十三話 月夜見草
「んじゃ、話が纏まった事だし、早速新メンバーを交えて続きといきまっすかねえ」
両手を合わせ、パン、と乾いた音をウェルさんが響かせる。
「……続き?」
「いやいや、ここは錬金寮っすよ? 疑問も何も、する事といえば一つしかねえでしょうや」
ねえ? アリス。
そう言って、投げられていたスリッパを回収しながら、ウェルさんはアリスさんに視線を向けた。
「ちょいと手詰まりな状況が続いてたんで、外からの新しい意見も欲しかったところだったんすよ」
手詰まり、というと、ガロンさんが言っていた〝ネードペント〟の花粉に対する対抗薬の事だろうか。
「特に————王妃さまレベルの重度の『ミナト病』を治すポーションを作った錬金術師の意見ともなると余計に、ねえ?」
先程までと何一つ変わらないウェルさんの笑みが向けられる。
ただ、本当に前が見えているのかすら判断が付かないぐるぐる眼鏡のせいで瞳までは分からない。何となく、私という人間を値踏みされているような、そんな気がした。
でも、その視線は決して不快感を催すものではなく、寧ろ真逆。
かつて、レイベッカの実家で向けられ続けていた疑いの視線とはまるで違った。
多分これは、期待のあらわれとか、そんな感じのもの。だから私は、
「……が、がんばります」
若干言い詰まったけど、どうにかその期待に応えられるようにと言葉を返す。
「おお。良いっすね。サーシャさんはよく分かってる。偶に弱気になる奴もいるんすけど、錬金術師に『出来ない』なんて言葉は必要ないっす。その姿勢はおれの好むところっすね」
そして、手を差し伸べられる。
「それじゃあ、さっきはアリスが無茶苦茶な自己紹介しやがったんで改めて。おれはウェル。ウェル・シュナウザーっす」
よろしくという挨拶なのだろう。
少しだけ抜けてる感じはするけど、多分、ウェルさんも良い人なのだと思う。
「えと、握手を返したいのは山々なんですけど……そっちの手、スリッパあって握り返せない、です」
「ぅわっと!? おれとした事が、こりゃ失敬、失敬」
ただ少しばかり、本当に抜けている部分があるだけで。
そのぐるぐる眼鏡、ちゃんと見えてるのだろうか……?
そんな疑問を抱く羽目になりながらも、私は改めて差し出されたスリッパを握っていない方の手を握り返し、錬金寮へと足を踏み入れる事となった。
* * * *
「わあ」
数時間前に城に位置する錬金塔で漏らした感嘆の声と全く同じものを、私はここでも口にしてしまう。
器具も、部屋の広さも、錬金塔にあったものと全く同じ規模の工房が錬金寮の中にも存在していた。
そして、親しみ深い硝子の調合器がずらりと部屋の隅っこに並べられている。
もしかしてあれが、対抗薬作りに関するものなのだろうか。
そんな事を私が思っていた折、
「あの、一ついいかしら」
何処か控えめなトーンで、声が上がる。
それは、アリスさんによるもの。
「えっと、サーシャさんが錬金寮を使うのは分かったのだけれど……殿下は一体いつまでここに居るのかしら?」
ウェルさんに言われるがまま、案内されていた私と一緒についてきていたナガレに言葉が向けられていた。
「あぁ、いや、サーシャが心配だったからついてきてただけだ。心配せずとも、あと少ししたら城に帰る」
ついこないだ家から追い出されて、居場所失って、手を差し伸べられて。
そんな出来事に私が見舞われていたからだろう。パフェ屋で言っていたように、ナガレは優しいから、心配してくれていたのだと思う。
「……あー、えっと、その、私がちょっと色々と訳あり、で、だから、多分ナガレは心配してくれてて、その、だから」
あんまり責めないで欲しいなあ、なんて。
と、アリスさんに言い訳染みた言葉をどうにか紡ごうとしたところで、違うの違うの、と首を振られる。
「別に責めてるわけじゃないのよ。ただ、どうしてかなって単純なあたしの疑問だっただけだから」
あれ。
もしかして私の早とちりだった……?
そう思ってナガレの方に視線を向けてみると、ちっとも悪びれた様子はなかった。
恐らく本当に、これはただのアリスさんの純粋な興味だったのだろう。
「殿下とサーシャさんって、仲が良いのね」
「二年間くらい、一緒に勉強しながらポーション作ってましたから」
たかが二年と言われてしまえばそれまでだけど、私自身はナガレの仲は良いと思ってる。
ナガレが困ってたら、迷わず手を差し伸べるくらいに大事な————友達。
なのでもし、私に出来る事があるとしたら、多分その時は全力でやると思う。
だから、アリスさんからのその言葉は嬉しくて、つい破顔してしまう。
「成る程ねえ。それであんなに息がピッタリだったんだ」
「ぐ。なんかおれがいない間に、城で面白い事が起こってたっぽいっすね……」
引き篭もり呼ばわりされていたウェルさんは、本気で悔しがっているようだったけど、城に行っておけば良かった。と言わないあたり、引き篭もりは筋金入りなのだろう。
「……まぁ、それはさておき。これ、どう思います?」
並べられていた硝子の調合器。
そのうちの一つを手に取り、ウェルさんは私達に見えるように差し出した。
中身の液体はというと、何処となく不穏さを感じさせる赤味を帯びた色合いだった。
そういえば、ガロンさんから渡されたサンプルの花粉も赤色をしていたっけ。
「それは?」
「これは、『ミナト病』の原因である〝ネードペント〟の花粉自体を完全に殺してしまったものっすね」
完全に殺せているなら、それはもう完成なのでは?
