二十九話 竜吟の詩
そして、ガロンさんの手を借りて転移を果たした先で————私達は言葉を失っていた。
「これが、〝ネードペント〟だ。……な? 嬢ちゃんらを帰したくなる気持ちもわかんだろ?」
食魔植物というより、これは、大木。
異形ではあるが、紛れもなく大木だ。
そんな感想を抱いてしまう程に、ソレは巨大だった。ある程度の距離があって尚、その全貌は見渡せない。
「たし、かに。……ってあれ。他の魔法師の方々は何処にいるんですか?」
転移した先には、何故かガロンさんを含めて五人程度しか人がいなかった。
ここ、エルゲン山脈にまでついてきた魔法師の数と比べれば一目瞭然に少ない。
何処かに身を潜めているのかと思ったけど、他の人達の気配は一切感じられなかった。
「それは、まぁ、じきに分かるさ」
喜色に笑みながら、ガロンさんは答えてくれる。まるでそれは、後でのお楽しみとでも言うように。
「つぅわけで、配置ついてっかてめえら。錬金術師だけに活躍させんじゃねえぞ。役立たずは、オレの新作パフェの実験台に任命すっからなぁ?」
続けられる言葉は、鼓膜を揺らしたというより、脳裏に直接届いたとでも言うべきものであった。
事実、ガロンさんは一切口を開いてはいない。
なのに、彼の声が私にまで届いた。
それが意味するところは、
「テレパス……!!」
「やっぱり、サーシャは知ってたか」
「知ってるも何も、これ、魔法の中でもテレポートより使い手の少ない最上位魔法だよ……!!」
距離の離れた人間相手でも、連絡を可能とする魔法。テレポートレベルで使える人間は限られる上位魔法。
本の知識が先行している私だからこそ、専門外の魔法であって尚、声に出して驚かずにはいられなかった。
そして、私のその反応に気を良くしたのか。
はたまた、テレパスにて返ってきた他の魔法師の方々の返事に笑いを誘うものでもあったのか。
口角を吊り上げながら————一言。
「いくぜぇ、〝五方陣〟」
直後、等間隔で離れていた場所から、強い輝きを帯びた青白い特大の魔法陣が浮かび上がる。
数にして、五つ。
程なく、私達の足下にもそれは発現した。
「『〝五方陣〟、ね。多数の魔法師が力を合わせる場合、主導出来る人間が一人いるなら、確かにそれがアレを倒す上では一番だろうね』」
私の頭の上で翼を広げ、寛いでいたルゥが呟く。だけど、ルゥの呟きは私を除いて誰も気が付いていないのか。
はたまた、聞こえていないのか。
誰かが言葉を返そうとする様子は見受けられない。
「『ただそれでも、ぼくの見立てが正しければ、あの規模の食魔植物ともなるとあと一歩。ううん、二歩くらい足りないだろうなあ』」
つまり、ルゥは失敗すると言いたいのだろう。
これが、偶々場に居合わせた誰かの言葉であれば、取り合う必要はなかっただろうけれど、ルゥは知恵者で知られるドラゴンの一種。
だから、聞き流すなんて事は出来るわけもなくて。
「……じゃあ、どうすればいいの、ですか?」
「『砕けた口調でいいよ。別に、ぼくはまだ二百年くらいしか生きてないからさ』」
それでも、圧倒的に私より年長さんなんだけど……と、ツッコミを入れるべきか悩んだけど、少しばかし話しにくかったのは事実だったのでその言葉に甘える事にする。
「『で、どうするかって話だったけど、答えは簡単。キミが手にしてるソレのような事を、錬金術だけでなくて魔法でも行えばいい。その二つで、二歩前進。ほら、それなら届くでしょ?』」
ルゥに指摘された私が手にしていたのは、ナガレと夜なべして作った対〝ネードペント〟用の秘策。
魔法に対して耐性のある〝ネードペント〟特性を強引にぶち抜く為の秘薬とも称するべきものであった。
「そう、だけど。いや、そうなんだけども、でも————」
元々私は魔法なんて専門外。
私が付け焼き刃で出来る程度の魔法であれば、既に今回の〝ネードペント〟討伐に同行してくれた魔法師の誰かに出来ない事はまず間違いなくないだろう。
