五話 不測の事態に
「あまり緊張し過ぎるなよ、サーシャ」
コツコツと、複数の足音が響く城内。
先導する為に、半歩ほど私の前を歩くナガレにそう言って私は呆れられていた。
未だ私達に付き添ってくれているガルシアさんも、私がガチガチに緊張してると思っているのか。
ナガレのように言葉にこそしていなかったが、控えめに笑っていた。
————とはいえ。
「……ね、ねえ、ナガレ。やっぱり、引き返さない? 一国の王様に会うなんて、私には無理だから。ムリ、無理無理無理」
激しいこの動悸の理由は、誰よりも自分自身が理解していた。
今から、俺の顔見せと一緒に、父上に私の事を紹介したいからついて来てくれ。
そう口にしたナガレの発言が、間違いなく全ての原因であった。
確かに、錬金術師として城で働くならば、顔を見せておく必要はあるかもしれないだろうけど、ナガレの言葉一つでどうにかならないのか。
「まぁ、サーシャさんのその気持ちは分かりますけど、ここは出向いておいた方が得策だと思いますがねえ」
「ど、どうしてですか」
「王妃様の病を治す事に一役買った錬金術師。恐らく、あの陛下の事ですから、ここで顔を見せておかないと、直々にサーシャさんに会いに来る。なんて事も十分にあり得るかと」
「ああ、確かに。あの父上ならそれはやりそうだ」
だったら、ここでナガレが一緒にいる間に顔見せは終わらせておいた方がいいのでは?
そう教えてくれるガルシアさんの言葉には、一理あった上、確かにと同調するナガレの言葉によって逃げ道は綺麗に塞がれた。
……二人の言う通り、一国の王様に私如きの為に足を運ばせるくらいなら、この緊張感を耐えて今、会いに向かった方が絶対にいい。
そんな事があろうものなら、罪悪感とか色んなものでとんでもない事になりそうだから。
だから、ここは覚悟を決めるしかないか。
だったらせめてと緊張をほぐすべく、大きく深呼吸————をして覚悟を決めようとした瞬間。
ドタドタと、遠間から騒がしい足音が私の耳朶を掠めた。
「……何か、あったんでしょうか」
音の出どころは、入口の方だろうか。
遠くにまで届く足音から、その焦燥は尋常でない事が窺える。
そして、淀みのない歩調で、私達のいる方へと向かって来ているのか。
刻々とその音は大きくなってゆく。
「……こっちには、父の執務室と錬金塔くらいしかない筈だが」
その事にナガレも気付いてか。
不審そうに眉根を寄せていた。
————錬金塔。
それは、王城などに位置する錬金術師専用の研究室の事を指す際に使われる言葉であった。
道理で、先程からすんっ、と鼻を鳴らすたびに嗅ぎ慣れた薬草の匂いが感じられるわけだと納得する。
「ええ。ですから、此処に立ち寄る理由は殆どないと思うのですが」
にもかかわらず、足音を立てている人間は、何故、此方に向かって来ているのか。
ガルシアさんが不思議そうに首を傾げた直後、
「————錬金術師はいるか!!」
大声が、城内に響き渡る。
足音からも察せられたが、その逼迫しきった声音から、只事でない何かがあったのだと疑念が確信に変わる。
次いで、数十秒もしないうちに、ガルシアさんと同じ騎士甲冑に身を包んだ男性が駆け込んできた。
そして、ガルシアさんの存在に気付くや否や、
「……ちょうどいいところに。まずい事になったんです。ガルシアさん、手を貸してくれませんか」
まくし立てるように騎士の彼は、言葉を並び立てた。
そして、いきなりのその言葉に困惑するガルシアさんであったが、続けられる言葉によって、その表情は否応なしに引き締まる事となった。
「……〝魔物大量発生〟の規模が予想していたよりも上回っている上、予め用意していたポーションの多くが魔物によって破壊されてしまったんです」
〝魔物大量発生〟。
それは文字通り、魔物の大量発生を示す言葉。
私の家は錬金術師の一族であったから、魔物の討伐等に縁はなかったけれど、それでもその言葉はよく知っていた。
突如として起こる地殻変動。
それによって生まれる洞窟————ダンジョン。
魔物は、そのダンジョンと呼ばれる場所から生まれ、姿をあらわす生物である。
