十五話 嘆きのファイアボール
「そういえば、アストレアの王都って随分と治安がいい場所なんですね」
————月夜見草。
その自生場所を知っているというアリスさんが先行し、その次に勝手に逃げられないようにとウェルさんが。
そして、最後に私とナガレという順番で歩く中、ふと気になった疑問を口にしてみる。
普通、王子さまなんて立場になればそれはもう鬱陶しいくらいの護衛に囲まれて過ごすのかなって偏見を持っていたのに、ナガレにはそんな様子がちっともない。
事実、こうして日も暮れ、夜闇に辺りは染まっているにもかかわらず、護衛らしい護衛は一人として側にいない。
だから、アストレアは凄く治安が良いのだろうと私は勝手に結論付けていた。
「治安がいい? ……まぁ、そこそこだとは思うけど、どうして?」
「だって、ナガレがこうして自由気ままに動けているので。私としてはその方が嬉しいんですけど、フィレールではもっとその、王子殿下に対しての警護が厳重だったといいますか」
遠目からしか見た事はなかったけど、少なくとも、護衛でも無い人間と二人きりでパフェ屋に入れそうな感じではなかった。
「そりゃあ、殿下に護衛なんていらないっすからね」
「へ?」
「サーシャさんは、殿下とフィレールで出会ったんすよね?」
「えっ、と、その、そうですけど」
「不思議に思わなかったんすか? 仮にも王子殿下である人間が、お忍びだったとはいえ、護衛一人側にいなかった事は」
「……言われてもみれば確かに」
過ごした期間が数日程度ならまだ分かる。
でも、実際は二年である。
その間、間違いなく護衛らしき人間は一度として私が目にした事はなかったし、そんな素振りはこれっぽっちもなかった。
「答えは単純明快。要らなかったんすよ。というか、言い包められなかったが正解っすかね。こう見えて殿下、めちゃくちゃ強いんすよ。どうにかしようと思ったら、魔法師長クラス呼ばないとどうにもならないくらいには」
「…………む」
不自然な沈黙を間に挟んでしまうけど、言われてもみれば若干、思い当たる節はあった。
錬金術には魔法の腕も多少なりとも必要となるのだが、なんというか。
ナガレの魔法の腕だけめちゃくちゃ高かった。
それが普通なのかな。
私がちょっとセンスが足りないのかなって二年の間ですっかり思い込んでたけど……やっぱり違うよね!?
「だからほら、おれが寮で殿下と出会った時、ああ言ってたんすよ」
思い起こされるは、少し前に発せられた言葉。
————あの、その、ここ、錬金寮っすよ?
てっきり、王子殿下が来るようなところじゃないという意味合いで言われた言葉だと思ってたけど、どうにもそれは私の勘違いだったようで。
魔法師寄りの筈の殿下が、どうして錬金寮にいるんですか。という問いだったらしい。
「……なんか、色々と納得がいきました」
「というか、殿下がいなかったらそもそも、こうして思い付きで月夜見草を取りに向かう事はしなかったでしょうけども」
「??」
立ち入り禁止の場所に自生しているから、王家の人間であるナガレの許可なくして……といった事かと思った矢先。
「いやあ、ここら辺って魔物が出るんすよね。牙が良い素材になる————〝ヴァンピール〟が」
ウェルさんの何気ない言葉と共に、キィキィ、と生理的不快感を催す嫌な鳴き声と物音が私の鼓膜を揺らした。
聞き間違いかと思ったけど、ぞわりと怖気立った首筋が、聞き間違いではないと教えてくれる。
出来れば、ただの空耳であって欲しかった。
以前、ナガレに魔法師を目指さなかった理由を言った気がするけど、実はというとアレは見栄を張っていた。
正直な事を言ってしまうと、私は苦手なのだ。
魔物が、全般的に苦手なのだ。
「…………」
「あれ? サーシャさん? 急に黙り込んでどうかしたんすか?」
幼少の頃にとんでもないトラウマがある。
なんて過去があるわけじゃないけど、昔から魔物————特に顔が気持ち悪い魔物はダメだった。
あと、足がいっぱいあるやつとかも無理。
とんでもない色合いのやつも無理。
とどのつまり、魔物ほぼ全般無理だった。
「ど、どうもしてないです。なんでもないです。ないです」
「ふぅーん。そっすか」
若干、不自然感はあったけど、多分大丈夫。バレてない。隠し切れてる。
というか、フィレールでは月夜見草が自生してた場所に魔物なんていなかったのに。
いなかったのに、なんでアストレアでは魔物がいるんだよ……!
