表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/53

第一話 異空、フォルモンド

 気が付くと、天井があって、照明が輝いていた。どうやらストレッチャーのようなものに乗せられているらしい。


 病院にでも運ばれた……? いや、あの傷では……って、あの傷って、どんな傷だ?


 ここは本当に病院なのか。そう思った瞬間、目の前ににゅっと首が突き出てきた。


「おぅ、気がつきおったわい! お嬢、どうやら上手くいったようじゃ」


 一瞬、「何でこの爺さんは顎にハリネズミを引っ付けてるんだ?」と思った。けど、なんてことない、ただのヒゲだ。


 だが、眼前の人物が人間でないことだけは、まず間違いないだろう。


 一見すると、髭もじゃで、頭の一部が禿げた普通の爺さんに見える。


 でも、目がおかしい。左目が一個なのはともかく、右目が三つ纏めて眼窩の中に埋まっている。しかも、それが顕微鏡のリボルバーみたいにぐるっと回る。


 どう見ても人間じゃない。


「ここは……」


 もっとびっくりする場面なのだろうが、頭が追い付かなかった。ともかく所在を聞こうと口を開いたその瞬間、映画やアニメでしか聞いたことのないような爆発音が響いてきた。


 しかも、一個や二個では済まない。何発も炸裂している。振動が来るたびに天井から埃や塵が降り掛かり、どこかの建材が軋む音が聞こえた。ストレッチャーが揺さぶられ、危うく落ちかけた俺の身体を、爺さんが全身で押し留めた。


「クソっ、メトネロフの奴ら、見境無しじゃな!」


 爆発の音は少しずつ近づいてきているようだった。


 扉を勢いよく押し開け、誰かが部屋の中に飛び込んできた。


「宗主、第三防衛線まで突破されました! 間もなく敵が塔内に雪崩れ込んできます!」


「やむを得んな。エグロフ、グランギオルを出すぞ」


 落ち着き払った女の声が聞こえた。少し気だるげにも思えるが、俺はたぶん、今まであんなにクリアな声音を聞いたことが無い。


 それにしても、グランギオルって何のことだ? 防衛線が突破されたとか、敵が雪崩れ込んでくるとか……戦争でもしてるってのか!?


 困惑する俺などお構いなしに、事態は動き始めた。


「お嬢、本当に良いのか!? 調整の終わっていない状態では『オルトセラス』も『ヤンシュフ』も、ましてや『ダインスレイヴ』も使えんぞ!?」


「構わん、出し渋っていれば時期を逸する。それに『大鴉(クローカ)』くらいなら使えるのだろう?」


「その程度なら……」


「なら決まりだ。剣を持ってこい!」


 周囲がばたばたと走り回っているのが分かる。「やれやれ。降臨早々、迷惑をかけるぞぃ……!」髭の爺さんが耳元でそんなことを言った。俺が「何のことだよ」と言うより早く、ストレッチャーが動き始める。


「窓から押し出せ! 私が付き添う!」


「ちょっ、待てよ、おい!」


 俺があげた抗議の声は、折れたシャーペンの芯ほども役に立たなかった。ガラガラと音を立ててストレッチャーが押され、次の瞬間、ガラスを割るけたたましい音が響いた。



 身体が宙に投げ出される。



 そして俺は、俺の記憶に無い空(・・・・・・)を見た。



 まるで虹瑪瑙イリスアゲートの断面や、写真で見たガス状惑星の表面や、あるいはミルクを垂らした紅茶のような、いくつもの色が混沌と絡み合った不思議な光景が視界いっぱいに広がっている。



