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第十四話 千年夢話 下

 瞼の上から差し込む日光で目覚めた時、ルィンドはようやく、自分が夢を見ていたことに気付いた。


 目の前に広がるのは、千年前から変わらない黒い雲海。動かないまま錆びついてしまった風車。隣を見ると、そこにはかつての友の姿は無い。


「もう、何度繰り返したかな……」


 そう呟いて、ルィンドは深く椅子に座り直した。あの会話は、まるで昨日のことのように思い出せる。しかし未だに戦いは続き、終わる気配さえ見えない。


 溜息をついた時、背後で物音がした。振り返って見ると、紺色のはかまと白い胴衣を着た少年が立っていた。


「おはよう、昨夜は世話になったね」


 少年はおずおずとバルコニーに進み出てきた。歩き方が少しぎこちない。もぎ取られた方の脚は関節部から取り換えたが、感覚が戻るまでにはしばらく掛かるだろう。


「あんたは、大丈夫そうだな」


「いやいや。あんまり長引いたらドロドロに溶かされてただろうからね。どうなることかと思ったけど、上手くやってくれて助かったよ。

 ドラヴェットは、まだ寝てるかい?」


「……ん」


 イブキはバツが悪そうな表情で視線を逸らした。居室まで連れ帰ったは良いが、いくらルィンドの部屋が大きいとは言っても、寝具の数は限られている。悪いと思いつつイブキはソファに、ドラヴェットはベッドに寝かせたのだ。


 彼の初心な反応から察するに、どうやら起きてから結構戸惑ったらしい。女性にも慣れていないのだろう。


(……そう、まだ子供だ)


 自分は、外見こそ彼らとさして変わらない年頃に見えるが、実年齢は比べ物にならない。イブキの青臭さや、ドラヴェットの張り詰めたような部分を客観的に見ることが出来る。


 ここまで巻き込んでしまっては今更かもしれないが、辞退する道を示しておくべきかもしれない。


(何もかも、私の身勝手が原因なんだ。それに付き合わせることはない)



「イブキ、君は……」「あの」



 言葉と言葉がぶつかり、互いに面食らった。顔を見合わせて若干のけぞる。ルィンドはわざとらしい咳払いをしてから「どうぞ?」と促した。


「いや……この身体のことで、相談があって」


「嫌になったかい?」


 心のどこかに「そうだ」と言って欲しい部分があることを、ルィンドは自覚していた。そうすれば心苦しさを覚えずに済む。


 だが、彼が言い出したのは、それと正反対のことだった。




「迷惑じゃなかったら……もう少し使わせてもらえないか?」




 ルィンドはしばし茫然となった。いくらかしゃんとしている以外には、見るからに普通そうな少年がそう答えるとは思っていなかったのだ。


 いきなり戦争の渦中に放り込まれ、次は化け物退治をした挙句に片脚を吹き飛ばされている。「もううんざりだ」と言われても仕方が無いと思っていた。ところが、実際は正反対の答えが返ってきた。


「……やっぱり、駄目か?」


「い、いやいや! こっちとしては願ってもないことだよ!」


 事実、ロマの糸で魂を絡め取るのは、なかなかの難業なのである。スムーズにいくこともあれば、数か月間何も引っ掛からないこともある。その間、戦力に大きな空白が出来てしまうのは、非常に危険だ。


