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「ヒソカ、ヒメル」



 それは、ここに来て以来初めて聞く声だった。

 同時に振り向く二人を追いかけて、ボクは声の主を捜す。

 振り向いた二人の視線の先には、濃い灰色のローブを纏った小柄な老婆が立っていた。頭まですっぽりローブを被っているので表情は見えないが、その下から向けられる鋭い眼差しをボクは肌で感じた。

 その老婆の名を、

「ツネ!」

「ツネさま!」

 ヒソカ、ヒメルは声を揃えて呼んだ。

 二人の反応に、ツネと呼ばれた老婆はフンと鼻を鳴らす。ちらりとボクに視線を向ける。ただそれだけの所作がとても威圧的だった。

「ツネさま。こちらは」

 慌ててヒメルはボクを紹介してくれようとしたが、冷たく厳しい声が遮る。

「ふん、なんと紹介するつもりだい、――その名無しを」

 それは見えざる鞭のようにボクの身を打ちすえた。

 悲しいことに、ヒソカとヒメルはお互いに顔を見合わせるだけで、それ以上ボクのことを老婆に語ろうとする気配はなかった。

「ヒソカ、ヒメルよ。いつまでそのようなヨソ者にかかずらわっておる。今はそのような時ではなかろう」

 老婆の声には容赦というものがなかった。

「ホマレ、ヨミシ二人の様子に何か変化があったのか、ばば」

 ヒソカの問いに、老婆はうって変わり力なく頭を左右に振る。

「相変わらずだ。何も変わりない。……良くもなく、悪くもなく。ただ渾沌と眠っておる」

 まるでそれに囚われているかのように、と。

 うなだれた様子が、小柄な彼女をいっそう小さく感じさせ、ボクは先程のことも忘れ何とも言えない気持ちになる。何かかけられる言葉を探してしまう。

「あの……」

 かけられる言葉が見つからないまま、あやふやにボクが声をかけた瞬間、老婆の態度が激変した。

「ヨソ者め!」

 吐き捨てるように。

 その言葉の痛さは、先程の比ではなかった。こちらに向けられた杖が抜き身の刃のように思え、喉許に突きつけられているかのような圧迫感を感じた。

「かつてこの地に『名無し』が現れたことなどなかったわ! ヨソ者め。この『ガーデン』の秩序を乱したヨソ者め! 今までこのような大事はなかった。其方そなたが現れた所為だ」

 一言ひと言が、老婆の手に持つ杖で打たれているかのような錯覚を覚える。

「ツネ……」

「ツネさま……」

 仲裁に入ろうとしてくれているのだろうが、ヒソカとヒメルの声は弱々しいもので、老婆は鼻であしらった。

「では、ホマレ、ヨミシの常ならぬ眠りをなんと説明する」

 ヒソカは打たれたように押し黙ると、ボクから顔を背けた。

 ヒメルは口を閉ざすと、俯く。

「ヒソカ、ヒメル。このような者はさっさとこの『ガーデン』から追い出すがいい」

 その声には二人を慈しみ包む響きがあった。

 ボクには何も言えなかった。

 もう一度、老婆はボクを杖で指す。今度は眉間を狙う高さで掲げる。

「ヨソ者はさっさと出て行け。ここに名無しの居場所なんぞない」

 静かに、だが迫力たっぷりの声でそう告げると、老婆はくるりと背を向けた。遠ざかるその後ろ姿を、ボクは為す術なく見送るしかなかった。

 この想いはなんだ。この胸を圧迫する――締めつけるこの感覚はなんだ。

「ボクはっ」

 ようやくそれだけを声にする。だが、それ以上の言葉が出てこない。浮かぶ言葉は泡沫うたかたのように儚く、何かで塞がれたように息苦しく喉をついて声となることができない。

「ボクはっ!」

 ひやりとした指がボクの手に触れた。

「これ以上は痛いわ」

「ヒメル……」

 ヒメルはボクの手を取ると、ゆっくりと拳を握る手を解いていく。どれぐらい強く握りしめていたのか、筋肉が緊張していてボクの指は震えていた。掌には、三日月型の小さなアザが赤く咲いている。