特に、魔法は経験がものを言う世界。
とてもじゃないけど、ルゥの言葉にそうだねと二つ返事で肯定は出来なくて。
「『そこで、ぼくの出番ってわけ。ほら、ついさっき、手伝うって言ったでしょ? シルバードラゴンの特性って言えば、分かる?』」
ドラゴンにも、様々な種類のドラゴンが存在している。
有名どころで言えば、ゴールドドラゴン。
シルバードラゴンの二種。
他にも、レッドドラゴンや、ブルードラゴン等、数にして十に近いドラゴンがいる。
彼らにはそれぞれ、彼ら独自の特性があった。
例えば、レッドドラゴンは、火の魔法に特化している。ブルードラゴンは、水の魔法に特化している等。
そして、ルゥと名乗ったベビードラゴンは、シルバードラゴンに区分されるドラゴン。
その特性は————、
「————補助」
「『そう。補助や治癒の魔法に長けているのが、ぼくらシルバードラゴンだ。で、かれこれ数十分くらい一緒にいたわけなんだけど、ぼくらは結構、似た者同士らしいよ?』」
「似た者同士?」
「『うん。要するに、キミにもぼくらみたいな才能があるって事』」
ただその分、攻撃系の魔法に対する才能は微妙だと思うけどね。と言って、若干言い辛そうにルゥから告げられる。
とはいえ、その自覚はあったので今更何とも思わないし、私は魔法師でなく、錬金術師。
気落ちする要素は何処にもない。
寧ろ、何かあると言って貰えるだけ儲けもの。
「『どうする? やる? それともやめておく?』」
「ああ、そんなの」
ルゥの言葉に破顔して答える。
やるか、やらないか。
それに対する返事なんて、あえて聞かれずとも決まってる。
ルゥだって、問い掛けずとも、返ってくる返事は分かっていたのだろう。心なしか、声は楽しそうに弾んでいる気がした。
「もちろん、」
「————どうせ、やるんだろ? なら、今度こそ俺もまぜろ」
私がルゥに答えるより先に、言葉を被せられる。
ナガレの言葉だった。
どうやら、ひとりごちるように、小さな声量で呟かれていたルゥの言葉にナガレも気付いていたらしい。
「『キミならそう言ってくれると思ってた』」
まるで、ナガレがそう言い出す事を待ち望んでいたかのようなルゥの口振りに、私は瞠目した。
ナガレを巻き込みたかったのなら、だったらなんで、初めから私にだけ話すような声量だったのだろうか。
「『一応これ、ドラゴン用の魔法だから。消費する魔力の量も、人間一人じゃ支えきれなくて。ぼくが万全の状態だったならいらない心配だったんだけど、そうはいかないからね。だから、お互いに信頼している魔法師のペアが必要だった』」
これは、その確認であったのだと告げられた。
ルゥの魔力は、本来の満タンと言える量には程遠い。
「『勿論、消費を抑えれば、聖女の子にも使えるだろうけど、』」
「魔法の効果は、消費する魔力量に依存して変化する」
「『そういう事。だから、〝ネードペント〟を倒したいなら、そこを妥協するわけにはいかないって事だよ』」
聖女っぽい魔力をしているから。
なんてよく分からない理由で、私を聖女の子呼ばわりするルゥの言葉に、ナガレが答える。
消費した魔力の量に応じて効果の強弱が決まる事は、魔法を扱う人間からすれば、常識中の常識であった。
「『というわけで二人とも、手を握ってくれる?』」
「「??」」
脈絡を感じられない突然の言葉に、私とナガレはお互いに小首を傾げ、疑問符を浮かべた。
「『いや、だから、手を握ってって。あぁっ、ほら、もう攻撃始まるっぽいし、時間ないから。ほら、早く早く』」
急き立てられる。
なんか、急いでるっぽかったから、そのまま言われるがままにナガレと手を握ってみる。
「『手を握っておけば、ある程度魔力の疎通が出来るんだ。勿論、ある程度の才能は当然必要になってくるけど、たぶんキミ達なら大丈夫。魔法は適性の高そうな聖女の子に教えるから、そっちのキミはそれを補助してくれればいいよ』」
