二十六話 サーチ
「————ずっと思ってたんだけれど、貴女って、殿下を殿下って呼ばないわよね」
ガロンさん達と別れ、カトリナちゃんとナガレと三人で行動するようになって数分程経過した頃。
場に満たされていた沈黙が煩わしく感じていたのか。唐突に、カトリナちゃんから私はそんな問いを投げ掛けられていた。
そこには不満であると言わんばかりの膨れっ面があって、苦笑いで反射的に取り繕おうと試みてしまう。ただ、そこには不満の感情があるだけで、不思議と責めるような様子はあまり感じられなかった。
「ぁ、えっと、それは」
私がナガレを、王子殿下であると知って尚、ナガレと呼び続けている理由。
それは、ナガレの事をそう呼んでしまったが最後、途端に「友達」と思える程近しかった筈の距離や仲が遠ざかってしまう気がしたから。
亡くなった生母を除いて、家族との仲が絶望的に遠かった私だから、それが嫌だった。
そんな、理由。
……でも、子供染みているとも言えるそんな理由を口にしても納得はしてくれないだろう。
だから、どうにか取り繕って————。
「……別に、責めてるわけじゃないのよ」
「そういや、ガロンやアリス達は兎も角、カトリナもそこに引っ掛からなかったよな。真っ先に突っ掛かりそうなのに」
それは、私も思っていた。
あくまで魔法師として、なんだろうけど、ナガレをほぼ神聖視してたみたいだから、呼び方を注意されると思っていたけどそれはされなかった。
理由は、一体どうしてなのだろうか。
眉を顰めた事で私も疑問に思っていると理解してか。補足するようにカトリナちゃんが言葉を付け足してくれる。
「ただの錬金術師ならば、そりゃあもう、怒鳴り散らして地の果てまで蹴り飛ばしましたとも」
まるでそれは、私がただの錬金術師では無いと言わんばかりの物言いで。
「ですがわたし含め、王城の人間には、サーシャさんの存在は、あくまで殿下の親しき客人とお伺いしております。そして、王妃様の恩人とも。殿下が嫌がっているならまだしも、そうでないならば、わたしも多少なり目を瞑りますから」
言葉ではそう言っているけど、納得しているかと言えばそれはまた別の話なのだろう。
「とはいえ、錬金術師の正装を着衣していれば目の敵にしますし、魔法師の正装であれば、新入りとして先輩のわたしがこき使いますけども!」
先輩という言葉が好きなのか。
心底嬉しそうにカトリナちゃんが、ここぞとばかりに胸を張るけれど、張る胸がないせいか。
ちっちゃい子が可愛らしくドヤってるようにしか見えなかった。
「客、人」
ポツリと呟く。
ナガレはナガレだからと、当たり前のようにナガレと呼んでいたけど、ここはアストレア。
本来であれば、高貴な身分であるナガレの事は敬称で呼ぶべきであるのに、そういえば誰一人として注意を受けた事はなかったっけ。
「……実を言うと、今のサーシャの立場は、俺の客人兼、見習い錬金術師ってとこなんだ」
腕は見習いにしては上等過ぎるんだがな。
と、笑い混じりに付け足される。
でも、その情報は初耳であった。
「サーシャの性格は、俺が一番よく知ってる。だから、逃げ道を塞ぐ事はしたくなかった。アストレアでの錬金術師としての生活が合わなければやめて貰っても全く構わないようにしてある」
流石は、二年もの間、ほぼずっと一緒に行動していただけあって私の性格はお見通しというわけらしい。
一度やると決めたら、責任感を感じるような性格をしているから、一応、いつでも辞められるように宙ぶらりんで仮の状態にしてあると。
————ただ。
「そういった気遣いは嬉しいけど、その必要はないと思うよ。だって、今私、楽しいし」
破顔する。
脳裏に浮かぶは、アストレアで出会った人達の顔。退屈とは縁遠く思える数日の思い出。
ここで錬金術師として生きていけるのならば、悪くないどころか、寧ろ望むところ。
それが良いと心底思う私も既に心の中に存在していた。
だから、その必要はないと口にする。
「周りの人達も、優しかったり、面白かったり。ナガレとポーションばっかり作る日々も悪くなかったけど、こういうのも悪くない、というか、私は好きかな。賑やかな光景は、憧れだったし」
「特に、錬金術師の連中はアホばっか集まってるものね」
カトリナちゃんからの横槍が一つ。
アホとまではいかないけど、色々とかなり抜けているウェルさんの事を知っているせいで、「そんな事はない」と即座に返す事は出来なかった。
ごめんなさい、ウェルさん……!
