91話 幹部会議 その3 イア!! ニグラト!!
第1回 女神教 幹部会議
開催場所、参加メンバー等については、89話、まえがきを参照のこと
「そう言えば、畑大悟、あなたに、まだ教えていませんでしたね」
今まで、頭に右手を当てて、洗脳魔法によって信者を増やしてきたが、手作業で信者を増やして行くだけでは限界がある。
俺は、女神様から、洗脳魔法以外の方法で、信者を増やす場合に、どういう基準で信者の認定が行われるのかを聞くことにした。
「確かに、信者も増えてきたようですし、伝えておかなければいけませんね」
参加者の顔を見回しながら、女神様が言った。
「信者としての地位が確定するためには、2つの条件を満たさなければなりません。1つ目の条件は、帰依の心です」
「キエ……、ですか?」
「そうです。私や、私が支配する世界の存在を認め、なおかつ、私にすがり、新しい世界の出現を待ち望む心です」
なるほど、漢字を当てると“帰依”ということか。
「まぁ、この1つ目の条件が満たされれば、もう信者になったようなものです。条件の2つ目ですが、契約の儀式を済ませていることです。この儀式は、信者であることを確認し、確定させるためのものです。これによって、私と、その信者は接続され、繋がりが、より強固なものとなります」
契約の儀式? 魔法陣を床に描いたり、生贄を捧げたりするのだろうか?
「ふふっ、本当に、あなたは、そういうことを、よく想像しますよね。でも、違いますよ。もっと簡略化されたモノです。祈りの言葉を、私に捧げるだけです」
相変わらず、俺の思考は女神様に読まれている。
「うーん、もうすでに信者になっている皆さんには、非信者の場合と比べて、効果の実感がうすいかもしれませんが、試しにやってみましょうか」
どうやら女神様が実演してくれるらしい。
「まず、胸の前あたりまで、両手を持ってきて、人差し指と、親指で、8を横に倒したような、∞の形をつくります。皆さんもやってみてください」
これは、いつも信者が、祈る時につくっている指の形だ。
女神様の指示に従って、俺を含めた、会議参加者20名が、一斉に∞の形を両手でつくる。
「皆さん、祈りの指の形はできたようですね。それでは、目を閉じて、これから私が発する、祈りの言葉を3回、復唱してください」
俺も目を閉じることにする。
次の瞬間、今までの女神様の声色からは想像がつかないような、老婆の祈祷師が絶叫するかのような声が聞こえた。
「イアッ!! ニグラト!!」
俺を含めた20名が、復唱する。
「イアッ!! ニグラト!!」
再び、老婆の祈祷師のような声が聞こえる。
「イム、ノイクラム、フミンガシュ……」
信者が後に続く。
「イム、ノイクラム、フミンガシュ……」
どうやら、この「イア!! ニグラト!! イム、ノイクラム、フミンガシュ」というのが、祈りの言葉の1セットのようである。
祈りの言葉を一通り、唱え終わった直後、目を閉じて、真っ暗だったはずの俺の視界は、急に強い光に包まれた。
そして、気付くと、俺は、裸の状態で、海中のような、液体で満たされた空間を漂っていた。
なんだ、これは? 幻か?
俺以外の19名も、そこにいた。
目を閉じて、両手で∞の形をつくりながら、裸の状態で、海中を漂っている。
19名は微動だにしない。まるで眠っているようだ。
俺がいる空間だが、実際の海とは違って、液体の色が紫色っぽい。
そして、魚が泳いでいるわけでもないし、海藻のたぐいも見えない。
何もないように見えた。
ただただ、紫色の液体に満たされた空間がどこまでも広がっている。
この空間において、一点だけ、俺が注視してしまう場所があった。
それは、この“紫の海”の『底』である。
底は、真っ暗で、よく見えないのだが、なぜか、そちらの方を見ずにはいられなかった。
吸い込まれそうな“深淵の闇”が、そこにはあった。
この“紫の海”は、どのくらいの深さがあるのだろうか。
見た感じでは、ゆうに数キロはありそうである。
“深淵の闇”に見とれていると、遠くで、祈りの言葉を唱えているのが聞こえてきた。
俺を含めた20名が唱和する声だ。
本来、俺自身が唱えている言葉のはずなのに、遠くで、別の誰かが唱えているように聞こえる。
《イア!! ニグラト!! イム、ノイクラム、フミンガシュ》
(偉大なる女神ニグラトよ!! 私の全てを、あなたに捧げます)
今の俺ならば、この祈りの言葉の意味を、はっきりと理解することができる。
詠唱が終わった直後、俺を含めた20名の体は、強烈な勢いで、海の底の方に、吸い寄せられた。