 そして、その空を貫くように、巨大な塔が何本も聳え立っていた。塔には風力発電機のようなプロペラがあちこちに据え付けられているが、動いているものは一つもない。



 今しがた、俺が突き落とされたのも、その塔のうちの一つだった。




「ここは……ここは、どこだっ……!?」




 自由落下しているという事実すら忘れて、俺は叫んでいた。悪い夢を見ているみたいだ。




「残念ながら夢ではないぞ。異邦人よ」




 轟々と鳴る風切り音の中、あの女の声が聞こえた。


 彼女は俺の真正面にいた。一緒に、落ちている。


 その顔を見て、俺の驚愕はさらに上書きされた。



 目の前で、白金を思わせる長い髪が広がり、風の中で舞い踊った。ほとんど純白と言えるような肌と、鮮やかな緑色の虹彩が印象的な、大きな目。


 何より、腰の辺りから伸びる一対の銀翼が、彼女が人ならざる者であることをはっきりと俺に告げていた。


 その翼からは、羽毛が抜ける代わりに、銀色の粒子のようなものが舞い散っている。


「あんたは……」


「すまないが、じっくり説明している時間は無いのだ……そら、来たぞ!」


 何が、と言おうとした瞬間、どこかから炎の玉のようなものが飛んできた。彼女は俺の身体を抱きかかえて、強引に落下軌道を逸らす。炎弾が塔にあたり、発生した爆炎が俺たちを吹き飛ばした。


 二人の距離が離れる。彼女は即座に態勢を立て直して宙に浮かぶが、俺はそうはいかない。


「くっ!」


 彼女が両手を振るのと同時に、指先から蒼い糸のような物が伸びた。俺は、あれを見た記憶がある。


 彼女は器用に糸を操り、落下する俺を手繰り寄せた。「『大鴉(クローカ)』を呼べ!」そんなことを言われても、俺には何が何だか分からない。


「頭の中で呼びかけろ! そうすれば、お前のギーヴァは答える!!」


「いきなり言われたって分かるかよ! それに、ギーヴァって何のことだ!?」


「それを知るのは後で良い! ともかく呼べ!」


 擦った揉んだをする間にも、炎弾は次々と放たれてくる。弾道をたどって見ると、そこには飛行船のような乗り物が数隻浮かんでいた。情け容赦は、とてもかけてくれそうにない。


「クソッ……『大鴉クローカ』ッ!!」


 迷っている場合じゃない。半ば自棄ヤケになりながら叫んでいた。


 その瞬間、俺の背中で何かが蠢いた。


 次いで、翼のひるがえる音が響き、落下速度が急激に遅くなる。紫水晶アメジストを砕いたような光が渦のように溢れ広がった。


 この時になってようやく俺は、自分の身体を冷静に見ることが出来た。


 両腕両脚はもちろん、胴も胸も、全身くまなく黒い装甲で覆われている。黒塗りの甲冑のように見えるけど、でも、歴史上の鎧よりも、はるかにエッジが効いたデザインだ。あいつ(・・・)のやってたゲームに出てくるような……。




 あれ。あいつ、って誰だ?




「ボサッとするな!!」


 彼女の言葉にハッと顔を上げる。だが、今度飛んできたのは炎の弾丸では無かった。



「見つけたぞ、クトーシュの人形ッ!!」



 銀色の鎧と、刃物のように鋭利な翼を生やした騎士の姿が見えた。


 ……そう思った時には既に、俺は突撃の勢いに押されて塔へと叩きつけられていた。


 それだけでは済まない。壁面をぶち抜き、床にぶつかってもまだ勢いは死なず、構造材やら調度品やらを巻き込みながら反対側の壁に衝突してようやく止まった。


 まるで十トンダンプに撥ねられたような威力だった。もし俺が生身の人間であったなら、最初の一撃で粉々になっていただろう。


 だが、これだけ派手にぶっ転がされたにも関わらず、俺はほとんど痛みを覚えていなかった。どう考えてもおかしい。


 身体を覆う瓦礫をどかして、何とか上体を起こす。どうやら、聖堂のような場所にいるらしい。高い天井はアーチを描いていて、所々に設けられたステンドグラスから七色の光が差し込んでいる。


