妻の姉を愛する夫2
アルバートはついさっきまで幸福だった。
愛する彼女に似た子どもが生まれたという報せを聞いて。それもアルバートが望んだ王子だった。
だが、あの女は子どもを産んだということすら否定した。
自分の手の者を侍女として潜り込ませていなければ、子どもの性別もわからぬまま、同じことを言われたに違いない。
正妃となる筈だった公爵令嬢の暴挙がなければ、総入れ替えになった下働きの侍女の中に手の者を紛れ込ませておくことはできなかっただろう。
『ハルスタッド一族の女からは王女しか生まれませんの』
その言葉の意味を父親は知っているのだろうと、アルバートは王のもとへ足を進める。他国の来客もなく、大きな催しも控えていないので、今の時間帯なら執務室にいると目測を付けて。
王子を隠されてアルバートは腸が煮えくりわたる思いをしていた。
あの女があのような真似をしなければ、今頃は王子の誕生で足取りも軽く同じ道を歩いていたに違いない。
すべては待望の王子が生まれたにもかかわらず、その王子が生まれた事実を消したあの女の所業のせいで、自分がこうして父に王子の行方を突き止めてもらわなければいけない。
王子はまだあの離宮内に隠されているか、リーンリアナの協力者たちによって離宮の外に連れ出されているか、アルバートにはわからなかった。そして、まだ王太子であるアルバートには離宮内を捜索する力がない。
離宮に関するすべての決定権や指示を出せるのは父親である国王ただ一人だけだ。
国王の執務室の前を守る衛兵に中への取次ぎをしてもらえば、すぐに許しが得られた。
「父上!」
入室の許可は出したが、王太子の先触れなしの訪問に王は怪訝な顔をしていた。同じ部屋で仕事をしていた文官たちは自席で作業をしながらも時々、アルバートの様子を窺うように視線を向けてくる。
「何用か?」
「お人払いを」
国王はそれに首を横に振る。
「大丈夫だ。ここにいる者の前では何を話してもよい」
国王が目を通すような最高機密を目にする立場の者たちだ。幼き頃から接し、信を置くに足りる人物であったり、王家に忠実な家の人物であったりする。そう、ハルスタッド一族のように国王の狗と呼ばれる一族の人物もいる。
髪の色が明るい者が多いこの大陸を表すように、国王の執務室には国王のような金髪や銀髪の人物が多く、黒い髪の人物はアーガイル・ハルスタッド伯爵ただ一人。
アーガイルはあのハルスタッド一族の当主で、リーンセーラを始めとした上の三人の娘たちは王族に嫁いでいて、アルバートの妻の父でもある。
「私的な話です」
アルバートは他の者の前でリーンリアナがしでかしたことを口にしたくなかった。
アーガイルはリーンリアナの娘だとしても、出し抜かれた己の馬鹿さ加減を義父の前で晒す恥までかいて、リーンリアナに仕返しをしたい気分ではない。
それよりも、リーンリアナに隠された王子を一刻も早く取り戻したかった。
「・・・二人だけにして欲しい」
深刻な表情を向けてくる息子に父親は折れた。
「御意」
文官たちは席を立つと国王に頭を下げ、次々と退出していく。一番最後に出て行ったのはアーガイルだった。
全員が退出したのを見届けると、アルバートは時間を惜しむかのように口を開いた。
「リーンリアナのことで話があります」
「離宮の女がどうかしたのか? おお、そういえば、産み月だと聞いたが、ようやく王女が生まれるのだな」
子どもの性別を女だと決めつけた父親のことがアルバートの気に障った。
リーンリアナに待ち望んでいた王子を隠されただけに、父親の無神経な決めつけが頭に来る。
「王女ではありません! 王子です! 私の跡継ぎとなる王子です! あの女は王子が生まれたというのに、その子をどこかにやって、自分は産んでいないと嘘を吐いたのです!」
思わず声が大きくなったアルバートに父親は顔を顰め、宥めるように言った。
「声を押えろ、アルバート。そうか。王女は生まれなかったのか」
王子が生まれたというのに喜びもしない父の様子をアルバートは訝った。
まるで、王女が生まれなかったことを残念がっているようにすら見える。
「生まれたのは王子ですよ。この国の世継ぎです」
誇らしげに告げるアルバートに父親は浮かない顔をした。
