四十九話 レイヴン
* * * *
「しかし、これが〝エルフの秘薬〟と同程度の効果、ねえ。やっぱりオレにゃ、ただのポーションにしか見えねえな」
角度を変えながらじーっとサーシャから渡されたポーションを、テッドは見詰める。
だが、匂いを嗅いでも、どこから見てもただのポーションにしか見えず、テッドはお手上げだと言わんばかりに諦めた。
「でも、リーダーもらしくねえよな。信じられねえ事が起きたからと言って大事な事を伝え忘れてるなんてよ」
「……うるせえです」
手持ちのポーションを売って貰ったとはいえ、手に入れられるのならばもっと欲しい。
どころか、必要な素材は全て集めるからそれなりの量を作って欲しい。
対価は相応以上を払うから。
という申し出をする筈が、すっかり忘れて酒場で別れてしまった事をテッドに突かれ、彼女────メルファは苛立った様子で言葉を吐き捨て、銀色の瞳で睨め付けた。
「でも、タイミングが悪かったな。いつも飲んだくれてるソーマのパーティーだから、てっきり昼過ぎに出発すると思ってたのに」
実際は、昼前に迷宮塔に向かっていた為、テッド達がギルドに着いた時既にサーシャ達はいなかった。
泊まっている宿を知らない上、昨日酒場に来たのもおそらく偶然。
話す機会を得るにはギルドで待っておくのが一番手っ取り早い。
そう考えて、テッドとメルファはサーシャ達の帰りを待っていた。
「まぁ、数時間程度なら幾らでも待つです。ただ、気になる点が一つあるだけで」
「あのお嬢ちゃんが一体何者なのか、って話か」
「……です」
メルファのように、長寿種と呼ばれるエルフではなく、正真正銘の人間。
ならば、その錬金術の知識の出どころはどこか。そもそも、どうしてこの時期にヴェザリアにやって来たのか。
魔女と呼ばれるユーミスとの繋がりも、詳しく知りたい。
そもそも、『露光の花』は一体、何をするのに必要なのだろうか。
「……まぁ、悪い子ではなさそうだが」
「だから、少し困ってるです」
悪い人間でない事は分かっている。
尚且つ、これから出来れば協力関係を結びたい相手。
その秘密にしている事を無理矢理暴くのは如何なものなのか。
別に実害がないなら知る必要はない。
だが……気になる。
しかし。しかし。
と、ぐるぐる悪循環に巡ってしまっている事に目を瞑れば何も問題はないのだ。何も。
「ただ、多少なり予想はついてるですが」
「そうなのか?」
「もう数年近く前ですが、魔女から依頼を受けた事があったです。金払いが良かったので引き受けたですが、その時に求めてきたのが────『露光の花』」
「……魔女の研究は確か、〝魔晶石〟絡みだったか」
「です。なので可能性として考えられるのは、〝魔晶石〟に何か問題があって、魔女を訪ねて来た、だと思うです。たとえば、迷宮塔外にも魔力が完全に失われた〝魔晶石〟が見つかった、とか」
ソーマ達が、迷宮塔内に魔力が失われた〝魔晶石〟が見つかったと小耳に挟んで尚、重要視をしていなかった理由は迷宮塔の仕組みにあった。
通常のダンジョンの場合、迷宮塔のように層に分かれて形成されている訳でもなく、ギルドに存在する転移陣が唯一の入り口という事もあり、魔物が溢れ出す可能性が皆無だった。
特に迷宮塔内では変異種と呼ばれる魔物も多く存在し、多少の異変は茶飯事。
故に、〝魔晶石〟に異変が見られようと、特殊な変異種が生まれたんだろう程度で終わる。
だが、それはあくまで迷宮塔内での話。
「……他国からわざわざやって来てたみてえだし、可能性は十分にあり得る。何より、あの変人のもとを訪ねる理由が他に浮かばねえ」
周囲から変人扱いを受けるユーミスだが、その能力を買われて一時期は他国から多くの研究者が幾度も彼女のもとに赴いていた程だった。
「……つぅか、もしかしなくてもそれ、今回の〝幽霊騒動〟に無関係じゃねえのか?」
〝魔晶石〟の異変は、迷宮塔内でも起こっている。それもあって、様々な憶測が錯綜する。
兎にも角にも、サーシャが〝魔晶石〟絡みでヴェザリアにやって来た可能性は限りなく高い。
