曼珠沙華と毒親
そろそろお彼岸ですね。
仏壇を掃除して、おはぎをお供えする。
両親が眠っている墓を一人、掃除しにお寺に参る
所謂お彼岸参りだ。
曼珠沙華の花が、墓地でそよ風に揺れている。
不吉だとも言われる花だが、とても綺麗だと感じた。
子供は既に結婚し、妻は我が家とはソリが合わず、苦労をかけた。
古い家だったのだ。
頑固な両親は、我が兄弟やその妻や夫、我が妻子、他の親戚からも疎まれ、激しく憎悪されていた。
…それだけの事をしていたのだ。
でも、私だけはどうしても嫌いになりきれなかった。
私が兄弟の真ん中だった事もあるのか、運良く干渉が少なかったのもあるだろう。
長男や末の妹などは過干渉でそれはそれは凄い反発だった。
頑固だった…では済ませる事も出来ない様な激しい出来事が、あったのも知っている。
両親が死してなお、墓参りにすら来ない家族達。
自業自得だとも思う。
だが、それでも。
両親は、子供達を愛していたのだと、孫を持つ様になって理解出来るようになった。
自分の元に居て欲しい、娘をまともな所に嫁がせたい。
妻は家庭を守る存在であり、子供を慈しみ守るものだ。
と言う、固定概念が強く、またその愛情の示し方が激しく、また周りの意見を一切聴かず、我儘だったのだろう。
私の妻に対しても、私の母からの嫌味が酷くて、妻に謝りもう合わなくても良いと判断したのは、我が家族を守る為だった。
私の力不足もあったのかもしれないが、あの時の両親は、いや昔から「毒親」と言われてもおかしくはない精神性をしていた。
それでも、両親が眠っている墓を綺麗にする。
きっと、寂しかっただろう老後を思い、心の中で力になれなかった事を詫びる。
父が先立ち、母が一人になった時、誰が引き取るかで揉めに揉めた。
私も含めて、誰もが非協力的だった時の、母の表情が忘れられない。
結果的に老人ホームに世話になって、そのまま気難しい性格のまま最後は肺炎になり、入院先の病院で誰にも看取られる事なく亡くなったのだ。
墓を掃除し終え、花を供え、線香をあげる。
死後の世界があるならば、どうか両親共に心穏やかにいてほしい。
そう、祈りながら。
私が幼い頃に見せた両親の笑顔を思いだす。胸が締め付けられる感覚がした。
曼珠沙華の花がそよ風で揺らぐ。
両親が笑顔で手を振ってくれた気がした。
読んで頂いてありがとうございました。