「バカだな。手、痛いだろ」

 ヒソカがようやく開いたボクの掌に手を重ねる。

 でも、痛いのは掌なんかではな……

「うん、わかっている」

 小さくヒソカが頷く。

「悪かったな。オレも、まさかツネばあさんがここに現れるとは思わなかったし」

「ツネさん、ホマレさん、ヨミシさんって……?」

「この『ガーデン』の住人たちよ。ホマレ、ヨミシは双児の子供の名前」

 じっと見つめるボクに、ヒメルはいつもの悲しいような淋しい微笑みを浮かべる。

「『ガーデン』て何?」

 目がかゆくて、鼻がむずむずした。泣く前兆だ。

「それは、ここの便宜上の呼び名だ。本来、そんなものは必要なかったから……な」

「ボクのためだけの、なんだ」

「ああ」

 穏やかな声でヒソカは肯定する。こういう時に優しいなんて反則だと思う。

「初めに説明すれば良かったのだけど、あなたは混乱していたし、機会を見てって。そうしたらどんどんその機会が、ね」

「知らなくても困ることでもないと思ったからな」

「そうね。それもあるわね」

「名前、って?」

 しゃくり上げる声が、我ながら耳障りあった。

「『名前』はここでは、そのままここでの役割のようなものをあらわすの。わたしは『秘めし者』『静かに秘めし者』ね。ヒソカは」

「『密かなる者』『密かに息づく者』だ」

 ヒメルの言葉をヒソカが引き継ぐ。

「ツネばあさんにも、ホマレ、ヨミシにもそういうのがあるんだ。でな、ここでは突然ヒトが現れるということだけなら、そう珍しいことではないんだ。ただ、な」

 一度言葉を切ると、ヒソカは何度か唾を飲みこんだ。

「ただ、おまえのように自分のことを何も知らない……名前を持たない者が現れたのは初めてのことだった。そして、単独で現れたのも」

 『ガーデン』の住人は二人一組で成る。初めて目覚めた時、ヒメルの前にはヒソカが、ヒソカの前にはヒメルが、お互い手を取り合って存在していたという。

 ――ただそれだけのことで、あそこまで悪し様に言われなければならないのか。

「おまえがいだく理不尽さもわかる。だが、ここではそれが異常事態だという理由もあるんだ」

「でも、その理由はボクには説明できないことなんだ」

 それが何となく直感でわかった。

「それが何より、ボクが仲間はずれだという証拠なんだね」

 最後のひと雫が頬を伝ってこぼれ落ちた。

「たぶん、ここを護る結界が綻び始めたの。今までにない強い瘴気がはびこるようになって、まず最初にホマレ、ヨミシが深い眠りについた。そして、それを恐れるように他の住人たちは身を潜めたの」

「そしてそんな中ボクが現れたんだ。だからって!」

 ボクは再び拳を握る。

「だからって、それがボクのせいなのか! なんでボクがあんな責められなきゃならない」

 ここに来て今まで、こんなに感情が揺れたことはなかった。

「ボクが悪いのか!? ボクだけを責めて満足なのかッ」

 視界の隅でヒソカがうずくまるのが見えた。頭を抱え、苦しいそうだ。

「落ちついて! ヒソカが苦しんでいる」

 ヒメルが叫ぶ。

「『怒り』はここでは毒になる」

「知らない!」

 止まらない。身体が熱く、目眩さえも覚える。だが、この感情の波は止まらない。

「知らないもん。気がつくとここにいたんだから。最初から望んで来たわけじゃないもん」

 ボクが揺れているのか、世界が揺れる。ボクの視界が狭まっているのか、世界が闇に包まれようというのか。

「やめて。『ガーデン』が、この世界が壊れてしまう」

「ああ、そうさ。こんな世界、いらない。いっそのこと――」

「冗談でもそんなこと言わないで!」

 今までにないヒメルの鋭い声に、ボクはすくんだ。身体が急速に熱を失っていく。

「ボクは……」

 激情を手放したボクは、速やかな安寧を求めた。

 

 

 

 夢のようだと思ったこの楽園も、ボクにとっての楽園ではなかったんだ。

 『楽園』なんて、そんなものは何処にもないんだ。






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