「私としては大いに助かるよ。でも……分かっているよね? その身体を使うということは、この世界で戦い続けてもらうということだよ?」


「……分かってる。覚悟したつもりではいるけど、実際、どうなんだか……」


「無理をする必要は、無いんだよ?」


 少年は固く目を閉じた。緊張や恐怖からではなく、瞑想のためだった。そうする習慣が身についているのだろう、とルィンドは思う。


 そんな彼だからこそ、半端な覚悟で物を言ったりはしないはずだ。


 もう一度目を開いた時、イブキはしっかりと彼女の視線を受け止めていた。



「これは俺の我儘だ。あんたが駄目だって言うなら、それでも構わない」



「……理由を聞いても良いかな?」



 少年は少しだけ相貌を崩した。そして、どこか懐かしむような表情で「楽しみたくなったんだ」と答えた。



「楽しむ、か。まだ知り合ったばかりだけど、あまり君らしくない答えだね」



 そう返すと、イブキは苦笑した。「実際、そうなんだよ」



「俺の答えじゃない。でも……そうしてみたいって思うんだ」



 少年は地平線に視線を向けた。ルィンドもつられて同じ方向を見やる。



「お前は真面目過ぎる、もっと楽しんだ方が良い。そう言ってくれた奴がいたんだ。でも、それを果たす前に死んでしまって……結局、何も出来ないままだった」



「ここでは楽しむ余裕なんて無いかもしれないよ? 一旦は迎撃したけど、キュレインはきっと諦めない。まだまだ戦いは続くかもしれない」



「それが、ここで生きていく上でのルールなんだろ? だったら従うよ。

 とりあえず生きてみないことには、何も分からないからさ」



 生きてみる……その言葉を、ルィンドは胸の内で繰り返していた。


 長く生き過ぎた自分には、今ひとつ実感しにくい言葉だ。あるいは遥か昔に彼と同じ心境を抱いた時があったかもしれないが、流石にもう憶えてはいない。


 こういう感性は、彼のような少年でなければ、抱きようがないのだろう。そう思うと少し羨ましくなった。


「君がそう言ってくれるのなら、私としては拒む理由が無い。ふふ、最初は物凄い剣幕で怒っていたのに、ずいぶんと鮮やかな翻意だね?」


「そ、それは! ……悪かったよ」


「謝ることじゃないさ。

 ……ただし、一つだけ覚えておいて欲しいことがある」


 ルィンドは椅子から立ち上がった。深夜からずっとこのままの体勢だったので、脚に少々痺れを感じた。



「昨日も説明した通り、その身体は君の魂を動力源にして動いている。でも、それは燃料として消費しているという意味ではない」



 指を少年の胸の中心……人間ならば心臓にあたる箇所に突きつける。



「魂とは、言ってみれば高度な情報の集合体だ……と、判明している。それは死という現象を境に別の相へと転移していく。常温に置かれた氷が溶けていくようにね。


 しかし、死から先の領域は、我々が当たり前のように享受している法則が通用しない。


 魂の分散、つまりエントロピーが増大しても、エネルギーは減るどころか逆に増える兆候を見せる。私のロマはその現象を観測することによって、グランギオルを動かす力へと変換しているんだ」



 イブキは全く理解出来ていない。それは表情から簡単に見て取れる。



「早い話、君の魂は、今この瞬間も別の相への転移を続けているということさ。私はせいぜい、その反応を見て取って、遅らせるくらいしか出来ない」



「……その、転移ってやつが終わった時が……」



「君があるべき場所に向かう時、ということだよ」



「そうなったら、どうなるんだ?」



「分からない。賢者ムーンレイティアは、この転移そのものを天国に向かう過程だと説明した。また、別の者はより高次元の世界に行くための儀式だと言った。つまり何も分かってはいないんだ。

 まあ何にせよ、それが自然の成り行きということだね」



「じゃあ、自然じゃない成り行きもあるってことだな?」



「……」


 

 まさかあっさりと裏側を読まれるとは思っていなかったため、ルィンドは若干面食らってしまった。その沈黙自体が答えになってしまった。


 それは何なんだ、とイブキは尋ねようとした。だが、ルィンドが片手を突き出して「待った」を掛ける。



「悪いけど、それを教えるわけにはいかない。言ってみれば裏技だからね。知っても碌なことにはならないよ。


 私が君に覚えておいて欲しいと思うことは一つ。その身体を使っていても、いずれ終わりが来るってことさ。そしてそれがいつになるかは、私にも分からない」



 イブキは納得出来ない様子だったが、いつになく真剣なルィンドに気圧され、それ以上同じ追及を繰り返そうとはしなかった。


「さて、それじゃあそろそろ、日常に戻るとしようかな。やらなきゃいけないことが山積みだからね」


 もう日も昇っちゃったし、と言い残して、ルィンドは少年の隣を通り過ぎた。だが、寝室で休んでいるドラヴェットを呼びに行こうとした時、「俺からも一つ良いか?」と声を掛けられた。




「あんたは……あんたは、何を望んで、そんなに長く生きてるんだ?」




 それは嫌味でも何でもなく、純粋な疑問に他ならない。イブキの表情がそれを物語っている。ルィンドも「知ってどうするんだい?」とは言わなかった。


 すぐに思い浮かんだ言葉は「責任」だった。クトーシュ家の宗主として、数多くのネビロスたちの命運を握っている自分は、そうそう簡単に全てを投げ出すことは出来ない。


 だが、イブキはあえて「望み」と言った。


 ふと動かない風車を見上げる。そして答えた。




「風を待っているんだよ。あの風車を動かし、忌まわしい黒雲を吹き飛ばして。


 もう一度、フォルモンドの大地に降り立たせてくれるような、そんな風を……ね」

 



 千年生きても、そんな風は吹かなかった。彼女の鋭敏な理性は、フォルモンドの大地が閉じられたまま二度と開かないことを悟っている。それでもなお願わずにはいられない願いだった。


 虫の良い話だ、と自嘲しながらも。


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