五十一話 暴かれるリュックの秘密
立ち上る砂煙。
まるで膝をつくように頽れたシルエットが、視界に映り込む。
術者の生命状態が深刻である事を示しているのだろう。
維持出来なくなった魔法陣が、次々と崩壊を始めてゆき、薄れ消えてゆく。
────あとひと押し。
砂煙越しに見える光景を前に、ついそんな感想を抱いてしまう。
だけれど、その感想はひどく機嫌が悪そうに舌を鋭く打ち鳴らすバルトさんの行動によって掻き消された。
「……流石に階層主。そう簡単に倒れてはくれませんか……ッ!!」
晴れゆく砂煙。
私のように勝った。と確信することなく、私達の事を一顧だにせずに〝死神〟へと焦点を引き結んで動かない。
ならば、畳み掛けないのはどうしてだろうか。
その疑問を明瞭にするように、ティアさんの補足が聞こえてくる。
「……魔剣ゼノーヴァは、魔力の消費が特に激しいせいで、使えて精々日に二回が限度。だけど、その分破壊力はSランクの冒険者すら凌ぐものだってのに、それを耐えるってあり得ないでしょ……ッ!!」
だから、追い討ちを掛けるだけの余裕がないのだと告げられる。
最大火力の攻撃で尚、倒し切れなかった。
ならば、どうする。
どう対応するのが正解だ。
ぐるぐると巡る思考が加速する。
『──────!!!!』
言葉にならない〝死神〟の叫び声。咆哮。
ひりつきを覚える程の殺意と敵意の奔流が、圧となって吹き荒れる。
そんな筈はないのに、一瞬にして数段ほど周囲の重力が強くなったような錯覚にすら陥った。
やがて晴れゆく砂煙。
そこには、ただでさえ襤褸だった外套が更に煤け、ボロ切れにしか見えない衣類に身を包んだ骸骨が姿を晒す。
先の一撃は深刻なダメージだったのだろう。
見るも無惨に抉られた事で、顔の右半分は消し飛び、肢体の右半分も灰となって消し飛んでいた。
「……バルトの魔剣で駄目って、冗談キツイだろうがよ……!! それに、なんだありゃ」
〝死神〟の頭上に集まり始める闇色の────あれは、球体だろうか。
闇色の靄を纏うそれは蠢いており、刻々とその密度と規模が膨れ上がってゆく。
悍ましさを感じずにはいられないソレが、ただの魔法攻撃でない事は一目瞭然。
どう対処すればいい。
どう対処するのが正解か。
悩む私達の思考を待たずに、新たな魔法陣が構築される。
それは、私でも、ナガレでも、ティアさんの仕業でもない魔法陣。
「あ?」
思わず、素っ頓狂な声を上げたソーマさんの反応は、私達の内心を明確に表していた。
そしてその魔法陣からは、いつぞやの時のように黒い靄が噴き出し、溢れる。
次いで、得体の知れない闇色の球体を丸ごと呑み込んだ。
「……〝シャドウダイブ〟」
一度。
しかも、直近で目にしていたからすぐに分かった。あれは、ルゥが教えてくれた〝ブラックドラゴン〟の魔法────〝シャドウダイブ〟。
現状を把握出来ていない〝死神〟が硬直したその隙を、ナガレとソーマさんが見逃す訳もなく。
すぐ様我に返った二人は攻撃を再開。
その間に、私も私に出来る範囲の補助を行う。残りが僅かだからと、節約したい気持ちを押し殺し、私はウェルさんボール改をぶん投げる。
食魔植物である〝ベロニカ〟だと、本来実体のない〝死霊〟に効果がない可能性が高く、必然、私に出来る事はこれしか残されていなかった。
直後、ウェルさんボール改の効果により〝死神〟の動きの鈍化。
先の魔法の反動か、魔法を思うように展開出来ない相手に対して、刹那の逡巡すらなくソーマさんは懐へ。
「合わせろ、ナガレッ!!!」
「任せろ」
目に見えて忌々しげに顔を歪める〝死神〟だったが、逃げ道だった筈の場所には既にナガレによって魔法陣が構築済。
逃げれば魔法による攻撃。
