三十三話 ヤブの錬金術師
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そして、時間はあるかと尋ねてきたナガレに案内された先は、錬金寮の食堂だった。
ただ、あまり人はいなくて、隅っこの席に行くと食堂に居合わせた他の人達の声は殆ど聞こえなくなっていた。
「ほら、これ」
その言葉と共に、パンが三個入れられていたウィッカーバスケットを差し出される。
だから思わず、私はキョトンと目を丸くしてしまった。
「お腹、空いてたんだろ?」
「え、あ、あぁ。うん。そうそう、お腹空いちゃってて。うん。じゃあ貰うね」
そこで思い出す。
咄嗟の言い訳の際に、お腹が空いたとか言ってたんだった。
ただ、本当にお腹は空いていたので、折角だからとパンをいただく事にする。
丸型のパンを手に取り、口に入れるとふんわりとした食感が広がる。味は物凄く美味しかった。
「それで、話があるんだっけ?」
時間があるかと聞かれただけだったけど、その理由は話があったからだろうと自己解釈をして、言葉を紡ぐ。するとナガレは少しだけ言い辛そうに私から視線を一度逸らす。
そして、数秒ほどの間を挟んだ後、再び私達の視線が交わった。
「サーシャは、フィレールに向かうつもりだろ?」
いきなり核心をつかれる。
……いや、ガロンさん達の前で散々、逡巡する様子を見せてしまってたし、そう捉えられるのはある意味当然でもあった。
「…………。だめ、かな」
どうにか取り繕って、ナガレを説得させよう。
そんな考えが一瞬、私の脳裏を過る。
でも、私の知るナガレは、思い付きの言葉で言い包められるような人じゃないし、ナガレにはあんまり嘘はつきたくなかった。
だから言い訳をするより、私は観念を選ぶことにした。
「サーシャは、家に戻りたいのか?」
良いとも、駄目とも判断のつかない言葉で返される。
ただ、その言葉に対しての答えは既に出ている。だから、張り詰めつつあった空気をどうにかする意図も込めて、顔を綻ばせながら答える事にした。
「ううん。家に戻る気はないよ。というより、どう頑張っても、戻れる事はないだろうしね」
戻る気はないけど、そもそも、レイベッカの家に私が戻れる事はどう転んでも、絶対にないと私自身も分かっていた。
「……じゃあ、どうして」
フィレールに向かおうと考えているんだ、とナガレが言葉を紡ぐと予想した上で私は言葉をあえて被せる。
「だって、私は錬金術師だもん」
ナガレにとって、私のその言葉は答えになっていなかったのか。
瞠目していた。
「ナガレが言ってくれたんだよ。私は、立派な錬金術師だって。だから、錬金術師らしく在りたいなって思った。だから、家とか関係なしに、私はフィレールに行きたいんだと思う」
私という人間を錬金術師として認めてくれたのは、ナガレだ。
そして、その言葉に背中を押され、救われたのが私という人間。
「私が錬金術を学ぼうとした理由って、家に認められたかったからだったんだ。錬金術の名門、レイベッカ伯爵家。だから、錬金術を学べばいつか認められる日が来る。そう思って、錬金術を学んでた。そう、思ってた」
「……思ってた?」
含みのある私の物言いに、ナガレが引っかかる。事実、フィレールからアストレアに来るまでの道中に、ナガレに私はそう説明をしていた。
騙していた訳じゃないのだと主張する為にも、私はそう言うべきだった。
「うん。思ってた。でも多分、自覚してなかっただけでもう一つ理由があったんじゃないかなって、最近になって思うようになったんだ」
私が錬金術を学ぼうとした理由。
それは、家に認められたかった事ともう一つ。
「多分私、錬金術師に憧れてたんだと思う。とはいっても、レイベッカの人間に対しての憧れじゃないけどね」
このくらいの言葉の毒は許されるよね。
と、心の中で言い聞かせ、舌を少し出しながら私は答える。
「前にさ、ガロンさんと会ったパフェ屋に向かう途中に話した事、覚えてる?」
「……なんで、魔法師じゃなくて錬金術師の道を進んだのか、って話だったか」
「そうそうそれそれ。その時にさ、私のお母さんが病弱だったって話したでしょ」
それも覚えてる? って聞くと、ナガレは覚えてると言って頷いてくれた。
