八話 アリス・ティエル
「殿下」
敬称を呼ぶその声に、ナガレが反応する。
声の主は、錬金術師長と呼ばれていた男、ダウィド・ツェルグアであった。
「彼女は何というか、変わった錬金術師ですね」
そして、今も尚、ポーションの作成に勤しむサーシャの姿をやや遠くから見詰めつつ、続けられたその言葉にナガレは苦笑した。
錬金術師長と呼ばれるダウィドを以てしても、サーシャの錬金術の知識は変わっていると言わずにいられなかったのだろう。
なにせ、本から得た知識のみで彼女は錬金術を行使しているのだ。
多少なり、変わっているという事実は仕方のないものでもあった。
「……まぁ、そうだろうな」
アストレア王国に辿り着くまでの道中にて、馬車の中でナガレはサーシャとそれなりに己らの過去を少しだけ打ち明けあっていた。
だから、ナガレはサーシャが図書館にずっと篭りきりだった理由を知っている。
ダウィド・ツェルグアを以てして、変わっていると呼ばずにいられない少女には、そうならざるを得なかった事情があった。
それを知ってしまった今だから、どうしても、少なからず気にしてしまう。
『私は、認められたかったんだ』
『家族には認めて貰えなかったけど、それでも嬉しかった』
『ナガレにこうして認められて、手を差し伸べて貰えたことが、何よりも』
ポーションを作り始めてから早、二時間ほど。
休んだ方が良いんじゃないか。
そんな言葉も耳に入らぬほど集中し、無我夢中で今も尚作業を続けるサーシャをナガレも見詰める。
「ですが、変わった錬金術師だからこそ、このようなポーションに辿り着けたのでしょうね」
そう口にするダウィドの手には、薄緑の光を放つ硝子の調合器に注がれたポーションが一つ。
「なにが、少し効果は落ちるかも、なんでしょうかね。出来上がったポーションのその殆どが、既存のポーションよりずっと優秀なものであったというのに」
生い立ちが生い立ちなだけに、サーシャは基本的に謙遜が過ぎる。
それは仕方のない事だろう。
しかし、だからこそ、
「凄いだろ、サーシャは」
ナガレは、自分の事のように自慢をする。
サーシャが自慢をしないのなら、代わりに自分がその分、彼女が凄いのだと称えようとする。
ナガレ自身が、サーシャという錬金術師を誰よりも認めているからこそ。
「凄いんだよ、あいつはさ。いつも、謙遜しかしないけどな」
————いっつも言ってるんだけど、勿体無いよな。お前より凄い錬金術師はいないって言っても、お世辞と思って全く取り合ってくれないんだよ。
そう言って、呆れ交じりに歯を見せて笑う。
そして、材料を取りに行く際にダウィドから話し掛けられていた事で止めていた足を、ナガレは再び動かし始める。
「殿下。人手も、もう十分足りていますし、お休みになられては、」
「サーシャが頑張ってるのに、この国の人間である俺が先に休んでどうするよ」
いかがでしょうか。
本来続けられたであろうダウィドの発言を遮り、ナガレは言葉を被せる。
「それに、あいつの助手役は俺が一番うまいし、一番分かってる。この二年間、誰があいつと一緒にポーションを作り続けたと思ってんだか」
そこに、譲歩する気が微塵もないと悟ってか。
ダウィドは説得を放棄し、仕方がなさそうにわざとらしく溜息を吐く。
「何より、あいつは無茶をし過ぎるきらいがある。だから、側でいざという時に止められる人間が必要だろ」
アリスのように、錬金塔にやって来た人間が次々と手を貸し始めていた事。
レシピが口頭で伝えても難解であった事が原因してだろう。
サーシャの周囲にはすっかり、小さな人集りが出来ていた。
そして、彼女は誰かに期待をされるだとか。
そういう時に決まって無茶をする。
事実、ナガレと共に行っていたポーション作りの際も、そんな事が何度かあったのだ。
「というわけで、再開するか。休めって言っても聞かないなら、さっさとポーションを作り終えればいい、そうだろ?」
「確かに、それはそうですねえ」
直後、ボンっ!!