〝幽霊騒動〟がすぐに解決する問題でない以上、先にサーシャの問題を終わらせてしまう方が良いのではないか。
そうする事で良い関係を築けるのならば、決して悪い話ではないし、〝魔晶石〟の問題を先に終わらせる事で〝幽霊騒動〟の解決の糸口が見つかるやもしれない。
「……それも含めて、改めて話をしてみるべきかもしれんです。何はともあれ、『露光の花』を探してみるです」
一理ある。
そう捉えてか、長く伸びた銀の髪を掻き上げ、メルファは立ち上がった。
何かを尋ねるにせよ、相手が求めているブツを予め渡してしまった方が間違いなく事は円滑に進む。
だから、この待ち時間を使って『露光の花』を探してしまおうか────。
言葉を紡ごうとするメルファであったが、発するより先に大きな物音によって遮られ、反射的に音のした方へと視線が引き寄せられる。
「────ぁ?」
すぐ側で、ガラの悪い素っ頓狂な声を漏らすテッドであったが、その反応も仕方がないと思える光景がそこにはあった。
転移陣の近くに、血塗れの冒険者が数名いた。
まるで、逃げ帰って来たかのような焦燥ぶりは遠くからでもよく分かる。
何があったのだろうか。
そう思ってテッドとメルファは駆け寄る。
血塗れの冒険者のパーティーランクは、C。
首に下げられた鉄製の「タグ」と呼ばれるものでその判別はつく。
彼らの首に下げられた「タグ」にはCと刻まれている。
だから、問題が起こったとすれば下層。
十層付近の話の事だろう。
一瞬でそこまで予測したテッドは、変異種でも出たのだろうと考える。
しかし、血塗れの冒険者の口から漏れ出た言葉は、その予想を見事に裏切るものであった。
「……主だ」
喘鳴の音が入り交じり、掠れた声は一度ではうまく聞き取れない。
「階層主が出たんだ……!!」
二度目で漸く発せられた言葉の内容を理解する。階層主が現れる周期が若干、狂うであろう事は〝幽霊騒動〟があったが故に想定されていた事でもある。
だから、大して驚く程の事でもない上、それにあわせて備えもしていた筈だ────。
「────い、や、待て」
そこまで思考したところで、漸く違和感に気付く。
万が一も考えて、備えていた筈なのだ。
なのにどうして、こうして重傷者が生まれた……?
偶然、巻き込まれてしまったのか?
浮かび上がる疑問の数々。
思考の渦に囚われるテッドとメルファの疑問は、程なく紡がれる言葉によって解消される事となった。
ただし、それは考え得る限り最悪の形で。
「八階層に、十階層に出る筈の階層主が現れやがったんだ……!!」
「……八階層に階層主、だと?」
あり得ない。
喉元付近にまで出かかった言葉を、メルファはどうにか呑み込む。
偶然生まれた変異種と、単に見間違えただけじゃないのか。
そうは思うが、八階層の魔物が変異種として現れたとして、Cランクの人間が命からがら逃げ出す程だろうかと自問。
それはあり得ないとテッドは自答する。
加えて、血塗れの冒険者達の傷痕が、テッドの記憶の中に存在する十階、階層主の得物────大鎌によるものである事も拍車を掛けていた。
だから、幾らあり得ないと否定しようとも認めざるを得なかった。
「……つか、八階層ってあのお嬢ちゃん達がいる場所かい……!!」
タイミング悪過ぎだろうとテッドは毒突く。
不幸中の幸いは、側にいるのがBランクの中でも実力は折り紙付のソーマのパーティーである事だろうか。
彼らなら、下層の変異種だったならば問題なく倒せるだろう。
しかし、十階層の階層主ともなれば────。
「リーダー。今から八階層いくぞ」
「二人で行くですか」
「他の連中を呼び出す時間が今は惜しい」
メルファがリーダーを務めるSランクパーティーは元々、四人パーティー。
テッドの他に二名、パーティーに属している人間がいるのだが、呼び出して集まっている時間が今は惜しかった。
何事だ、何事だと駆け付ける冒険者やギルド職員の数が刻々と増えてゆき、大きくなってゆく喧騒。
「それに、十階層の階層主なら二人で十分何とかなる、だろ」
「まぁ、それは確かにです」
