十六話 毒花
まず、目に入るのは焼けた大地。
ダークマターを思わせる焦げ焦げの物体と、稲妻に打たれたかのような不自然なくぼみが彼方此方に点在している。
嵐でも通り過ぎたのかと思わせる惨状。
そして、その光景を生み出した犯人は何を隠そう————私だった。
申し訳なさで、どうにかなってしまいそうだった。
「……す、すみません。取り乱してました」
完全に錯乱していた。
冷静に物事を考えられるだけの思考力は、見事なまでに削り取られ、ただ目の前を消し炭にする事だけを考える魔法砲台と化していた。
だから本当に、平謝りする他なかった。
「サーシャさんって、魔物が苦手だったのね。ごめんなさいね。そういう事なら初めに説明しておくべきだったわ」
「え、えーっ、と」
馬鹿にした様子もなく、心底申し訳なさそうに謝罪をしてくるアリスさんに対して、私は目を泳がせる。
「苦手、といいますか、ただ、ちょっと生理的に受け付けないと言いますか。半径百メートル以内には絶対近づいて欲しくないと言いますか」
「言い訳してるようで全然言い訳になってないぞ、それ」
「…………。そ、そこは『そうだな』って流すのが優しさだよナガレ」
どうにか言い訳出来ないものかと苦し紛れに言葉を並べ立ててみるけれど、呆気なく看破されてしまう。
そのあまりの苦しい言い訳に、ナガレは笑っていた。
……全然笑い事じゃないのに。
「昔から、駄目なんです。魔物はなんか、見るだけでこう、ゾワッとしちゃって」
口のような器官を備えた魔物に比較的近しい植物である食魔植物は、まだ何とか触る事が出来る。だけど、魔物だけは何故かちっとも苦手が解消される気配がなかった。
「ま、誰しも苦手な物は一つや二つあるものよ。寧ろ、そういうものがあってくれた方が親しみやすいし」
————でも、ガロンがこれを見たら真っ先にサーシャさんを魔法師側に引き込んじゃいそうね。魔法師としての才能も申し分なさそう。
冗談半分に、アリスさんはそう口にし、言葉を締めくくる。
ただなんというか。
その反応は、必死に私がひた隠しにしていた筈の事実を何とも思っていないというあらわれにしか見えなくて、少しだけ拍子抜けしてしまった。
多くの素材、材料を扱う錬金術師にとって、魔物が苦手という事実は、治癒師なのに血が苦手と同じくらい致命的な欠点に近いと思う。
だから、出来る限り隠していたのに。
「でも、耐性くらいはつけておくべきかもしれないわね————ほら、月夜見草」
「……あ」
魔物で頭の中がいっぱいいっぱいになっていたせいで、本来の目的がすっかり抜け落ちていた。
苦笑いを浮かべながら、アリスさんが指を差した先には、紫と白で彩られた花————月夜見草が月光に照らされ、咲き誇っていた。
夜にだけ蕾を開かせる特殊な花。
その艶やかな光景は、どうにか私の〝ファイアボール〟の難を逃れてくれていた。
「よ、よかったぁ~……」
「取り敢えず、サンプルを一つ作ろうと思うから、殿下とサーシャさんは月夜見草を取ってきて貰える? あたしと、そこでサボろうとしてるウェルは、持って来た錬金術用の道具を用意しておくから」
「ぎくっ!?」
そろりそろりと木陰に腰を下ろそうとしていたウェルさんを、アリスさんが名指し。
例によってウェルさんは、勘弁してくれと言わんばかりの引き攣った笑みを浮かべる羽目になっていた。
一応、月夜見草を採る為にアリスさんが大きめのバッグを持って来てくれていたのだけれど、やけに荷物が多いと思ったら、錬金術用の道具まで持って来ていたらしい。
「でも、そっか。ちゃんと対抗薬になるかどうかも分かってないのに、無闇矢鱈採取するわけにもいかないもんね」
他に使い道があるならまだしも。
私が知る限り、毒花でもある月夜見草に他の使い道はなかった筈だ。
なら尚更、必要以上に採取すべきではないか。
「サーシャ」
そんなこんなと、月夜見草が自生している場所へと駆け寄る私だったけど、不意にナガレから名前を呼ばれる。
「服を着替えたから手袋持ってないだろ。素手だと、手が荒れるぞ」
ぽいっ、と投げ渡される手袋を、考えるより先に両手でキャッチ。
毒花である月夜見草を素手で触ろうものならば、確かに手が荒れてしまうではないか。
「……あ、そういえばそうだった」
正装に着替えたことで、普段なら服のポケットに常備している手袋やらが手元に無かったことに今ようやく気付いた。
でも、ナガレも運良く手袋を2セット持っていたわけではないのか。
渡された手袋は右手用の物、一つだった。
仲良く半分こ。
「そういえば知ってるか?」
「んー?」
腰を落とし、地に根を張る月夜見草をグイッと引っこ抜きながら、受け答えする。
「フィレールは内地だったからサーシャは知らないだろうが、港街には塩アイスならぬ、塩パフェなるものがあるらしいぞ」
「塩パフェ!!」
がばっ、と下に落としていた視線を上げて、反射的に叫ぶ。
いつだったか。