何もしなければソーマさんの一撃。
そして、ソーマさんには私とティアさんが一緒になって補助の魔法を付与している。
要するに、詰みだった。
「お、らぁぁぁぁぁあッ!!!!」
凶々しい大鎌を自分の前へと移動させ、〝死神〟は防御の体勢へ。
だが、全身全霊。
一切の容赦を知らないソーマさんのその一撃と衝突した瞬間、ぴしり、と壊音が響く。
それは確かな音として周囲に伝播してゆき、程なく持ち手ごと〝死神〟の大鎌が砕き割れる。
『─────!!?』
驚愕に見開かれる〝死神〟の赤い瞳。まるで、「バカな」と訴えているようであった。
そして、そのままソーマさんは無防備となった〝死神〟目掛けて袈裟懸けに剣を振り抜き、直後、ダメ押しをするようにナガレの魔法──雷撃が降り注いだ。
ばちり、ばちりと先の魔法による余波が小さな帯電のような形で巻き上がった砂煙に纏わりついていた。
ぜえ、ぜえと喘鳴の声がソーマさんから聞こえてくる。
「……流石に、これで無理ならお手上げだぜえ」
バルトさんの一撃の時点で、既に致命傷だったのだ。流石に、これでどうにかなってくれないと、どうしようもなかった。
次第に晴れゆく砂煙。
そこに映ったのは、倒れ伏し、身体が砂のように風化してゆく〝死神〟の姿。
魔物の核である魔石を残して消えてゆく〝死神〟を目視し、全員の注意が離れる。
やがて私達の意識が向かった先は、〝死神〟の一撃を消し去ったあの闇色の魔法陣。その術者。
場にいた全員の心境は一致していたのか。
一斉に探し始め、そして見つかる。
白色のもこもこ────翼を広げ、浮遊するルゥに捕獲された黒色のもこもこがいた。
ルゥが黒色に変色だけしたようなフォルム。
ただ、疲労困憊な様子は見て取れる上、身体は傷だらけだった。
そして、どう声を掛けたものか。
また、どうルゥの存在を説明したものか。
悩みあぐねた事で沈黙が場に降りる中、
「────Bランク冒険者が三人と、錬金術師が二人のチームで〝死神〟を倒した事自体、あり得ねえんだが、そこに加えて〝ドラゴン〟までいるのか」
「あれは、ブラックドラゴンと……あの時、リュックに隠れていたシルバードラゴン、に見えるですね」
「って、リーダーは知ってたのかよ!?」
「聞かれなかったですから」
「……誰が〝ドラゴン〟居るかって脈絡なく聞くかってんだよ」
新たな声が聞こえて来る。
でもその声は聞き覚えのある声であり、あの時気付いてたの……!? と、私に衝撃的な事実を今更ながらに伝えてきた。
「……テッドさん?」
「よお、お嬢ちゃん」
長く伸びた髪を三つ編みに結った青髪の彼────テッドさんと、彼が属するパーティーのリーダーであるメルファさんがそこにいた。
「取り敢えず、そこのドラゴンは味方って認識で良いのかね」
敵意が感じられないからだろう。
警戒心をむき出しにするどころか、何事もないかのような様子で、テッドさんが口にする。
それに対して私が慌てて答えようとして。
『うん。それで合ってる。ついでにこっちの〝ブラックドラゴン〟も、さっきの魔法で力を使い果たしてる。少なくとも、ぼくらをどうにかするだけの余力は残ってないよ』
ルゥが答えた。
「……ところで、どうしてSランクパーティーの人間がこんなところにいるんですかね」
直後、もっともな質問を未だ回復しきっていないバルトさんが、疑うような視線と共に告げた。
これではまるで、下層が危険であると予め知っていたようなタイミングの良さだ。
遠回しにそう尋ねているであろうバルトさんだったが、それに対してメルファさんは疲れたように嘆息を一度。
「……大怪我を負った冒険者が、八階層で階層主と出会った。なんて世迷言を吐くもんだから慌ててきただけだ」