「お母さんの看病をよくしてくれてた錬金術師さんに、多分私憧れてたんだと思う。あんな人になりたいって、思っちゃってたのかも」
「そんな凄いやつだったのか?」
「ううん。逆。すっごい鈍臭くて、ヤブの錬金術師みたいな人だったよ」
笑いながら答えると、ナガレはまた驚いてた。
「当時、5、6歳の私にレイベッカの人間なんだから、錬金術くらい出来るだろ、手伝えー! って無理矢理手伝わせようとするくらいには破茶滅茶な人だったかなあ」
「……なんでそんなやつに母親の看病させてたんだよ」
「まぁそこは、うん。私達、レイベッカの人に嫌われてたから、その、圧力とかあったんじゃない? まともな人は、厄介事を抱えたくないからってみんな断られたから。その、ヤブっぽい錬金術師さん以外には、殆ど全員に」
私の義母に当たる人が、私達の事を特に嫌ってたから、フィレールにいるまともな錬金術師には、面倒事に巻き込まれるのは御免だ。
とかなんとか言われて軒並み、避けられていた。
ただ、そんな中で唯一手を挙げてくれた人がいた。色んな意味で滅茶苦茶な人だったけど、それでも、良い人だった。
それでも、錬金術師としての志は人一倍高い人だった。
……技術は、あんまり追いついてなかったけど。
「同情を買っちゃうと思ったから、本当はこの話はしたくなかったんだけどね、だから、やましいから隠していたとかじゃないよ。これは、本当」
アストレアに来るまでに身の上話は一応、全て話していた。この、ヤブっぽい錬金術師さんの話を除いて、全て。
「……サーシャの性格はよく知ってる。その程度で何かを思うような関係なら、そもそもアストレアに招いてない」
「そ、そっか」
寄せられる信頼の大きさに、ちょっとだけ怯んでしまうけど、どうにか持ち直す。
「でね、話の続きなんだけど……きっと私がフィレールに向かいたいって思ってる理由は、私の憧れた錬金術師が、その人だったからなんじゃないのかって、思うんだ」
信じて貰えるかは分からない。
でもきっと、私が向かおうとしてる理由は、家が理由でなく、それが理由。
ルゥに話をして、落ち着いたからか。
漸く、この答えにまで辿り着くことが出来た。
そう言葉にすると、異様にしっくりときた。
胸にすとんと落ちて、あぁ、絶対これだなって、思えた。
「その人は、困ってる人がいるなら悪人じゃない限り誰にでも手を差し伸べる。とか本気で言うような人だったから」
その性格に助けられた私が言うべきセリフじゃないけど、変わった人だった。
「……良い奴だな。そいつ」
「うん。良い人だった。今は何をやってるのか分からないけど、いつか会う事があればお礼をしたいって思っちゃうくらいには」
————後悔だけはしたくないから。
その言葉が口癖だった、錬金術師さん。
志が高過ぎるからか。
いつも空回りしてて、おっちょこちょいで、ドジで、小さかった私にまで手が足りないからと錬金術の真似事をさせようとするような人だったけど。
そんな彼女の言葉を借りて良いのなら、きっと私は、『後悔だけはしたくないから』フィレールに向かいたいのだと思った。
「それに、錬金術師なら、自分の作ったレシピにくらい責任を持たなきゃいけないかなって」
私のレシピ通りに作って、起こった事ではないにせよ、少なからず関わりがあった事は判明しているから。
「だから、向かいたい。何より、私が一番上手く対処出来るだろうから」
なにせ、私がレシピを作った本人だ。
騒ぎになっているという事は少なからず被害が生まれてしまった事に他ならない。
ならば、やはり私が向かうべきだろう。
そこまで言ったところで、目の前から、小さな溜息が聞こえてきた。
ただそれは、呆れというより、苦笑いに限りなく近いものであって。
「……そこまでの考えがあって、それでもと言うサーシャに、駄目とは言えないな。何より、サーシャは俺にとって恩人であり、友達だ。そういう奴には意地悪をしたくないし、願いは出来る限り叶えてやりたい」
「なら!!」
「一応、そう言うんじゃないかと思ってガロンは説得してある。ただ、条件付きになるけどな」
「条、件」
ゆっくり、復唱する。