 そして、明らかに戦えなさそうな人々が身を寄せ合っていた。


 彼らも、あの三つ目の爺さんや羽を生やした女みたいに、人ならざる存在なのかもしれない。けど、怯えた表情で固まっている姿を見ると、そんなことはどうでも良くなった。


 ステンドグラスの光を遮って、白衣の騎士が聖堂に降り立つ。その手には長大な剣が握られている。優に二メートルはありそうだ。あんな冗談みたいな武器、漫画の中でしか見たことがない。


「その体たらく……やはり代替わり(・・・・)の直後であったか。

 どうやら、我らメトネロフ家にツキが回ってきたらしい」


 両刃の大剣がギラリと光る。その刀身には、狐や狼を思わせる兜が映り込んでいた。俺にはまだどうしても、それが自分自身なのだと納得しきれない。


 だけど、刃の不気味な輝きがもたらす寒気も、心のどこかで震えている恐怖も、紛れもなく俺のものだ。



「させるかっ!」



 大剣が振り上げられるよりも先に、あの女が二本の剣を構えて斬り掛かっていた。白い鎧の騎士も、流石に一瞬気を取られたようだった。


 だが、女は明らかに剣の扱いに慣れていない。簡単に弾かれ、先程の俺と同じように無様に吹き飛ばされる。避難していた人達が、口々に「宗主!」と叫んで駆け寄った。



「退け、下民共。その女さえ討ち果たせば、それで戦は終わりだ。貴様らに害は加えんと約束しよう」



 ……俺の中で、何かが跳ねる音が聞こえた。



「ふざけるな! ルィンド様には指一本……ぐぁっ!」



 今の俺に、心臓があるのか無いのか、それは分からない。


 だが、心臓よりも熱く強く駆動する何かが、段々とギアを上げている。



「ならば諸共始末するまでよ。己の不明と、力無き主人を恨みながら死ぬが良い」



 あのギラギラと光る刃を見て、一つだけ思い出した。


 俺は……。



「っ……おい!」



 瓦礫を払い落としながら、俺は立ち上がった。


 白衣の騎士が鬱陶しそうに振り返る。「往生際の悪い」とか何とか、勿体ぶった口調で言っている。



「そんなに死にたいのであれば、望み通り片付けてくれる!!」



 背中の翼から光の粒を撒き散らしながら、白衣の騎士が文字通り飛び掛かってくる。誰かが「逃げて!」と言ってくれた。


 けど、逃げるわけにはいかない。


 きっと俺は、あの時(・・・)だって、誰かを傷つけようとする刃からは逃げなかったはずだ!



「『大鴉クローカ』ッ!」



 大声でその名を呼ぶ。何となく、どうすれば良いのか分かる気がした。


 背中の翼から紫色の粒子をぶちまけながら、俺は一直線に突っ込んだ。


 当然、衝突コース。だが、避ける気は毛頭無い!



「笑止ッ!!」



 大上段に振り上げられた大剣が、そのまま振り下ろされる————



 よりも速く、俺はその腕を押さえつけていた。




「いぃ、ッけぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」




 俺の意思に応えて、背中の翼が紫色の粒子を噴出させる。


 相手も押し返そうと努力したようだった。けど、まるで勝負にならない。


 両足が床を離れ、気付いた時には宙に飛び出していた。「正気か貴様!」とか何とか言ってるけど、確かに正気じゃなかった。



 だから、宙に浮かぶ船の舷側に特攻することだって、全く怖く感じなかった。



 衝突と同時に装甲板が陥没し、へし折れた建材がけたたましい音を立てて船体を突き破る。だが、『大鴉』の生じる爆発的な推力は、黒い鎧ごと半壊した飛行船を動かし、隣に浮かんでいたもう一隻を巻き込みながら向かい側の塔へと押し付けてしまった。