「タイミング良くギルドに居た理由は、そこの錬金術師さんに用があったからです」
メルファさんが私に用があった。
なんて言うものだから、一斉に視線が私に集まる。
ヴェザリアに来たばっかりの私が、どうしてメルファさんと知り合いなんだ。
物言いたげな視線の大半は、そう告げているようであった。
「酒場で出会った時に話し忘れていた事があったです。だから、手っ取り早く会う為にギルドにいたです」
私がソーマさんの依頼を受けた事はテッドさんが知っていたし、手っ取り早く会うなら確かにギルドで待っているのが一番だ。
私はひとり、納得をする。
「取り敢えず、話は迷宮を出てからだ。階層主が八階層に出やがったからよく分かってると思うが、異常事態が起こってる。今は、何があってもおかしくねえ」
魔物の大量発生。
階層主の出現。
はてさて、次は何だろうか。
正直、考えたくもない。
「つぅわけで、これ持って先に出ててくれや」
ぽい、と放り投げられる何か。
それは、もう風化してしまったけど、〝死神〟が倒れ伏していた場所に残っていた赤色の魔石だった。
それは、魔物の死骸に含まれる鉱石であり、魔力が内包されている故に魔道具を始めとした用途が多く、純度によって高値で取引されているものだった。
「……テッドさん達はどうするんですか?」
「オレらはちょいと階層主の後片付けしてから、ギルドに戻る。流石に、このまま放置って訳にもいかんだろ」
周囲には、〝死霊〟特有の瘴気と呼ばれる霧のような靄の残滓が漂っていた。
通常、魔物の死骸などは土に還るなり、食物連鎖の糧となる。
ただ、この瘴気がある場合、通常とは異なる変化を見せる。
死骸が瘴気に当てられる事で、〝死霊〟と化してしまうのだ。
テッドさんの言う後片付けとは、その事についてだろう。
流石に処理の仕方は分からないので、ここは彼らに任せてひとまずギルドに帰るべき。
何より、先の戦闘での消耗がソーマさん達は著しかった。
「……ただ、本来の目的だけならギルドで問題なさそうだったですが……」
そこで、メルファさんの視線が〝ブラックドラゴン〟に向く。
事情は分からないけど、恐らく〝幽霊騒動〟の犯人であり、〝魔晶石〟の件の重要な手掛かり。
加えて、ドラゴンという珍しい存在。
怪我をしているブラックドラゴンの治療をする為にもギルドという場所は適しているとは言い難い。事情の説明も難しそうな上、下手をすればギルド側に一方的に〝ブラックドラゴン〟を、なんて事態もあり得なくはなかった。
「ギルドで話をしていると恐らく、面倒事に発展するです。だから、場所を変えるです。あの酒場へ先に向かっておいてくれです」
「……あの酒場っていうと、ノアさんのいる酒場ですか?」
「です。奥の部屋を貸せって言えばノアなら全て察してくれるです」
なんとなく、常連さんなんだろうなあって空気は感じ取っていたけど、その物言いからして常連さんどころの話ではないようだった。
「つーわけだ。そっちの三人も限界近えだろうし、また後でな。流石に上層だから念入りにしねえといけねえから……まぁ、日暮れあたりに合流出来ると思うぜ」
「分かりました」
ひとまず、私達の方も〝ブラックドラゴン〟の治療をしなくちゃいけない。
一刻を争う重傷という訳ではないけど、放っておくにはあまりに酷い傷。
ソーマさん達の疲労も溜まっているだろうし、テッドさんの言う通りここは大人しくすぐに帰るべきだろう。
ナガレもその意見に反対はないようで、ルゥの件や、錬金術師なのに魔法が達者過ぎる理由。諸々含めて事情を聞かせてくれるんだよな……?
そんなソーマさん達の視線を背中にひしひしと感じながら、私達は迷宮を後にし、テッドさんの言う通りノアさんの居る酒場へと向かった。