そして、彼らは人に仇なす怪物。
故に、騎士団といった存在は、国同士の衝突の際は勿論の事、それらから民を守るためにも欠かせない存在であった。
「……ダンジョンが出現していたのか」
「……ええ。ちょうど、一週間ほど前の話でしょうか。事前の準備は怠っていませんでしたし、特別、問題はないと捉えていたのですが、」
私と同様に初耳だったのだろう。
ナガレがそうガルシアさんに問い掛けていた。
ダンジョンといっても、魔物がぞろぞろとダンジョンから出てくるまでにはある程度の猶予がある。
大体、一週間程だろうか。
だから、それまでに入念に準備をしておけば、魔物の対処は別に難しい事でもない。ない、のだが、今回はイレギュラーがあったのだろう。
「人員は、その、足りているとは言えませんが、それでも一応、なんとか回っています。ただ、魔物————飛行種に用意していたポーションの多くを破壊されてしまったせいで、圧倒的に足りてないんです」
故にこうして、錬金塔にやって来たのだと彼は言う。
ダンジョンから出現する魔物にも種類があり、その中でも特に厄介とされているのが、今し方、騎士の彼が口にした〝飛行種〟と呼ばれる存在。
代表的な魔物といえば、翼を生やした小型竜、ワイバーンだろう。
彼らの血は、質の良いポーションを作る上で材料として使う事があったのでよく覚えている。
「だから、少しでも今あるポーションを、」
現場に届けなければ。
そう口にしようとする彼の言葉と同時のタイミングで、近くにあったドアが開かれる。
色素の薄い白髪を腰付近にまで伸ばした人だった。
真っ白に染まった衣服に身を包むその人は、一見すると男性か女性か分からない程度に、中性的な相貌をしている。
「————ダウィドさん」
そして、ダウィドと呼ばれた彼は、硝子の調合器に注がれたポーションの入れ物を詰め込んだ入れ物を手に抱えていた。
「大声が聞こえて来た時点で、もしやと思い、持って来てみましたが……やはり、ポーションが入用でしたか」
その入れ物を目にした上で、未だ険さが残る騎士の彼の表情から全てを察したのだろう。
ダウィドと呼ばれた彼の表情は何処か申し訳なさそうに、
「ただ、申し訳ありませんが、今、錬金塔にあるポーションはこれで全てになるんです」
「……え」
素っ頓狂な声を上げる騎士の彼の気持ちは痛いくらい分かった。
これでも一応、錬金術師の身。
ダウィドと呼ばれた彼が手に抱えるポーションが、精々五十人分程度しかないと一瞬で理解できてしまう。
だからこそ、それでは全然足らないと言わんばかりの表情を浮かべる理由が分かってしまう。
「ダンジョンが見つかったという事もあり、一週間前からポーションを用意してはいたのですが、その、ポーションを作る材料が今、不足していまして」
ドアの先に広がる景色。
しかし、部屋の広さの割に、中にいる人間の数が異様に少なく感じられた。
「昨日から材料を何人かが取りに行ってはいるのですが、恐らく、新たにポーションを作ろうと思えば、一日以上は必要になるかと」
「そ、そんな」
ポーションにも、食べ物と同様に期限というものが存在する。
だから、過度に作り置きは出来ない上、ポーションを作る際に必要となる薬草は何処にでも自生するわけではない。
故に、今ここにある分のポーションは渡すことは出来るが、それ以上は今は力になれないとダウィドさんは申し訳なさそうに言う。
だが、騎士の彼もポーションの事情をある程度把握しているのだろう。
ここで無意味にぐずるより、他の可能性をあたった方が余程建設的と思ったのだろう。
ダウィドさんが抱えるポーションを受け取り、その場をそそくさと後にしようとする彼であったが、
「————あの、待って下さい」
それを制止するように、私は声を上げた。
急がなければならない彼の足を止めてまで、声を上げた理由は、開きっぱなしの部屋。
そこから姿を覗かせていたある材料が理由だった。
本来のポーションの作り方とは異なるが、それでも、あの材料があるならば、
「少し効果は落ちると思いますが、それでも良ければ、ある程度の量のポーションを用意出来るかもしれません」