 間に挟まれた二隻目の船体が割れて、雲の下へ沈んでいく。塔にぶつかった時の衝撃で、俺は一隻目の甲板の上に投げ出されていた。


 こっちの船も沈みかけている。乗組員達が脱出しようと右往左往していた。


 俺は飛べるから良いけど、こいつらは無理なのか……そんなことを考えていると、船の残骸を押しのけて、あの白い鎧の騎士が姿を現した。



 だが、鎧はもう原型をとどめていなかった。無数の擦り傷や汚れが全身を覆っている。俺が掴んだ右腕は、装甲ごとへし折れていた。翼は両方とも潰れている。歩くのがやっとのていだ。


 だが、こいつはまだ諦めていない。左手に持ち替えた大剣が、あいつの闘志を物語っている。


「もうやめろよっ! 勝負はついただろ!!」


 驕るつもりはないけど、これ以上戦うことに意味があるとは思えない。


 だが、それで引き下がってくれるほど、敵の覚悟は甘くなかった。



「帰れる……ものか。


 もとより貴様を討ち果たすことが我が主命。


 異界の者の魂魄よ、因果地平の彼岸へ還るが良い……!」



 俺の足元に二本の剣が突き立った。「使え!」見ると、銀色の翼を展開したあの女が宙に浮かんでいた。


「……」


 だが、俺は躊躇ってしまった。刃物を持つことや、それを使って敵を斬ることに、禁忌に似た感情を覚えたからだ。きっと、俺はそういう道徳を深く教えられていたのだろう。漠然とだけど、そう思う。


 けど、そんなのは俺一人の事情だ。敵にとっては何の関係も無い。


 翼を折られた白衣の騎士が、背中から光の粒を吐き出しながら飛び掛かってくる。その機動は不格好だが、勢いには一切の逡巡が無い。



 そこから先、俺は自分の身体に何も命じていない。



 まず、右手が甲板に突き立っていた剣を引き抜いた。それで、振り下ろされた剣を受け流す。


 たぶん、ここまでは俺自身の反射だ。自分で「やった」という手ごたえがあった。


 でも、そこから先のことについては、俺の意思は全く介在していない。




「GIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGIGI! ! ! !」




 右脚が、勝手に動いた。勝手に動いて、吼えていた。


 膝当てと思っていた装甲からドリルみたいなものが飛び出した。螺旋の表面に開いた無数の口から、耳障りな鳴き声を発しながら回転する。


 そして、ドリル付きの膝蹴りが、白衣の騎士の腹を抉っていた。


 装甲の破片と一緒に血や肉片、骨が内側からバラバラと飛び散る。返り血が俺の半身を濡らし、断末魔の絶叫が響き渡った。


 敵の兜の隙間から血が噴き出し、それとほぼ同時に、真っ二つになった身体が沈みかけの船の甲板に倒れ伏した。


 ドリルが膝当ての中に引っ込む。それでも俺は、動くことも出来ず固まっていた。飛行船が傾き、俺はあっさりと体勢を崩した。敵の死骸が血の筋を引きながら甲板を滑り落ち、雷の走る黒い雲海へと落ちていく。



 もし、俺の腕にあの蒼い糸が絡みつかなかったら、一緒に落ちていたことだろう。



「召喚早々、苦労を掛けたな。敵は退しりぞいた。君のお陰だ」



 顔を上げると、あの女が銀色の翼をはためかせて、宙に浮かんでいた。


 その後ろには、地球では絶対に見ることの出来ない、紫水晶のような満月が浮かんでいる。




「…………教えてくれ。ここはどこなんだ。俺は……どうなったんだ……?」




 自分でも、声が震えているのが分かった。色々なことが一度に置き過ぎて、頭が事態に追い付いていない。


 混乱しきった様子であることは、彼女にも分かったのだろう。微笑を浮かべて「まあ、長い話になる。腰を落ち着けてからでもよかろう」と言った。


「とりあえず、一つだけ言っておこうか」


 彼女は空を見上げた。虹のように色を変える空と、そこに浮かぶ紫色の月を見上げて。



「ようこそ、フォルモンドへ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