フィレールに店を構えるパフェ屋の店主さんに聞いた事がある。
港街には、知る人ぞ知る塩パフェなるものがあると。
「でも、『ミナト病』のせいで、店は軒並み今は閉まってるんだけどな」
「それは、許せないね」
ふつふつと怒りの感情が湧き上がるのが、自分でもよく分かる。
きっと、この現状にはパフェ好きのおっちゃんこと、魔法師長ガロンさんも大変お怒りになっている事だろう。
「ひと通り片付いたら、観光も兼ねてパフェでも食いに行くか」
「行く! 行く行く! 絶対行きます!」
「相変わらずの甘党だな」
「三食デザートでも私は大歓迎だよ!」
びし、と手袋をしてない方の手で三本指を立ててみると、あからさまに呆れられる。
「……栄養不足でぶっ倒れるから、それは流石にやめてくれ」
「むう」
確かにデザートは疲れた身体に最適だけど、力は出ない。ただただ癒してくれる素敵アイテムに過ぎない事はよく知っていた。
というか、錬金術に打ち込む為にそれをして本当に倒れかけた過去があるので、口籠る他なかった。
「それにしても、アリスさんとウェルさんって仲良いよね。本当の姉弟みたい」
不出来な弟と、世話焼きな姉ってところだろうか。
強制的に連れて来られたウェルさんも、早々に観念してたし、基本的にアリスさんの言う事は聞いてる感じだった。
何というか。
少し羨ましかった。
私も、姉と仲が良かったらあんな感じだったのかなって思うと、特に。
「あの二人は幼馴染らしいからな。ダウィド曰く、ウェルの奴はアリスにねじ込まれて錬金術師になったとかなんとか」
「成る程なあ」
「一応、アストレアでは錬金術師や魔法師になる方法は幾つかあるんだよ」
ナガレのコネを存分に使って錬金術師にねじ込んで貰った私だから、その話には少しばかし興味があった。
今は成り行きで錬金術師として雇われてるけど、機会があれば正規の手段で試験を改めて受けてみるのも悪くないかもしれない。
「一つ目は、サーシャみたいなパターンだな。陛下や、俺みたいな王家の人間、二人以上からの推薦があった場合」
……二人?
一瞬疑問を覚えたけど、多分ナガレが何とかしてくれたのだろうと解釈して聞き流す。
「二つ目は、錬金術師なら錬金術師長の。魔法師なら魔法師長の推薦があった場合。この場合は、仮ではあるが、錬金術師や魔法師として扱われることになるな」
仮、という事は一時的な措置という事なのだろう。
「てことは、期間限定ってこと?」
「ああ。そうなるな。で、最後の三つ目が、一年に一回の試験を受ける事。毎年大体、十人くらいその試験に合格してた筈だ」
毎年、十人。
……それを聞き、その試験って結構難関なものじゃないだろうか。という考えが脳裏を過ぎる。
なんか私が受けても落ちる気しかしなくて、少しだけ、改めて試験を受けるという考えを覆したくなってしまった。
「でも、『ミナト病』のせいで、ここ最近はその試験はしてないらしいけどな。めぼしい人材は、さっきいった方法を利用して、ダウィドが軒並み声を掛けてるらしい」
まぁ、そっか。
今は試験をしてる暇はないし、錬金術師長であるダウィドさんが声を掛けた方が色々と早いか。
そんなこんなと話してるうちに、ある程度の量の月夜見草が集まっていた。
そして、ナガレが小さめの硝子の調合器を取り出す。
花の部分を握りしめ、力を込める。
程なく、ぽたぽたと垂れてくる水分を微量ながら入れ物の中へと注いでゆく。
「ん。サーシャの分も今回は俺がやっとくよ。片手じゃ流石にキツイだろ」
「いやいや、私だってちゃんと力あるから」
貸してみ。
と言わんばかりに手のひらを差し伸ばされるけど、私だって水分を搾り出すくらいの力はある。
舐めないで欲しい。
「俺の記憶が正しければ、両手を使ってめちゃくちゃ苦労してた気がするんだが」
「……言われてみれば、そんな気がしてきた」
月夜見草を使う錬金術なんて、随分と久しぶりだったから記憶から抜け落ちてたけど、言われてみればそんな気がする。
前もなんか私が意気込んで、でも結局、力が足りなくてナガレの手を借りるようになっていたような。
「や、やっぱりお願いします」
私は、引っこ抜いた月夜見草をナガレに渡した。
これは、効率を重視した結果だから。
私だって、やる気出せばこのくらい出来るから……たぶん。
やがて、私が引っこ抜いた月夜見草の分も含めて花から水分を搾り出すこと数十秒。
ある程度溜まった水分を持って、アリスさん達の下へ向かうと、二人は既に準備を終えていた。
「それで、ここからどうすればいいの?」
「人肌より少し高い温度にまで熱してから、調合して貰えれば」
今のままだと、月夜見草の効果が強過ぎるので、多分上手くいかない。
だから、少しだけ熱してその効果を薄めてから混ぜ合わせちゃえば、いい具合になると思う。
「成る程。毒花である月夜見草の毒を、逆に利用するってわけね。温度の調整も既に調べ終えた後とはほんと、恐れ入るわ」