二十八話 ルゥ
「えっと、その、私もよく分からないんですけど、……懐かれちゃいまして?」
ガロンさんは優秀な魔法師だ。
だから、〝サーチ〟が得意かどうかは兎も角、私の頭で丸まっているベビードラゴンが、ただのもこもこであるとは思っていないだろう。
故の質問。
だが、事情を知らないガロンさんは、私のその返答に更に眉を顰め、どういう事だと疑念の色を深く濃く表情に刻んでゆく。
「ただ、その、悪い子じゃないんです。現に、こうして手伝ってもくれてますし」
だから、ドラゴンは一応、魔物の括りで認識をされてはいるが、討伐はしないでくれと訴え掛ける。
そして、既にある程度の数、出来上がっていた完成品をガロンさんへと私は差し出した。
「……もしかしなくても、そいつ、ドラゴンか?」
一瞬で看破される。
……流石だと思うと同時、分かる人には分かるよねという諦念の感情が雪崩込み、私は正解ですと言うように苦笑いで応えた。
「この子としても、〝ネードペント〟の存在は邪魔だからという事で、血まで提供してくれて」
「〝ドラゴンブラッド〟、か。それも、その身体の色からして、シルバードラゴンの系譜か」
ドラゴンといっても、様々な種類のドラゴンがいる。そして、ドラゴンの中でも特に出会ったが最後。とまで呼ばれる強大な力を持つドラゴンが、ゴールドドラゴンと、シルバードラゴン。
あの時、身体が射竦められたように動かなかった理由は、私の頭の上で寝息を立てるこの子が、シルバードラゴンであったから、だろう。
しずり雪を思わせる真っ白で、白銀色に見えなくもないその身体から、ガロンさんはこのベビードラゴンをシルバードラゴンと判断していた。
「……とはいえ、ドラゴンが人に懐くなんて話は聞いた事もねえんだけどな」
ドラゴンは生態系のトップに君臨する生き物。
更にその中でも上位に位置するシルバードラゴン。だからこそ、懐くなんて考えられないと口にするガロンさんであったが、
「『そんな事はないよ。ドラゴンが人間に懐く事は、割とよくある話だよ』」
そこに、ベビードラゴンが割って入る。
ぐっすり寝ていると思っていたけれど、どうにも起きていたらしい。
「『ただ、基本的に〝良い匂い〟の人間にしかぼくらは力を貸そうとは思わないけど』」
またしても、良い匂い。
私が数十分前に引っ掛かっていた部分にガロンさんもまた、引っ掛かったのか。
どういう事だと顔を顰めるけど、それに対する具体的な言葉が返ってくる事はない。
そこに対する答えが、ベビードラゴンの中で既に完結しているから。
だから、説明のしようがないらしい。
「……なら、そいつは敵じゃないって認識で大丈夫なんですかね」
ガロンさんが、ナガレに問い掛ける。
愛らしい見た目と反して、ドラゴンは強大な存在だ。
もし、ここでベビードラゴンが牙を剥けば、アストレア王国の中でも上位に位置するであろう魔法師三人いて尚、無事では済まないだろう。
最悪、全滅だって十二分にあり得る。
それを本能的に察したガロンさんが、こうして確認を取るのは至極当然の行為であった。
「……少なくとも、サーシャがいる限り此方に害を与える気は一切ないんだと」
ナガレは散々、無防備に私の頭の上で眠りこけていたベビードラゴンの姿を見ていたからか。
呆れたように口にする。
このベビードラゴンは、良い匂いと言って、何故か私にだけものすっごく懐いてくれていた。
「……嬢ちゃんだけが懐かれる、ねえ」
その理由は一体何なのか。
これからの事を考えると、その点は明らかにし、後顧の憂いは絶っておきたいということなのだろう。
「私はよく分からないんですけど、聖女の縁者か? とか、言われましたね」
錬金術を行う手を動かしながら答える。
ベビードラゴンは私に聖女の縁者かどうかを尋ねて来ていた。
「……聖女の縁者、ねえ。でも嬢ちゃんに限って、それはあり得ねえと思うんだが。なにせ嬢ちゃんは……いや、聖女の人間がいたのはフィレールじゃなくて、もっと遠くの国だった筈だ」
かすかに眉を顰めて、意味深な間を挟んでガロンさんが言う。
