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夫の愛情は不要な妻5

 アルバートの正妃となるベッケンバウアー公爵令嬢の父親は娘の責を問われ、父娘共々悪性の病に罹って命を落としたことになった。

 これが正妃に対する側妃候補の仕業なら爵位は取り上げられ、王家への反逆罪として一家は公開処刑されてもおかしくはない。

 妻を暗殺するという行為は、妻とその実家だけでなく、その夫に対する攻撃でもあるからだ。それが正妃だった場合、正妃に成り代わって権力を得たいという意思表示になる。

 だが、狙われたのはハルスタッド一族の側妃である。離宮に籠もり、社交場に出てこないハルスタッド一族の側妃の命を狙った事件は表沙汰にするのは大変だった。事件があったからといって、実行犯以外を咎めようとしても、被害者との接点があまりにもないから殺意があったかどうかすら証明できないからである。

 今回の場合はベッケンバウアー公爵令嬢が実行犯に身の安全の保証として渡していたものがあった為に罪が明らかとなった。


 こういうものを実行犯が持っていない時は実行犯の証言だけしかない。それで高位貴族を追い詰めるのはまず無理だ。事件が起こったふうを装って、王家の意向一つで高位貴族を処罰しようとしていると見なされてしまい、貴族の間に王家への不信感を植え付ける結果となる。そうなれば、他国と通じる者が出てきたり、現王を廃そうという動きさえ出てくる。

 このような事態こそ、ハルスタッド一族が存分にその存在感を知らしめる機会となり、粛清された貴族の領地や役職を巡った貴族たちの争いで国が揺るがされる。

 国内が混乱する前に外国に嫁した王女の伝手で外圧に頼ることもできるが、それに頼りすぎれば属国の立場に落とされやすい。複数の国の後押しやそれに対する見返りなどの配慮ができるなら、そもそも貴族同士の争いなど起きない。


 ハルスタッド一族は王の狗だが、王が貴族を粛清する為にそれを使う時は他の貴族たちの納得できる形でしか使えないのである。つまり、王の命で貴族を粛正することは当主の暴走をその一族からの嘆願で止めるか、他の貴族からの正当な訴えがなければできないことなのである。


 離宮での毒殺未遂事件はハルスタッド一族の被害者が出てはいるが、ハルスタッド一族が報復に出ることは許されていない事案ではなかったので、王と司法の手に委ねられた。その上で、令嬢の関与が認められ、ベッケンバウアー公爵家に罰が下されたのである。


 実行犯であった侍女は秘密裏に処刑され、他の侍女たちは離宮の住人たちの嘆願でどうにか処刑は免れた。しかし、お付きの侍女ではない下働きの侍女は元の持ち場に戻ることを許されず、実家に戻されるか、それを拒むなら還俗もでき、裕福な子女の教育施設が付属されている修道院送りとなった。

 それでも、罪を犯していない者に対して、あまりにも理不尽な処分だった。

 実行犯の侍女の実家は謹慎を申しつけられ、理不尽にも実行犯の犯行を止められなかったことで処罰を受けた侍女たちの家を敵に回すことになり、謹慎が解けた後も公職追放と嫌がらせで没落していくこととなった。

 こちらの実家にもお咎めがほとんどなかったのは、高位貴族の場合と同様に事件自体がでっち上げだと訴えられない為である。だが、とばっちりを食った侍女たちの親戚からの報復は貴族同士の取るに足らない追い落としという形で行われ、国王の正妃付きの侍女の家という夢は没落の悪夢に変じた。