「ところで、そろそろ何か分かったりしないの?」
「んん。今はまだ、転がってる枯葉の一部が、花粉のせいで突然変異も若干起こしてるって事くらいかな」
夜なべついでに、対抗薬の方も一応幾つか持ってきてある。
本来であれば、対抗薬に漬ければ花粉に侵された枯葉であろうと、ある程度の改善の様子が見られるのだが、求めていた結果に見舞われない事も多々。
やはり、事前に用意した対抗薬のみでは心許ないかもしれない。
今は、どういう枯葉が突然変異を起こしたのか。その判断に時間を割く必要があるんだけれど、
「ぁ。そうだ。枯れてない草木だったり、生きてる魔物なりを見つけたら教えて貰っていい? 二人とも」
元々はナガレも錬金術師として同行していたものの、この状態故に、錬金術師としてではなく、魔法師として周囲の警戒に注力して貰っていた。
だから今、錬金術師として動いているのは私一人。けれど、今はまだ、効率が悪くても慎重に行動すべきであるからこそ、ナガレも周囲の警戒に徹してくれていた。
「まぁ、それが一番解決策に辿り着ける近道だしな」
「……そうなの?」
ナガレは分かってたみたいだけど、キョトンとした様子で、カトリナちゃんは首を傾げる。
「うん。生きてる草木だったり、生物なりを見つけてしまえば、そこから他との特性差で解決策まで秒読みでたどり着けちゃうしね」
ここでは本来、特性であったりの差を「調べる」行為が必要なんだけれど、これでも私は図書館にひたすら篭っていた人間。
知識量だけなら、沢山あると自負している。
「第一に、みんなの安全。第二に、〝ネードペント〟への対策。まぁ、第一も第二も、花粉が効かない特性を見つけてしまえば一気に両方とも解決出来ちゃうんだけどね」
ウェルさん達と作った対抗薬が悪い。
というわけでないけれど、花粉が濃い場所だけが少し変異している可能性を加味してどうにかする。そんな離れ業はそもそも不可能だ。
だからこそ、現場にいる錬金術師である私とかが、その差異をどうにか解決しなくちゃいけない。
「じゃあ、生物を見つければ良いのね?」
尋ねられる。
まるでそれは、見つけようと思えば見つけられない事もないと言いたげでもあって。
「それは、そうなんだけど」
「それならそうとさっさと言いなさいよ。わたしを誰だと思ってるの?」
「天才魔法師?」
「そう!! 天才魔法師!! 身体がちっちゃいから特に不安って事で逸れないようにって〝サーチ〟の魔法ばっかり鍛えられた実力、ここで見せてあげるわ!! 本当、わたしはちびっ子じゃないんだからああああ!!!」
勝手に思い出して、勝手に傷付く。
カトリナちゃん、忙しい人だなあと思いながらも、直後、地面に手を突いて〝サーチ〟と彼女は静かに呟いた。
「サーシャは煽てるのが上手いな」
「え。これって上手いの? 私」
ただ本心を本心として言っただけなんだけど。
事実、カトリナちゃんはテレポートすら使える魔法師。魔法師長でもあるガロンさんからも認められており、天才魔法師である事に揺るぎはないだろう。
「取り繕いじゃなく、本心から言ってるって分かるんだろうな。お陰で効果覿面だ」
「は、はあ」
いまいちよく分からなかったけど、やる気出してくれるのならそれでいっかと思っておく。
「ただ、この状況で尚、〝サーチ〟で見つけられる自信がある事は素直に凄いな」
「そうなの?」
「ああ。一応、ここら一帯全て、〝ネードペント〟の花粉に侵されている。そして、その花粉にはそれなりの魔力が込められている。いわば、ここにあるもの全てが〝サーチ〟に引っ掛かる状況といえば分かりやすいか」
膨大な量ある中から、僅かを選び取る。
その行為が如何にデタラメである事か。
「流石の俺でも、骨が折れるどころの騒ぎじゃなかったし、それが出来るやつがガロン以外にいるとは思ってなかった」
賞賛の言葉。
無言だった筈のカトリナちゃんの口角が、若干、喜色につり上がったように思えた事は恐らく、目の錯覚ではないのだろう。
そして、それから数十秒ほど無言の時間が過ぎ、
「————見つけた」
唐突に、カトリナちゃんが声を上げる。
「多分、魔物。集団。ここから十数分で着く距離にいると思うわよ」
どうする? 向かう?
と、尋ねてくるカトリナちゃんに対しての返事は決まっている。
魔物と聞いて、凄いと褒めるべく、喜色満面の笑みを浮かべていた筈が、心なしか引き攣っちゃってしまった気がするけど、及び腰になってる場合じゃない。
「なら、決まりだな」
「うん。あまり時間はかけてられないし、カトリナちゃん。そこに案内して貰ってもいいかな」