数分間、俺たちは、ジェットコースターのような勢いで、紫の海の中を、下へ下へと、移動していく。
実際の海であれば、水圧で押しつぶされそうになったりするのだろうが、そんなことはなかった。
呼吸ができなくて苦しくなるということもない。
この空間は、精神の世界とでも言うのだろうか。おそらく実際の海とは全く異なる空間なのだろう。
何キロメートル、下に移動したのだろう。
移動がおさまった時、もはや周囲は完全な闇だった。
ただ、例外があって、俺を含めた20名の体だけは、両手でつくった∞マークを中心に、ぼんやりと白い光を発していた。
しかし、人間の発する光は、とても弱く、心細い。
《イア!! ニグラト!! イム、ノイクラム、フミンガシュ》
(偉大なる女神ニグラトよ!! 私の全てを、あなたに捧げます)
さらに祈りの言葉が聞こえる。
今度は、さっき以上に遠い場所から、声は発せられているようだった。
遥か彼方から聞こえてくるような感じだ。
真っ暗な空間を、さらに数分間、下方へ、猛スピードで引っ張られる。
長い長い闇を、突っ切った先で、俺は『それ』を知覚した。
真っ暗で、目は見えないのだが、存在を感じることはできた。
『それ』は俺たちの下方30mくらいのところにいた。
途方もなく巨大な生き物だった。果てがわからない。
真っ黒な背中を持った生き物だ。
体長は、何十キロ、あるかわからない。
巨大な鯨? それとも、チョウチンアンコウ?
とにかく、『それ』は巨大なヒレのようなモノを持っていた。
輪郭が、はっきりとは、わからないのだが、おそらく『それ』は魚のような形をしているのだろう。
俺は直感的に『それ』が、この“深淵の闇の主”なのだと理解した。
《イア!! ニグラト!! イム、ノイクラム、フミンガシュ》
(偉大なる女神ニグラトよ!! 私の全てを、あなたに捧げます)
3回目の詠唱の言葉が響く。もう、ほとんど聞こえないくらい小さい声だ。
すると、祈りの言葉に反応するかのように、黒い背中の一部が、もぞもぞと動き出した。
背中の一部は、やがて20本の黒い突起となり、さらに細長く伸びて、触手となった。
触手は、俺たちが発する人間の光をたよりに、約30mの距離を、うねうねと動きながら、のぼってきた。
触手1本につき、あてがわれている人間がいるようで、触手は、それぞれのターゲットを見定めると、額を目がけて飛び込んで行った。
みるみる黒い触手が、信者の額に、吸い込まれていく。
確かに、女神様の言うように、信者と“接続”されている。
しかし、信者の額にブッ刺さった、黒い触手から、何かが吸われているように見えるのは、俺の気のせいなのだろうか?
それとも光ファイバーケーブルみたいにデータをやりとりしているだけなのか?
俺のところにも、黒い触手が一本、伸びてきた。
しかし、俺のところに来た触手は、他の信者の触手とは、明らかに挙動が違っていた。
触手は、俺の顔の前あたりまで来ると、まるで会釈をするかのように、クイッと先端部分を下げたのである。
そして声が聞こえた。
《私の、この姿を見るのは……、初めてですね、畑大悟》
その声は、若い女の声でも、祈祷師の老婆の声でもなかった。
男と女が混じったような、中性的な声、機械で加工したかのような声だった。
それでも、俺は瞬時に、その声の主が、女神様だとわかった。
《ええ、そうですね、女神様》
どうも、この“紫の海”では、普通に発声することができないらしい。
俺もテレパシーのような“思念の言葉”で、返事をする。
《畑大悟、あなたは……、今の私の姿を見て、怖くないのですか?》
正直に言えば、怖い。
ただ、その怖いというのは、殺されそうとか、喰われそうとか、そういった類の恐怖ではない。
強いて言うなら、途方もなく巨大な存在に対する、畏怖の念のようなものだ。
《俺は言葉選びが、あまり上手ではないのです。女神様なら、言葉に出さずとも、俺の思考内容をご存じでしょう?》
《それでも、女神は、あなたの言葉で聞きたいな……》
本来、若い女性が言ったら、かわいいセリフなのかもしれないが、機械で加工したかのような、男か女かさえもわからないような声で言うので、不気味である。
《女神様がおっしゃるような意味での“怖さ”は感じていません》
そして“思念の言葉”で伝えた。
《イア!! ニグラト!! イム、ノイクラム、フミンガシュ》
(敬愛する、女神ニグラト様!! 俺のすべてを、あなた様に捧げます)
《ふふっ……》
女神様は、いつもの、俺のことを面白がる時の笑みを浮かべてくれた。