と、音を立てて硝子の調合器が爆発し、四散した。程なく、後悔の念に塗れた言葉が続く。
「ああああああ!! やっぱり、ぎりぎり攻め過ぎた……!!」
爆発を警戒して、調合器の周囲には魔法による無色透明の壁を展開している為、人的被害は皆無。
しかしながら、爆発したものは流石に使えなくなる為、貴重な一つ分のポーションが砕け散った事に、サーシャは悲鳴染みた叫び声をあげていた。
「……ポーション作りで爆発するとこ、あたし初めて見たわよ。そもそも、アグニの葉を材料にする事自体が奇抜過ぎるわよね……」
周囲にいた錬金術師達は、頭を抱えるサーシャの言葉に反応したアリスの言葉に、うんうんと同調。
だが、一応その作り方で既にある程度の量のポーションを作れていると知っているからだろう。
若干の呆れや、驚きといった感情を向けるだけで、誰もが爆発したからといってサーシャの手を止めさせよう。
といった動きを見せる事はない。
「まぁなんだ。ポーションなんて爆発してなんぼだろ」
「……普通、ポーション作りで爆発なんてしないのよ、殿下」
さも当たり前のように言うものだから、思わず会話に混ざり込んできたナガレのその発言に、アリスがツッコミを入れていた。
しかし、ここ二年でポーション作りには爆発が付き纏うという間違った知識が備わってしまっていたナガレからすれば、冗談を言った気は全くなくて。
……一体殿下は、どんな二年間を過ごしてきたんだ。
そんな視線に当てられながら、ナガレはポーション作りに未だ没頭するサーシャの手伝いをすべく、その側へと割り入った。
* * * *
「……もーむり。これ以上一歩も動けない」
絶妙な温度を保ちながら、魔法をひたすら行使していたからだろう。
全身が気怠くて、疲労感でいっぱいだった。
気付けば、窓から差し込む光は茜色に変わっており、そんなに時間が経っていたかと今になって漸く自覚する。
そして、壁に寄り掛かりながら脱力する私に、不意に声がかかった。
「お疲れさん」
「……ナガレもね」
側で私と一緒にずっとポーションを作っていた筈なのに、ナガレには私程の疲労感が見えなかった。
だから、なんとなく負けたような気持ちに陥って、口をへの字に少しだけ曲げてしまう。
「だから、適度に休めって言ってたのに」
「……他の人達が頑張ってるのに、巻き込んだ私が休むわけにはいかないでしょ。それに、折角私を錬金術師として誘ってくれたナガレに、恥をかかせるわけにもいかないし」
今、ここにはアストレア王国が誇る錬金術師。
その多くが集まっている。
故に、こいつ全然だめじゃん。
とか思われたくはなくて、今回のこのポーション作りは根性でどうにかやり切ってみせていた。
「……あれだけの働きを見せられて、恥をかかせたと思うような人間は流石にここにはいないわよ、サーシャさん?」
先の私の言葉を否定するように、第三者の声が割り込む。
それは、アリスと呼ばれていた女性のものであった。
「……アリス、さん」
「それに、あれだけの魔法を並行して使っていれば、誰だって疲れるでしょうね。何より、錬金術の調合は神経を使うもの。疲れて当然よ」
そして、ぽい、とアリスさんから何かが投げ渡される。
宙で山なりの軌跡を描き、それは私の手元にポトリと落下した。
「仕事終わりのおやつは美味しいわよ?」
それは、少しお高そうな包装をされたクッキーであった。
そして、アリスさん自身もそのクッキーをぱくりと齧り始めていた。
「今回の労いと、お近付きの印って事で、ね」
「……あ、ありがとう、ございます」
「いやぁ、しっかし、サーシャって名前、何処かで聞いた覚えがあると思ったら、貴女があのサーシャさんだったのね」
「……あの?」
含みのある言い方に、小首を傾げる。
あのサーシャとはなんなのだろうか。
「王妃さまの病を治す程のポーションを作り上げた錬金術師。なんでしょう?」
その言葉には、素直に頷く事が出来なかった。
そういう目的で私自身がポーションを作っていたわけではないので、やはりそこで「はい、そうです」と躊躇いなく頷く事は憚られてしまう。
「……えと、それは」
「ねえ。サーシャさん」
そして、アリスさんは何を思ってか。
私の下へと歩み寄り、やがて一言。
「ここで錬金術師として働く気はない? ダウィドも、陛下も、あたしが説得してあげるから」
向けられる瞳は、心なし、きらきらと光っているようにも思えて。
「発想もそうだけど、錬金術師としての技量もかなり高かったわ。だからやっぱり、こういう人材こそ、スカウトしなきゃ————」
「サーシャなら、これからアストレアで錬金術師として居てもらうつもりだぞ」
「……! 流石は殿下、手が早いわねえ」
心配せずとも。
と、ナガレから投げ掛けられた言葉に、アリスさんは一瞬驚き、そして笑みを深める。
「んふふ。これで優秀な錬金術師が一人加わった事だし、これで魔法塔の連中の鼻を明かす日が確実に一歩近づいたわねえ」
今に見てなさいな。あのくそ魔法師長どもめ。
……そんな毒を当たり前のように吐くアリスを前に、つい、苦笑いしながらナガレの方を私は向いてしまう。
「昔から何かとアストレアの錬金術師と魔法師は競争意識が強くてな。その、この通りあんまり仲は良くない」
「最近は特に、色々あって仲は最悪ね。ま、どれだけ喧嘩を売られたとしても優秀なのはあたし達、錬金術師なのだけれど!」
とはいえ、仲が悪いといってもあくまで競争相手としてなのか。
敵意らしい敵意はそこまで感じられなかった、ような気がした。
「あぁ、それと、随分と遅くなっちゃったけど、自己紹介を。散々名前を呼ばれてたから今更だろうけど、あたしはアリス。アリス・ティエル。これからよろしくね、サーシャさん?」
同時に、差し伸ばされる手を、私は「こちらこそ」と応えながら握り返す事にした。