25話 西園寺院長の過去 その5
河島ユリエを解剖した日から、西園寺公彦の人生は変わってしまった。
ユリエを、みずからの手で解剖した、あの瞬間が、公彦の人生のピークだった。
あの異常な状況における、最高の快感を忘れることができない。
それから後に続く、77年間はオマケの人生といっても過言ではない。
戦争での敗色が濃厚になると、是名機関は撤退と、施設の破壊を命じられた。その際、公彦は、こっそりとユリエの生首の標本を持ち出している。
実験材料として、とらえらえていた捕虜たちは全員、処分された。
是名機関は、研究内容のためか、降伏が決定的となる8月よりも2か月早い、1945年6月の時点で、すでに余裕をもって撤退を行っていた。
そのため、日本の降伏を伝える玉音放送のラジオを、公彦は日本本土で聞いている。
公彦は、是名機関での行為について、罪に問われることを恐れたが、研究データを持ち出していた是名少将がアメリカ軍と取り引きを行ったため、是名機関のメンバーが罪に問われることはなかった。
戦後、是名は東京大学医学部の教授に就任している。
是名は、研究成果と、軍人時代に築きあげた人脈を駆使して、学会で絶大な影響力を持つようになった。
是名は約束を守り、公彦は、準備期間の後、東京大学の医学部に入学することができた。
公彦は、是名の秘蔵っ子とみなされ、大学院に進学してからはトントン拍子に出世していき、大学教授、研究機構の理事長、製薬会社の取締役など、要職を歴任していった。
是名は、公彦にとって恩師ともいえる人物だが、終戦後、18年が経った1963年の8月、何の前触れもなく、突然、失踪している。
失踪時の年齢は65歳だった。
その後、是名の姿を見たものはいない。
是名の失踪については、人体実験に使用した捕虜の家族に復讐されたのではないか、というウワサもあったが、真相は明らかになっていない。
公彦は、家族から見合いをすすめられたこともあって、1964年、34歳の時に結婚をし、妻は3人の男児を産んだ。
公彦は、表面的には、妻や子供を大事にしていたが、心の底では、どうでも良かった。
公彦の心をとらえて離さなかったのは、ユリエを解剖した、あの瞬間の興奮だけだった。
戦後の混乱期から、科学捜査の技術があまりすすんでいなかった1980年前半までは、1年に1人のペースで、行方不明になっても問題にならなそうな娼婦の女を見つけては、拉致・解剖して殺していたが、ユリエの時のような快感を得ることはできなかった。
公彦が、最後に女を解剖したのは、1982年のことである。それから40年間、女の解剖は行っていない。
公彦の3人の息子は全員、成長して、医者や研究者になった。そして、息子たちの子供もまた、ほとんど全員が医学に関係する仕事についている。
1990年代に入り、年齢も60歳を超えると、公彦は、趣味で内科クリニックを開業した。
並行して、多摩の山中に秘密の実験室をもうけて、そこで様々な研究を行うようにもなった。
2015年、薬物と手術で、人間を洗脳する実験をしていた時に獲得したのが助手のガスである。
80歳を超えた、2010年代から、公彦は、自分の人生の終わりを意識するようになった。
87歳の時に前立腺がんが見つかり、もう、いよいよ本格的に自分の人生も終わりそうだと公彦は感じていた。
90歳になった2020年、公彦が、ガスの運転する車で移動していると、たまたま五反田駅の近くでひとりの若い女を見かけた。
その女はユリエにそっくりだった。
女を尾行したところ、ムチムチ猫耳メイド女学院という風俗店で働く、天宮ナギという風俗嬢であることがわかった。
その日から、公彦は、天宮ナギの常連客となった。
公彦は、自分は長くても、あと数年で死ぬだろうが、それまでにユリエにそっくりな、この女を解剖してやろうと思った。
おそらく、この女の解剖が、自分の人生のフィナーレをかざる儀式となるだろうと考えた。
万全の態勢で、この女を解剖するために、内科クリニックの建物を建て替え、地下に秘密の手術室もつくった。
そして、公彦は女を呼び出した……。
ここから先の展開は、俺が見てきたとおりである。
西園寺の爺さんの記憶を見てきたが、ハッキリ言って、吐き気をもよおすような人生だった。
この爺さんがしてきたことは許されない。
俺は、どうしたものかと考えた。
俺には3つの選択肢があった。
①この場で爺さんを殺す、②爺さんを洗脳して利用する、③爺さんを警察に突き出す、の3つだ。
③は、おそらく警察に突き出したところで、爺さんは裁判中に死亡するだろう。社会的な名誉や信頼は失墜するだろうが、果たして、それが、この爺さんにとってのダメージになるだろうか?
本来であれば、①が正しい行いなのかもしれない。
しかし、俺は②を選んだ。
爺さんの頭に手をかざした時点で、最初から洗脳して利用するつもりだった。
爺さんを利用するという考えは、過去の罪状を知っても変わらない。
なぜなら、俺がこれから行おうとしていることが成功した場合、間違いなく大勢の人間が死ぬからだ。俺自身が、一種のテロリストで、今の社会の尺度で見れば、悪人なのだ。
そんな人間が正義にこだわったところで仕方がない。
利用できるものは利用するべきなのだ。




