの繭もロマの糸で出来ていたのだ。
で、果たしてその繭の中から飛び出してきたヤリイカのような生き物が、俺の右脚に触手を絡みつかせた。
「うわぁッ?!」
椅子ごと後ろにひっくり返るが、イカはお構いなしに俺の脚を這い上がり、右膝まで到達する。触手の触れるひたひたとした感触が滅茶苦茶気持ち悪い……!
だが、その感覚も長くは続かなかった。触手のヌメヌメ感が溶けるように消えていく。というより、実際に俺の脚と一体化していた。
最初に触手が、次いで甲殻に覆われた身体が、沈むように膝の中へと消えていく。同時に、今まで感じていなかった熱のようなものが、右脚に宿っていた。
「移植成功。どうだい? ちょっとびっくりしただろ?」
「……ちょっとどころじゃない!」
「ほっほっ、まあ地球人の反応としては妥当じゃな。
しかし、そうやって改めてギーヴァを装着してみると、色々と見えるものもあるじゃろ?」
確かに、右脚に宿ったオルトセラスの他にも、身体の各所で熱を持って息づいているものの存在が感じられる。この身体に慣れてしまって、大切なことを見落としていたらしい。
剣を振るう時でも、自分の五体の隅々まで意識するものだ。今も静かに、しかし盛んに存在を主張しているギーヴァたちを感じ取れなかったのは、修行不足と言うほかない。
「イブキ。そのオルトセラスは、まだ半分眠ってるような状態だ。君の呼びかけでそっと起こしてやってくれ」
「どうすれば良い?」
「いつもと同じだよ。声で呼びかけるように、頭の中で名前を呼んで、ギーヴァの眠っている箇所に意識を注ぐんだ」
すごく感覚的なアドバイスだ。だけど、言わんとしていることは何となく分かる。それにドラヴェットさんやラウーさんに手伝ってもらって、ギーヴァの扱いにも少しだけ慣れてきている。きっと出来るはずだ。
俺は目を閉じ、ルィンドに言われたように右膝へと意識を向けた。この身体には魔力というものが確かに流れていて、それが一点に集中するようにイメージを作る。
(……起きろ、オルトセラス)
そう念じた瞬間、ほとんど突き破るような勢いで円錐が姿を現した。
「GIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGI ! ! ! !」
「おわっ!?」
「げっ」
「うほっ」
三者三様のリアクションは、いつものテンションで高速回転するオルトセラスの駆動音に上書きされた。
その元気さたるや、振動のあおりを受けてガラス管が砕け、落下したハッチが床をぶち抜き、研究に没頭していたネビロスたちを混乱の坩堝へと叩き込んだほどだ。
「ガーッハッハッ、良ーぃ音じゃあ!! 魔力のケタが違ぇ!!」
「……トップ! イブ……! 早……スト……!」
「わっ、わっ、わっ!」
……恥ずかしながら、オルトセラスを再び引っ込めるまでに三十秒ほど掛かってしまった。
その間にもたらされた損害は、呑気者のルィンドをして真っ青にするほどであった。貴重な実験道具は次々と棚から零れ落ち、砕けた窓ガラスから吹き込んだ風が完成間際の論文の束を虚空に攫っていった。さらに酷いところでは、生成途中だったギーヴァたちがどさくさに紛れて配管の中に潜り込んだりもしたそうな。
たとえ台風を宴席に招いたとしても、こうはならないだろう。
◇◇◇
果たして大成功と言うべきか、それとも大失敗と称するべきかは分からないけど、兎も角もグランギオルの全体修復が完了した。
新たに工房の修理と大掃除という仕事までも負うことになったんだけど、結局、最後までそれに従事することは無かった。今回の事故で相当な数の触媒や材料がダメになったらしく、新たに仕入れないことには工房の再稼働は出来ないらしい。
仕入れ先は、雲海の下。今やほとんどのネビロスが近づけなくなった世界へと潜ること。そこで材料収集をしてくるのもグランギオルの仕事というわけだ。
もっとも、メトネロフ家との抗争が続いている以上、うかつに塔を離れるわけにもいかない。収集はだいぶ先になるものと思われた。
第一宗家の使節が到着するまでは。