第十一話 ダンジョンバトル
扉の先には延々と螺旋階段が続いていた。
足場は鉄か何かで出来ているのに、壁面は嫌に有機的で、よく見ると血管のようなものがビクビクと震えているのが見える。間違っているかもしれないけど、何となくルィンドの部屋にあった机を思い出した。
あちこちに埋め込まれた発光体が闇を照らしているものの、かえって不気味さを増していた。光の当たらない箇所に何かいるんじゃないかと、無意識のうちに視線が暗闇へと引き寄せられる。
まるで排管の中。いや、巨人の体内と言った方が良いだろうか?
ついでに言うと、少し……いや、かなり臭い。それこそ、炎天下の簡易トイレみたいな臭いがする。
「ここ、何なんです?」
「転換層上層区画、と私たちは呼んでいます」
教えてくれたドラヴェットさんは、若干鼻声っぽい。それもそのはずで、目から下をぴっちりと覆うような防毒マスクをつけている。他のネビロスたちも似たり寄ったりだが、特に犬っぽい外見をしているラウーさんに至ってはマズルマスクで鼻先を覆っていた。
「転換?」
「ああ。ここで空気を浄化しているんだ。他にも排水を濾過したり、逆に汚染された土壌よりもっと深いところから水を引いたり……そういう場所だよ」
一人ルィンドだけは、水泳選手が使っているような鼻栓で済ませている。あまり臭いに辟易している様子も無い。
「あまり良い臭いじゃないけどね。これでも、もっと下層の有毒層に比べたら、随分マシな方さ」
「マシというか、俺ら程度が降りて行ったらイチコロでさぁ」
ラウーさんが笑うと、マズルマスクの先端から「ふすー」と息が噴き出た。
彼らにとっては当たり前のことなのかもしれないけど、改めてこの世界の過酷さの一端に触れた気分だ。ルィンドからあらかじめ教えられてはいたけど、現実はより一層シビアなのかもしれない。
「……って、じゃあここ、かなり重要な場所なんじゃ……!」
「そうだよ。あまり魔獣どもに好き勝手させるわけにはいかない。
あの魔獣、たぶん怪鯨がベースだろうが……あいつら、何でも食べるからな。放っておくと、転換層の有機部品を食い荒らされるだろう」
有機部品ってのが何なのかは分からないけど、もしフィルターみたいなものだとしたら、下層に溜まっている毒が居住区まで昇ってくるかもしれない。そうなったらどうなるかくらい、考えなくても分かる。
「急いで探さないと……!」
言いかけた瞬間、俺の鼻腔の中に、転換層の空気とはまた別の腐臭が忍び込んでいた。
「気付いたようだね」
ルィンドの言葉に反応して、ネビロスの兵士達も各々の武器を構え直した。ラウーさんは腰から軍刀を抜き放ち、ドラヴェットさんは両足に銀色の光を生じさせる。
「…………」
俺も、腰に差していた二振りの剣を抜いた。同時に、皮膚の中から浮き上がるようにして、黒い装甲が全身を覆っていく。
……でも、腕が震える。
ルィンドはこれを最強の魔導傀儡と呼んだ。だが、中に入っているのは多少剣道を習っていただけの子供だ。心にまでは鎧を着せられない。
「イブキ様、宗主の護衛をお願いします」
振り返ったドラヴェットさんが、そう言ってくれた。そして、滅多に動かない顔で不器用に微笑む。
そんな彼女の真上から、白い怪物が大口を開いて降ってきた。
「ドラヴェットさん!!」
俺は大声で叫んだ。
だが、この場で焦ったのは俺一人だけだった。
「ご安心ください、イブキ様」
ドラヴェットさんが大きく身体を捻り、宙を蹴りつけた。まるでバレエダンサーのような優雅で伸びやかな動きだった。
爪先の軌道は綺麗な円形を描き、その軌道に沿って描かれた銀色の光が、刃となって頭上の怪鯨を両断した。
光刃は、真っ二つになった魔獣を体液や内臓ごと吹き払い、両側の壁に叩き付ける。
「前線は我々が……私と、ギーヴァ『舞曲王』が担いましょう」
いつの間にか、彼女の足には真珠色のトウシューズのような靴が現れていた。だが、先端は鋭く尖り、踵の部分からは白鳥のそれを思わせる翼が生えている。
塔の中を案内された時から、今までの間にたびたび見せられていた銀色の光の正体……それが、あの舞曲王という名のギーヴァなのだろう。
だが、しみじみとそれを鑑賞している余裕は無かった。
「ッ!」
天井の暗がりや、小さな横穴から、次々と鯨型の化け物が飛び出してくる。多い。二十匹くらい数えたところでカウントを諦めた。
ドラヴェットさんが床を蹴り、壁を蹴り、立体的な動きで次々と敵を蹴り倒していく。それでも全て倒しきるには至らない。
メイドさんの迎撃を突破した一群がルィンドめがけて殺到してくる。俺は咄嗟に剣を構えたが、それより先にラウーさんに指揮されたネビロスたちが防陣を張った。
「総員、構え!」
ラウーさんの命令は至極当然のもの……だが、怪物たちの咆哮が空間に充満しているにも関わらず、やけにはっきりと耳に届いた。
それだけじゃない。手の震えが止まり、逆にドクンドクンと強く脈が走り出す。興奮ともまた違った感覚だ。完璧なウォームアップが出来た時のような……。
「『勢統撃声』。彼の喉に仕込まれた、声帯のギーヴァだよ」
「声帯!?」
「軍指揮官の間では、結構ポピュラーなギーヴァだね。声に魔力を上乗せして全軍に伝播、命令を過たず伝えたり緊張をほぐしたり出来る。