そこに、私への気遣いのような感情があることに、ちらりと時折向けられる視線等で気付く。
恐らく、それは私に対する何かなのだろう。
「別に、何を言っていただいても、ここにいる人になら私は構いませんよ」
だから私がそう言うと、ガロンさんは、申し訳なさそうに。
しかし、それでもベビードラゴンに聞きたかったのか。
「……嬢ちゃんは、レイベッカの人間だっただろうから、それはあり得ねえと思うんだが」
私がレイベッカの人間であった事を持ち出される。
確かに、事情を知っている人間からすれば、私の前でその話題を出すのは気が引ける事も分からなくもなかった。
ガロンさんは優しいから、そこを配慮してくれたのだろう。
聖女という文化は、フィレールにまで浸透はしていなかったから。
……ただ。
「私も、あり得ないとは思ってますけど、たぶん、可能性がゼロという訳ではないと思います」
聖女であったらいいな。
などと考えている訳ではないし、それを望んでいるわけでもない。
ただ、可能性の話として、絶対にあり得ないと断じられるかと言えば、そうでもない気がする。
というのが私の考えであった。
「私は庶子でしたし、生母はフィレールの人間ではありませんでしたから」
「そう、なのか?」
「はい。父と母の馴れ初めまでは知りませんけど、私はそう聞いていますね」
レイベッカの人間は、その事実は汚点だ。
みたいな扱いをしていたから、極力、外部に漏らさないように必死にひた隠しにしていたのだろう。
当事者でもある私も、進んで言い触らす気は一切なかったからか、その事実が広まる事はなかった。
そして、場に降りる沈黙。
貴族との関わりが薄い人間がこの場に一人としていなかったからだろう。
私の発言が意味する言葉の意味を理解したのち、ガロンさんやカトリナちゃんが沈痛な面持ちを浮かべ、微妙な空気が漂い始める。
「……あー、悪い。変な事聞いちまって」
頭を掻きながら視線を逸らす。
空を仰ぎ、どうにか話題を変えようと悩んでいるのか。ガロンさんは、言葉を探しあぐねているようであった。
……あぁ、違うのに。
こんな空気にしたいから言った訳じゃないのに。
「あ、えと、そんなに気にしないで下さい。私自身、そこまで気にしてないので、そう深刻そうな顔をされると、困るといいますか。ぶっちゃけ、結果的にそれで良かったのかなって今は思ってるんです。だって、私今が一番楽しいですし」
そう。
私はこの言葉に繋げたかったから言っただけ。
「父や姉から認められる未来があったならば、それもまた良かったのかもしれませんが、」
それはそれで、幸せと思えた事だろう。
むしろ、当初の私はそれを望んでいた。
そのために錬金術を学ぼうとしていた。
でも。
「だとしたら、きっとこの縁はあり得なかった気がするんです。それはちょっと寂しくて。だから、家の事はもう全く気にしてませんし、殆ど自分とは切り離して考えてますね。あぁ、ただ、母の故郷には一度、足を運んでみたくはありますが」
ナガレには内緒だけど、実はこっそり失敗作量産仲間であるウェルさんやアリスさんも交えて、何か新しい物を作ろう。
と、錬金術の約束もしていたりする。
ナガレとは、塩パフェの約束もしていたりするし、人生を超楽しんでるって言えるくらいには今、生を謳歌している自信がある。
「母の故郷ならではのパフェはあるんでしょうかね……?」
そして、どうせ足を運ぶなら、アストレアでいう塩パフェのようにご当地パフェを期待してしまう。
割と本気でその部分を私が心配し始めたからか。
「相変わらずの腹ペコ魔人だな」
「……腹ペコ魔人で何が悪いし」
ナガレから指摘を受けるけど、カトリナちゃんは兎も角、ガロンさんにはもうバレてしまっているので開き直ってやる。
別に悪い事をしてるわけでもないしね。
「っ、と。よし。対抗薬も、このくらいで足りますかね」
そんなこんなと話している間に、ベビードラゴンから貰った血を使った対抗薬が完成した。
今回の〝ネードペント〟討伐に同行してくれていた魔法師さんの人数は約三十人くらい。