条件、というと、無理難題に近い何かを突き付けられるのだろうか……? と、一瞬、身構えて警戒してしまうも刹那。
「フィレールに向かう場合、万が一を考えてサーシャには偽名を使って貰う上、アストレアの錬金術師として行動して貰う事になる。それが、条件だ」
脳裏に思い描いていた内容とはあまりに乖離した、簡単過ぎる条件に、思わず拍子抜けしてしまう。つい、そんな事くらいでいいの? と、言いかけてしまったくらい。
ただ、偽名を使え。
という事は、レイベッカの人間と会うなとナガレが言っているのだと私は遅れて気付き、どこまでも心配してくれてるんだなって破顔してしまう。
「うん。そのくらいでいいなら。飲むよ、その条件」
「そう、か」
ならば、と私は立ち上がる。
ナガレの絶妙に複雑そうな表情からは、出来ればじっとしていてくれるならそれに越した事はない。みたいな本心が滲み出ていたけど、申し訳なさを感じつつも私はそれに背を向ける。
謝罪は、また今度ちゃんとするとして。
「じゃあ、私は早速工房に行ってくる!」
色々と準備しなきゃ。
そう思って足早に動き始める私であったけど、同時、ずっと頭にのしかかっていた重さが不意に離れる。
「『そういう事なら、ぼくはそこの残りのパンを食べとくね』」
ドラゴンは基本的に魔力を食べる種族とはいえ、パンといった食べ物を食べられないわけではない。
ルゥ曰く、絶対食べる必要はないけど、食べたくなったら食べる。人でいうお菓子みたいなものと聞き及んでいる。
だから、大した疑問にも思わず、私の頭から離れるルゥの言葉に分かったと返して私は工房へと向かった。
* * * *
「『ナガレってさ、サシャの事好きなの? 随分と、というか、かーなーり、甘いけど』」
サーシャが食堂から居なくなった事を見計らい、パンを齧りながらルゥは告げる。
側には、少しばかり疲れた感じのナガレがいた。
「俗な質問をするんだな、ドラゴンの癖に」
「『ドラゴンだから、だよ。長く生きる種族はそれだけ生を楽しむ何かを見つけなきゃいけないからね。で、それで返事は?』」
「好きか嫌いかで言えば、一考の余地すらなく好きだろうな」
「『うわ、でたよ、典型的なつまらない答え』」
あまりに人間臭い返しに、ナガレは思わず苦笑する。人間相手であれば、不機嫌になったかもしれないが、今回はドラゴンの言葉である。
そのギャップに、ナガレは笑わずにはいられなかった。
「今は、あいつが楽しんでくれればそれで良いんだ。楽しんでくれてる姿を見るのが好きなんだ。これまで苦労した分、人一倍笑える日々を送ってくれればそれで。なにせ俺達は、『友達』だからな」
友達の幸せを望むのは至極当然だろう。
そう返してくるナガレの言葉に、模範解答過ぎてつまらないとルゥはパンを齧りながら器用にぶー垂れる。
ただ、心底相手の事を考えているが故の言葉なのだと感じ取ったのか。
ナガレを追い詰めるような追撃の言葉を、ルゥが投げ掛ける事はなくて。
「『……難儀だね』」
「何がだ?」
「『ま、君達がそれでいいならそれで良いんだろうけどさ』」
ナガレ自身も、ルゥが言いたい事を薄らと察しているのだろう。
訳知り顔で笑みを浮かべていた分、ルゥの呆れの反応もひとしおだった。
そして、サーシャが食べていた分とルゥが齧り付いていた分。それを除いて最後の一つとなっていたパンをナガレが手に取り、齧り付く。
「『あ! ぼくのパン!!』」
「余計な事を気にするドラゴンに渡すパンは、一個で十分だろ」
二個食べる気でいたルゥから非難の声が上がるも、それに対して知らんと一方的に告げてナガレは食べ進める。
やがて、ナガレからパンを奪う為にか。
食べていたパンを一気に口に含み、飲み込むルゥであったが、その直後。
見る見るうちに顔色を真っ青にさせてゆく。
「『ぅっ、ん、んー!!! んーー! んー!!』」
翼を広げ、ぐるぐると宙を飛びながらナガレに向かって何かを訴えかけるドラゴンが一匹。
食い意地を張ったせいで喉にパンを詰まらせたのだろう。
そう理解をして、ナガレが水ならあそこにあると言わんばかりに後方を指差し————しかし、慌てて向かってしまったが故に、勢い余って水場を通り越して壁に激突するポンコツドラゴンがいたとか、いなかったとか。