心の中で盛大に愚痴をこぼしながら、私は右の手をナガレの腕へとこそっと伸ばす。
そしてガシリと掴み、いざという時は助けて下さいとアイコンタクトを送っておいた。
「ところで、サーシャさんと殿下ってどうやって出会ったのかとか聞いても良かったのかしら?」
自生場所までまだ距離があるのだろう。
雑談でもして時間を潰そうとするアリスさんの言葉に、私も頭の中を埋め尽くす「魔物」というワードをどうにか掻き消すべく、問題ありませんと言葉を返す事にした。
「……でも、そこまで面白いエピソードとかありませんよ?」
「あれ? そうなの?」
「単に、毎日顔を合わせてるうちに挨拶するようになって、それで偶然同じ本を借りようとした時にお互いが錬金術に関する調べ物をしてたって気が付いて。そこから、時間が合った時は決まって一緒に錬金術を学んだり、ポーションを作るようになった、ってだけですから」
「へええ。てっきり、腕の良い錬金術師を探しに行った殿下が声を掛けたのかと思ってたけど、そういうわけじゃなかったのね」
「ナガレと出会った時はそもそも、私、錬金術師ですらなかったですからね」
自称でよければ錬金術師と名乗っていたと思う。でも、その時の私はまだ、誰からも認められていなかった。
だから、適切な言い方をするなら錬金術師の卵、とかそんな感じに落ち着くだろうか。
「……そうなの?」
「はい。ですから、ぶっちゃけ今も自分が錬金術師である自覚が希薄といいますか、この正装のお陰でなんとかそう思えてるといいますか」
パフェ屋に向かう前に仕立てて貰った正装に視線を落としながら、苦笑いを一度。
「あ、でも、錬金術師として迎え入れられたからにはちゃんと頑張るつもりなのでそこは安心して下さい! サボるつもりは全くないので!」
「うぐっ」
すぐ側で、何故かウェルさんが心のダメージを負っていたみたいだけど、それに構う事なく気丈に見せようと言葉を続けようとして。
「————積み上げた努力と経験の量こそが、自信と技術を作る」
会話に割り込むように、ナガレが呟いた。
「それ、ダウィドの言葉ね」
「良いよな、この言葉。俺、好きなんだよこれ」
どうにも、それは錬金術師長であるダウィドさんの言葉であったらしい。
「だから、サーシャはもう立派な錬金術師だと俺は思うけどな。少なくとも、俺はサーシャの努力を知ってる」
「ま、積み上げた努力はちゃんと後からついてくるものね」
「あ、知識も努力次第っすね。試行錯誤、破裂、爆発、蒸発。失敗も、そもそも努力がないと起こり得ないっすからねえ」
あんたは少し、失敗の量を減らしなさいな。
そうウェルさんがアリスさんに怒られていたけれど、そこまで言ってくれる人達の前で卑屈になるわけにもいかないかと思って、笑顔を見せる事にした。
「それじゃ、もっと堂々と胸を張れるように、すっごい物を頑張って作らなくちゃいけませんね」
今であれば、〝ネードペント〟の花粉に対する対抗薬だろうか。
「おお。いいっすねえ。そろそろあの文句たらたらのクソ魔法師共を黙らせてやらねえと」
「ダウィドはまだ、〝魔物大量発生〟の後処理に手を取られてるから、その間にあたし達で完成させておきたいわね」
「民の為にも、経済の為にも、そろそろいい加減、『ミナト病』を解決させないといけないしな」
「ん! なら、早いところ月夜見草を持って帰って調合しないとだね」
みんなで頑張って対抗薬を作ろう! で、話が纏まりかけていた折。
不意にみしっと足下から音が聞こえた。
「……みしっ?」
なんか、変なものをぐにゃっと踏み潰した感がある。
でも、木の枝とかじゃなくて、これはなんというか、物体だ。
ぬいぐるみとかそういうどこか感触が生々しい感じの————。
「…………」
そう思って足下に視線を落としてみると、夜闇のせいで視界不良だったものの、見覚えのあるシルエットがあった。
それはちょうど、ついさっきまでアリスさん達との会話のお陰で漸く頭から消えつつあった存在。
〝ヴァンピール〟の死骸が私の履いていた靴の真下にあった。
身体の色は、煤けた緑と黒色の二色。
羽が生えていて、ただ顔面はオークと何処か似ていて気持ち悪い感じの夜行性の魔物。
極め付けに、体液的なのが身体から出ていたせいで、グロの一段階上に進んだ感じになってる。
お陰で、直近三十秒くらいの記憶を丸ごと消しとばして欲しくなった。
「…………」
「サーシャ?」
無性に現実逃避がしたくなって、足を止める私を不審に思い、ナガレが声を掛けてくれる。
でも、その心遣いに感謝出来るだけの余裕は既に削り取られていて。
それでも、どうにか冷静さを取り戻そうと自己暗示のように、「なんでもない」「なんでもない」と懸命に私が言い聞かせ続けていた瞬間。
「うおっ。〝ヴァンピール〟の大群っすねえ。これは……百匹近いっすか。流石におれの魔法じゃ火力が足んないと思うんで、殿下————」
追い討ちをかけるように、私の視界一杯に〝ヴァンピール〟の大群が現れた。
キィキィという鳴き声と、羽の音がめちゃくちゃ聞こえてくる。
どこからどう見ても、地獄絵図だった。
だから私は、虚ろとした足取りで前に出る。
一秒でも早くこの地獄から私は解放されたかった。
「ぅ、」
「う?」
「ぅわあああああああ!!! こんな事ならこなきゃよかった!!! 〝ファイアボール〟!!!!!」
ひと気が薄い事をいい事に、近所迷惑である事もお構いなしに私は大声で叫び散らしながら魔法を行使。
冷静に物事を考えられるだけの精神力を既に失っていた私は取り敢えず、何もかも消し炭になってしまえという思いを込めて魔法をぶっ放してやった。