 ベッケンバウアー公爵家は王太子の正妃となる娘だからと父親の育て方の甘さは問われたが、爵位を無事に嫡男に引き継ぐことを許されて存続した。


 そして、病死・・した令嬢の代わりにアルバートの正妃となる令嬢が新たに決められることになった。

 こうして、アルバートは肉食獣たちの狩りに晒される日々が始まった。

 高位貴族の令嬢たちは婚約を解消して、既に結婚している場合は離婚までして、正妃になろうと学校に通うまだ14歳のアルバートを追いかけまわした。

 アルバートは夜会では同じ令嬢とは2回以上踊らないように留意し、「王太子殿下がお気にかけている令嬢」と言われて、正妃にしたい人物だと思わせないようにしなくてはいけなくなった。







 事件から二週間たった頃、ようやくリーンリアナはリーンセーラと面会が許されるようになった。


 侍女に案内されて支えられながらやって来た妹の姿を見付けたリーンセーラは微笑む。

 リーンリアナもあの日から臥せってはいたが、盛られた毒で生死を彷徨ったリーンセーラは未だに自力で身体を起こしていれられない為、背中にたくさんのクッションを重ねてもらって、それに寄り掛かかる形で上半身を起こしていた。


「リーンリアナ」

「お姉様、お加減は如何ですか?」


 リーンリアナが身体を気遣う言葉をかければ、リーンセーラは麗しい顔を悲しげに曇らせた。


「ごめんなさい、リーンリアナ。死んであげられなくてごめんなさい。わたくしが死んでいればあなたを苦しませることが減るのに、浅ましく生き残ってしまってごめんなさい」


 死ななかったことを謝るリーンセーラにリーンリアナは驚くと共に慌てた。自分の身代わりに毒を口にして命まで落としかけたというのに、死ねなかったことを謝られるとは予想できるはずもない。

 それにリーンセーラとその夫との関係は非常に良好である。そんな姉が夫を置いて死ねなかったことを謝るのも理解できない。

 姉が死んでも、リーンリアナはもう振り向いてくれないアルバートのことは諦めていたので、苦しみが減るということもない。


 今、リーンリアナを苦しめているのは思い出にはなってくれない苦い想い。初恋の残滓と諦観しながらも夫という立場で手の届くところにいるアルバートが自分を見てくれるかもしれないというありえない希望を夢見て捨てられずにいる乙女心だった。


「何をおっしゃるの、お姉様?! お姉様がお亡くなりにでもなれば、お姉様の旦那様がお嘆きになります! お姉様が生きていて下さるから、私もこうして生きていられるのです! それに私の命を狙った毒でお姉様がお倒れになったと知って、私は何故自分が口にしなかったのか、運命を呪いました。だって、私が死んでいればお姉様もアルバートに煩わされずにすむというのに」


 リーンリアナは初恋に破れて死にたいとも思っていた。

 苦しくても自分ではリーンリアナは死ねなかった。万が一、億が一の可能性をリーンリアナは夢見ていたから。

 一方的にアルバートが心奪われただけで何の罪もない姉を妬み、恨んだ。

 それなのに、自分を気遣ってくれる優しい実の姉が自分の身代わりに毒に倒れた。


 自分さえこの離宮にいなければ、アルバートはこの離宮に入る口実ことがないのに。

 離宮に入ることができなければ、アルバートの横恋慕にどのような形でも煩わされたりはしない。


 毒が盛られ、リーンリアナとリーンセーラが床に臥せるまでは、突然訪問の予定を変えて現れるアルバートを避ける為にリーンセーラは部屋の鍵をかけたり、他の女性たちの部屋を訪ねているしかなかったのだから、リーンリアナがそう考えるのも無理はない。


「リーンリアナ、それこそ口に出してはいけませんよ。あなたが死んで誰が嬉しいものですか! あなたはあなたの幸せを手に入れる為にわたくしを使った。でも、その幸せが手に入らないとわかる前も後も、わたくしに害が及ばないようにわたくしとあなたの夫を二人きりにしないように配慮してくれたではありませんか」