「どこから王子が生まれたと聞かされたのだ、アルバート」
「離宮の侍女からですが?」
父親の質問の意図がアルバートには読めなかった。
そこで当たり障りのないように生まれた子どもの性別を知る立場の人間の役職をあげる。だが、個人を特定できるような役職はまずい。せっかく、離宮に潜り込ませた手の者も、名前を出された無関係な相手にも迷惑がかかる可能性があるし、逆に手の者ではない相手をあげることで手の者が離宮内にいることを知られてしまう。
それはまずかった。
アルバートは離宮に潜り込ませた手の者に自分がいない間のリーンセーラの様子を事細かに報告させていた。
「それは処分しておくように」
「?! 何故ですか?!」
「ハルスタッド一族の女は王子を産めん。王子を産んだということは忘れなければならんし、生まれたという事実はハルスタッド一族以外は知っていてはならん」
妻を名乗るリーンリアナと同じことをいう父親の意見をアルバートは素直に受け入れられなかった。
愛する彼女に似た王子の存在を忘れるなんてできる筈がない。
ましてや、その子はただの王子ではない。第一王子だ。王太子となり、王子になる可能性の一番高い王子。
「忘れろと申されてもあの子は私の長男です。行く行くはこの国を治める定め。それを忘れろとおっしゃるのですか?!」
「ハルスタッド一族の女から生まれた者に王位継承権はない。忘れるのだ」
王位継承権がない?!
あまりに驚いたので、アルバートの緑色の目が丸くなる。
泣きボクロのせいか、アルバートの顔はまだ学校に通っている少年のように幼く見えた。
「何故ですか、父上?! 父上にとっては、初の男の孫なのですよ?! 孫が可愛くないのですか?!」
「アルバート。ハルスタッド一族の女は何の為に王族に嫁ぐのかわかっているのか? あれは他国に嫁がせる王女を産む為だけに嫁いでいるのだ。それ以外に理由はない。ハルスタッド一族の女から生まれた者に王位継承権はないのは、嫁がせた先でどのような子を産もうが、その子はこの国を継ぐことがないようにだ」
アルバートの黒髪の姉妹たちは他国に嫁いでいったが、そんな話は聞いたことがなかった。
勿論、王女にだけ王位継承権がないなどということもない。歳の離れた第二王子が生まれるまでは叔父たちや大叔父、それに次いでアルバートの姉妹たちが王位継承権を持っていたのは誰もが知っていることだ。
国によっては国王の息子の次に娘、そのあとに弟となっていくところもあるが、この国では男子が優先的に継承権を持っている。
「では、王子は・・・」
アルバートの希望に縋るような言葉を国王は取りつく島もなく切って捨てる。
「諦めろ。その子は王家に名を残すことは許されない」
「そんな・・・。そんな、馬鹿な・・・。彼女によく似た子を諦めろと・・・?」
呆然とした様子で諦めきれない息子を父親は諭した。
「アルバート。国というのは、食料なり、鉱山なり、観光なり、加工技術なり、外交なりで何がしかの特色に秀でて、ある程度の防衛力があれば独立していることができる。勿論、武力があれば独立を脅かされることなどない。では、この国が独立していられるだけの特色は何だ?」
「この国の特色? それは・・・」
唐突な父親の質問にアルバートは答えが思い浮かばなかった。
「この国には金を産み出せるだけの食料も、鉱山も、観光も、加工技術も、武力もない。外交に秀でた大使や宰相もいない」
「・・・」
「外貨を稼げる特色もなく、他国を圧倒する武力もなかった場合、独立など夢のまた夢だ。それなのに、この国がどうして独立していられると思う? 誰も望まない不毛の地ではないこの国がどうやって独立を保っていられると思う?」
「・・・」
「答えはハルスタッド一族の女が産んだ王女だ。魅力溢れた王女を妃に据え、王が煩わしい女たちの戦いに左右されずに政を行える環境にできるようにする。それでいて、我が国は妃の母国。祖母のいる国として、独立している為の援助を受けている。いわば、ハルスタッド一族の血を引く王女は我が国が独立している為の外交を担っている存在で、その母体は人質だ」
「・・・!!」
愛する彼女は父親の側妃なだけでなく、人質・・・!
