拙作を反面教師として恋愛作品の作法を分析する ―自虐反面教師シリーズ第二弾―
まずは、拙作「わたしといっしょにうたおうよ! ~歌姫を目指す猫少女の百合恋愛物語~」(以下「わたうた」。https://ncode.syosetu.com/n2822bh/)を御覧ください。
「57000文字読むの面倒くさい」とか「百合は興味ないんで」という向きは飛ばして構いません。それでも本エッセイはある程度ご理解頂ける内容かと思います。
例によって、本作のダメな部分をダメな順に見ていきましょう。
1.恋のお邪魔虫が出てこない
これは「Citrus」を見ていて気づいた本作の欠点です。Citrusはガールズラブ作品ですが、「主人公か本命に横恋慕してくるお邪魔虫が出てきては、結局主人公と本命の両思いを再確認するためのダシにされる(ただし、主人公と本命はそれに気づかない)」という文法は、長寿連載異性愛もの作品「花より男子」などでも見られる手法です。
花より男子の場合は、主人公つくしが序盤一回だけ相手を乗り換えましたが、以降は本命を道明寺に定めています。以降、つくしに横恋慕するお邪魔虫が出てきては玉砕していきます。
わたうたでは、この点を構造的に失敗しています。主人公アメリは結局カンナとくっつきますが、アメリに横恋慕してくるのはクロのみ。カンナに至ってはいません。その癖、クロにはミケという横恋慕キャラが出てきて結局ノラとくっつくわけですが、最終的にクロ一人負けという、改めて俯瞰して見ると何がしたいんだかよくわからない構造になっています。
これは多分に、途中で本命をクロからカンナにしてしまった影響もあると思います。長期連載作品ならともかく、公募に応募しようという作品が迷走してはいけません。
さらに、カクテルという4人組が出てくるのですが、彼女たちは一切恋愛に絡みません。本当に何がしたかったんでしょうか、当時の私は。一応、カクテルは失意のアメリに、歌うことの楽しさを教えてくれる役どころではあるのですが、もう少し出番を整理するべきでした。
そのようなわけで、恋愛ものの基本構図を理解してなかったばかりに規定文字数に足りず、序盤に(物語の構造的には)非重要キャラであるユキの回想をねじ込む羽目になり、出鱈目な構成になってしまいました。
2.テキトーすぎる山と谷
物語には山と谷(緩急と言い換えてもいいです)が必要ですが、谷の部分をいわゆる「負けイベント」で安易に作ってしまったために、非常に稚拙な印象を与えてしまっています。
主人公は読者の感情の入り口です。例えば、ハーレム(逆ハー)作品なら「美少女(イケメン)にモテまくりたい」、無双作品なら「出てくる敵を一方的にぶっ倒す快感がほしい」といった欲求を満たすための存在なのですね。それが何らかの敗北や挫折をしてしまうと、非常に嫌な感情を読者は抱くわけです。
はっきり言って、負けイベントでいい気分と言うか、楽になれるのは作者だけです。前述の通り、簡単に山と谷が作れますから。でも、その分読者はストレスが溜まるわけです。
世の中には「レ・ミゼラブル」や「ぼくらの」のように陰々滅々とした名作もありますが、それらは「鬱展開」に舵を振り切っているので支持されます。わたうたのようにどっちつかずではいけません。
勝ち続けさせなければいけないというのは、実は案外難しいです。私は現在テンプレチーレム作品を連載していますが、本当に中盤はいい勝たせ方&魅せ方が思いつかなくて死ぬ思いで更新をしていました。
これでうまいやり方をしていると思ったのが、「黄金バット」という作品です。物語の進行役であるタケルたちはしょっちゅうピンチに陥るのですが(谷)、その際召喚される黄金バットが高笑いしながら出鱈目なぐらい快勝するため(山)、結果として黄金バットは無敵でありつつもきちんと物語の山と谷が形成されています。
一応、黄金バットも苦戦を演じることはあるのですが、それらは視聴者から「舐めプ」扱いされるほどでした。さすが、昔のちびっこたちを熱狂させた作品だと思います。
他にこのような方法で山と谷を作っている作品としては、「ウルトラマン」シリーズが挙げられます。怪獣が被害を及ぼす(谷)。科学特捜隊が勇壮なテーマ曲とともに出撃する(山)が、科学特捜隊も歯が立たない(谷)。そこにウルトラマンが現れ(山)、カラータイマーが点滅するまで苦戦を繰り広げ(谷)、最後に必殺技で勝利する(山)という、山と谷が何度も繰り返される構造になっています。
ピンチに追い込むのはかまわないが、主人公を敗北させてはいけないということが、これらの作品から学び取ることができます。
3.これまたテキトーすぎる設定と描写
わたうたは、各種設定と描写もあまりにも適当すぎました。たとえば猫たちの大きさですが、人と同じぐらいのスケールで描いている割には、最初ダンボール詰めで捨てられてたりします。ご主人様は巨人か何かでしょうか。
この適当さは、これを書く少し前に見た「世にも奇妙な物語」の、捨てられたペットたちの物語(タイトル忘れました。「PETS」とかだった気がします)に大きく影響を受けています。この物語も、ダンボール詰めにされた犬コスプレの演者から物語が始まります。
当時の私の脳内では「プロがこれやってんだからいいんじゃないだろうか。エヴァだってサイズ適当だったし」という気持ちがありましたが、何ぶんわたうたは小説なので、読者は物のスケールがわからなくなります。
他にも、地理を全然考えていなかったり、主人公たちに残飯食べさせたくなかったからとはいえ物流が適当すぎたり、ユカリが楽譜見ただけで一発で歌えたり、夜会で100点が乱舞したりと、何かもういろいろと適当すぎました。
設定に凝りすぎるのもエタるもとですが(実際そうなったボツ作品が私にもあります)、ここまで適当なのも考えものです。なお、このへんは現在執筆中作品でも今いち改善できていません。お恥ずかしい。
以上3点、現在の私がざっと気づいた欠点と、改善点を挙げてみました。皆様の他山の石となれば幸いです。