三十一話 騒動
* * * *
ゴリ、ゴリ、ゴリ。
すり鉢に入れた素材をすりこぎ棒を使って粉状に変える音が、ひたすらに錬金塔に響いていた。
魔法とは一見、便利で万能に見える。
ただ、それでもやはり、少なからずデメリットのようなものがそこには存在していた。
たとえば、治癒魔法。
本来、誰しもに備わっている自然治癒能力を瞬間的に向上させるソレは、即座に傷を治せるという大きなメリットがある。
だが、それと同時に自然治癒能力がほんの僅か、低下してしまうというデメリットも存在していた。
勿論、全ての魔法にデメリットが備わっているわけではないのだが、治癒魔法然り。錬金術然り。
「地道」に行えるものであれば、可能な限り「地道」なり「魔法」を使わない選択肢を選ぶべき。その事は、周知の事実であった。
それもあって、〝ネードペント〟討伐を終えてからというもの。
ここ十日ほど、私はひたすら〝ネードペント〟の残骸の一部を粉末化する行為に勤しんでいた。
「重篤患者は兎も角、比較的軽症者であれば、そこまで急ぐ理由もありませんからね」
私と同様の作業を側で行っていた錬金術師長であるダウィドさんに話し掛けられる。
そう口にした理由は、「た、偶には魔法使わないっすか……?」と言って、易きに流れようとしていたウェルさんの直前の発言があったからだろう。
とはいえ、ダウィドさんは、アルカイックスマイルのような笑顔を浮かべ、無言の圧力で『NO』という拒絶の意志を叩き付けていたが。
「とはいえ、おれ、ここ十日くらいずっとおんなじ作業しかしてない気がするんすけど」
「『ミナト病』に対する特効薬製作が急務ですからね。軽症患者にも薬を行き渡らせる為にも、少なくとも後三日は頑張って貰うことになるかと」
「おっと。そう言えばおれは明日から三日ほど武者修行の旅に出る予定があった筈なんで、そろそろ失礼————」
「引きこもり体質のお前が、武者修行の旅なんてするわけが無いだろ」
その場を後にしようとするウェルさんであったが、偶々近くにいたナガレに正論を突き付けられ、うぐっ、と引き攣った声を漏らしながら足を止める。
「じ、実は、この引きこもり体質をそろそろ治した方がいいかなーと思ってて、密かに計画してたんすよ。武者修行の旅を」
「それは良い事ですね。私も常々、ウェルのその体質には頭を悩まされていたんですよ」
どこからどう見ても取り繕いにしか思えないウェルさんの言い訳を、あろう事かダウィドさんが、良い事だと口にする。
まるで、擁護でもするように。
ここ数日は、珍しく錬金塔に篭って作業をしているウェルさんであるが、未だ引きこもり体質は健在である。
今は、ダウィドさんが強制的に錬金塔で仕事をさせているだけであった。
「で、でしょ!? そうっすよね!?」
予想外の援護射撃に戸惑いを見せるウェルさんであったが、これを利用しない手はないと踏んだのか。
最大の敵と思っていたダウィドさんに、もっと言ってやれ! と発言を促す。
「ええ。ですから、その第一歩としてこれを届けてきてくれますか」
「これ」と言ってダウィドさんが視線を移した先には、積み上げられた特効薬の完成品がズラリと。
ケースにこそ今は収められているが、数にして千は下らない。
「ちょうど、そろそろ誰かに届けて貰おうと考えていまして。武者修行を明日から行うなら余裕でしょう? これを、魔法塔を始めとして、騎士舎、商業施設、城仕えの法服貴族、あとあと、」
「う、うそです!! や、やだなぁ! おれが武者修行の旅なんてするわけないじゃないっすか! ただのジョークですよ、ジョーク! おれはここで黙っって、ひたすら特効薬製作に励ませていただくっす!!」
「おや? そうですか? 私は別に武者修行をしたいというなら止める気はなかったんですが」
「国の一大事に、働かないようなばかちんは、おれが成敗してやりたいくらいっすよ!! まったく、こんな時にこそ、一丸となって頑張るべきでしょうに!!」
……率先してその和を乱そうとしていた張本人さんが何かを言っていた。
やれやれとワザとらしく呆れてはいたけど、そのばかちんはお前なんだけどな。
と、場に居合わせていた人は全員、視線のみでウェルさんにそう訴えかけていた。
「というか、アリスは何してんすか、アリスは。あいつだけサボりやがって……!! 死ぬほど羨ましい……!!」
自分の事は棚に上げて、ウェルさんは怒る。