一瞬そう思うけれど、ウェルさんの曇った表情が、そうでないのだと物語る。
「火の魔法を使って十分程度炙って漸く、この状態なんすよ。流石に、花粉を吸い込む度に火に炙られろとは言えんでしょう?」
「……そういう事ですか」
「で、こっちが火に弱い事を知ってから作り始めた中和剤————もとい、対抗薬の試作品だったんすけど、中々これが上手くいかなくて」
そう言って、もう一つ、硝子の調合器をウェルさんは手に取って見せてくれる。
先程のよりも若干濁っているようには見えたけど、どうにも未完成であるらしい。
「色んな薬草やらを試したり、本も幾つか読み漁ってたんすけど、ほんと、あと一歩が届かなくて。一応、無害化一歩手前まではきてるんすよ」
参ってるのだと口にするウェルさんの話を聞く私であったけど、火に弱いと聞くや否や、私の頭の中にはある薬草が浮かんでいた。
それは、先程のポーション作りで使用した火によく反応する薬草、アグニの葉。
ヨスガの葉の代わりを作る為のアレは、使用する火の魔法を調整すれば良いだけの話だったのだが、それを知らなかった昔の私とナガレは一時期、違う試みをしていたのだ。
その際に、偶然知り得た知識。
それが役に立つかもしれない。
「その未完成品。あとは何が不足してるんだ?」
「これはっすね、火の魔法に弱い点から、花粉の病原に対する抗体と言いますか、無害化を図れるものではあるんすけど、対抗薬として使用するには難があり過ぎるんすよ」
「難?」
「今のままじゃ、到底、人が飲めるようなもんじゃないの。要するに、副作用とかが酷過ぎる」
ウェルさんと、アリスさんが一緒になってナガレの疑問に答えていく。
「端的に言うと、一応は病原の抗体になれるんすけど、ある一定の時間を経ると、こいつが困った事に正常な細胞まで破壊し始めるんすよ」
「あぁ、そういう事ですか」
一応、対抗薬自体は出来ていると。
ただ、その効果があまりに強すぎると言うだけで。
「かといって、効果を弱めようものなら対抗薬としての機能が不十分な失敗作が出来上がるの」
でも、それならばやっぱり、昔アグニの葉を用いて試行錯誤していた頃に知り得た偶然の産物が役に立つだろう。
錬金術につきものとも言える劇薬。
既にあるものを破壊し始めるようなじゃじゃ馬過ぎる素材を中和もとい、緩和してくれる材料の作り方を私達は偶然にも知っていた。
「それで、殿下達の意見をぜひとも聞きたいんすけど」
ウェルさんにそう言われ、私はナガレと一度顔を見合わせる。そして。
「それだけなら、月夜見草で何とかなりそうだな」
「なら、月夜見草で何とかなりそうですね」
夜にだけ咲く一風変わった草花。
取り敢えず、片っ端から薬になりそうなものは全部試しまくった私達だからこそ、か。
ナガレと全く同じタイミングで、同じ意味合いの発言を私はしていた。
「……月夜見草って、あの?」
アリスさんが信じられないものを聞いたとばかりに、聞き返してくる。
でも、その理由はよく分かる。
なにせ、月夜見草は一応、毒花として知られている草花であるから。
ただ、物は試しという事で試行錯誤しているうちに出来てしまったのだから仕方がないという他ない。
「はい。ただ、一つだけ問題があって、」
しかし、夜しか咲かないという特性の他に、問題が一点だけあった。
それが、
「……ものすっごい大量の月夜見草が必要になるんです」
必要となるのは月夜見草の花の部分。
そこから搾る事で取れる数滴程度の水分が、大量に必要となる。
そろそろ夜に変わるだろうから、月夜見草は今から取りに向かうとしても、恐らく、人手が私一人じゃ全然足りない。
少なくとも、あと三人くらいは欲しい。
私と、ナガレと、アリスさんと————
「なんでそこで、おれを見るんすか」
————ウェルさんも手伝ってくれれば、多分足りそうなんだけどなあ。
と思った私は無意識のうちにウェルさんを見詰めていたのか。
心底嫌そうに、言葉が発せられた。
「い、いやぁ、その、四人くらい人手が欲しいので、ウェルさんの手も借りれたりしないかなあ、なんて」
「あはははははは。サーシャさんって面白い冗談を言うんすね。でも、それは流石にお断、んぐっ!?」
目を逸らしながら、ダメ元で頼もうとして、即答で断られようとしたその時。
側にいたアリスさんが、ちっとも感情が篭っていない笑い声をあげていたウェルさんの首根っこを背後から掴み上げた。
「ま、手詰まりだった事は事実だしね。分かった。あたしはその言葉、信じるわ。何より、あの時ポーション作成の腕はこの目で見てるもの。それだけで、ある程度は信用出来るわ」
「!?」
そして、否応なしにずるずると首根っこ掴んだウェルさんの身体をアリスさんが引っ張ってゆく。
「ちょ、たすけて! おれ、外の風に五分以上当たると死ぬ病気抱えてるんすよ!!」
「大丈夫よ。今日は無風だったわ」
「ま、間違えた!! 寮から五分以上離れたら死ぬ病気だったかもしれないっす……!!」
慌てて言い直すウェルさんであったが、その言葉が単なる嘘っぱちである事はバレバレであった。
そのウェルさんとの一連のやり取りで何となく、アリスさんが寮長を任されている理由を垣間見たような、そんな気がした。