第十五話 新しい日常 上
この世界で生きていく。
そう決めてから、あっという間に二週間が過ぎた。
いざここで過ごすとなると、毎日覚えることや慣れなきゃいけないことは山積みで、夜になると一気に疲労が押し寄せてきた。
こんな身体で疲れなんて……と思っていたけど、自然と眠くもなるし、腹も減る。そういう生理的な機能は完全に再現されていた。
ルィンド曰く、そうしないと色々狂うから、だそうだ。
身体の違和感が収まってくると、次に気になったのは生活そのもののことだった。
日本にいた頃の記憶は、まだ完全には戻っていない。それでも日常的に何をしていたのかは、いくらか思い出すことが出来た。
朝は五時起き。
まず最初にするのは、ソルギン・メトネロフの位牌に手を合わせること。位牌と言っても、貰った木の板に名前を書いただけの粗末なものだ。
俺がこの世界に来て、最初に戦った相手の名前。あとでラウーさんに聞いたら、メトネロフ家の忠臣として名の通った人物だったそうだ。
魔導傀儡になるのは、並大抵の決意では出来ないという。安直な表現だけど、サイボーグみたいなものだ。肉体の一部を失う代わりに大きな力を手に入れる。違うのは科学を使っているか、魔法を使っているかだけ。
ぼろぼろになっても立ち上がってきた姿は、今でも頭の中に焼き付いている。
こんなことをしたところで、あの黒騎士の霊が慰められるとも思えないけど、自分自身に最低限のルールは課しておかなきゃいけない。
爺ちゃん曰く、神や仏に手を合わせない人間に、剣を持つ資格は無いという。今になって、その教えがいかに正しかったか実感している。
こうでもしないと救われない。相手も、自分も……。
…………。
「よし」
部屋の中には、今のところ最低限の物しか置いていない。元々物持ちしない性格だけど、忙しすぎて家具をそろえる余裕が無い。せいぜいベッドと机、椅子、クローゼット、振り子時計……本当にそれくらいだ。
クローゼットからシャツとズボンを引っ張り出して着替える。グランギオルの機能を使えば必要ないプロセスだけど、なんというか、非常に不潔な感じがして嫌だった。
同様の理由で当然風呂にも入る。一日に使える水の量が決まっているので、毎日湯舟に湯を張って……とはいかないのが辛いところだ。シャワーだけで済ませる日も多い。
とりあえず洗顔と歯磨きをしてから、燈台小屋を出る。
後は一時間、ひたすら走る。
ランニングコースは日によって変えている。塔の構造を覚えたり、市街地の地形を把握するのが目的……なんだけど、半分は趣味だ。
元々走るのは好きだし、未知の世界の街並みを見て回るのはテンションが上がる。飛行船の発着場を横切り、塔の外周に沿って作られた連絡通路を渡る。すぐ下に雲海が広がっているランニングコースって、なかなか贅沢だと思う。
通路は、最初に俺が降り立った発着場へと続いている。そこから各支塔に向かって、さらに連絡橋が渡されている。
朝日を浴びた本塔を横目に後目に走っていると、じきに「農業区」に入る。その名の通り、麦畑(麦かどうかは分からない)が広がっていて、俺より早起きのネビロスたちが黙々と働いている。同じような区画は他の支塔にもあって、それぞれ野菜や家畜、あるいは養殖魚まで育てているというから驚きだ。
先日、貯水槽の中で派手に暴れてしまったから心配していたけど、どうやら問題になるほどではなかったみたいだ。スプリンクラーからは噴水のように澄んだ水が噴き出していて、小さな虹の下でネビロスの子供がはしゃいでいた。
彼らの魔導工学をもってすれば、ここまで大規模な食糧生産区画を造る必要は無いという。事実、魔導傀儡は食事を摂らなくても生きていけるらしいし、俺の身体だって最悪何も口にしなくても動く。
そういう手術を領民達に課している宗家もあるらしいが、ルィンドはその選択肢を採らなかった。
曰く、「生物として歪」だから。
『種として生き延びることは大切だよ。でも、それを優先するあまり、ネビロス本来の魂まで忘れてしまったら、悲しいじゃないか』
そんなことを言っていた。
もちろん、それがある種の偽善であることは、あいつ自身が一番良く知っているはずだ。俺……グランギオルという、異世界人の魂を動力にした兵器を使って得る平和……それでも、その平和にあいつは価値を見出した。
そして俺も、彼らに協力することを受け入れた。だから、言ってしまえば俺だって共犯者みたいなものだ。
……なんて、込み入った話を考えるのは、今はやめておこう。
支塔の一つを回ってから、同じルートでまた本塔に戻り、外周を一巡する。最後に内部のトンネルを通って、また港湾区に戻ってくる。それでランニングは終わりだ。
燈台小屋への帰り道の途中、ふと気になった場所がある。倉庫と倉庫の間に設けられたバスケットコート。周囲の風景とあまりに溶け込んでいて、全く違和感が無い。お陰で、ランニングを初めて一週間目にようやく気付いたくらいだ。
なんでこんな所にバスケットコートが……と思ったけど、初日にドラヴェットさんが、部屋からボールだけ持って行ったのを思い出した。俺の先代にあたる人が作らせたのかもしれない。
そして今、当のドラヴェットさん本人が、コートの端っこに立ってドリブルをしていた。
最早見慣れてしまった硬派なメイド服に、バスケットボールを加えてみても、今ひとつ見栄えが良くない。むしろシュールだ。
だがネビロス的には自然なのか、コートの外には早出の作業員達が集まって、ドラヴェットさんの次の動作を固唾を飲んで待っている。
ドラヴェットさんはいつものポーカーフェイスのまま、メトロノームみたいに正確なリズムでボールを弾ませている。
そして、それが急に乱れたと見えた瞬間、スカートを翻して一気にコート中央までダッシュした。観客から「おおっ!」と声が上がり、その後ろに立っている俺も、思わず身を乗り出していた。
そのまま一直線に駆け抜けて、もしやダンクでもするのか……と思った。半分はそれで正解。
ドラヴェットさんが跳んだ。ただしハーフライン……コートのちょうど半分の場所で。
「んん……?!」
ライフルから発射された銃弾みたいに回転しながら、メイドさんは低空飛行でゴールの真下を通過する。やたらと強化された動体視力のお陰で、回転と回転の合間にボールをネットへと叩き込んだのは見えたが、彼女が再び着地するまでに一秒も経っていないだろう。
地面にシュタっと降り立つと、そのまま体操の選手よろしく両手を上げてポーズをとる。同時に破れんばかりの大喝采が巻き起こった。
「跳躍点10、回転点10、芸術点10! ついでに非破壊ボーナス10!」
「凄ぇ、過去最高点だ!」
「さすがは侍従長殿!!」
俺は一体、何を見せられているのだろうか。
そうして呆気にとられていると、目線がドラヴェットさんとばっちり重なった。
……最近ちょっと分かるようになってきた。ドラヴェットさんはあまり表情を変えない人だけど、まとっている雰囲気は結構変わりやすい。
今も、沸き立つ周囲とは裏腹に、どこか置いていかれているような寂しさを感じた。
そんなしんみりとした雰囲気もすぐになりを潜めて、ドラヴェットさんは俺に向かってペコリとお辞儀をした。