最後の方は本音がモロバレであったけど、ウェルさんの本音は既に周知の事実である為、あえてツッコミを入れる人間はいなかった、のだけれど。
「そういえば、随分と遅いですね。アリスさん」
確か、魔法師長であるガロンさんに、「ちょいと相談がある。時間あるか」と言われ、錬金塔を後にしたのがかれこれ二時間近く前。
何か用事があったにせよ、少しだけ遅過ぎる気もする。
そんな事を思った折。
まるで、狙っていたようなタイミングで外に続くドアが開かれた。
そこには、アリスさんと、彼女を呼び出した張本人であるガロンさんがいた。
……ただ。
「……何かあったんすか?」
普段、おちゃらけた態度を貫いていたウェルさんでさえ、揶揄う事はせずにそんな言葉を開口一番に投げ掛ける。
そのくらい、何故か二人は深刻そうな顔をしていた。
「……出来ればオレの勘違いであって欲しかったんだが……」
勘違いではなかったと。
話の内容はまだ見えてこないけど、あまり良い話題でない事はよく分かった。
あまり口外できない内容なのか。
周囲にいた私を含む、ナガレやウェルさん、ダウィドさんまでにしか聞こえない程度の、やや小さめの声量でガロンさんは紡ぐ。
「嬢ちゃんや殿下達はここ数日、錬金塔にひたすら篭ってたから知らねえだろうが、つい最近、色々とあったんだよ」
ガロンさんの言う通り、錬金術に覚えがある人間は総動員で『ミナト病』の特効薬作りに勤しんでいた。
お陰で世情については指摘の通り、疎いと自覚はある。
「んで、今、フィレールが面倒臭え事になってる。その原因が、コレだ」
取り出したのは、何の変哲もないポーション、だろうか。
心なしか、色味は私が作るポーションのように、普通のポーションよりも透明感が強い気がする。
「ブツがポーションだったもんで、アリスの嬢ちゃんを借りてたんだが、一応、結論が出たんでこっちにきたっつーわけだ」
確かに、ポーションの事となれば錬金術師を頼る他ない。しかし、ダウィドさんは特に忙しく、とすれば必然、ダウィドさんの右腕、と呼ばれているアリスさんを頼った事にも納得はいく。
「これは見た目だけならポーションに見えるんだが……今、フィレールを騒がせてる毒物らしい」
ガロンさんはテレポートの魔法の使い手。
アストレアからフィレールまでの移動も、然程の時間を要さずに済む。
故に、こうして現物を手にしているのだろう。
「しかも、嬢ちゃんらが見て分かるように、これは見た目だけならポーションにしか見えねえ」
だからこそ、ポーションと間違えて摂取する人間がいたのだろう。
そして、そのせいで騒動になっていると。
……次第に話が見えてくる。
ただ、ポーションのような見目をした毒物など、聞いたことも無い。
故に、それこそポーションの見目をした毒物を作ろうと思えば、ポーションを作ろうとしていた上で、意図せずして毒物に変化してしまった。
などという展開でもなければ有り得ないのでは、と思った際、ある一つの心当たりが浮上する。
「……ガロンさん。それ、私に見せていただけませんか」
私が完成させたポーション、そのオリジナルレシピ。あれは、調合する量を間違えれば、劇薬に変わるものだ。毒物にだって、なり得る。
ただ、それは私みたいな変わり者しか、作り方を知らない筈……と思った。
思いはしたけど、他にも作れる人がいた。
劇薬になると分かっていたから、完璧なレシピはどこにも記さず、頭の中にのみ刻み込んでいたけれど、未完成の虫食いレシピなら、ある。
それは、レイベッカの家に置いてきてしまっている。
「……その目。言葉の調子。やっぱり、アリスの嬢ちゃんの言う通り、気付いちまうか」
ガロンさんは、まるでそうなると知っていたかのような口調だった。
「騒動の原因を生み出した張本人として、フィレールでは嬢ちゃんの実家であったレイベッカ伯爵家の当主と、後継が牢にぶち込まれたらしい」
「…………」
息を呑む。
そして、思考が加速する。
という事は、この話をするという理由は、もしかして私もそれに関わっていると疑われているのかと一瞬、思ってしまって。
「王妃様の病を治して、関わりのねえやつ助けるために奔走して、危険を背負ってアストレアの為に頑張ってくれた奴を疑うほど、人でなしじゃねえよオレらもよ。そもそも、嬢ちゃんは既にレイベッカの人間じゃない上、アリスの嬢ちゃんがあのレシピは、調合の量によっては毒物と化してしまう可能性があるって教えてくれた」
————そもそも、嬢ちゃんはどうしてレイベッカの家を追い出されたんだろうな?