恐らく、これで足りるだろう。
「ん。そう、だな。恐らく、それで問題なく足りると思う」
「なら、ガロン魔法師長。わたしが殿下とサーシャさんを城まで送り届けましょうか」
ずっと黙って話を聞いていたカトリナちゃんが、口を開いた。
錬金術師としての役目はここで終わり。
あとは魔法師の人間のみで何とかするから、という事を思っての発言だったのだろう。
でも、私はその発言に待ったをかける。
「……それは、もう少し待っていただいてもいいですか」
「一応、嬢ちゃんは錬金術師だし、これからの事を考えると出来るだけ巻き込みたくねえんだが」
既にある程度巻き込んでしまっているからか。
言い辛そうではあったけど、本心からの言葉なのだろう。発言の端々から気遣いのような感情が見て取れた。
「はい。それは分かっているんですけど、錬金術師としてここについて来たからには、もう一つ、絶対にやっておかなきゃいけない事があるかなって」
「もう一つ?」
「〝ミナト病〟の治療方法についての手掛かり、です」
私が思うに、その最たる手がかりは今回の元凶である〝ネードペント〟自体にある可能性が極めて高いと思っている。
だから、討伐の際に、〝ネードペント〟の一部をどうにか拝借するつもりだったので、ここで帰されると困る。というが本音であった。
「……だから、まだ帰るわけにはいかねえってか?」
「はい」
「だが、なあ……」
実際にガロンさんは〝ネードペント〟を既に見てきたのかもしれない。
出来ればそれは勘弁して欲しい。
という感情が言葉から滲み出ていた。
むしろ、ここにテレポートを使ってやってきた時点で、私やナガレを帰らせなければと考えを纏めてすらいたのやもしれない。
「俺が責任を持ってサーシャの事は守る。それで問題はないだろ。何より、〝ミナト病〟に罹った民の事を考えれば、サーシャの言っている事は間違ってない。これでも一応、二年、錬金術を学んだ身として言うなら、ここで錬金術師を全員帰すのは悪手に過ぎる。〝ネードペント〟を倒せば何もかも解決するなら兎も角な」
「……。そこで正論で来られると反論出来ねえんで、勘弁して欲しいですねえ」
ナガレの事を考えて、帰らせようにも、正論を並べ立てられているとそれが出来ないからやめて欲しいとガロンさんは言う。
そして、助け舟を求めようにも、今回、言い出したのはナガレではなく私。
故に、視線の向けどころを失っていたガロンさんは、「……ま、こうなりますよねえ」と、初めからある程度予想出来ていたかのような言葉を残し、苦笑いを浮かべた。
「んじゃ、完成したってんならこれ以上、時間を掛ける理由もねえですし、さっさと〝ネードペント〟の下へ向かうとしますかね」
そう言って、ガロンさんは王城の時と同様に、完成した対抗薬を私から受け取りながら、テレポートの準備を始める。
「……それで、なんだが、嬢ちゃんの頭の上にいるそいつはいつまで一緒にいるんだ?」
「『そいつとは失礼な。ぼくにはルゥって名前があるよ』」
どうやらドラゴンにも、名前があるらしい。
「『ただ、キミ達は悪い人じゃあなさそうだし、これも何かの縁。ぼくも手伝ってあげるよ』」
どうやら、ベビードラゴンのルゥも〝ネードペント〟討伐を手伝ってくれるらしい。
やっぱり、悪いドラゴンではないみたい。
「『少なくとも、貰った魔力分は協力させて貰うからさ。……その、ちょっと美味し過ぎて貰いすぎちゃったし』」
最後の方の言葉は、後ろめたくあったのか。
聞こえるかどうか程度の声量であった。
「……道理でちょっと怠いと思った」
頭に乗ってる重さ以上に身体が少し、気怠いと思っていたらそんな事情があったらしい。
「『そ、その、自制はしたんだよ! これでも自制はしたんだけど……その、えっと、自分の欲求に逆らえなかったというか……ご、ごめんね~』」
ナガレからの忠告を結果的に無視したような事になったと自白したからか。
側でナガレからものすっごい睨まれる事となり、ドラゴンとは思えない平身低頭な様子でルゥは謝罪をしていた。