アルバートは父親の言葉が信じられなかった。
彼女の、リーンセーラの夫であるというのに、その妻を娘に対する人質として見ていることを。
子どもまで成していても、相手を簡単に切り捨てられることを。
気まぐれに身分も権力もない女に手を出した場合、子どもができても母子共々、簡単に切り捨てられる存在であることはわかる。アルバートにとって、リーンリアナをそのようにすることは容易い。
だが、リーンリアナではなく、リーンセーラのような素晴らしい女性を価値がなくなったからと王城の片隅で朽ちさせることなどできない。
リーンリアナなら他の妃たちに虐げられて命を縮めてもかまわないが、リーンセーラはそんなことをされるような無価値な女性ではない。
「だから、ハルスタッド一族の血を引く王子はいらん。他国で無駄に血を増やすようなハルスタッド一族の血を引く王子など、疫病神でしかないから、ハルスタッド一族に処分させている」
処分の言葉の響きにアルバートは恐怖で身体が震えた。
愛する彼女に似た自分の息子を処分?
父の息子である自分の息子、父にとっては孫である王子を処分?
王太子の長男である王子を処分?
正妃ではないが、側妃の産んだ王子を処分?
処分させているのは国王の命しか聞かない国王の殺し屋のハルスタッド一族。
国王が命じれば、狂犬たちはその命を果たさないわけにはいかない。その相手がたとえ王太子であろうと、狂犬たちは国王の命に従う。
ましてや、相手は存在することを忌み嫌われた王子。
思い起こせば、離宮に向かう際に見かけたハルスタッド一族の男たちの中の一人が何かを持っていたような気がする。
もしかして、あれが王子だったのか?
あの女は自分の子どもが処分されるのを知っていたのか?
知っていて、あのように平然と私に言っていたのか?
『私はハルスタッド一族の女。王女しか産みません』
『私は子どもなど産んでおりません。ハルスタッド一族の女からは王女しか生まれないことをご存じなかったのでしょうか?』
『ハルスタッド一族の女からは王女しか生まれませんの。他国に嫁ぐのに必要な王女を産む為にしか、必要とされておりません。それがハルスタッド一族の本家に生まれた私の務め』
あの女は産んだことすら否定していた。
きっと、処分されることも知っていたに違いない。
知っていたのなら、何故、私に言わない?
我が子が殺されるかもしれないことを知っていて、どうして私に助けを求めない?
どうして、私があの子が誕生を心待ちにしていたのを知っていて、殺されるかもしれないことを告げなかった?
「処分だなんて、父上の孫なんですよ?!」
アルバートは情に訴えて、ハルスタッド一族への命を取りやめてもらおうとした。
だが、父親は事もなげに言った。
「余もハルスタッド一族の女を娶って、王女を産ませているのだぞ」
「・・・!!」
我が子すら処分していることを暗に示す父にアルバートは言葉を失った。
「アルバート。お前には歳の離れた弟たちしかいないからといって、王太子にしているだけだ。王太子でいたいなら、驕りは捨てるように」
父親が言外にこの件はここまでにしないと廃嫡も視野に入れていることを仄めかしてきたことにアルバートは目を見開いた。第二王子はまだ9歳で第三王子も4歳にすぎない。そんな幼子たちに王太子の座を渡すと言っているのだ。
さっきからアルバートは信じられない気持ちでいっぱいだった。
たかが側妃のことで――
されど、愛する彼女に似た息子の命に関わることで――
王太子とその側妃の間に生まれながら、王子とは認められず、存在すら消される息子。それを忘れなければ王太子の座を失うと言われて――






