夫の愛情は不要な妻4
リーンセーラに毒を盛った犯人とその動機が明らかになったのは事件が起きてすぐだった。
間違った相手が食べてしまい、動転した侍女がすぐに捕まったのだ。
王族が滞在する離宮で、王族の保護下にいて、王族の子を孕んでいるかもしれない離宮の住人を害した場合の処罰は生半可なものではない。大罪にもかかわらず、毒を盛った侍女は命じられた相手から身の安全の保証をもらっていた。
しかし、この離宮の住人を害そうとした犯人が見つかろうと見つからなかろうと、この離宮の住人に毒が盛られたとわかった時点で侍女全員が処刑されると決められていた。
その為、食事に関しても厨房から離宮の中までは鍋に入れられたまま運ばれ、盛り付ける前に毒見が行われ、焼き物などの切り分けられたものも必ず一口は毒見で削られている。
そのような毒見をした上で、王女たちを産む母体に食事が運ばれているのは、母体の安全と共にそのような企てが起こっても事前に発覚した場合は侍女たちの命まで奪わない情状酌量の余地を残す為だった。
自分の正妃となるベッケンバウアー公爵令嬢の命で盛られた毒でリーンセーラが倒れたという報せは、首謀者も実行犯も極刑が科せられることを一緒に告げられてもアルバートの怒りは収まらなかった。
決して父王が罪の追及を緩めることがない事柄だと説明しても、愛するリーンセーラの命を奪いかけた者たちにアルバートが自ら罰を与えられず、かといってリーンセーラを見舞いに行くことは許されていない現実のおかげで怒りの行き所がなくなっていたのだ。
リーンセーラを見舞いに行けない理由はリーンリアナにあった。
リーンリアナは毒で苦しむ姉の姿を目の当たりにしてしまい、精神的ショックの大きさから床に臥せるようになってしまった。そんなリーンリアナへの面会はリーンセーラの治療で離宮を訪れていた医師から止められ、アルバートは離宮に出入りすることを禁じられてしまったのだ。
また、離宮の侍女たちの処刑が決まっている為、侍女たちのしていた仕事を門を守っていた女騎士たちが行い、門の守備を行っているハルスタッド一族はアルバートがどのようなことを言おうと、王命を盾に入れようとしなかったので、アルバートはリーンセーラを見舞えなかった。女騎士たちだったら、騎士とは言っても名ばかりの貴族の令嬢にすぎず、アルバートを拒むこともできなかったに違いない。
リーンリアナの身代わりにリーンセーラが生死の境を彷徨い、その見舞いに行きたくてもリーンリアナも寝込んでいる為に離宮に入ることを許されない。
禍を運んできただけでなく、なんと使えない女だ。どうして、このような女が私の側妃なのだ?
アルバートの執着のせいで誤解されて狙われたリーンリアナではなく、ベッケンバウアー公爵令嬢が望んでいた通りアルバートの愛する女が毒を口にしたという考えなどアルバートの頭の中には欠片も思いつかなかった。
アルバートに一欠片も心配されなかったリーンリアナは目の前で毒の入ったものを食べた姉が倒れ、その悪夢で眠れなくなっていた。その上、自分が狙われていたという自責の念からか食事もとれなくなり、日増しに青白い生きる屍のような状態になっていき、ベッドから一人で起き上がることさえできなくない。
「姉様? リーンセーラお姉様は? リーンセーラお姉様は大丈夫なの?」
見舞いに訪れたすぐ上の姉リーングレースにやつれ果てたリーンリアナは尋ねた。
「リアナ。姉様にはまだ会えなかったわ。あなたは今日も食べられないの?」
リーングレースは姉が何日も生死の境を彷徨っていたことを隠して、リーンリアナが食事をするように促す。
「無理だわ。私のせいでリーンセーラお姉様が毒を口にされたのよ? 私だけがものを食べるなんてできないわ」
処罰の為に顔馴染みの侍女の姿が消え、今は女騎士たちがリーンリアナの世話をしている。
女騎士たちから慣れないながらも誠意の籠もった世話をされているが、今のリーンリアナは食べ物を見ると気分が悪くなる。それでも食べようとすると姉が自分の代わりに毒を口にしたのが心苦しくて吐き出してしまう。
「無理をしてでも食べないといけないわ。このままじゃあ、姉様より先にあなたが死んでしまうわ。そんなことになったら、姉様がどれだけ悲しむと思っているの?」
喉を掻きむしる姉の姿がリーンリアナの頭をよぎる。
苦しむ姉をただ見ていることしかできなかった自分の目の前で、侍女たちが毒を吐き出させようとしていた。
あの時、私は――
「でも、姉様。リーンセーラお姉様は私のせいで、私がアルバートと会ったせいで毒を盛られてしまったのよ? あんな奴のせいで毒を盛られたのよ。私があんな奴に嫁いだばかりに」
「リアナ。私たちが王族に嫁ぐのは決められていたことよ。だから、あなたがアルバートに嫁いだことを気に病んではいけないわ」
自分で決めたわけでもない自分の結婚自体を責める妹に、リーングレースは自分の意志では変えることのできないことを思い出させて、自分自身を責める気持ちをやめさせ、リーンリアナの心を軽くしようと務める。
「でも、姉様・・・」
自分の責任ではないと諭されても、リーンリアナには素直に受け入れられなかった。
アルバートの心を奪った姉リーンセーラに対して嫉妬や恨みを抱かなかったわけではない。そんな浅ましい自分の想いがアルバートの正妃となるベッケンバウアー公爵令嬢の犯行を招いた気すらリーンリアナにはしていた。
私もあの公爵家の令嬢と同じ。醜い想いの持ち主だわ。
尚も、リーンリアナが浮かない表情をしているので、リーングレースは嘆息を吐いて、違う角度からもう一度諭そうとする。
「姉様はあなたが痩せ衰えることを望んでいらっしゃらないわ。さあ、スープを食べて。果実をすりおろしたものでもいいから、口にして姉様とお会いした時に元気な顔を見せましょう。あなたが幽鬼のような顔をしていては、姉様もご自分が身代わりになったことを嘆かれるわ」
ベッドのサイドテーブルに置かれている湯気のなくなった具のないスープと、切り口が黄色くなったリンゴの欠片がのった皿にリーンリアナの視線が注がれる。
スープは食事をとれなくなったリーンリアナの為に料理人たちが作ってくれたもの。リンゴは侍女の仕事をしている女騎士が食べられるようにと慣れない手つきで切ってくれたもの。
リーンリアナの身を案じた彼女らの気持ちを無にするわけにはいかない。
「・・・わかったわ」
リーングレースに支えられて上半身を起こしたリーンリアナはスープを口へと運ぶ。銀製のスプーンは急激に衰えた筋力で支えるには重く、震えている。
咥内に広がったその味は、作り手の心を表すかのように優しい味がした。
リーンリアナは自分が生きていることを望まれていると思い、静かに涙を流した。