四十七話 黒蜥蜴
「……追いますか?」
「いや、やめておこうぜ。あれが本当に〝幽霊〟なら、これ以上は藪蛇だ。奪われたもんは取り戻せたんだ。向こうも逃げたみてえだし、さっさと薬草を採って帰ろうや」
地面に転がる各々の私物を拾ってゆく。
上層にいる筈の〝幽霊〟が、どうしてこんな下層にいたのか。
その理由は不明だが、もし本当に〝幽霊〟だとすれば上位の冒険者達でさえも手をこまねいている相手。
先の逃走手段を見る限り、その可能性は限りなく高いだろう。
だから、ソーマさんのその言葉には私も賛成だった。
「だが、まるで狙ったかのようにピンポイントで盗っていこうとしていたな」
冷静に分析を行いながら、ナガレは言う。
「……ピンポイント?」
「この弓を除けば、全部魔道具だ。魔剣も、ある意味魔道具のようなものだから」
「言われてみれば、確かにそうかも」
盗られかけた物を頭の中で整理する。
ソーマさんのネックレスは魔道具。
私は、ブレスレット。
ナガレもブレスレット。
加えて、あのリュックの中にはユーミスさんから押し付けられた魔道具も幾つか持って来ていた筈だ。
「……魔道具って言うなら、うちの弓もそう。これ、オーダーメイドで、外装の一部が身体強化の魔道具になってるから」
となると、奪われかけたものは全て、魔道具になる。
私のリュックが狙われなかった理由は、中に魔道具がなかったから……?
「……魔道具を狙ってたって事か」
それは一体、何の為に?
自問自答を繰り返す。
だけど、答えは出てこない。
『……〝シャドウダイブ〟』
「ルゥ?」
そんな中、リュックの中で身を潜めていたルゥが悩ましげな様子で呟きを漏らす。
何かの魔法名だろうか。
ともあれ、聞いた事もない言葉に疑問符が浮かんだ。
『さっきの魔法。あれは確かに、〝シャドウダイブ〟だった』
「……〝シャドウダイブ〟? なにそれ」
『己の影を使って移動する魔法。でも、少なくともこの魔法をぼくは人間が使っているところを見た事がない』
じゃあ、どこで見たのだと問おうとして。
しかし、問いを投げ掛ける前に自力で答えにたどり着いた。
簡単な話だ。
人間が扱わない魔法かつ、ルゥだけが分かった魔法。答えは最早、出ているようなものだ。
「……もしかして、ドラゴンが使う魔法……?」
『ぼくの記憶が正しければ、昔会った〝ブラックドラゴン〟が使ってた魔法』
────ブラックドラゴン。
ドラゴンについて詳しく知っている訳ではないけど、ドラゴンが規格外の存在である事はよく知ってる。だから、ルゥの口から出てきた言葉に少なくない衝撃を受けた。
「昔会ったってことは、ルゥの知り合い?」
『それは分かんない。でも、ぼくが知ってる〝ブラックドラゴン〟なら、こんな場所にいる訳がない』
起こった現実を認められないのか。
呟かれる声音は、普段のものとは異なっていた。
しかし、〝シャドウダイブ〟と呼んでいたソレが、背を向ける事を許さないのだろう。
ルゥ自身が知っている二つの事実が相反しているせいで混乱しているようだった。
『基本的に、〝ブラックドラゴン〟は引き篭もり体質だから、こんな人里に出てくる事はまずあり得ないんだ』
「理由があるって事?」
『多分ね』
「……私みたいに、ドラゴンから魔法を教えて貰ったって可能性は?」
『ない』
刹那の逡巡すらなく、一刀両断される。
悩む余地はないと言わんばかりの即答だった。
『ぼくの場合は、補助魔法に特化したシルバードラゴンだからサシャに教えられたけど、ドラゴンの魔法って殆どが、ドラゴンだから使える魔法なんだよ』
つまり、先の〝シャドウダイブ〟は仮に人間に教えたとしても、ドラゴンでなければ扱えない魔法と言いたいのだろう。
『それに、さっきのアレが〝ブラックドラゴン〟なら、さっきのブラッドラットの大群も説明がつく』
「……あれは私達を襲う為に向かってきた訳じゃなくて、上位の存在がいたから、大群で逃げてたって事か」
魔物は基本的に本能で動いている。