ただ魔力励起の機能まで盛り込んでるのは、流石だね」
振り向いて「褒めねえでくだせぇ」と言いつつ、ラウーさんは軍刀で敵を斬り払った。
「他にも……」「ワンッ!」「あんな感じで、声そのものを武器にしてひるませることも出来るんだ。便利だろ?」
「や、確かに凄いけど」
明らかに犬の鳴き声だったのが気になる。
……気を取り直して。
他のネビロスたちも、寄せ手を上手く捌いている。ほぼ全員が槍みたいな長柄の武器を携えていて、リーチと数を活かして怪鯨を迎え撃っていた。
槍、というよりも、かつて中国で使われていた火槍の方が近いかもしれない。槍の穂先の近くに火薬を入れた筒を巻き付けて点火。音や火花、破片をぶつけるという武器だ。
何でそんなことを知っているのかと言われたら……分からないけど、多分好きだったんだと思う。
それはともかく、ネビロス火槍は中国の古代兵器よりもずっとちゃんとした代物のようだ。突き刺すと同時に筒の部分が光を放ち、敵の胴体に風穴を開ける。何度も使える辺り、火薬などではなく魔法を応用した武器なのだろう。
「銃は無いのか?」
ふと気になったことを、ルィンドに聞いてみる。
「あるにはあるよ。ただ、君らの世界みたいに火薬式じゃなくて、魔導銃砲ってことになるけどね。それだって、使う者によって大きく差が出るから、兵器として普及させるのは難しいのさ」
……なるほど。考えてみれば、地球で銃が普及したのは、大量生産を可能にするだけの資源があったからだ。
フォルモンドでも、やろうと思えば出来るのかもしれない。でも、彼らはすでに地球と別系統の技術を普及させている。その技術進化の流れのなかで、銃やそれに類する技術までも並行して伸ばす必要性が無かったのかもしれない。
「それともう一つ、肝心なことだけど……」
ルィンドはまだ何か言いたげだったが、メイドさんやラウーさんの防衛網を突破した怪鯨がこちらに向かっていた。
腕の震えは止まっている。鞘を滑る刃の音が心強い。
あとは、殺生をする心構えが俺にあれば……。
「フンガモッフフガモッガモモッフフ!!!!」
……えいっ。
「なんか結構あっさり斬ったね」
「や、キモくて……」
考えてみれば、夏場にゴキブリを叩く時だってそんなに葛藤しないよな。
◇◇◇
その後も怪鯨は延々と湧き続けたけど、ドラヴェットさんやラウーさんの働きもあって特に苦労も無く撃退出来た。大げさにグランギオルに変身していたのが馬鹿らしくなったほどだ。
それでも、左右の剣で五匹ほどの怪鯨を斬ったから、まるきり仕事をしていないわけじゃない。
一度は腕に噛みつかれたりしたけど、案の定ダメージはほとんど無かった。一応痛みのようなものはあったけど、魔獣の歯の鋭さと全く結びつかない程度の痛覚にまで引き落とされていた。
そういう感覚が無いと危機意識が薄れてしまうから、なのかもしれない。
「大方、片付きましたか……?」
空中で八面六臂の活躍をしていたドラヴェットさんが、ふわりと鉄の床に降り立つ。一メートルくらいはあった『舞曲王』の翼が、鉛筆くらいの長さにまで縮んだ。
改めてみると到底戦闘用とは思えないほど凝った作りのギーヴァだ。芸術品と言われても通じるかもしれない。
そんな、御伽噺に出てきそうな靴で三十体以上の魔獣を撃破しているのだから、つくづく綺麗な武器ほど恐ろしいと思わされる。お陰であちこち死骸だらけで、生臭さは最初より一層凄まじくなっている。
そんな地獄絵図の中に立ち、額に跳ねた血をコートの裾で拭うドラヴェットさんは、どこか危険な色気を醸している……ように見えた。
「すいやせん、侍従長殿にばかりご苦労をお掛けして」
「いえ。皆様もお怪我が無いようで、何よりです。イブキ様……」
ドラヴェットさんがこっちを向いた。俺は反射的に「はい!」と答えたけど、ドラヴェットさんの目が点になっているのを見て、何だと思い後ろを振り返った。
果たして、さっきまでとは比較にならないほど大きな怪鯨が、天井から音も無く忍び寄り、ルィンドの上半身を「ぱくり」と咥えたところだった。
「「「そ、宗主ぅぅぅぅぅぅぅぅッ!!??」」」「ワォーン!」
ネビロス達は叫び、ラウーさんは鳴き声を上げ、俺はと言うと呆気に取られて固まってしまった。
そうこうするうちに、怪鯨の親玉は「ごっつぁんです」とでも言うかのようにルィンドを丸呑みして腹に納め、いつの間にか開いていた天井の大穴の中へ潜り込もうとしている。
「ッ!」
俺たちの中で、最初に動いたのはドラヴェットさんだった。再び『舞曲王』の翼を展開して、ロケットみたいな勢いで蹴り掛かる。
しかし、彼女の渾身の一撃は、怪鯨の皮膚を裂くどころか逆に跳ね返されてしまった。咄嗟に身体を受け止めるが、魔獣は爬虫類を思わせる滑らかさで穴の中に消えてしまった。
「……やはり、私の魔力では……!」
メイドさんが悔しそうに歯噛みする。
……分かってる。
「俺が行きます」
ドラヴェットさんが驚いたようにこちらを見る。何か言おうとしたようだったけど、その時にはすでに、俺の背中に生えた『大鴉』が、紫色の粒子を撒き散らして俺の身体を押し上げていた。