 姉が自分のよこしまな思惑に気付いていたことにリーンリアナは愕然となった。

 そんな自分に対してどうすればあんなに優しくできたのか、死ねなかったことを謝れたのか、リーンリアナには到底信じられなかった。


「それは・・・お姉様とアルバートに万が一のことでもあったら耐えられなかったからです。そんな身勝手な理由なんです。お姉様の身を案じてとかではなく、私はアルバートを盗られたくなかった。それがお姉様であろうと、アルバートは私のものだったんです」


 リーンリアナは今まで誰にも言えなかった醜い自分の心の内を吐露した。

 そうすれば、姉が自分のことを気遣って死を望むことはないと思ったからだ。

 決して、心の中をさらけだして自分が楽になろうと思ってしたことではない。


「何を言っているの? それは当たり前のことじゃない。あなたはアルバートの妻で、アルバートはあなたの夫。それをわたくしが盗ることなんてしませんわ」


 慰めてくれる姉にリーンリアナは姉も気付いている現実を並べつつ、その内容に傷付いていた。


「でも、不安なんです。あの人はお姉様を愛している。私のことなんか一つも見てはくれない」

「リーンリアナ。わたくしには夫がいるのよ? それはアルバートではないの。だから安心して。わたくしはあなたからアルバートを盗りません」


 リーンセーラは自らの言葉で打ちのめされている妹を抱き締めて安心させようとした。


「お姉様・・・」


 リーンリアナはリーンセーラの背中に手をまわして抱き返すことができなかった。

 そんな資格がなかったからだ。


 いくら夫に見向きもされないからといって、その夫に愛されている姉に嫉妬してしまう醜い自分。

 妹の夫を妹の為に我慢して付き合い、避けようと努力し、妹を苦しみから解放しようと死ねなかったことを謝る姉。


「夫には悪いけど、わたくしはあの毒で死にたかったわ」


 死を望んでいたと打ち明けるリーンセーラの言葉が信じられず、リーンリアナは目を見開いたまま、首をゆっくりと横に振る。

 リーンリアナは自分がどんなに醜い心を持ち、姉が死ねなかったことを謝るどころか、優しくしてもらう価値もないことを話したのに、それでも死を望むリーンセーラの気持ちが理解できなかった。


「・・・。どうして、そんなことをまたおっしゃるの?!」

「この離宮に入ったら、後は死ぬまでここを出られない。家にいた時は違ったわ。14になれば家を出て別の場所に行ける。でも、ここを出るのは死んだ時だけ。わたくしに自由はないと言われているみたいで辛いわ。あなたはそうでもないみたいね。ここにいれば愛する夫に来てもらえる。わたしくたちの血を引く王女が必要な限り、アルバートはあなたのもとを訪れないわけにはいかない」


 自由になりたいとリーンセーラは告げた。

 夫と愛し合っている、仲の良い夫婦だとリーンリアナが思っていた姉夫婦は見かけ通りではなかったらしい。

 それどころか、愛してもくれないアルバートを待ち続けるリーンリアナを羨ましいと思っている節すら窺える。


「お姉様がまさかそんなことを考えていたとは思ってもおりませんでした。てっきり、私と違って旦那様と愛し合われて幸せでいるかと・・・」

「わたくしと夫の間にあるものは、あなたが自分の夫に抱いているもののように激しいものではないの。アルバートを一途に恋い慕うあなたが羨ましいわ。それでいて、妬ましくなる。あなたがわたくしの知らない恋ができたから」


 リーンセーラが「恋」と言った時、そこには憧れる響きがあった。

 その言葉の甘さはリーンリアナの耳に届くと一気に苦いものに変わってしまう。


「恋、ですか。羨ましくなんかありません。こんなに辛い思いをするなら、いっそのこと、恋なんてしたくありませんでしたわ」


 リーンセーラの憧れている感情はリーンリアナにとって好ましいものではなかった。それは心を何度も完膚なきまでに引き裂いたとリーンリアナは思っていた。

 まだアルバートへの気持ちが熾火のように残っているリーンリアナは、心が引き裂かれた果てに絶望というものがあることを知ることになる。

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