私を疑っているわけではないと聞かされて、安堵する。
ただ、直後に投げ掛けられた今更な疑問を前に、少し、考え込んでしまう。
「それは、私が妾の子であったからで、」
「悪ぃ言い方をするが、オレがレイベッカの人間の立場なら、今回の一件を全て嬢ちゃんに擦りつけただろうよ」
「それ、は」
その通りだと思ってしまった。
だから、言葉に詰まってしまう。
「でも、それをするどころか、事が起こるより前にレイベッカは嬢ちゃんを家から追い出してしまってる。だったら、他に理由があったと考えるべきだろ?」
嫌われてるだけなら、今回の一件の責任を全てなすりつければ良かった。
寧ろ、これまでの待遇からして、そうなるのが一番自然だ。
でも、現実そうはなっていない。
そして、ガロンさんの視線が、つい先程まで私がゴリゴリ音を立てて粉状に変えていたものに向く。
「なぁ、嬢ちゃん。スタンピードの際に作ってくれたってポーションのレシピ。あれ、作り方を書いた紙とか家に置きっぱなしにしてねえか?」
「……家から追い出される時が急だったので。その、荷物はほとんど家に置いたまま、ですね」
薄々感じていた可能性が、現実味を帯びてゆく。
確かに、それなら辻褄は合う。
合うけど、一切相手にもしてくれなかったレイベッカの人間の誰かが、あえて私のレシピを使おうとする意図が分からない。
でもだとすると、誰が……?
父? 姉? 義母? それとも、他の誰か?
……分からない。分からなかった。
い、や。それよりも。そんな事よりも。
「すみません、ガロンさん。ひとまず、それ、頂いて良いですか」
兎に角、その毒物が私のレシピの派生によるものかの確認。
そして、その解毒について調べる必要があった。
「……そりゃ構わねえが、一つだけ言っとくぞ」
言葉には、少しだけ申し訳なさに似た色があった。それはどうしてか。
疑問を抱いた直後に答えがやってくる。
「これを調べるのは構わねえが、たとえどんな結果であれ、嬢ちゃんをフィレールには送れねえし、アストレアから出すわけにはいかねえからな」
たとえ、最悪の可能性が全て的中していたとして。その結果、私が取ろうとする行動を先読みした上でガロンさんは言う。
「この事を馬鹿正直に話した理由は、オレらが嬢ちゃんに恩があったからだ。恩人……いんや、仲間と思ってる相手に不義はしたくなかった。だから、教えた」
義理堅い人だなと思う。
そして、そう思ってくれている事は、素直に嬉しかった。
「んで、たとえ事実が何であれ、フィレールに向かわせられない理由は、嬢ちゃんが一応、レイベッカの人間だったからだ。勘当されていたとしても、被害が向かわねえわけがねえ。分かってくれよ、嬢ちゃん」




