1章【豊穣祭】
本編スタートです。
1章【豊穣祭】
朝7時、富塚神社にお参りをすることは、鷺沼純也の習慣になっていた。
昨年、豊穣祭実行委員に入ってから欠かしたことがない。真面目な純也からしたら、毎日同じ時間に、同じ神社にお参りするということは、決して苦ではない。平日休日関係なく、毎日6時に起きないと気持ち悪いと感じる性質だ。むしろ決められた習慣をこなすことに、完璧さを感じて気分が良くなる。
「···よしっ」
今日も一度手を叩き、純也は軽く頭を下げた。
(今日は初日だし、撮っておくか···)
純也は首から下げた一眼レフを掲げ、富塚神社を仰ぎ見た。
富塚神社は、東海道五十三次の戸塚宿近くにある。木でてきた建築は古びてはいるが、先の横浜大空襲の戦火に建物は燃えたらしいので、建築としての歴史は70年ほどだろう。
この富塚神社から、純也は自分の目と共にカメラを、左手に向けた。
白い外観の高等学校が見えるーー純也の通う柏崎高等学校だ。富塚神社と純也の通う高校は、徒歩1分という立地にある。元々高校が富塚神社の敷地内にあった塾だったらしいのだ。
高校からは、朝7時だというのに既に人の声や、トンカチなどの工具が使用されている音が聞こえてくる。
(···「豊穣祭」っていうテーマで映像を発表するのも、ありだなぁ。まだ映像もできていないし···)
ざくざくと境内を歩きながら、純也はぼんやりと焦りを含めながら考えた。
豊穣祭が始まるまで、あと2週間。それまでに純也は所属する映像研で上映する映像を完成させなければならないーー。
「あ」
カメラを持ちながら歩く純也の背後から、駆けてくる少女達がいた。赤いジャージを着た彼女達は、深緑色のブレザーを着た純也を軽やかに追い抜きーー。
「おはようございます!実行委員長!」
と、少女達は口々に声をかけてきた。純也も「おはよう」と軽く挨拶をする。映像に音声が入ることに気を止めることはない。
(これも、日常性を表現する味になるかな)
神社から裏門に入る時も、裏門を装飾する学生たちは、「お」と純也の存在に気がつくと、声をかけてきた。
「おはよっ!委員長!後で実行委員会に相談に行くから、よろしくなー!」
「はいはい、オッケー」
純也は軽く返事をしながら、彼らが設置しようとしている装飾も撮影した。看板には柏の木をモチーフにしたキャラクターが描かれ、「豊穣祭!」と文字が記されていた。
純也は、今日から2週間後に始まる豊穣祭の実行委員長であった。
柏崎高校の文化祭にあたる「豊穣祭」は、変わっている。文化を重んじるという方針で、2週間の準備期間、1週間の片付け期間中には一切の授業が行われなくなる。9月末日に行われる豊穣祭前に、学生たちが本気で豊穣祭の準備に取りかかられるようにという願いからしい。 国道まで担ぎ出るお神輿や、工夫ある舞台、ファッションショーなど、皆が個性溢れた出し物を出すことで有名だ。
しかし、個性溢れた展示を出すことで有名なため、まとめ役は必ず必要になる。
純也はカメラを片手に、朝から祭の準備で騒然とする校舎の中に入っていくとーー緑色のブレザーを着た学生たちは、代わる代わる純也に声をかけた。
「委員長ー、後でファッションショーの企画書持ってくねー。オッケー出してよー?」
「委員長!あ、あの、まだ文芸部の発行する雑誌の許可下りてません。そろそろ印刷したいのですが···」
「委員長ー!校庭で行うクイズ研のことだが、後で委員部屋行くから、ちょっと相談乗ってくれー!」
と、準備期間1日目だというのに、声をかけてくる学生たちが多い。映像を撮っていた純也だったが、ふとカメラを下げ、大きくため息を吐いた。
(···あー、去年もそうだったな。準備期間も、当日も、片付け期間も···)
自分の映像研の映像だが、夏休み中に撮影を終えていたなら良かった。
「ちょっと、待って。僕もまだ学校来たばっかりだから、後で順番に部屋に来てよ」
純也は渋々と鞄の中に一眼レフをしまった。忙しく話しかけられては、映像を撮るどころではない。
(委員部屋に行ったら、今朝は各部長との会議を始めて···その後校舎を見回りして···)
純也は豊穣祭委員の部屋に向かいながら、ぶつぶつと考える。
廊下でも、青いシートを廊下に敷き、わいわいとしながら制作物を作っていた。各部だけでなく、クラスの催し物の制作だろう。たてかけてある薄い木材に、ハケを使って色を塗り込んでいっていた。
「あ、じゅん···」
少女にしては低い声音が聞こえてきた。純也はくるりと振り返る。
振り返った時、自分の横にあったものが覆いかぶさってきたのがわかった。
(えっ···)
純也がギョッとして身構えた時、すでに遅かった。
自分の身長以上の木の板に、押し倒されたのだ。
続きは、明日の19時に公開予定です。