別にナガレはルゥの前で魔法を見せてもないのに、ナガレの魔法に対する素質を見抜いたらしい。
売り言葉に買い言葉、でもないけど、「そのくらい出来るよね」と流し目を向けるルゥに、当然であると言わんばかりにナガレは反応していた。
「……おいおいオイ、硬えなんてもんじゃねえぞこれ」
〝五方陣〟と呼ばれた五つの魔法陣。そこから空に向かって撃ち放たれる一筋の光。それが五つ。
合わさり、膨らみ、やがて〝ネードペント〟の頭上に集まり、殲滅すべく降り注いでいた。
しかしそれでも、威力不足。
ガロンさんの焦燥感に塗れた呟きが、それをありありと示していた。
本当に、ルゥの言う通りになっていた。
程なく、夜なべして作った秘薬を取り出し、躊躇いなく喉に注ぎ込むガロンさんであったけど、険しい表情に和らぎは見えなくて。
「『ぼくが手を貸してあげるから大丈夫。何より、キミ達には才能がある。心配なんて、いらないよ』」
慰めるような言葉を、ルゥから向けられる。
「『目を瞑って。大事なのはイメージと、状況を正しく把握出来るだけの冷静さだけだから』」
焦っても仕方がない。
焦ったら、上手く出来なくなる。
ルゥの言葉に従うように、自分に言い聞かせる。
「心配するな、サーシャ。ガロンがああして弱音を吐く時は、基本的にある程度の余裕がある時だ。多分、あと十分はあの状態でも問題ない」
「流石に、五分が限界ですかねえ……!? 向こうもこっちの攻撃を押し返して来てるんで、これを何とかされた後の反撃を考えると、あんまり時間は、ねえと、思います、よッ」
苦しそうに。
だけど、流石にそれは勘弁してくれと、苦笑い混じりにガロンさんは答えてくれる。
そのいつも通りの対応に、気付けば私の中の緊張は和らいでいた。
息を吸って、吐いて。
自分自身を落ち着かせて、よし。と前を向く。
「魔法を教えて、ルゥ」
「『よしきた』」
————補助の魔法は、まず何よりも魔法を掛ける対象の存在をキチンと認識する事が重要なんだ。でも今回のような場合は、全員じゃなくて、そこのガロンって人だけを認識していれば大丈夫。
それに補助の魔法は錬金術にも応用出来る。
覚えておいて損はないと思うよ。
そのルゥの助言に、顔が綻んだ。
なら、いつか錬金術にも使ってみよっか。
「『この魔法の名前は————〝竜吟の詩〟』」
聞いた事もない魔法だった。
それなりに文献を読み漁ってきたけれど、そんな魔法は見た事もない。
「『そりゃそうだよ。基本的に、ドラゴンが人間に力を貸す事はあっても、魔法を教える事は稀だからね。それに、教えたところで使える人間なんて殆どいないよ』」
文献に残る、残す以前の問題であるとルゥは言う。
「『今回は特別に、ぼくが誘導してあげる』」
……誘導?
と、私が眉根を寄せると同時、魔力をルゥに食べられた時と似たような感覚に見舞われる。
ただ、今回は吸われるのではなく、私の手のひらに一点集中で集まっているのがよく分かった。
「『イメージは、そうだね。ドラゴンをイメージしてくれればいいよ。強くて、速くて、器用で。そんな、万能なドラゴンのイメージ。これはあくまで、人間で言う強化魔法の、ドラゴン用、みたいな感じだからね』」
生態系のトップに君臨するドラゴンのイメージ。
確かにルゥの言う通り、強くて、速くて、器用で、誰にも負けないような万能感が強い。
「『そこのキミも、合わせられる?』」
「ナガレでいい」
「『じゃあ、ナガレ。出来る?』」
「愚問だな」
ルゥの言葉に、ナガレは何と言う事はないと鼻で笑う。馬鹿にしてくれるなと笑っていた。
「『なら、その言葉を信じるよ』」
ルゥの弾んだ声が続く。
「『それじゃあいくよ————〝竜吟の詩〟』」
直後、私やナガレ、ガロンさんを含むその場にいた全員を覆うほどの特大の魔法陣が展開される。
それは、ルゥの身体の色と同じ真っ白の魔法陣。若干、私達が普段使用する魔法陣とは柄が異なってはいたが、そこから放たれる眩い光は、何故か無性に暖かく感じた。