弱い者に出くわせば、本能に従って襲う。
逆に強い者に出くわせば即座に逃げに転じる。
本来、あれ程の大群で活動をしていないブラッドラットがいた理由は〝ブラックドラゴン〟が関係しているのではないか。
そう考えた方が腑に落ちるのではないか。
────……いや、でも。
「待って。ルゥ。それがもし、正しいなら」
猛烈に嫌な予感に襲われた。
頭に浮かんだ可能性。
嵐の前の静けさのようなものを感じて、手先が冷える。
最中、私の予想が正しいと言うようにズドド、と地鳴りのような足音が響き始める。
「────は?」
その声が誰が発したものなのか。
最早そんな事実はどうでも良かった。
まるでそれは、四足歩行の獣が大勢で駆け走っているかのような音だった。
しかも、それが四方から聞こえてくる。
ここが一本道ならばまだしも、そうでないならどう考えても人が足らない。
次第に大きくなってゆく音を前に、その場に居合わせた全員の思考は一致した。
「ティア!! 魔法を掛けろ!! 流石にこれは逃げる!!! つーかどうなってんだよ!! 八階層はよ!!!?」
顕現する魔法陣。
薄緑の膜に身体が覆われると同時、強化魔法特有の万能感に包まれる。
ソーマさんは道を切り開くべく、〝魔力鎧〟と呼んだソレを身体へ再び纏わせ、突貫してゆく。
「サーシャ。ルゥと話していたみたいだが、さっきの黒い奴に心当たりはあるか」
ソーマさんの後を追うように駆け出した私に並走するナガレが、側でそんな問い掛けをしてきた。
そして、背負ったリュックからぴょこんとルゥが顔を出す。
出来れば隠れていて欲しかったけど、こんな状況だ。
ソーマさん達もいちいち、私のリュックに注意を払わないだろう。
『多分あれは、〝ブラックドラゴン〟だと思う。だからこの状況は、魔物の本能的なものじゃないかな』
「対処法は」
『逃げるか、倒すか。ぼく的には逃げる方をお勧めする。戦うとしても、ここは場所が悪過ぎる。キミの魔法を使ったら天井が崩れてぼくらもお陀仏だ』
「確かに、その通りだな……! 転移魔法を使うにせよ、一度に五人は少ししんどい。出来れば最終手段にしたい」
行動は現状、逃げる一択しかあり得ない。
迎え撃つにしても、数で劣っている私達に出来る限り不利に働かない場所までひとまず逃げる必要があった。
でも、「ただ」逃げるだけはあまりに勿体ない。だから。
「……迎え撃つ可能性を考慮すれば、出来る限りこの時点で数を減らしておいた方がいいに決まってる」
私は懐に収めていたとある植物の種と、硝子の入れ物に収めていた青の液体を二本取り出す。
「本当は一本で十分なん、だけどッ、今回は出血大サービスっ!!!」
それを乱暴に後方から迫る魔物に向けて、私は放り投げた。
程なく聞こえる、がしゃん、と硝子の割れる音。明らかに魔物が立てるものではない音に、ソーマさん達の注意が此方に向くが、その焦燥はすぐに驚愕へと塗り替わる。
「〝ベロニカ〟!!!」
手にしていた種は、ベロニカの種。
それは、危険とされる〝食魔植物〟の一種であるが、鋭利な牙のような花弁から漏れ出る液体は、錬金術にも使えてしまう。
だから、取り扱いに気をつける必要はあるけど、〝ベロニカ〟の種を錬金術師が持っている事は決して不思議な事ではない。
そして何より、魔力をエネルギーとして急成長する特性を持つ〝ベロニカ〟は、攻撃手段としても時に使えてしまう。
「……〝ベロニカ〟……!! でも何このサイズ、見た事ないんだけど……!!」
ティアさんが信じられないと口にする。
普通の〝ベロニカ〟は、精々が人程度のサイズ。
だけど、特製の液体を二本分被って急成長を始めるソレは、人程度の規模ではなく、彼方此方に根を張って視界全てを埋め尽くさんと言わんばかりに巨大化していた。
「そりゃあ、薬品とか諸々は、錬金術師の分野ですから……っ」
これで、壁が生まれた。
少なくとも、足止めにはなってくれるだろうし、これなら……!!