「んじゃ、決まりだな」
事態の把握を試みるべく、まず先に迷宮塔に繋がる入り口────転移陣を封殺しようとしていたギルド職員の側を掻い潜るようにテッドとメルファが駆け込んでゆく。
「ちょ、テッドさん!?」
「悪い!! 知り合いが八階層にいるみてーだから、ちょいと助けに行ってくる!!」
悲鳴染みたギルド職員の声に構う事なくテッドは転移陣へと足を踏み入れ、次の瞬間。
メルファと共にその姿が掻き消えた。
* * * *
「────」
息を呑む音。その重奏。
魔力糸を生成する魔道具の使い方。これから行う作戦。それら全てを共有した後、薬草群へと向かった私達は、眼前の光景に言葉をなくしていた。
決してそれは、青々しい植物に彩られた薬草群が言葉を失うほどに素晴らしい場所だったから、ではない。
寧ろ、その逆。
自然豊かな場所だった名残りが見受けられる荒れた土地を前に、少なくとも何かがあった。
居合わせた全員の心境が一致したからこその驚愕であり、静寂だった。
「……何があったよ、これは」
否応なしに目につく戦闘痕。
散らばる植物の状態からして、これは極々最近起きたものだった。
真っ先に浮かんだ可能性は────
「……もしかして、〝幽霊〟の」
「いや違う」
〝幽霊〟の仕業。
そう捉えたティアさんが、開口一番にそんな事を口にしたものの、ナガレが真っ先にそれを否定した。
しゃがみ込み、散らばった植物の残骸に視線を落とす。
やがてそれを確認すべく手に取り一言。
「所々だが、腐食してる」
腐食とは即ち、〝死霊〟による特性。
加えて、大きな刃物で抉ったような痕が其処彼処に見受けられる。
少なくとも、あの〝幽霊〟の仕業ではなかった。
「……〝腐食〟って事は、〝死霊〟って事か。少なくとも、本来八階層にいる魔物の仕業じゃねえわな。変異種の可能性も、ねえ。八階層にゃ、そもそも〝死霊〟は生息してねえ。だから変異種も、生まれようがないんだ」
とすれば、一体これは何であるのだろうか。
人間、の仕業とも考え難いし。
「つぅか、〝死霊〟は、この近くで言えば十階層にいかねえと出会う筈も────」
不自然にソーマさんの言葉が途切れた。
まるで、辿り着きたくない答えに辿り着いてしまった。
そう言わんばかりに顔から血の気が引いている。
「……おい、バルト。十階層の階層主、何だったか覚えてるか」
「〝死神〟、ですね」
「やっ、ぱ、オレの記憶違えじゃないよなぁ……!」
随分と物騒な名前だと思った。
でも、それがどうかしたのだろうか。
私は思った疑問をそのまま口にする事にした。
「階層主って、十階層ごとに。それも、周期的に出現する魔物のこと、ですよね」
この八階層には無縁の魔物の筈だ。
「ああ。その通りだ。が、オレは一度、十階層の階層主討伐に帯同した事があってな。その時の戦闘痕が、オレの記憶が正しければ確かこんな感じだった筈なんだよ」
普通であればあり得ない可能性。
しかし、万が一を考えてソーマさんが口にした直後、不意に寒気が引き起こされた。
脳天から爪先まで、ざぁっと体温が急激奪われていくような感覚。
言葉に変えるならば、ゾッとするが適当か。
直後、影が落ちた。
深くて、濃い影。
まるで三日月のような形の影は、鋭利な刃物そのもののようで。
私達は、脊髄反射で振り返った。
「────……ったく、幾ら何でも聞いてねえぞ、オイ……!!!」
そこには、本来八階層に存在する筈のない魔物が、赤く光る眼光を此方に浴びせている。
猟欲に塗れたソレは、殺意の現れであり、キキキ、と断続的に生理的嫌悪を催す笑い声を微かに響かせていた。
濡羽色に染まった襤褸のような外套の先には、肉の削げ落ちた白骨が姿を覗かせ、多くの人骨が歪に接合された持ち手の大鎌が握られていた。
……どうして、気付かなかった。気づけなかった。
警戒心を緩めていた己を責め立てたい気持ちが膨れ上がる。
けれど、今はそんな事をしている時間すら惜しい。
「てめえがどうしてここにいんだよ……!! っ、転移陣まで走れッ!! 〝死神〟だ!!!」