そう思った私だったが、過剰成長を促した〝ベロニカ〟の蔓が、私達に向かってくる。
「ま、ず……!」
「でも、本来の用量以上の〝成長液〟を与える場合はそれなりの備えをしとかなきゃまずいって、あれ程言われてただろ」
だけどそれは、障壁が生まれた事で阻まれていた。
────〝魔力障壁〟。
即座に展開されたソレは、ナガレによるもの。
「ご、ごめん」
「一人の時は、気を付けてくれよ」
〝食魔植物〟でありながら、人間には被害を齎さない〝ベロニカ〟。
だが、過剰成長を遂げた事で無差別に攻撃をしてしまう状況に陥った。
壁としては文句の付けようがないが、やはり、大きく成長させれば相応のデメリットが付随するのは自明の理。
こればかりはナガレの言う通りだった。
「それじゃ、今度こそ逃げましょ、ティアさん」
「え、ええ。うん。そうね」
私達と同様に立ち止まってくれていたティアさんに呼び掛け、再び走り出す。
何故か懐疑のような視線を私とナガレはティアさんから向けられていたけど、今は気にしない事にした。
「……本当に二人とも、錬金術師?」
走り続ける事、十分ほど。
〝ベロニカ〟を〝成長液〟と共に投げつけたり、ナガレが転移魔法に使う分の魔力を残して魔法で妨害をした事もあり、撒く事が出来ていた。
ようやく落ち着ける場所にたどり着いた事で、全員して、ぜえぜえと肩で息をして休養。
そんな中、ティアさんが私達の様子を見て話しかけてくる。
やはり、何かを疑うような、信じられないものを見るような視線だった。
「特に、ナガレ君。サーシャちゃんは、うん。体力が迷宮塔に潜って冒険者をしてる私達と体力が似たり寄ったりな部分を除けば滅茶苦茶錬金術師らしいから、錬金術師なんだろうけど」
液体をぶん投げて妨害する戦い方は、ティアさんの中でも錬金術師らしいものに該当していたのだろう。
なにせ、魔法師であれば絶対しない戦い方とは思うし。
「もしかしなくても、ナガレ君って隠してる事があるでしょ。ううん、言わなくてもいいから。錬金術師らしいけど、ナガレ君が魔法師である事ももう分かってる。そもそも、バラす気がないならうちと一緒になって補助魔法を全員に掛けてくれようとはしなかっただろうし」
そんな事までしてくれてたんだ。
だけど、ナガレって器用だから誰にもバレずに片手間に魔法を付与する事も容易にやってのけそうではあった。
「実は腕利きの魔法師で、サーシャちゃんは錬金術師。そして二人は最近になってヴェザリアにやって来た……うち、二人の秘密分かっちゃったかも」
……もしや、と思ってしまう。
もしや、実は私がアストレアで城勤めしている錬金術師で、ナガレが王子殿下である事に気づいてしまったのではないか。
だとしたら……まずい。
そうなれば、面倒事は避けられないだろうし────。
「ずばり、サーシャちゃんは実は他国の貴族様で、ナガレ君はその護衛……! どう? 違う?」
絶妙に合っていて、絶妙に違う答えだった。
本当は王子殿下であるナガレが護衛扱いをされている事が面白くて仕方がないのか。
私の耳にはリュックの中で隠れているルゥの堪えるような笑い声が聞こえてきた。
「……あ、あれ? 違った?」
複雑な心境をそのまま顔に出していたからだろう。自信のあった予想が外れていた事を知ったティアさんは、若干不満そうだった。
とはいえ、私が貴族という部分は過去形なら間違ってはいないし、お忍びの部分も合っている。
まるきり見当違いな予想とは言えないのが難しいところだった。
「もしそうなら、今回の同行依頼は受けてないだろうな。貴族なら、金には困っていないだろうし」
ナガレが冷静に的確な指摘をする。
〝幽霊騒動〟が起きているこのご時世。
実入りの良い依頼の為にわざわざ危険を犯すのは明らかに矛盾している。
迷宮塔に入る目的があったとしても、わざわざ一層を選ばない理由はなかった。
「……た、確かに」
ナガレの指摘に撃沈したティアさんは、折角、熱い展開に巡り会えたと思ったのに。
と、残念そうにぶうたれていた。
そういう訳ありのシチュエーションが好きな人なのかもしれない。
「しっかし、あれはどういう事なんだろうな?」
ソーマさんは、ため息を一つ。
あれとは言わずもがな、魔道具を盗もうとしてきた存在と、大量発生した魔物達についてだろう。
「そもそも、〝幽霊〟がなんでよりにもよって八階層に出やがったのかが分からねえ。上層階にいるって話だったのによ」
曰く、八階層にああいった魔物は生息していないらしい。かつ、事前に聞いていた〝幽霊〟の特徴と酷似しているとのこと。
「……八階層にくる理由があった、って事ですかね」
急に訪れたとすれば、理由はそうとしか考えられない。
「でも、八階層なんて何もありませんよ? 素材としてお金になる美味しい魔物もいませんし、精々が深部に存在する薬草群くらいですから」
「薬草群?」
「ギルドの錬金術師に向けた同行依頼は、八階層ばかりだったでしょう? あれは、八階層に薬草群と呼ばれる場所があるからなんです」
バルトさんが答えてくれる。
そして、八階層にはそれを除いて特徴らしい特徴もない階層とも言葉が付け足された。
(どう思う? ルゥ)
抱き抱えているリュックを口元に近づけ、私は小声でルゥに聞いてみる。
(……まだ分かんない。でも、引き篭もり体質の〝ブラックドラゴン〟がわざわざ、里から出てくるには相応の理由があると思う。それに知能は人間以上にあるから、考えなしにやって来たとは考え難いね)
(というか、ずっと気になってたけど、その黒蜥蜴ってなんなの?)
(黒い蜥蜴だから、黒蜥蜴。ぼくみたいな偉大なシルバードラゴンは違うけど、他の赤色や青色や黒色の奴はみんな蜥蜴でいいんだよ)
どうにも、同じドラゴンとはいえドラゴン間の仲は決して良いものではないらしかった。




